「……、そのサーヴァントは友好的と見てもいいのかな?」
「現段階では、なんとも言えません」
「ま、そうだよね……」
「交戦後に、エリザベートは離脱してしまいましたから」
緊急対策室からの報告は、混迷の霧を晴らすものとはならなかった。
マシュに対応を任せたのは正解だったようで、エリザベートも今は落ち着いているらしい。
転移先の情報や、自身に何が起きていたのかについて、少しずつ話し始めたとのことだった。
が、成果と言えるものは、はっきり言って乏しい。
そもそもにして、諜報向けのサーヴァントとはお世辞にも言い難い。
その上、熱に浮かされたような状態で交戦し、即座に離脱したと来ている。
情報を持ってこい、という方に無理がある。
「……唯一の情報と言えるものも、このサーヴァントについての情報くらいか」
おそらくはかなり真っ当な、神話英雄クラスの人物だ。
武装も出で立ちもヘンテコなのは、外見で真名を看破されないためのカモフラージュか。
……それにしたって、もうちょっとこう、あったとは思うけれど。
出会うことがあるなら、一度物申してやりたいくらいには。
それよりも。特筆すべきは、彼の演奏について。
「エリザベートの行動は、地中から這い出た木の根のようなものに阻害された、って?」
「使い魔でしょうか」
「……いや、本当に植物を操る類の能力なんだろう」
花に美しい音楽を聴かせると綺麗に咲く、という俗説がある。
その真偽はともかくとして、魔術式における音楽の重要性というものは、近代魔術史を語る上での鉄板だ。
優れた演奏家は、優れた術者でもある。
その奏でる曲は、人間以外の動植物すらも容易に手懐けてしまうほどに。
「藤丸君のバイタルは安定しています。少なくとも、積極的に敵対はしていないかと」
「どうかな。音楽魔術師にとって、意識の支配はお家芸だよ?」
従者の支配権を奪い、先ずはマスターを襲わせる。
そのまま衰弱した両者を叩き伏せたのち、今度はマスターの意識を奪って傀儡にする。
カルデアの介入を阻むには、よく出来たシナリオじゃないだろうか。
「……ま、こっちについては後回しだ」
目下最大の問題は、藤丸立花の位置情報だ。
特定さえしてしまえば、その他諸々の不明点も明らかになる。
証言をまとめた紙片に、もう一度視線を落とす。
「しかし、街道か……」
「……何か問題でも?」
物憂げに溜め息を吐いたダ・ヴィンチに、連絡員が不安げに尋ねた。
エリザベートの報告は、以下の通りだ。
整備の行き届いた、石畳の街道。
時折、石碑のようなものが道の端に建てられており、少し離れたところに針葉樹らしき樹木が生えている。
「石で舗装しているだなんて、主要な都市を結ぶ幹線くらいでしょう?
重要性の低い道に、そんな面倒な工事なんて、わざわざしないだろうし……」
当たりは、幾らでも付けられるのでは。
連絡員は、そう言おうとして―――ダ・ヴィンチの顔が引き攣っていることに気付き、口を噤んだ。
「君、ローマの街道については、どのくらい知ってる?」
「……当時にしては、かなりの技術があった、程度には」
一般的な教養としては、それでも十分なほどだろう。
そもそも、彼の本職は技術屋だ。
不勉強と責めるのは、お門違い。
やれやれ、と心の中でつぶやいて、胸元から眼鏡を取り出してかける。
「そうだな、じゃあ、触りだけ」
人類史における二大建設事業は、そのいずれもが、奇しくも紀元前三世紀に着工を開始している。
東は、その名も高き万里の長城。
全長は、凡そ5,000㎞にも及ぶ。
秦の始皇帝による国防のための建設から、王朝を跨いで修築と移転を繰り返した結果である。
対するは、西のローマ街道網。
