Prologue/What if

 熱い。熱い。
 燃えている、すべてが。
 その中で、わたしだけが息をしている。

「ぅ、あ……」

 けれどきっと、それも直に終わるだろう。
 わたしの心音と呼吸は目に見えてか細くなっていく。
 尽き果てることは怖くない。消え果てることも、怖くない。
 わたしはどだい終わりある命。人より早く朽ち果てる泡沫の命。
 そのことを、わたしは誰より知っている。けれど――

 それはそれとして、思うことがないわけではない。
 わたしは、何のために生まれたのだろう。
 何のために、造られたのだろうか、と。
 そんな生物学的疑問を抱きながら、わたしの……マシュ・キリエライトという人造生命の刻限は尽きていく。

「あら?」

 ――そんな時だった。
 地獄と化したカルデアの一角に、場違いなほど綺麗な声が響いたのは。
 わたしは童話に登場する妖精の姿をその声から連想する。
 疎らにゆがむ視界を凝らす。そして、わたしは。その人を、見た。

「まだ、生きている人がいたのね。
 こんなにひどいことになっているのに、すごいわ」

 白い。白い――少女だった。
 着ているのは見慣れたカルデアの魔術礼装なのに、それすら天上の代物に見えるほどに可憐な容貌をした少女。
 色素の薄い金髪は神の手で紡がれた糸のよう。蒼い瞳はサファイアのよう。
 小柄な背丈も、幼さというよりかは妖精郷の住人めいた趣を助長している。

 カルデアには人域のものでない美貌の持ち主が既に一人いる。でも、この人は彼女とはまるで別物。
 どちらが上とかどちらが下とかではなくて、そもそも美しさの種類が違う。
 あちらが慄き息を呑む美しさなら、こちらはぼうっと永遠に眺めていられるような静かな美しさだ。
 わたしはいつしか痛みも忘れて、目の前に立つ美しい少女を見つめていた。
 するとしばらくわたしを眺めていたその人は、「あら」とまた驚いたように口へ手を当てて、それからわたしに向かって屈み込む。

「あなた、面白い身体をしてるのね。
 心配しなくても大丈夫。これならあなた、この程度のことじゃ死なないわ」

 妹か、幼い子どもにそうするみたいに――
 その人は、わたしの頭を優しく撫でる。

 陽だまりの中にいるような心地良さ。
 それと同時に微かに感じる、なにか致命的なものがなくなっていく感覚(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 でもきっと、それは気のせいなんだろう。
 だってその証拠に、わたしの身体はだんだんと光に包まれていって。
 光が強くなると共に、わたしの身体を苛んでいた痛みや熱は嘘みたいに消えていって――

「さ、行きましょう。
 無力だったあなたはもういない。
 一緒に人理を救うのよ、ええと――マシュ、だったかしら?」

 そう言って、少女はわたしに手を伸べる。
 一緒に行こうと、王子様のように言う。
 わたしはその手に、おずおずと己の手を触れさせた。
 瓦礫も炎ももう敵ではない。わたしは今、デミ・サーヴァントとしての霊基を確立したようだから。

 ……どうやって? どうやって、"あの英霊"を納得させたのだろう。
 たったあれだけの動作で、わたしを――そんな疑問はあったけれど。

「あ、あのっ」

 わたしは気付けば問いかけていた。
 目の前の少女に、わたしの命の恩人に。

「助けていただいて、ありがとうございました。
 あの……あなたの、お名前は?」

 思えば奇妙な話ではある。
 ずっと宿らずにいたサーヴァントの力をいとも単純にわたしへ下ろしてしまうほどの超常を、赤子の手を捻るように行使できるマスター候補。
 そんな人がいるなんて話をわたしはこれまで一度として聞いたことがないのだ。
 こんなに綺麗で、それでいて優秀なマスター候補が話題に上がらないはずがないのに。
 本当なら、今更こんな初歩的な質問をする必要なんてないはずなのに――

「わたし? わたしはね、沙条(・・)

 未だカルデアは燃えている。
 じりじり、ぱちぱち。嫌な音が響いている。
 燃えてはいけないなにかが、目に見えないなにかが消えていくのを感じる。
 そんなおぞましい風景を背にしているのに、目の前にいる最後のマスター候補はあまりに可憐で。

