第2節:旅は地獄に道連れ(5)






「……、そのサーヴァントは友好的と見てもいいのかな?」
「現段階では、なんとも言えません」
「ま、そうだよね……」
「交戦後に、エリザベートは離脱してしまいましたから」

 緊急対策室からの報告は、混迷の霧を晴らすものとはならなかった。

 マシュに対応を任せたのは正解だったようで、エリザベートも今は落ち着いているらしい。
 転移先の情報や、自身に何が起きていたのかについて、少しずつ話し始めたとのことだった。

 が、成果と言えるものは、はっきり言って乏しい。

 そもそもにして、諜報向けのサーヴァントとはお世辞にも言い難い。
 その上、熱に浮かされたような状態で交戦し、即座に離脱したと来ている。
 情報を持ってこい、という方に無理がある。


「……唯一の情報と言えるものも、このサーヴァントについての情報くらいか」

 おそらくはかなり真っ当な、神話英雄クラスの人物だ。

 武装も出で立ちもヘンテコなのは、外見で真名を看破されないためのカモフラージュか。
 ……それにしたって、もうちょっとこう、あったとは思うけれど。
 出会うことがあるなら、一度物申してやりたいくらいには。

 それよりも。特筆すべきは、彼の演奏について。

「エリザベートの行動は、地中から這い出た木の根のようなものに阻害された、って?」
「使い魔でしょうか」
「……いや、本当に植物を操る類の能力なんだろう」

 花に美しい音楽を聴かせると綺麗に咲く、という俗説がある。
 その真偽はともかくとして、魔術式における音楽の重要性というものは、近代魔術史を語る上での鉄板だ。
 優れた演奏家は、優れた術者でもある。
 その奏でる曲は、人間以外の動植物すらも容易に手懐けてしまうほどに。

「藤丸君のバイタルは安定しています。少なくとも、積極的に敵対はしていないかと」
「どうかな。音楽魔術師にとって、意識の支配はお家芸だよ?」

 従者の支配権を奪い、先ずはマスターを襲わせる。
 そのまま衰弱した両者を叩き伏せたのち、今度はマスターの意識を奪って傀儡にする。
 カルデアの介入を阻むには、よく出来たシナリオじゃないだろうか。

「……ま、こっちについては後回しだ」

 目下最大の問題は、藤丸立花の位置情報だ。
 特定さえしてしまえば、その他諸々の不明点も明らかになる。


 証言をまとめた紙片に、もう一度視線を落とす。


「しかし、街道か……」
「……何か問題でも?」

 物憂げに溜め息を吐いたダ・ヴィンチに、連絡員が不安げに尋ねた。

 エリザベートの報告は、以下の通りだ。
 整備の行き届いた、石畳の街道。
 時折、石碑のようなものが道の端に建てられており、少し離れたところに針葉樹らしき樹木が生えている。

「石で舗装しているだなんて、主要な都市を結ぶ幹線くらいでしょう?
 重要性の低い道に、そんな面倒な工事なんて、わざわざしないだろうし……」


 当たりは、幾らでも付けられるのでは。


 連絡員は、そう言おうとして―――ダ・ヴィンチの顔が引き攣っていることに気付き、口を噤んだ。


「君、ローマの街道については、どのくらい知ってる?」
「……当時にしては、かなりの技術があった、程度には」

 一般的な教養としては、それでも十分なほどだろう。

 そもそも、彼の本職は技術屋だ。
 不勉強と責めるのは、お門違い。

 やれやれ、と心の中でつぶやいて、胸元から眼鏡を取り出してかける。


「そうだな、じゃあ、触りだけ」


 人類史における二大建設事業は、そのいずれもが、奇しくも紀元前三世紀に着工を開始している。

 東は、その名も高き万里の長城。
 全長は、凡そ5,000㎞にも及ぶ。
 秦の始皇帝による国防のための建設から、王朝を跨いで修築と移転を繰り返した結果である。


 対するは、西のローマ街道網。

 その距離、概算にして290,000㎞超。……地球一周が六回は出来る。


「……………………マジすか」

「砂利で固めただけの支線を抜いても、約80,000㎞。
 地中海全域を制覇した、人類史におけるナンバーワン都市国家さ。
 その支配権を支えたのは、高度な政治体制でも、屈強な軍隊でもない。インフラへの情熱だよ」


 街道とは、国家における動脈だ。

 広大な支配地域を保有するローマ帝国にとって、都市間をつなぐ幹線の拡充は不可欠であった。
 駐留軍に十分な人員を割く余裕はない。
 国土防衛に際しては、首都から派遣する軍団の敏速な移動が要となる。