その距離、概算にして290,000㎞超。……地球一周が六回は出来る。
「……………………マジすか」
「砂利で固めただけの支線を抜いても、約80,000㎞。
地中海全域を制覇した、人類史におけるナンバーワン都市国家さ。
その支配権を支えたのは、高度な政治体制でも、屈強な軍隊でもない。インフラへの情熱だよ」
街道とは、国家における動脈だ。
広大な支配地域を保有するローマ帝国にとって、都市間をつなぐ幹線の拡充は不可欠であった。
駐留軍に十分な人員を割く余裕はない。
国土防衛に際しては、首都から派遣する軍団の敏速な移動が要となる。
また、公道のネットワーク化は、副次的に市民の暮らしを豊かにもする。
自給自足が当たり前の生活から、“流通”という概念が生まれたのは、張り巡らされた支線が都市間の往来を容易にしたためだった。
平坦に。均一に。
軍用馬の全力の疾駆を可能とせよ。
荷車など、間違っても撥ねさせるな。
人を。兵站を。情報を。
滞らせることなく運ぶため、その巨躯を支える血管網の構築にこそ、ローマ市民は猛執を燃やしたのだ。
――――規格の統一には、細心の注意が払われた。
「……『神は細部に宿る』と言ったって、限度はあるだろう。
インフラも、芸術のひとつだとでも思っていたんじゃないかな?」
4mの舗装道路。
薄く平らな敷石を、亀甲に組み合わせる。
その両脇に、歩道が3mずつ。
時折、墓碑や墓所があって、外れにはローマや糸杉。
この景観を、延々と繰り返しての80,000㎞だ。
エリザベートが挙げた特徴は、人間でいえば、「顔に目と鼻と口がついていた」程度の情報でしかない。
「どこか適当な街に現出していたのなら、もう少し特徴もあっただろう。
ローマ街道の何処かにいるというのは、地中海の何処かで浮いている、というのと同じだ」
説明を咀嚼していた連絡員の顔色は、少しずつ翳っていった。
ふりだしに戻る、だ。無理もない。
自分だって、立場が投げれば機材を壁に叩きつけていただろう。
打開の糸口は見えず、藤丸立花は依然として、何処とも知れぬ茫洋の歴史の大渦に飲み込まれたまま。
マシュの体調だけ、くれぐれも。
そう頼みつけて、哀愁の背中を見送る。
≪―――――水臭いな、ダ・ヴィンチ≫
固有回線が、開いていた。
≪いったいどういう意地悪で、私は除け者にされているんだ?≫
あまりの白々しさに、舌打ちを隠さず漏らす。
声の主は、カルデア内でもその存在を明らかにされていない。
念話の会話が漏れる心配はないだろうが、念のために、席を外すと短く告げて、廊下に飛び出す。
≪失せモノ探しこそ、私の本業なんだがね≫
≪……覗き見も得意だって? 趣味が悪いよ、ホームズ≫
≪失礼、ご近所が騒がしかったもので≫
英国が世界に誇る、最高にして唯一の諮問探偵。
確かに、彼の力を借りたならば――――
≪……提案は嬉しいけど、君はまだ、正式にカルデア所属しているワケじゃない≫
≪だが依頼はいつでも受け付けている≫
≪霊基損耗の無理を押して、こっちを手伝う義務はない、ってことだよ≫
しかし、それを躊躇っていたのは、彼の状態がゆえだ。
魔都と化した新宿、幻霊事件。
シャーロック・ホームズの霊核は、あの地で宿敵に穿たれた。
修復には時間がかかる。
この声が届く部屋からは一歩も出られない、絶対安静だというのに。
≪その言い方は傷つくね≫
この探偵は。
どうにもこうやって、分かっていることをわざと言わせて逆撫でするのが上手いときた。
こちらの気遣いに、知らんぷりときたか。
へー。ふーん。あっそう。
あ、ダメだ。煮詰まってきた。
そうだ、コイツ、カルデア職員じゃないから、いいかな。いいよね?
いいとも!
