第17節:銀剣のステラナイツ(上)



遂に空が口紅を塗り終えたというのに。
演者達の数はこちらが上だというのに。
未だ、ランサーとライダーに傷を付けることあたわず。
その異様かつ異常な現実を前に、右手を強く握っていた立香は、

「モードレッド。ライダーの剣術に見覚えがあるって話……あれ、どうなってる?」
『悪ィが現在進行中でお悩み中だ。どうにも思い出せねぇ』
「そうか……ま、でも信用してるぞ。何せ、お前の勘には何度も救われてきたんだからな」
『ハッ、そりゃありがたいこった……だが待ってろよ。父上よりも早く、奴のベールを剥ぎ取ってやる!』

令呪を数画は使わされる可能性に震え上がりながら、総勢五騎のサーヴァントが繰り広げる凄絶な戦いを眺めていた。
そして、相も変わらず軽機関銃を構えながらも全く動きを見せない――引き金に指をかけてすらいない――ホムンクルス達にも視線を向ける。
戦いの全てをサーヴァントに任せている自分が言えた身ではないと自嘲しつつも、立香は心中で「観客気分か? ナメやがって」と毒づいた。

「随分と、苦しげなお顔をなさっていますね」

不意に、未だ数度も剣を振るっていないライダーが立香へと言葉を投げかける。
様々な概念を司る女神、影をも絶つ魔星の化身、研鑽の果てに魔の領域に辿り着いた剣豪。
彼らが放つ壮絶な攻撃を余すことなく――防御姿勢を取らずに――受け止めながら、彼は話しかけてきたのだ。
それは圧倒的な力を見せつける手法の一つであったのだろう。
事実、立香はライダーの異常な立ち居振る舞いによって、確かな圧を感じてしまった。
無意識に下がった片足が砂利を踏みつけたのは、何よりの証左であろう。

「なんて奴だ……」

もしも背後に椅子があったなら、立香は崩れ落ちるように腰をかけてしまったに違いない。
それほどまでに、ライダーの実力は圧倒的であった。
彼の前では、女神も無頼漢も剣豪も、等しく舞台の脇役と化す。
勘違いしていた。今このときだけは、演者の数など問題ではなかったのだ。

「……どうする?」

眼前では、ライダーとランサーを主役とした殺陣が繰り広げられている。
その事実を前に、顎へと伝った冷汗を右の握り拳で拭った立香は、偏頭痛に苛まれたかのように額に左手を当てた。
そして、思考を巡らせる。考える。考える。考える。考える。ライトの当たらぬ舞台袖で、立香は一から脚本を書き直す。
策を、術を、何もかもを。

「どうする、どうする、どうするどうするどうする……どうする、俺……!」

そも、全てを防がれると知っていてもなおライダーへと攻撃を集中させた理由は二つある。
一つは、モードレッドが剣筋を見極められるようにと、ライダーに攻撃態勢を取らせたかったがため。
そしてもう一つは、ライダーに群がる戦士達を見て、ランサーが〝焦りと隙〟を見せてくれやしないかと期待したためである。
だが、見事に計算は外れた。算盤の珠は、初手から既に狂った位置へと弾かれていたのだ。
何せ初めて出会ったあの日から、ライダーは何も変わっていないのである。
相も変わらず、どのような場所にどのような一撃を受けようとも、かすり傷一つつきやしない。
故に反撃された数も多くない。傷つかないのであれば、無理に斬って捨てる必要などどこにもないのだから当然の話である。
そうなれば、ランサーの振る舞いも自然と安定する。事実、彼女はライダーに群がる者達へと、極めて落ち着いた様子で薙刀を振るっていた。
勝手に抱いていた期待は、とうの昔に裏切られている。このままではこちらが疲弊するだけで終わるだろう。
ならば……と、立香は両手を眼前に揃えた。そして右手の拳を解き、一度だけ手を鳴らす。
一を見て十を知る聡明な味方達は、それだけで立香の周囲へと退いてくれた。

「マスター殺しに切り替えるかい?」

燕青の言葉に、立香は「駄目だ。今の状況じゃ行かせられない」と首を横に振った。

「ライダーの奴、ホムンクルスに俺を襲わせないのは〝ポリシーがあるから〟とか言ってたけどな……どうもあれは半分本気で半分嘘だ」

大量のホムンクルス達に視線を向けると、集合写真でも撮るかのようにずらりと並び立っている。
観客席で大人しくしている……といった風にも見えるだろうか。

「騎士道に忠実なのも間違いないんだろうけども、ああやって大勢のホムンクルスの中に紛れさせることで、マスター役達の身を守ってるんだ」
「なるほどな。加えて、それでも突入しようとすればその隙を確実に突く……と。いい性格してやがるな」
「ああ、だから次の狙いはランサーだ。こうなったらなんとしてでもあの二人を引きはがして、ランサーの方から潰す」

ここで立香は、和装の少女と白銀の騎士を一瞥した。
何やら言葉を交わし合っている。内容は解らないが、またもや自分達の世界に入り込んでいるようだ。
こちらは必死だというのに、まったくもって腹立たしい。立香は小さく舌打ちをすると、言葉を続けた。

「まず理想としては、ライダーに二人、ランサーに一人をつけたい。で、俺は素人なりにライダーの動きを観察して、モードレッドに情報を送る。
 それと出来ればライダー側に小次郎がいてほしい。何せあちらからすりゃ相手は初見の剣豪だ。状況が変われば剣に頼る数も増えるかもしれない」