「沙条愛歌。愛の歌、って書くのよ。
 四十八番目のマスターです。よろしくお願いするわね?」

 この時、わたしたちの――“未来を取り戻す物語”はその幕を開けたのでした。

 大事なもの、なくしてはならないもの。
 いろいろな綺麗なものを火にくべて、わたしは彼女と出会ったのでした。



 六番目
                           都の嬌声
      1991年    ――Let's begin Grand Order.
                          世界を喰らう恋
     根源接続者                          黙示録の獣
◆ 


「はあ、はあ、はあ、はあ――っ」

 女は、走っていた。
 銀髪の女だった。顔立ちは整っているが、どことなく癇癪の気配が見て取れるのが玉に瑕か。
 女は、逃げていた。
 荒廃し、黒い炎に灼かれ続ける日本の首都を――炎と同色の黒い人影達に追われながら、本人の意思とは反する進軍を余儀なくされていた。
 脂汗で身体中をぐっしょり濡らしながら、髪を振り乱して。
 淑女の慎みなどかなぐり捨てた必死さで、追い縋ってくる死の汚染から逃れようとする。

「(どうして、どうしてどうしてどうして――!!)」

 どうしてこうなるのだと、女は唇を噛み締め嘆く。
 女の人生はいつもこうだった。肝心な部分で恵まれない、幸が薄い。
 そしてその極めつけと言わんばかりの悲運に、現在進行形で女は遭遇している。

 レイシフトした先の大都市は見る影もない地獄に変貌していた。
 世界を焼き尽くす黒き炎は肉体と精神を、更には魂魄に至るまでもを陵辱し尽くす暴食の呪いだ。
 空は晴れることのない夜に覆われて、かつて都市を象徴していた赤い塔は半ばほどで圧し折れてしまっている。
 その地獄絵図の中を、幽鬼のような足取りでさ迷う黒い人影たち。
 そんな世界に女は一人きりで放り出された。
 守るものの一つもなしに、丸裸も同然の有様で死地をさ迷うことを言い渡された。

「なんだって、わたしばっかり、こんな――!!」

 今までの苦難がにじみ出る悲痛な声をあげながら走る女の名前はオルガマリー。
 人理継続保障機関フィニス・カルデア初代所長マリスビリー・アニムスフィアの娘。
 だがマリスビリーはもういない。人理の希望であるマスター達も此処にはいない。
 オルガマリーはどうしようもなく、この過酷な世界でひとりきりだった。

 ああ、黒い炎が嗤っている。
 哀れな哀れなオルガマリー。
 お前は誰にも愛されていない。
 だからひとりで惨めに果てる。
 淫らな踊りのその末に、穢れた都の泥になる。

「うるさい、うるさいっ……!!」

 視界の端で嗤う黒の炎を振り払いながら、銀の女は必死に走る。
 どこか、この絶望的な世界のどこかに光明があると信じて。
 それは無駄な足掻きだ。潔さの欠片もない醜い足掻き。
 けれど――

「ごきげんよう、オルガ」

 そんな死んだ世界に、天使が降りる。
 少女が現れたのを皮切りに、汚染の人影は雲散霧消した。
 それはまるで、光が闇を照らすが如く。
 盾の少女を引き連れた四十八番目が、汚濁に塗れた都市特異点に舞い降りるのと同時にオルガマリー・アニムスフィアの袋小路は決壊した。

「あ、あなた……! それに、マシュも!」
「災難だったわね。ダメよ? 一人で出歩いたら」
「ダメも何もないわよ! と、突然放り出されたんだもの……!!」

 オルガマリーに駆け寄るマシュだが、幸いにして彼女は無傷のようだった。
 ほっと胸を撫で下ろし、マシュが言う。

「ご無事で何よりです、オルガマリー所長」
「……まあ、そうね。
 助けられたことには素直に礼を言っておくわ。ありがとう、マシュ、愛歌」

 オルガマリーもまた、この凡そ優秀という言葉が形を結んだような少女の存在については認知していた。
 四十八番目のマスター。どういう手を使ってかカルデアの人員招集を嗅ぎ付け、自ら人理修復に協力したいと申請してきた最後の一人。
 魔術の名門・沙条家を生家とする彼女のマスター適性は計画のメインプランである所の"Aチーム"に匹敵し――
 如何なる手段を使ってか、彼女は紛れもなくコフィンの中に居たにも関わらず、あの惨状を生き延びた。
 魔術回路の数こそ並だが、それ以外のあらゆる分野において一級に届く……今は名実共に人類最後のマスター。