≪――――私だって気を遣っているんだ、これでも!!!!≫
重役気取りに、溜まりに溜まったストレスを叩きつける。
……念話の中で、音量というものはどれほど役割を果たすのだろう。
ちら、と周囲を見遣る。
誰かに聞かれてはいないか。
廊下は、当たり前のように静まり返っている。
通りすがる職員もいない。怒号が反響することもない。
≪レオナルド・ダ・ヴィンチから、最も縁遠い言葉では?≫
≪……慣れない真似してるんだ、分かるだろ?≫
くつくつと、今度は愉快そうな声が聞こえてくる。
ああ、力が抜けてしまった。
くそ、まさか狙ってガス抜きさせたワケじゃあないだろうな。
≪失敬、気遣いに感謝を。だが、不要だよ。
推理は健全な趣味の範疇だ。酒や煙管よりも、よっぽど身体に良い。
……とはいえ、推理というほど完璧なものは、未だ用意できていなんだがね≫
続く言葉は、彼らしさを欠いている。
≪……どうせ状況は把握してるんでしょ? 藤丸立花の位置情報がロストした。目撃証言は、≫
≪待ってくれ、その前に。君には一から説明するべくもないことと思うが、本来ならば確定していない事象を語るのは、≫
≪ホームズ、その口上はどうしても必要かい≫
思わず刺々しくなった問いに、存外に冷たい声が返ってくる。
≪――――ダ・ヴィンチ、私にとっては必要なことだよ。
ワトソン君と、例の薬の次に大切な、探偵としての信条だ。
それを曲げてでも、君たちを手伝いたいと思っている。
……誠意として受け取ってくれ。その上で、私のペースでやらせてほしい。
酔狂であることを否定はしないが、英国一の顧問探偵の直感を、価値がないとは言わないね?≫
≪……ああもう、分かった、付き合うよ≫
≪結構。…………街道の目星は、おおよそついている≫
≪本当に?≫
≪何故彼が街道に呼ばれたか、という話さ≫
≪…………、いやいや、早速だけど、待った。
霊子転移の出現先は、時代を遡るほど、放射状にズレが生じる。
藤丸君が街道に出てしまったのは、偶然じゃない、と言いたいわけ?≫
念話の向こうのホームズが、機嫌よさげに舌を鳴らしている。
≪これこそが仮定だとも、ダ・ヴィンチ。彼は、任意の街道に現出した。
街道そのものが特異点で、霊子演算装置が正しく仕事をしたのか、
それとも縁を遡ってサーヴァントに引っ張られたのかは、定かではない。だが、≫
≪その街道であることに、必然性はあった……?≫
≪そう仮定することが、彼の現在地を特定するための鍵だ≫
では、と、一呼吸。
≪ローマ街道網を利用して、何かを企てる。君ならば、どの街道に目をつける?≫
≪そんなの……≫
候補が、多すぎる。
塩の道、ヴィア・サラーリア。
祖先の地へと続く、ヴィア・ラティーナ。
街道の女王、ヴィア・アッピア。
主要な幹線に狙いを付けるとしても、街道はそのそれぞれが異なる歴史的意義を有している。
何を企てるか定まらなければ、そんなもの、当て推量にも程があるというものだ。
≪では、視点を変えようか≫
≪手短に頼む≫
≪……国家を人体に例えた時、街道はどのような役割を持つ?≫
≪動脈だ。通説だろ≫
≪そうだ、では都市国家ローマにおいて、心臓はどこにある?≫
≪……首都ローマ。なあ、ホームズ、≫
≪正解だ。すべての道はローマに通ず、とはよく言ったものだな。では、≫
≪……ホームズ。君に逆鱗があるように、私にも虎の尾がある。
――――ワトソンの代わりが欲しいなら、マシュを寄越すわよ。
彼女は泣いてるんだ。これ以上、同じような推理遊びを繰り返すなら、いい加減……≫
≪待て、次で最後だ。――――では、私はこう考える。≫
≪骨髄はどこだ≫
≪…………≫
≪造血幹細胞、と言い換えてもいい。
街道を用いて何かを企てるというのなら、目的はどうあれ、その用途は“往来”だろう。
“何が”行き交うのか。
“何の”ために。
“何処へ”向かって。
疑問は尽きないが、確実にひとつ、言えることはある。
信仰が人を英霊にするのなら、モノや場所にそれが宿るのも、おかしな話ではない。
“血液”を作り出す工場を建てる時、私ならば、最も資源が豊かな土地を選ぶ。
他の街道にどれほど意味や意図があろうが、問答無用で、これ以上の候補はない。
街道の女王という呼称は、すべてのローマ式街道の基礎になった、というだけではないんだ。
公道のネットワーク化、軍用転移、情報と経済流通の基盤――――あらゆる交通インフラの祖として、潤沢に信仰を集めている≫
≪――――アッピア街道≫
≪……以上が、私の見解だ。健闘を祈っているよ。それでは≫
一方的に途切れる直前。
最後に、息が上がっているのが聞こえた。
体力的に、限界が近かったのだろう。
だから、手短に、と言ったのに。
いちいち格好つけなければ死んでしまうのか。
それとも、彼が信じる最短距離の説明がこれだったのか。
いずれにしたって、
(…………話が長い!!!!!!)
天才というのは、傍から見たら遠回りばかりだ。
罵る言葉を飲み下して、ダ・ヴィンチは管制室へと戻っていった。
最終更新:2018年12月07日 18:03