するとケツァル・コアトルが「ちょっといいかしら」と小さく呟く。
立香は〝どうぞ〟という意思を込めて、彼女へと掌を向けた。

「二人を引きはがし、ランサーの方から潰す……その案が浮かぶのは当然のことだわ。ライダーを倒せない今では、そうするしかないのだから。
 だけど、それを読んでいない相手だと思う? 彼らを引きはがすためにはランサーを叩く必要がある以上、すぐに見破られて、戦いは激化するわ」
「ああ、でもそれでいい。いや、むしろそれがいいんだ。ケツァ姉達にはたまったもんじゃない話だろうけどな」

向けた掌を握った立香は、いつかの燕青のように人差し指を立てた。

「それを許す奴らじゃないのは承知の上で考えようぜ。戦いが激化するってことは、つまりは〝動きが変わる〟ってことだ。
 策が読まれてる? いいじゃんか。あのランサーにご執心らしい騎士様は、策を潰すために全力で剣を振るってくれるだろうよ。
 そうなりゃカルデアも情報を貰い放題。ライダーほど無敵ってわけじゃないらしいランサーも、立ち回りを変えてくれるに違いない」
「ついでに、そこに隙が生まれる可能性が?」
「ある。ライダー相手に手をこまねいている今よりは、よっぽどな」

このやりとりの直後、自身の片手を拳で叩いた燕青が「よし、乗った」と囁いた。
続いて小次郎が「未だ明かされぬ秘密の一つか二つ、不意に零してくれるやもしれぬしな」と得物に視線を向ける。
そして最後にケツァル・コアトルが「私と燕青は、どちらでもいいよね? 小次郎がライダーと戦えさえすれば」と問う。
その質問に小さく首肯した立香は、彼女らに「そんで最後にもう一つ、意識してほしいことがあるんだけども……」と前置きをし、語りかける。
それを聞き終えた三騎のサーヴァントは、恵まれた敏捷性を活かしてすぐさま敵へと突撃した。
各々の長い髪が陽光を浴び、彼らの軌道を露わにする。まるで戦場への道筋を示す鮮やかなテールライトだ。

「どうぞ」

軽く両腕を広げ、ライダーが待ち構える。まず距離を詰めたのは小次郎だ。
「ならば、お言葉に甘えて」と笑った彼は、常人ではまず捉えられぬ速度で突きを放つ。刃は片側の頬を撫でたが、流血沙汰には発展しない。
その間にケツァル・コアトルは、純白の薙刀を構えたランサーのもとへと一直線に向かっていた。
長柄の武器に対し、間合いという部門ではマカナは絶対に敵わない。それでもなお、動きに躊躇は見られない。
その姿に何を見出したか、ランサーは刃を真っ直ぐに突きだした。奇しくもその動きは――得物こそ違えど――小次郎が取った行動と酷似している。
このままケツァル・コアトルが直線的な動きを続けていれば、彼女の貌は二度と他人には見せられぬ酷いものとなるだろう。
いや、それよりもまず先に、霊基を保っていられるかどうかが怪しい話である。

「えっ?」

だが、ケツァル・コアトルは敢えて刃先へと突っ込んでいった。戸惑いからか、ランサーは小さく声を漏らす。
その瞬間、顔を数センチ逸らすことで直撃を免れたケツァル・コアトルは、相手の目と鼻の先でマカナと盾を手放す。
徒手となった彼女が次に起こした行動は、筋肉と握力を駆使した〝把持〟であった。
しかし掌の行き先はランサーではない。狙いは、陶器のように白い薙刀……その柄である。
彼女はそれをしっかりと握りこむと、魚のかかった釣り竿よろしく勢いよく引いた。
柄を手放すタイミングを見失ったのであろうランサーの身体が、上へ上へと容易く持ち上げられる。
そして歯を食いしばったケツァル・コアトルが、思い切り腰を落とすと、

「受け身はしっかりね!」

砲丸投げを彷彿とさせる――当然だが回転力は常人のそれを遥かに凌駕している――動きを披露したかと思うと、唐突に両手を離した。
その途端、ランサーは銃弾もかくやという速度で後方へと飛ばされていった。

「それが無理なら……パレハにでも助けてもらいなさい」

無責任に投げ飛ばされたランサーの背後には、頑丈そうな建築物がいくつも並んでいる。
このまま己の身体を制御出来なければ、彼女はそのいずれかへと打ち付けられ、決して無視出来ない傷を負うであろう。
立香とケツァル・コアトルが様子を眺める中、ランサーは薙刀の刃を地面へと向ける。強引に速度を落とすつもりか。
しかしそれは悪手だ。何せ速度が速度である。大地へと刃を向けた瞬間、両手首が使い物にならなくなるのは明白だ。
ならば、やはり、

「ランサー。僕がいます」

相棒(パレハ)がカバーに入るのは、当然の流れである。

「ライ……っ」

ランサーが、突如として自身の背後に出現した相手に声をかけようとしたところで、轟音が響き渡った。
隕石が横向きに飛んできたのかと勘違いしても仕方がない速度と規模で、三階建ての建築物へと衝突したのだ。
さすがにこんな衝撃に耐えられるようには造られていなかったのか、建物はあっという間に崩壊していった。
だがその肝心要の〝隕石〟はランサーではない。

「僕としたことが、後れを取ってしまうとは……情けない話です」
「いいえ、いいえ! 嗚呼……ごめんなさい、ライダー!」

実際にぶつかったのは、小次郎と交戦していたはずのライダーだった。
観客気取りのホムンクルス達へと目をやると、マスター役らしき者が右手を伸ばしている。
遂に〝切った〟か……かつてバーサーカーを瞬間移動させた、別のホムンクルスの様に! 立香はそう確信する。