 また、公道のネットワーク化は、副次的に市民の暮らしを豊かにもする。
 自給自足が当たり前の生活から、“流通”という概念が生まれたのは、張り巡らされた支線が都市間の往来を容易にしたためだった。

 平坦に。均一に。

 軍用馬の全力の疾駆を可能とせよ。
 荷車など、間違っても撥ねさせるな。

 人を。兵站を。情報を。

 滞らせることなく運ぶため、その巨躯を支える血管網の構築にこそ、ローマ市民は猛執を燃やしたのだ。


 ――――規格の統一には、細心の注意が払われた。


「……『神は細部に宿る』と言ったって、限度はあるだろう。
 インフラも、芸術のひとつだとでも思っていたんじゃないかな?」


 4mの舗装道路。
 薄く平らな敷石を、亀甲に組み合わせる。
 その両脇に、歩道が3mずつ。
 時折、墓碑や墓所があって、外れにはローマや糸杉。

 この景観を、延々と繰り返して(・・・・・ ・・・・・・・・)の80,000㎞だ。


 エリザベートが挙げた特徴は、人間でいえば、「顔に目と鼻と口がついていた」程度の情報でしかない。


「どこか適当な街に現出していたのなら、もう少し特徴もあっただろう。
 ローマ街道の何処かにいるというのは、地中海の何処かで浮いている、というのと同じだ」


 説明を咀嚼していた連絡員の顔色は、少しずつ翳っていった。

 ふりだしに戻る、だ。無理もない。
 自分だって、立場が投げれば機材を壁に叩きつけていただろう。
 打開の糸口は見えず、藤丸立花は依然として、何処とも知れぬ茫洋の歴史の大渦に飲み込まれたまま。

 マシュの体調だけ、くれぐれも。
 そう頼みつけて、哀愁の背中を見送る。





≪―――――水臭いな、ダ・ヴィンチ≫

 固有回線が、開いていた。

≪いったいどういう意地悪で、私は除け者にされているんだ?≫


 あまりの白々しさに、舌打ちを隠さず漏らす。
 声の主は、カルデア内でもその存在を明らかにされていない。
 念話の会話が漏れる心配はないだろうが、念のために、席を外すと短く告げて、廊下に飛び出す。


≪失せモノ探しこそ、私の本業なんだがね≫
≪……覗き見も得意だって? 趣味が悪いよ、ホームズ≫
≪失礼、ご近所が騒がしかったもので≫

 英国が世界に誇る、最高にして唯一の諮問探偵。

 確かに、彼の力を借りたならば――――


≪……提案は嬉しいけど、君はまだ、正式にカルデア所属しているワケじゃない≫
≪だが依頼はいつでも受け付けている≫
≪霊基損耗の無理を押して、こっちを手伝う義務はない、ってことだよ≫

 しかし、それを躊躇っていたのは、彼の状態がゆえだ。

 魔都と化した新宿、幻霊事件。
 シャーロック・ホームズの霊核は、あの地で宿敵に穿たれた。
 修復には時間がかかる。
 この声が届く部屋からは一歩も出られない、絶対安静だというのに。

≪その言い方は傷つくね≫

 この探偵は。

 どうにもこうやって、分かっていることをわざと言わせて逆撫でするのが上手いときた。
 こちらの気遣いに、知らんぷりときたか。
 へー。ふーん。あっそう。

 あ、ダメだ。煮詰まってきた。
 そうだ、コイツ、カルデア職員じゃないから、いいかな。いいよね?

 いいとも!



≪――――私だって気を遣っているんだ、これでも!!!!≫


 重役気取りに、溜まりに溜まったストレスを叩きつける。

 ……念話の中で、音量というものはどれほど役割を果たすのだろう。
 ちら、と周囲を見遣る。
 誰かに聞かれてはいないか。

 廊下は、当たり前のように静まり返っている。
 通りすがる職員もいない。怒号が反響することもない。


≪レオナルド・ダ・ヴィンチから、最も縁遠い言葉では?≫
≪……慣れない真似してるんだ、分かるだろ?≫

 くつくつと、今度は愉快そうな声が聞こえてくる。
 ああ、力が抜けてしまった。
 くそ、まさか狙ってガス抜きさせたワケじゃあないだろうな。

≪失敬、気遣いに感謝を。だが、不要だよ。
 推理は健全な趣味の範疇だ。酒や煙管よりも、よっぽど身体に良い。
 ……とはいえ、推理というほど完璧なものは、未だ用意できていなんだがね≫

