第一節:魔界三王

 始まりは───空が霧に覆われたことだった。
 ある日突然、昼も夜も関係なく立ち込める奇妙な霧が江戸の空を覆った。
 日光は降り注がず、雨も降らず。月明かりに思いを馳せることさえ出来やしない。
 頼光四天王を始めとする幾体かの英霊が召喚されたのは、まさにその異変が生じた翌日。
 渡辺綱、碓井貞光、卜部季武、そして坂田金時を集めた源頼光は、彼らにこう云ったという。
 『巨大な何かが、この日ノ本に根を下ろしたようです』。
 『早急に元を断たねば、旭の輝きは未来永劫に失われることとなりましょう』。
 正体、目的、規模、頭数、性質───いずれも不明。かつて落とした大江山にも優る不気味さを醸して、無形の霧界へ彼女達は挑んだ。

 風魔小太郎率いる忍軍と合流を果たして征伐の手筈を整えている内に、頼光は宿敵・酒呑童子もまた水面下で動いていることを察知。
 軽く十数合ほど本気の殺し合いを演じた後で(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、酒呑童子より三種の王なる敵を教えられる。
 曰く───魔王、覇王、そして凶王。魔を統べ術を統べ気を統べる、かつての英霊剣豪にも劣らぬ人外魔境の悪鬼羅刹共。
 それらがどうやら霧の主と通じているらしい。この巨大な異変を統括する何かの意思の下、遣わされているらしい。
 これを知った頼光ら一行は、酒呑童子が率いる鬼種の軍勢と暗黙の停戦協定を結びつつ、件の“王”らの討滅作戦を実行した。


「希望的なのはそれまでだ。
 結果から言えば、すべての王に我々は敗北した」

 案内された古屋敷の座敷席で、藤丸立香は信じられないといった表情を浮かべながら綱の言を聞いていた。
 源頼光。言わずと知れた平安最強の神秘殺しであり、海の向こうの神霊英霊達とすら切った張ったの攻防を演じることの出来る女傑であった。
 坂田金時。その頼光に振り回されながらも確かな実力と熱い魂で敵を倒し、見る者に勇気を与える勇者めいた男だった。
 酒呑童子。間違いなく悪性のモノではあったが、それでも味方としてはこの上なく頼もしかった。
 風魔小太郎。上の三人に比べれば単純な実力では劣れど、彼の忍術に何度助けられたか分からない。
 その四人が───すべて死んでいる。
 三王なる何処の誰とも知れない悪鬼との戦いに敗れ、荼毘に臥したと。この渡辺綱……江戸のセイバーは言うのだ。

「……話は分かった。うん、本当に何とか───だけど」
「分かった、だと? 藤丸貴様、此奴の妄言を信じると宣うのかッ!?」

 茨木童子が歯を向き泡を飛ばした。
 無理もないだろう。酒呑童子の強さ、恐ろしさを誰より深く知っているのは源頼光でも渡辺綱でもなく、この彼女なのだ。
 自分の見も知らぬところで、卑劣な騙し討ちすら介在せずに、真っ向から討たれたなど───そう簡単には信じられまい。
 ましてそれを口にしているのは彼女の仇敵、渡辺綱。
 酒呑童子を貶めようと嘘八百を並べ立てているのだと、そう邪推出来ないこともない。

 だが。

「(分かってるんだな、茨木も……)」

 彼女の口から、渡辺綱という武士の話を聞いたことが一度だけある。
 憎らしい奴と嘯いてはいたが、その実彼女は綱に興味も感じている様子だった。
 つまり、真っ当な形ではないにしろ、認めてはいるのだ。
 その相手が、こう言っている。ならばそこに疑いの余地を見出すのは無意味なことであり時間の無駄だと、本人もきっと分かっている。
 なのにこうして敵意を剥き出しているのは、きっとそれほどまでに……その真実が受け入れ難いものであったから。

「……吾は気分が悪い。汝らは、勝手に戯言を交わし合っていろ」
「あ……茨木童子さんっ!」

 マシュの制止も空しく、茨木は座敷を飛び出していってしまった。
 まずいな、と連れ戻しに行くべく立ち上がらんとする立香だったが、それを綱がまた制止する。
 「相も変わらず稚いな、あれは」と嘆息をひとつ零してから、彼は云った。

「だが案ずる必要はあるまいよ。あれも鬼だ───それも、こと生き延びることに関しては酒呑に引けを取らない。
 もし運悪く鉄火場に遭遇したとして、その頃には頭を冷やしておまえの下へ逃げ帰るだろうさ」
「そう……かな」
「恐らく、そうだ。実際にそれをされた俺が言うのだから間違いない」