「謝られることなど何一つありません。僕は騎士のすべきことを成しただけなのですから」
「違うの……こうして不覚を取ったこと、あなたに助けられたことを嬉しく感じてしまった自分が、情けなくて仕方ないの……っ!」

再びライダー劇場が開演されたため、うんざりだという思いを込めて立香は大きく息を吐く。
その間にケツァル・コアトルは己が武装を拾い、二人の元へと向かっていった。一気に懐へと入ると、マカナを振り下ろす。
だが数歩前に出てランサーを庇ったライダーに受け止められたため、ダメージは入らない。
それどころか死角から伸ばされた薙刀に進軍を阻まれ、距離を取らざるを得なくなった。
同時に、交代するように小次郎が動く。相手が長柄など知ったことかとばかりに、小次郎は刀を横薙ぎに振るう。
ライダーは嘆くように小さな溜息をつき、小次郎に「ですから無駄ですよ」と声をかける。

「忘れられちゃあ困るなぁ!」

すると刃の軌道とは真逆の方向から、色鮮やかな彫り物を施した男が突入した。何を隠そう、他でもない燕青である。
彼は小次郎を甘く見ているライダー……ではなく、護られているランサーの背後を取り、彼女の後頭部へと全力の回し蹴りを放つ。
さてさて、この前後から放たれた神速の同時攻撃を、高貴な騎士様はどう見切るのか。
顎に片手を添えた立香は「さすがに反撃くらいはしてくれるよなぁ、騎士様?」と独りごちる。
だが、冷静な観察の時間は、恐るべき偉業に対する驚愕によって打ち切られることとなる。

「『なっ!?』」

叫んだのは、カルデアに属する全ての者達であった。
続いて『あ゛ぁ!?』という叫び声が届く。いうまでもなくモードレッドだ。
だがそうなるのも無理のない話であり、立香も咎めはしなかった。
では、何が起こったのか? ライダーは、一体何をやらかしたのか?
それはモードレッドの乾いた笑みと言葉が全てを物語ってくれる。

『野郎、踊ってやがる……!』

まずはランサーが、燕青へと視線を向けることなく片手を伸ばす。
するとその手を取ったライダーは、すぐさま彼女を優雅に引き寄せると、くるりと小次郎に背を向けたのだ。
反撃の兆しはない。見せつけてきたのは、まるで〝貴方などに構っている暇はないのですよ〟とでも言うかのような、大胆な行動だった。
結果……備中青江の美しき刃は確かにライダーの首筋に触れたものの、やはりかすり傷一つ生み出せない。
即ちそれは、相手に何らかの手立てを引き出させられずに終わってしまったことをも意味している。遺憾の極みだ。
一方で、件の騎士にリードされたランサーは、すらりと上体を反らしていた。
突如として全身から力が抜け去ったのかと錯覚するほどの自然さだ。彼女の美しさに、磨きがかかる。
だが地面に倒れ込みはしない。理由は実に単純で、彼女の腰にライダーの手が添えられているからだ。
そんな、戦場にはまるで似合わない動きによって、燕青が放った渾身の一撃はあっさりと回避されてしまったのだ。
まるでオペラやレビューの舞踏を思わせるその動きが、剣豪と侠客を……否、カルデア陣営全員を惑わせる。

「あなたの〝ぱれは〟は凶暴なのね、お侍様」

気付けば、ランサーの薙刀……その刃先が赤く染まっていた。
自力で上半身を持ち上げた彼女が、その勢いを殺さずに得物を振るったからだ。
刃が撫でたのは、燕青の腹から胸にかけてのゾーン。赤い線が斜め一直線に刻まれ、一級の芸術品を台無しにしてしまっていた。
幸いにもはらわたをぶちまけるほど深くはないようだが、戦いに支障が出るであろうことは立香の頭でもすぐに理解出来た。

「まるで美しき肉食獣。けれどその気高さは、決してライダーには届かない……そう、決して!」
「そういう部門で競うつもりは毛頭ないんだがなぁ……ッ!」

燕青は右手で傷口の一端に触れると、赤く染まった籠手で拳を作る。
そしてなおもランサーの顔面へと攻撃を繰りだそうとするのだが、

「貴方方は彼女の、ランサーの評価を改めるべきです!」

軌道は、ライダーが真横に振るった剣によって逸らされてしまった。
転んでしまいそうになったが、矜持が許さなかったのだろう。燕青は、なんとか踏ん張る。
そんな彼らの姿を遠目で見守る立香は、策という名の脚本にどういった修正を加えるべきかと再び歯噛みしていた。

「ええ、そうね!」

すると、真紅の空から声が響く。まるで太陽が己が意志で喋りだしたかのようだ。
いや、あながち間違ってはいない。声のした方へと視線を向けると、マカナを片手にケツァル・コアトルが天高く跳躍していたのだ。
得物に激しい〝赤〟が宿る。まるでオリンピック開催前に運ばれる聖火をより凶暴に、より凄絶に魔改造したかのようだ。
ライダーが「あの時の……」と呟く。その間にも、マカナに宿った炎は急成長していく。
ケツァル・コアトル自身も、もう少しで着地態勢に入るところだ。
そんな彼女からの攻撃を防ぐために動いたのはライダー……ではなく、ランサーだった。
彼女の薙刀の先端から、少しずつ〝揺らぎ〟が生まれる。だがこの揺らぎは、決して陽炎が生んだそれではない。
あまりにも気づくのが遅すぎた……と自省した立香はただ一言、こう呟いた。