「早速だけれど、何が起きているかは分かるかしら。
 此処は幸い、わたしの知っている街のようだけれど。
 ずいぶん様変わりしてしまっているわね。本来の歴史ではないのかも」
「分かっていることは少ないわ。でも、愛歌――貴女の知っている街で間違いないはずよ」

 オルガマリーの視線が動いた先には真っ二つに折れた塔が黒い炎に播かれて無惨な姿を晒している。
 まるで九相図か何かを見ているように、普遍の象徴が燃え尽きていく様は見る者の不安を駆り立てる。
 オルガマリーもマシュもこの大都市の名を知っていたから当然だ。
 都市の名前を冠した巨大タワー。正式名称を日本電波塔。2012年に新たな巨大塔が建設されるまで、否その後も街の象徴として在り続けた建造物。
 ――東京タワー。世界にすら認められた首都の赤き錨は今、人智の敗北を暗喩するように折れ、燃え上がっていた。

「此処は日本の首都、東京都(・・・)よ。
 それも、恐らくは現代より二十年近く前のね」






亜種特異点
人理定礎値:-


A.D.1991混濁汚染都市 1991






 数ある時代、数ある土地の中からわざわざ極東の島国が選定される時点で異様な事態だ。
 カルデアを襲った何者かによる破壊工作。明らかに本来の歴史にはない地獄を湛えている東京。
 嗤う黒炎が都市を焼き、魂食らう人影が歩き回る此処はさながら恐怖の大王が降りた世紀末か。

「とりあえず、サーヴァントを召喚しましょうか」

 如何に愛歌の超常的な力があろうとも、マシュのデミ・サーヴァントとしての力があろうとも、今の面子では特異点打破は難しい。
 そもそも此処が予期されていた種類の特異点とどこまで同じ性質を持っているのかも分からないのだ。
 だからこそ尚のこと、早急に戦力を――サーヴァントを、英霊を確保しなければならない。

「……! そうか、貴女の生家は……!!」
「ええ。多分だけれど、わたしの家もこの特異点にあると思うわ。
 そこでなら……召喚サークル設営のプロセスを踏まなくても英霊一騎くらいなら用立てられるはずよ」

 というわけで、向かう先は決まった。
 “この時代”の沙条家に向かい、この地を共にするサーヴァントを召喚する。
 とはいえ猶予は長くない。此処は特異点、いつどこに敵の英霊が潜んでいるか定かではない伏魔殿だ。
 早速行きましょう、と歩き出す愛歌に、オルガマリー・アニムスフィアも従おうとして――
 振り返った。戦力の片翼であるところのマシュが付いて来ていない。ムッとして眉間に皺を寄せ、オルガマリーが声を荒げる。

「ちょっと、マシュ! 何をしているの、前後不覚に陥っていい状況ではないのよ!?」
「……あ、すみません、所長。わたし自身、その、上手く説明できないのですが――」

 そんなマシュの姿を見てオルガマリーは「ちょっと、どうしたの。あなた――」と目を丸くした。
 ひとり足を止めたマシュ・キリエライト。その瞳からは――

「涙が、出るんです。どうしてでしょう。わかりません」

 ――大粒の涙が、溢れ出していた。




「さて、遂に来たか。我らが大敵、人理を脅かす白を打ちのめす星見台のモノよ」

 朽ち果てた東京のどこかに佇んで、見透かしたような台詞を吐くは隻眼の壮年騎士だった。
 年の頃はもう全盛期を過ぎ老年に差し掛かろうとしているが、その隻眼に宿る光は紛うことなき紫雷のそれ。
 一瞥するだけで天を鎮め、海を哭かせる(ドラゴン)の片鱗を――かの騎士はその身に窶していた。