 ふ、と口元を緩める綱に促されて、立香は再び正座の体勢へと戻る。
 一瞬場は騒然となったが、確かに茨木童子ならば何かあってもとりあえず生きては帰ってきそうだ。
 此処は目の前の英霊の話に集中し、いち早く現場への理解を深めるのが先決だろう。

「兎角、頼光様は戦死した。金時の莫迦も、酒呑の性悪も、風魔の小僧も……例外なく死んだ。
 四天王も残るは二人だけ。俺と其奴を束ねたとしても、頼光様ひとりにすら遠く及ぶまい。
 お前達の協力が不可欠なのはそういう理由だ。このままでは常世の定礎は崩れ去る。
 ───あの霧は、人の世にまろび出てはならぬモノでな。卜部の魔眼に依れば、指先が触れただけでも万人が死ぬ次元の毒素だという」
「卜部……卜部季武さん、ですね。あの、話の腰を折ってしまうようで申し訳ないのですが───」
「なんだ。云ってみろ、マシュとやら」

 マシュは「その、ですね」と少しだけ口をまごつかせてから、言葉を紡いだ。
 一方でそれは、立香もまた共通して抱いていた疑問である。

「……四天王の頭数が合いません。頼光四天王と云えば、渡辺綱さんに坂田金時さん、卜部季武さん。
 そして、あともうひとり居た筈です。碓井貞光さん───大蛇退治の逸話を持つ平安武将。
 碓井さんは、この時代には召喚されていないのでしょうか?」
「鋭いな。それについても説明せねば、と思っていた」

 源頼光を筆頭とする四騎の英霊が墜ちた。
 認めたくはないが、これは恐らく事実だろう。
 だが、綱の説明の中には何処にも残る最後の四天王の存在がなかったのだ。
 碓井貞光。彼を欠いては四天王という枠組みがそもそも成り立たないというのに。
 そんな疑問に答えるべく綱が紡いだ言葉は、立香とマシュの度肝を抜くのに十分過ぎるものだった。

「碓井は裏切った。奴は今や討つべき敵のひとりだ」
「……は!?」

 思わず素っ頓狂な声をあげてしまった立香を誰が責められようか。
 頼光四天王は強固なる絆と信頼で結ばれ、彼らは違うことなき善性に基づき悪鬼を討つ。
 彼ら彼女らの逸話を少しでも耳にした人間ならば誰もがそう信じて疑わない筈だ。
 その常識が───崩れて落ちた。碓井貞光は、頼光とその仲間達へ刃を剥けたと、綱はそう云ったのだ。

「頼光様の戦死を伝えたのは奴だった。
 しかし伝えるなり、訳の分からないことを気狂いのように喚き立て始めてな。
 やれ神だ、救いだ何だと、邪宗門の信徒にも似た口調で吐いてのける。
 そして、奴は俺に刃を向けたよ。結果は痛み分けだ。奴の右腕は落としたが、俺もこの通り傷を浴びた」

 云って綱は、袴の内の傷跡を立香達に見せ付ける。
 袈裟懸けに裂かれた傷は塞がってこそいるものの、激戦の壮絶さを理解させるものだ。
 立香は天を仰ぎたい心地になった。マシュも同じだろう。どれだけ絶望的な状況なのだと、弱音のひとつも吐きたくなる。

「臆したか」
「……そりゃあ、全く弱気になってないと云うと嘘になりますね。
 なんていうか……俺の今まで頼みにしてきたものが全部崩れた気分です。
 どうやって戦えばいいんだって思っちゃいますね、正直……」
「……当然だな、責めはしない。人類を救ったとはいえ、お前はまだうら若い子供だ。
 お前のような子供に重荷を背負わせようとしている現状に、俺は恥───」
「でも」

 立香は続ける。

「今までこういう気持ちにならなかったこと、実を言うとないんですよね。
 いつだって俺達の冒険はハードモードで、“どうすりゃいいんだ”の連続だった。
 だから───今回も何とかしてみせます。きっと、何とかなる。俺はそう思ってます」
「──────」

 驚いた、と云わんばかりに目を見開く綱。
 表情の変化に乏しい彼にしては珍しい反応であるが、それだけ予想外の発言だったのだろう。
 そんな彼に「先輩はいつもこうなんです」と耳打つマシュの顔はどこか誇らしそうなものだった。
 わずかばかりの気恥ずかしさを覚えつつも、「そういうわけで」と咳払いと共に仕切り直す立香。