「ヤバい」

直後、熱きものと冷たきものがぶつかり合い……激しい水蒸気爆発が起こった。
倒壊した建物の破片が辺り一帯に飛び散る中、立香は「理科の実験にしちゃ派手だっての!」と叫びながら、這々の体で物陰に隠れる。
そしてマシュから『危険です!』と諭されるのを〝申し訳ない〟と思いながら無視し、亀よろしく慎重に顔を出すと災害元に視線を向けた。
すると、

「あなたの騎士様の言葉、しっかり刻んでおくわ!」

炎と水を生みだし、騒ぎを起こした女達は一対一で戦いを繰り広げていた。
そして傷こそ負わずとも衝撃は殺せない仕様が仇になったか、ライダーは離れた場所で小次郎と燕青の二人から攻撃を受けている。
しかも流石に二対一では分が悪いとみたか、それとも燕青達のしぶとさに業を煮やしたか……彼はこれまで以上に剣を振るっていた。
立香のような底辺魔術師なら即死しても不思議ではなかった事故が、遂に流れを――少しではあるが――変えてくれたらしい。
燕青の攻撃が明らかに〝衝撃を与えて吹き飛ばす類いのもの〟で統一されていることも、彼に考えを改めさせた要因の一つか。
とにかくこれで、ようやくライダーの剣捌きを確認出来る。立香は『いいぞいいぞ。どうだ、モードレッド。見えるか?』と問いかける。
だが、

「……って、またか!」

瞬きをした瞬間に、再びライダーがランサーに加勢していた。
例の〝観客達〟に目を向けると、その内の一人がまたも片腕をかざしている。

「読めてんだよぉ!」

最初に動いたのは燕青だった。
息の合った二人を単独で相手することの恐ろしさ。それをアドニスとの戦いで嫌と言う程味わったであろう彼が突撃する。
令呪の行使による瞬間移動も、既に彼は目にしている。だからこそすぐに動けるこの男が、類い稀なる走力でライダーへと距離を詰めたのだ。

「ッらぁ!」
「お美事です」

すぐさま跳躍した彼は、ランサーに向けて飛び蹴りを放った。だが当然、ライダーが庇いに来る。
だが燕青はそれを承知で攻撃に転じていたらしく、蹴りの衝撃によって遥か後方へと飛んでいったライダーを見て、彼は少しだけ笑みを浮かべた。
これで厄介な盾役はほんの少しだけ剥がれてくれた。振袖の似合う水使いに致命傷を与えたいならば、このタイミングで動くしかない。
燕青が右手を握りこむ。狙いは恐らく拳による霊核の破壊。相手は妙な鎧を付けているものの、その上から強引に行くつもりだろう。
射程距離内には入っている。いけ、燕青! 立香は思い切り心中で叫んだ。そうだ、彼ならば間違いなく成し遂げられる。
どういった流れであれ、現代にも受け継がれている拳法の開祖となった彼ならば……たかが鎧など相手にすらならないのだから。

「宝具、疑似展開」

しかし……燕青が放った一撃が、彼女を葬ることはなかった。

「何をしやがったッ!?」
「教える義理が、あると思うの?」
「該死……ッ!」

どういう理屈なのか理解出来ないが、奥で霊核が居座っているであろう位置に拳が触れた直後、突如として勢いが殺されたのだ。
信じがたい話だが……相手の柔い身体を護る、その他でもない〝たかが鎧〟ごときが、必殺の突きを受け止めたのである。
挙句の果てには、一体全体どのような物理法則が働いているのか……ランサーの身体は吹き飛ぶどころか退きもしない。
あらゆる攻撃に対して無敵を誇るライダーですら、衝撃だけは無力化出来ないというのにだ。
疑似展開とはいえども〝宝具〟というだけのことはあるということか。
否、むしろ今は〝疑似展開でこの異常事態を発生させられる〟という事実を怖れるべきだ。

「どちらでもいいから、令呪で魔力の増幅を。一画でいいわ」
「承知しました」

燕青のつま先を思い切り踏みつけたランサーが、少年少女達に紛れているマスター役へと指示を出す。
そしてすぐに燕青の胸板へと片手を当てた彼女が「破っ!」と叫ぶと、いくつもの花火が一斉に咲いたかのような爆音が響いた。
その瞬間……まるで燕青の身体が、衝撃波が起こる一歩手前ほどの速度で遥か後方へと吹き飛ばされる。
散々ライダーを遠くへと追いやっていた男が、今度は意趣返しの如く戦場から追い出される羽目になったのだ。

「ダ・ヴィンチちゃん!」
『捉えているとも! 刹那の間にランサーの魔力が増幅され、掌へと集束した!
 それを限界まで凝縮された水に変換し、杭打ち機よろしくゼロ距離で放出させたんだ!』
「ゴッドフィンガーかよ! 素直に武器使わなかったのは舐めプか!?」
『どちらかと言えばパルマフィオキーナに近いかな! それと、もしも薙刀が機能する間合いだったなら、彼女は素直に振るっていただろう!』
『ダ・ヴィンチちゃん! 燕青さんの位置情報が確認出来ません! 観測可能エリアから一気に離脱させられた様です!』