 続く言葉は、彼らしさを欠いている。

≪……どうせ状況は把握してるんでしょ? 藤丸立花の位置情報がロストした。目撃証言は、≫
≪待ってくれ、その前に。君には一から説明するべくもないことと思うが、本来ならば確定していない事象を語るのは、≫
≪ホームズ、その口上はどうしても必要かい≫


 思わず刺々しくなった問いに、存外に冷たい声が返ってくる。


≪――――ダ・ヴィンチ、私にとっては必要なことだよ。
 ワトソン君と、例の薬の次に大切な、探偵としての信条だ。
 それを曲げてでも、君たちを手伝いたいと思っている。
 ……誠意として受け取ってくれ。その上で、私のペースでやらせてほしい。
 酔狂であることを否定はしないが、英国一の顧問探偵の直感を、価値がないとは言わないね?≫


≪……ああもう、分かった、付き合うよ≫

≪結構。…………街道の目星は、おおよそついている≫

≪本当に?≫

≪何故彼が街道に呼ばれたか、という話さ≫

≪…………、いやいや、早速だけど、待った。
 霊子転移の出現先は、時代を遡るほど、放射状にズレが生じる。
 藤丸君が街道に出てしまったのは、偶然じゃない、と言いたいわけ?≫


 念話の向こうのホームズが、機嫌よさげに舌を鳴らしている。


≪これこそが仮定だとも、ダ・ヴィンチ。彼は、任意の街道に現出した。
 街道そのものが特異点で、霊子演算装置が正しく仕事をしたのか、
 それとも縁を遡ってサーヴァントに引っ張られたのかは、定かではない。だが、≫

その街道であることに、必然性はあった(・・・・・・・・・・ ・・・・・・・)……?≫

≪そう仮定することが、彼の現在地を特定するための鍵だ≫


 では、と、一呼吸。


≪ローマ街道網を利用して、何かを企てる。君ならば、どの街道に目をつける?≫


≪そんなの……≫

 候補が、多すぎる。

 塩の道、ヴィア・サラーリア。
 祖先の地へと続く、ヴィア・ラティーナ。
 街道の女王、ヴィア・アッピア。

 主要な幹線に狙いを付けるとしても、街道はそのそれぞれが異なる歴史的意義を有している。
 何を企てるか定まらなければ、そんなもの、当て推量にも程があるというものだ。



≪では、視点を変えようか≫

≪手短に頼む≫

≪……国家を人体に例えた時、街道はどのような役割を持つ?≫

≪動脈だ。通説だろ≫

≪そうだ、では都市国家ローマにおいて、心臓はどこにある?≫

≪……首都ローマ。なあ、ホームズ、≫

≪正解だ。すべての道はローマに通ず、とはよく言ったものだな。では、≫


≪……ホームズ。君に逆鱗があるように、私にも虎の尾がある。
 ――――ワトソンの代わりが欲しいなら、マシュを寄越すわよ。
 彼女は泣いてるんだ。これ以上、同じような推理遊びを繰り返すなら、いい加減……≫



≪待て、次で最後だ。――――では、私はこう考える。≫







≪骨髄はどこだ≫







≪…………≫


≪造血幹細胞、と言い換えてもいい。
 街道を用いて何かを企てるというのなら、目的はどうあれ、その用途は“往来”だろう。
 “何が”行き交うのか。
 “何の”ために。
 “何処へ”向かって。
 疑問は尽きないが、確実にひとつ、言えることはある。

 信仰が人を英霊にするのなら、モノや場所にそれが宿るのも、おかしな話ではない。
 “血液”を作り出す工場を建てる時、私ならば、最も資源が豊かな土地を選ぶ。
 他の街道にどれほど意味や意図があろうが、問答無用で、これ以上の候補はない。

 街道の女王という呼称は、すべてのローマ式街道の基礎になった、というだけではないんだ。
 公道のネットワーク化、軍用転移、情報と経済流通の基盤――――あらゆる交通インフラの祖として、潤沢に信仰を集めている≫



≪――――アッピア街道≫



≪……以上が、私の見解だ。健闘を祈っているよ。それでは≫


 一方的に途切れる直前。
 最後に、息が上がっているのが聞こえた。
 体力的に、限界が近かったのだろう。
 だから、手短に、と言ったのに。

 いちいち格好つけなければ死んでしまうのか。
 それとも、彼が信じる最短距離の説明がこれだったのか。

 いずれにしたって、


(…………話が長い!!!!!!)


 天才というのは、傍から見たら遠回りばかりだ。
 罵る言葉を飲み下して、ダ・ヴィンチは管制室へと戻っていった。






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第2節:旅は地獄に道連れ(4) 常世往来街道 アッピア -

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最終更新:2018年12月07日 18:03