「俺に出来る限りのことはやります。いえ、やらせてください。
 あれだけ血反吐を吐く思いで守ってきた世界が壊れるなんて、絶対御免なんで」
「……そうか。頼光様があれほど買っていたのも肯けるな、藤丸立香。
 お前の勇気に俺は感謝を惜しまない。必ずや、報いてみせよう」

 綱が差し出した手を、立香は力強く握り返す。
 これにて───同盟は締結された。
 元より協力する以外の選択肢などなかったが、こうして味方が出来たと脳に直接理解させるのは有益である。

「それで、これからどうするとかは決まってるんです?
 どうも、件の『三王』を討つのが事態解決のためには不可欠みたいですけど……」
「概ね、合っている。そして奴らが根城としている巣穴にも、察しは付いている」
「……というと?」
「江戸城だ」
「えっ」

 立香とマシュが同時に驚きを見せる。
 江戸城。此処に来るまでの道中にも、自然と目に入った江戸のシンボル。
 徳川家康の入城より徳川家の居城となり、江戸幕府の開幕を経た現在は政庁となっている筈のそこが、異変の中枢だと綱は云う。
 そして江戸城が異変と絡んでくるとなると、必然的にひとり怪しい人物が浮かび上がってくる。

「ということは───まさか」
「そのまさかだ、マシュ嬢。我々は此度の異変の黒幕は、徳川幕府三代将軍『徳川家光公』であると踏んでいる」

 徳川家光───知名度では家康に劣るものの、並み居る徳川将軍家の中では比較的高い知名度を持つ治世者だ。
 幕府役職の設置に将軍の権力確立、参勤交代制の開始、そして鎖国政策の立役者でもある。
 この家光を除いては江戸の時代は語れないと云っても過言ではない、時の重要人物だ。

「どうして……と聞いてもいいでしょうか?」
「異変へ対抗すべく、家光公へ謁見を願ったことがあってな。
 謁見は叶えど実質聞く耳持たずの結果に終わってしまったのだが……しかし重要なのは直接会えたという事実だ。
 根拠としては公の姿を、卜部季武が視た。それだけで十分だった」
「……『魔眼』」

 さっきも綱は、“卜部の魔眼”と云っていた。
 あの時は突っ込まなかったが、どうやら卜部季武はあのメドゥーサや両儀式のような『魔眼遣い』であるらしい。
 それも、カルデアの技術力をして容易には解析出来ない天の霧も見抜けるほど、高度な。
 「左様」と綱が頷いた。歴史の真実とは、分からないものだ。

「卜部の眼は『識別の魔眼』と呼ばれるものだ。
 物体を目視さえすれば、それの現在状態を“識別”することが出来る。
 天の霧を見れば大まかな構成状態を。そして腹に一物抱えた将軍を見れば───その言が真か嘘かを。
 隠し立てすることを許さず詳らかに明かすのが、卜部季武の魔眼なのだ」

 渡辺綱と共に江戸城入りを果たした卜部季武は、結果はどうあれ徳川家光を目視出来た。
 それだけで十二分。卜部の眼は、弾き出したのであろう───徳川家光の真偽を。
 如何なる答えが導かれたのかは論ずるまでもない。
 綱が家光を黒だと看做している時点で、既に答えは明かされている。
 つくづくろくなことしねえな徳川幕府、と立香は毒づかずにはいられなかった。
 島原弾圧で痛い目見ただろ懲りろや! と、無茶苦茶だと分かっていても家光に云ってやりたくなった。

「後は江戸城を如何にして落とすか、だが……三王などという強豪を擁する家光公がそれ以外の戦力を持っていないとは考え難い」
「今のわたし達の戦力で攻め込めば、正面突破どころか一方的に制圧されてしまいかねない、ということですね」
「そうだ。だから当分は、三王を一体ずつ外へ引き摺り出して斃していくことになる」

 出来るんですか、とは聞けなかった。
 語る綱の瞳が───主と同胞を一片に奪われた男の、静かな怒りに燃える瞳が、不可能だろうと可能にすると謳っていたから。
 ならば立香達もそれに従うまでだ。その熱を信じるまでだ。
 不確かなものに縋って進むのは、やはり慣れっこであるから。

「時が来たなら、改めてお前達に作戦を伝達しよう。
 それまでは───そうだな。卜部にでも会っておけ。
 厳密にはもうひとり仲間が居るが、奴は如何せん野良犬めいたところがあってな……首尾よく捕まるかは怪しい」

 分かりました、と頷く立香に綱も頷き返して、彼は何処かへと去っていった。
 去り際に一言、「あの人斬りめ、血は流していなければいいが」と小言のように呟いて。
 その言葉に立香とマシュはうっすらと、綱と卜部に続くもうひとりの味方“人斬り”の素性を察するのだった。