大きく舌打ちした立香が「あいつの霊核は!? 無事か!?」と問う。
返ってきたのは〝保証出来ない〟という、ぞっとする答えだった。
盾にしている建物を殴った立香に対し、ダ・ヴィンチは『何しろ全てが一瞬の出来事だった! すまない!』と謝罪をする。
カルデアの機材は、ランサーの魔力放出を捉えるだけで精一杯だったということだろう。
だが虚を突かれたのは立香も同じだ。決して、一方的に責め立てられる資格など得られてはいない。
そこのところをきちんと弁えていた立香は「いや、技の仕組みを捉えられただけでも御の字だ。サンキューな」と感謝の意を述べた。

「で、あのランサー……宝具を疑似展開してたよな。あれ、何だと思う?」

そしてすぐさま、話題を切り替える。

『正直なところ、すぐに答えは出せないな。まずそもそも単純に鎧が硬いのか、それとも燕青が力を封じられたのかが判別出来ない。
 仮に前者であっても、生前に愛用していた可能性だけでなく、メディアの宝具みたいに〝生き様が形になった〟という説も考慮する必要がある』
「あぁ、そっかぁ……ルールブレイカー、普通におかしいもんな……」
『ヘルヴォルの様に持ち物がそのまま宝具と化したか、それともアドニスの様に逸話が宝具と化したか……あの一瞬だけでは何とも言い切れないよ』
「オッケー。気を悪くしてほしくはないけども、一応ダメ元で訊いただけだからあんま気にしないでくれ」

解らないものは解らない。そう割り切った立香は、再び視線をホムンクルス達へと向けた。
彼は燕青達が突撃する直前に、彼らへと〝とある頼み事〟をしていた。
内容はずばり、ライダーへと強い衝撃を与えることでランサーとの距離を強引に遠ざけてほしい……というものである。
こんなミッションを課した理由は三つある。まず一つは、単純にライダーを遠ざけ、強引にでもタッグを崩壊させるため。
二つ目は、ライダーのマスター役達に――出来ればランサーのマスター役達にも――令呪を消費させるため。
そして最後の三つ目は、押しくら饅頭よろしく群れを成しているホムンクルス達の中から、マスター役を担っている個体を特定するためだ。
贅沢を言うならば、そのまま殺してもらいたいところでもあったのだが。

「あそこか……」

一つ目の狙いはともかくとして、二つ目と三つ目はどうにかこうにか成し遂げられた。
しつこくライダーを狙ったおかげで令呪は二画も削ることが出来たし、マスター役達の位置も把握出来た。
おかげで今は、燕青が提案した〝マスター狙いに切り替える〟という策も現実味を帯びてきている。
初めて遭遇したときよりも、明らかに状況は良くなった。どう考えても、マシにはなっていると言っても過言ではないだろう。
だが……所詮はそこまでだ。マシになったなどという程度では、あの二騎を〝確実に打ち倒せる〟とは言いがたい。
それほどまでに、騎士と少女からは〝圧〟が感じられた。
恐ろしい話だが……ここまで手を尽くしてもなお、立香の脳裏には〝あの二騎に勝利するヴィジョン〟が浮かんでこないのだ。

「ハイリスクを承知で続けるか……」

ケツァル・コアトルとランサーが、柔と剛の動きを入り交じらせながら得物を叩きつけ合う。

「チャンスを諦めて逃げ帰るか……」

小次郎は防戦を強いられながらも、ライダーの剣をいなし、弾き、捌いている。

「どうする……っ」

虚を突かれた燕青からは、念話すらも飛んでこない。

「早く決めろ、俺! さっさとしろ、藤丸立香! お前は、秒でプライドを捨てられる男なんだろ……!?」

このままではひび割れるのではないかと錯覚するほどに奥歯を噛みしめた立香は、迷いに迷う。
そうしている間にも、戦いは激化する一方だ。例えば小次郎などを見てみれば、後ずさりをする回数が多くなっているではないか。
無線越しに、ダ・ヴィンチも〝このままでは不利な状況へと一直線だぞ〟と忠告している。
策を弄した果てに手にした結果がこれとは、情けないにも程がある。こんなことだから、あの燕青ですら何度も虚を突かれるのだ。
何もかもマスターのおつむが残念なのが悪い。立香は自身を嘲るが、乾いた笑みすら浮かばなかった。

「……あぁ、もう遅いな」

口から大きな溜息が漏れた。
数の上で有利だというのにここまで長時間のぶつかり合いを強いられた時点で、すぐに逃げるべきだったのだろう。
だがあのライダー達が、二度も素直に逃がしてくれるとは思えない。逃亡を許される瞬間は、既に矢の如き早さで過ぎ去ってしまっている。
マイケル・ジャクソンも〝無駄な血を流したくなければすぐさま逃げろ〟と歌っていたが、そんな素晴らしい忠告も今や〝パー〟だ。
立香は己の浅さへの怒りから、身を隠すために利用させてもらっている建物の壁へと拳を打ち付ける。
するとその瞬間、突如として立香は酷いめまいと吐き気を覚えた。
恐らく我が身に覆い被さってきた過度のストレスがそうさせたのだろう……と、立香は己の不甲斐なさを責める。
だがしかし、その仮説はすぐに間違いだったと照明されることとなる。

「マスター……ちっと我慢してろ」
「……燕青、か?」
「……あぁ」

立香の真上、即ち建物の屋上に、先程〝してやられた〟燕青が立っていた。
そして彼の身体から、目には見えなくとも凶暴かつ強烈であると確信出来る何かが発されている。
正体は、殺気。なんと彼は、人が真正面から受け止めればただそれだけで泡を吹きかねないほどの殺気を、躊躇無く放出しているのである。
そんな無頼漢の両手は、バスケットボールを連想させるほどに大きな物体を二つも掴んでいた。
冒涜的なマーブル模様が特徴的な〝それ〟は、立香にも見覚えがある。