「わはははは! 前門の虎、後門の狼とはまさにこのことだな!
 “白”の人理焼却は言わずもがなだが、あの悪竜もまた論外だ。人理を救うなどと――寝言は寝てから言うものだろうに」

 この彼こそ、カルデアの三名が放り込まれた地上の地獄《混濁汚染都市(ポストアポカリプス)》にて彼女たちの前に立ち塞がる英霊だ。
 しかして彼は都市を地獄に追いやった元凶に非ず。彼もまたこの惨状を見ているしかできぬ身であり、あまりの有様を哀れんですらいる。
 そして彼は単騎ではなかった。彼の後方に少なくとも二騎、同じく騎士風の装いをしたサーヴァントが確認できる。

「まったくですよ。貴方はともかくオイラやランサーは人理の防人なんてガラじゃねェ。
 まあ――オイラの場合“騎士”よりはまだ似合ってそうですけど。どっちにしろ、面倒に巻き込まれたもんですわ」
「同感だぜ。抑止力とやらも見る目がねぇ。どうしても星を存続させたいってんなら、黙ってあの人に声を掛ければいいのによ」

 世界は今――大いなる危機に瀕している。
 途絶した未来は一面の白に逆側から食い尽くされ、頼みの救世主は主役の面をした大悪竜。
 ありとあらゆるボタンをかけ違えたとしてもこうまでなるかと問いたくなるくらいには、状況は最悪を極めている。
 そんな状況に際して呼び出しを喰らったのがこの三人の騎士だった。いずれも実力は一級だが、しかし騎士らしいかというと疑問が残る。
 あるいはこれも、人理云々以前に何かこの星そのものに重大なエラーが生じていることの証明なのか――詳細は定かではないが。

「わはは、そう卑下するものではない。
 真に貴殿らが盆暗であったならあやつの一団に並ぶことはできなかったろうよ。
 どの道我輩達にはもはや“やる”以外の選択肢は残されておらんのだ。
 我らの大祖が築き、我らが造り、我らの子々孫々が洗練させたヒトの営みを手前勝手に踏み躙られるなど、断じて承服できぬ。
 そこのところにおいては貴殿ら二人も同意見かと思うが、どうかね」
「あぁ、そうさな。俺ァ馬鹿だから難しいことは分からねぇけど、ムカつくってことだけは分かるぜ」

 答えたのは身の丈の倍ほどはあろうかという巨大な槍を携えた、見るからに怪力自慢なことが窺える騎士・ランサーだった。

「業腹ですが右に同じく。オイラの身には余る大業ですが、それはそれとして放り出すのは憚られる。
 ……つまりその手の、まっこと質の悪い御話ですよなぁ、コレ。やだやだ、勝っても負けても貧乏くじってのは世知辛ぇや」

 一拍遅れて、緑がかった黒髪をポニーテールに結った小柄な騎士・セイバーが同意する。
 二人のそんな反応を見て、隻眼の騎士・ライダーは満足げにわははと大笑した。

「然り、然り! 人理焼却は認められぬ、だが人理分解もまた言語道断。
 幸いにして我らが降りたこの地は特異点ならざる基準点。此処で食い止めれば少なくとも、後者の憂いは断ち切れるという寸法よ!」

 無論その場合、現時点で視認できている唯一無二の希望は限りなく潰えたと言っていい状況に追い込まれるが――
 そこから先は人類史の可能性というものに賭けるしかない。無責任のようだが、間違いなくこれが最善手だ。
 人理の始点を任された防人三名にできることは、時代を逆行する二つの脅威の片翼をもぎ取ることだけ。

「我らはこれより世界の敵となろう。
 ともすれば永劫に晴れぬ罪を為そう。
 しかし、しかし! その末に、世界を救う希望の萌芽があることを信じよう!!」

 ライダーは紫雷の光がぎらりと輝く隻眼を愉しそうに細めて、にやりと笑った。

「さあ――痴れた未来を砕こうぞ!!」


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混濁汚染都市 1991 Hello,World/ACT1

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最終更新:2018年09月17日 02:24