◇◇


 その人物は、縁側に居た。
 縁側に座って霧に満ちた空を眺め、何やら物思いに耽っている。
 卜部季武。『識別の魔眼』を持つ頼光四天王のひとり。
 で、あるのだったが───正直なところその姿は、立香が予想していたものとは全く百八十度異なっていたと云っていい。

 日本人離れした銀髪はくるりとカールが掛かって肩口まで伸びており、肌は人形のように白い。
 手足も華奢で、背丈だって立香よりも小さく、その気になれば組み伏せられてしまいそうに見える。
 そして何より、物思いに耽るその横顔は───カルデアに残してきた英霊達と比べても何ら引けを取らないほどに、可憐だった。

「……あれ? えっと、あなたは確か───」
「あ……」

 思わず見惚れていると、あちらの方が先に立香の存在に気付いてしまった。
 一瞬しどろもどろとなりかける立香だが、そんな姿を晒した日には完全に不審者である。
 何か後ろめたいことをした後のようにどくんどくん煩い心音を必死に鎮めながら、「どうも」と笑ってみせた。

「俺、藤丸立香って云います。此処には、綱さんに連れてきて貰いました」
「綱くんが? ……そっか、そういうことか」
「……へっ?」
「ごめん、ちょっと“視”せてね」

 云うなり、可憐な少女……卜部季武は立ち上がって立香に歩み寄り、至近距離からじっとその顔を覗き込んでくる。
 美男美女の相手をするのは慣れっこの立香ではあるが、それでも何も感じないほど朴念仁になったつもりはない。
 間近で浴びる呼気の芳しさ、貌の整いっぷりにざわつく胸を抑えつつ時間に耐えていると、不意に卜部が安堵の笑みを浮かべた。

「よし、問題ないみたい。
 いきなり失礼な真似をしてごめんなさい。綱から聞いてると思うけど、わたしは特別な“眼”を持ってるから。
 君……立香くんが嘘をついてないかどうか、あと妙な術を掛けられてないか確認させて貰ったの」
「あ、ああ、なるほど。そういうことですか」
「まあ、ちょっとばかし妙な“縁”は付いてるみたいだけど───悪いものは感じないから多分大丈夫。
 むしろ過保護すぎってくらいだし、きっとこれは君を助けてくれる“縁”だね」
「あの───卜部季武さん、でいいんですよね?」

 得意げに語るのを邪魔立てするのは少し憚られたが、まずは自己紹介を済ませねば話が進まない。
 確認の意を込めて立香が問うと、卜部は笑って頷いた。
 「いかにも。わたしが頼光四天王の弓手、卜部季武です」。
 どうやら首尾よく、綱に会えと云われた人物と対面することが出来たらしい。


       真名判明
江戸のアーチャー 真名 卜部季武



「頼光様から話は聞いてます。今回は英霊は無しで、君ひとりで来たのかな?」
「いや、マシュ……後輩の女の子とバーサーカーの鬼っ子をひとり連れてきました。
 後者は酒呑童子のことを聞いたら飛び出してっちゃって、前者が今探しに出てくれてます」
「後輩? ……まあいいや。
 酒呑童子のことで動揺するってことは、鬼っ子とやらは茨木童子か。
 凄いね、君。あの茨木童子の手綱を引くなんて、頼光様や綱くんでも無理だと思うよ」
「ははは、慣れてるので」

 そう、世の中慣れだ。
 英霊との付き合いも基本そうだ。
 冗談みたいな目に幾度となく逢いながら共に戦っていれば、自然と慣れてくる。

「ところで───ちょっとびっくりしたんですけど、卜部さんって女の人だったんですね。
 いやまあ、英霊ってそういう人が多いですけど。まさか卜部さんもだとは思わなくって」
「え? あ、あー……その、ね……」

 立香としては雑談がてらに切り出したつもりだったのだが。
 卜部はそれに対して、露骨に目を泳がせる。
 しどろもどろ。今度はあちらがそうなっている。

「……あの、何か?」
「いや、その───実は。だね……」

 一体どうしたというのか。
 疑問符を隠せない立香に───卜部は、顔を赤らめながら云った。



「わたし、これでも一応男です」



 ……。
 ………。


「……はいっ!?」

 出会いは衝撃的なほど良い、とどこかで聞いたことがある。
 でも、此処までじゃなくたっていいだろう。
 そんなことを思わずにはいられない、立香なのだった。



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第零節:霧界穢土 位相不定聲界 江戸 [[]]

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最終更新:2018年11月27日 00:24