「あいつらが、マスター役か?」
「あ、ああ。正解だ、燕青。その通りだ……皆のおかげで、いぶり出せた」
「そうかい」

いつでも令呪を切れるようにと考えたのか、身構えたまま立っているマスター役のホムンクルス達。
彼らを視認したらしい燕青は、低い声で「そりゃあいい」とだけ呟くと、瞬きを一つした間に姿を消した。
気付けば彼は、読んで字の如く〝目にも留まらぬ速さ〟で戦場へと飛び込んでいた。しかもそれだけでは終わらない。
なんと彼は仲睦まじく並んで戦うライダー達の背後に向かって、件の手荷物を二つまとめて投げつけたのだ。
立香が確認したように、相手の背後ではホムンクルス達が群れているわけだが、燕青は何を企んでいるのだろうか。
顎に手を当て、考える。そうしている間に、立香は「あっ」と呟くこととなった。

『そうかっ!』

ダ・ヴィンチも目を見開き、声を上げる。
その瞬間、いくつもの機関銃から放たれた銃弾によって投擲物が破砕する。
そこでようやく立香は、燕青の持って来た土産物の正体を確信した。

「巣だ! 巣、だったのか!」
『ああ、そうだ。全く、無茶苦茶なことを考える!』
「だなぁ! しかもまさかの……」

散々に撃ち抜かれて崩壊したマーブル模様のそれらから、とある生物達が一斉に音を立てて飛翔する。
彼らの行き先は、苦労して建造した自身らの住居を台無しにしたホムンクルス達だ。
怒りによって高ぶっているのだろう。そして数も数だ。故に、戦場から離れた位置にいる立香の耳にまで羽音が届いてくる。
ホムンクルス達が、まるで唐突に感情を得たロボットか何かのように狼狽えだす。
だが家を壊された恨みはそうそう消えはしない。計測するのも億劫になるほどの数で飛び出した狩人は、毒持つ針を容赦なく敵へと向けた。
そんな怖れ知らずの生物には、このような名が付けられている。

「雀蜂……っ!」

そう、雀蜂。
かつて新宿にて〝カルデアの燕青ではない燕青〟が率いていた軍団の、その元ネタ。
全力でホムンクルス達を殺しにかかっている生物の正体は……今や南米大陸にまで生息範囲を広げた、昆虫界の暗殺者だったのだ。

『成程ね……巣を持っていた彼が、画面越しでも伝わるほどにおどろおどろしい殺気をまとっていた理由はこれか。
 彼は殺意によって雀蜂を萎縮させることで、自身が刺されないよう自衛した上で更に、ホムンクルス達へと向かうよう操作したんだ!』
「いやいやいやいや! 逆ドリトル先生かよ!」
『要は、人間が体調を崩すほどの殺意をあてることで〝こちらが上だ〟と理解させ、強引に操っているんだ! 本当に無茶苦茶だよ!』
「っていうかまず、どっから拾ってきたんだ! あんなヤバいブツ!」
『南米では、人の行き来による移入によって雀蜂の数が増加している。吹き飛ばされた先で探し出して、躊躇無くもぎ取ってきたんだろうね……』
「果物の収穫期か何かと勘違いしてらっしゃる?」

燕青が敷いた即席の恐怖政治によって、観客席は混乱の渦に飲み込まれていく。
ある者は下手に反撃をしたために更なる攻撃を受け、ある者は刺激を与えないようにと考えたのかじっと立ち尽くすもののやはり刺される。
中には二度目でもないのにアナフィラキシーショックを起こした――これは実際に起こりうる事態だ――と思われる、運の悪い個体も存在した。
感情が希薄なためか、彼らは無様に悲鳴をあげることだけはしていないが……これではもう、サーヴァント達を支援することなど不可能だろう。
今や観客席は地獄の類い、または悪辣なミサイルの爆心地と化している。

「まずは、騎士様から消えてもらおうかぁ!」

そんなただ中に、無頼漢は躊躇なく飛び込んでいった。
狙いはライダーの為に令呪を切っていた少年と、そのすぐ隣に立っている――同じく令呪を宿した――少女である。
目を付けられたことをどうにか察したか、二人は同時にマチェットへと手をかけた。
だが、遅い。浪子は刃を抜かせる間も与えずに、両の手でそれぞれの首を力強く握っていた。
そしておもむろに持ち上げると、燕青は雀蜂が舞う中で「そんじゃあ道中お気を付けて……なんつってなァ!」と叫んだ。
同時に、マスター役達がだらりと力を失う。二人の首は、どう考えてもよろしくない方向へと曲がっていた。

「そんじゃ、後は……」

ただの肉袋と化した彼らの顔を見もせずに放り捨てた燕青は、次なる獲物を探す。
ぎらついた目は、決して敵を逃さない。いつかに極小特異点へとレイシフトした時にもそうだった。
有事の際の燕青は、常にそういう男であった。

「てめぇらだ!」

果たして、侠客は殺すべき相手を遂に捉える。確かに片手に令呪を刻まれた男女二人組、あれを殺せば全てが万事解決だ。
燕青の両脚が動く。それを見ていた立香は、知らず知らずの内に小さくガッツポーズを取った。
彼ならばやれる。ケツァル・コアトルと小次郎が戦場で舞う必要性を、おしなべて消失させてくれるはずだ。
事実、射程距離内に入るまでそう時間もかからないであろうことは、素人目でも明らかである。
立香は神や仏にすがるように、小声で「頼む……!」と呟いた。

「駄目よ! それは……許さない!」

だが〝素人でも解る〟というのならば、サーヴァントが気付かぬ道理などない。
燕青の前へと飛び出し、再び立ち塞がったのは……やはり和装のランサーであった。

「燕青! さっきのだけで御の字だ、退いとけ!」
「あいよぉ! 俺もそれがいいと思ったとこだ!」

縦に振るわれた薙刀の刃を最小の動きで回避した燕青は、後方へと高く高く跳躍する。
その様子を注視した立香は、彼の身体に更なる傷が刻まれていないことを確認し、安堵の溜息をついた。
しかしその直後……彼は目を剥くこととなる。

「いかん、侠客殿! 未だライダーは健在だ!」

小次郎の叫びが激しく鼓膜を揺らす。
なんと、確かにマスターを殺されたはずの騎兵が力強く跳躍し、白銀の剣を構えていたのだ。
この激戦のただ中にいるのであれば、既に黄金色の塵と化していてもおかしくないというのに、一体どういうことなのか?
当然ながらライダーは答えを提示してくれない。ただただ彼は、軽々と小次郎の頭上を跳び越えると、地を見下ろしている燕青の元へと向かう。
そして背に刻まれた義の一字を切り裂こうとでも企んだか、剣を天高く掲げた。
刀身には紅色の太陽が映り、とてつもなく美しい輝きが生まれる。

「んだと……ッ!?」

危機感に襲われたらしい燕青が、空中で声を上げる。今から姿勢を制御するのは厳しいだろう。
このままでは、いとも容易く斬って捨てられてしまうことは確実だ。

「ただの農民との仕合には、飽きてしまったか?」

故にその刃は、即座に宙へと跳んだ小次郎が受け止めた。
その身で、ではない。役目を果たしたのは物干し竿の柄である。
刀身に歪みが生じることを防ぐためだったのだろう。

「いえ、まさか。誤解ですよ」

背中合わせになった二人のアサシンが、剣圧によって共々地面へと叩きつけられる。
しっかりと舗装されているはずの道路に、蜘蛛の巣状の〝ひび〟が生まれる。それ相応に痛かっただろう。
だが、今の立香が考えるべきなのは――当然ながら、サーヴァント達の身を案ずるべきでもあるのだが――そんなことではない。
今答えを見つけるべき問題は、マスターが不在となったサーヴァントが何故こうも派手に立ち回れるのか……ということだ。
とはいえ、そう複雑なものではない。認めたくはないのだが、おおよそ予想は付けられる。

『高ランクの〝単独行動〟スキルか……!』
『〝単独顕現〟ではないことを祈るばかりですが……そちらの方が現実的でしょうね』

そう。本来ならばアーチャーのサーヴァントに付随するクラススキルとされている〝単独行動〟スキルを持っているという可能性だ。
それはマスターがおらずとも、魔力の供給が絶たれようとも、しばしの間は現界を続けられる……という、非常に強力な特性を有したものである。

「念のため、その可能性に至った理由を教えてくれるか? 答え合わせをしときたい」
『通常、サーヴァントはマスターを失っても数時間程度は現界していられるが、それなりに無茶をすれば話は変わる。
 荒々しく派手に闘い続ければ自然と魔力は枯渇し、あっという間に消失するのが常識だ。言い切ってもいい。だが……』
『ライダーは、小次郎さんと燕青さんをまとめて地に叩きつけるほどの力を発揮したというのに、涼しい顔をしています。で、あれば……』
「なるほど。納得出来たし、大体似た推理だった。サンキューな」

いやいや、駄目だろ。心中で立香はそう呟いた。
ライダーが令呪の支援を受けることが出来なくなったのはありがたい話だが、もしもここで逃げられでもすれば、再契約をされる可能性もある。
遂に自分達は、ライダーの秘密を暴けぬまま闘い続けなければならないというドツボにハマってしまったのだ。
だからといって燕青を責めるのはお門違いもいいところである。緊張が続く中で、こんな事態を誰が予想出来るものか……という話なのだから。

「モードレッド!」
『待て! かなり絞れてきた……絞れては、きてんだよ! だってのに……ッ!』
「……悪い、急かしすぎた!」
『いいや……それより、ちゃんとライダーを見てろ!』

雀蜂による大騒動に雪崩れ込む作戦も、もはやランサーによって再度の遂行は不可能となった。
やはりこうなれば、残った選択肢はただ一つ。二人を徹底的に引きはがし、チームバトル形式を破綻させるのみだ。

「ランサー。そろそろ我々もお暇しましょうか。相手の息切れに付け込むのも上策ではありますが……」
「そうね……キャスターが言った通り、無理をすることもないわ。それに、あなたのマスター役のこともある」
「気にかけてくださり、感謝の極みです。それではランサー……どうかその手を、この僕に……」

例え相手が自ら撤退を選択しようとも、絶対に許すわけにはいかない。
故に立香は〝戦闘を継続させよ〟という旨を三騎のサーヴァント達に伝える。
もう何度使ったか解らない、魔術礼装による傷の治療を燕青に施しながらだ。

「させぬよ」

まず動いたのは、小次郎だ。
伸ばされたランサーの腕に向かって、研ぎ澄まされた刃が振り下ろされる。

「野暮ですね。そして粗野でもある」

刀はライダーの銀剣に防がれたが、その場に釘付けにするという目標は達成された。
その間に、今度はマカナの暴力的な刀身がランサーの顔面に迫る。しかしその一撃を防いだのも、やはりライダーだ。
彼は背負っていた盾を空いた手で構え、可憐なるランサーの顔を護ったのである。
しかしケツァル・コアトルはなおも諦めず、得物に左手を添えてまで力を込めた。
段々と、盾がランサーの顔を覆い隠していく。一方の剣も、小次郎の巧みな力加減によってか動かない。
その間に、僅かな隙間からランサーの薙刀が顔を出す。刃はケツァル・コアトルの脇腹にかすりかけたが、幸いにも傷を生むには至らなかった。
そんな擬似的な拮抗状態――ランサーの動き次第でどうにでもなるが故に〝擬似的〟だ――の間に、立香は燕青に耳打ちをする。
その内容は決して短くはなかったが、小次郎とケツァル・コアトルによる全力の足止めが、全てを伝えきる手助けをしてくれた。
否定せずに全てを受け入れてくれた燕青は「従おう」とだけ呟くと、ランサーが何らかの動きを見せる前に吶喊した。
狙いは自由に動けるランサー……ではない。彼女を護るというただそれだけに集中しているライダーだ。
狩りを始める肉食獣の如く姿勢を低く取った燕青は、砂利混じりの地面を蹴った。貝から抜けきっていなかった砂を噛んだときのような音が響く。
助走を付けるには短すぎる距離ではあったが、歩法が命である拳法の開祖からすれば、この程度は障害ですらなかったらしい。
やがて、彼の身体が宙を舞う。すると恐らくは彼の持ち技ではないであろう、豪快極まりない攻撃が繰り出された。

「せいやぁッ!」

その正体は、ケツァル・コアトルが愛するルチャ・リブレで度々見られる〝パターダ・ボラドーラ〟……即ち、ドロップキックである。
だが、影も写らぬと謳われる燕青拳の速度が加わったことにより、それはルチャやプロレスのファンが知るものとはかけ離れた絶技と化していた。
たった今ライダーを襲ったのは、華やかに魅せるためではなく、惨たらしく殺すためだけに振るわれた〝ただの暴力〟だ。
そんな〝ただの暴力〟が、がら空きだったライダーの胸部へと到達する。足と鎧がぶつかる……ただそれだけの音が原因で、立香は耳鳴りに襲われた。
肝心のライダーは苦悶の表情こそ浮かべてはいないが、毎度の如く衝撃にだけは逆らえずに遥か後方へと吹き飛んでいく。
その先に鎮座しているのは、この戦いが始まる前にライダー達が背にしていた高層ビルだ。
接地することも許されないまま追いやられた彼は、奇しくも正面玄関の自動ドアを破壊して内部へと入り込んでしまった。
否……〝奇しくも〟という表現は全くもって正しくない。これは偶然でも奇跡でもなく、立香と燕青の狙いによって生み出された事態である。

「そんなに心配なら、迎えに行ってやりゃあいい!」
「くっ! 宝……」
「間に合わせるかよォ!」

続いて暴力の餌食になったのは、顔を青くしたランサーだった。
彼女に撃ち込まれたのは、十八番の掌底である。宝具を発動されては全てが水泡に帰すので、妥協したのだろう。
そして狙い通り、宝具の展開を許すことなく放たれたそれは、見事に相手の腹部へと到達した。
仮に妥協した結果だったとしても……燕青が選んだのは、常ならば相手の防具も身も心も何もかもを粉砕せしめる一撃だ。ただでは済むまい。
だがやはり、彼女の鎧を打ち砕くことだけは出来なかった。

「ナイスだ燕青! マジで!」

しかしそれでも、ライダーほどではないもののそれなりに吹き飛んだ相手は、片膝を折って激しく咳き込んでいる。
鍛えに鍛え、磨きに磨いた肉体は凶器と同一と言っても過言ではない。ならばランサーがここまで疲弊するのも当然だろう。
そんな彼女の元へとすぐさま向かった燕青は、射程距離に入るやいなやサッカーを始めた。ボール役は当然ランサーだ。
漫画やアニメで見るような必殺シュートを彷彿とさせる蹴りによって、ランサーも同じように不法侵入を強いられた。
ライダーが待っているであろう、件の高層ビルへとだ。
それを見て黙っていられなくなったか、雀蜂の攻撃から免れたホムンクルス達が一斉に軽機関銃を構えた。

「うげっ!? ですよねー!」

既に引き金には指がかけられている。
個体数は減っているとはいえども、あの長大な火器が生み出す弾丸の雨を受けるわけにはいかない。

「悪い、ケツァ姉! 背負ってくれ! 目標、あのビルん中! 狙いは説明するからすぐ頼む!」
「……っ! 了解よ!」
「小次郎も!」
「承知!」

直後、ヒトラーの電気鋸と称された発砲音が何重にも響き渡った。
ギリギリでケツァル・コアトルの背に乗せてもらった立香は、彼女の巧みな走法によって命を拾う。
そして約束通り、彼が燕青に話した内容と……これからケツァル・コアトルと小次郎にも実行してもらいたい事柄を余すことなく述べた。
やがてそうしていると、命からがらビルの出入り口に到達する。
降ろしてもらってから背後へと視線を向けると、ホムンクルス達は構えを解いていた。
ランサーのマスター役が片手を水平に伸ばしているところを見るに、これ以上は無駄と悟って中断させたのだろう。
かといって、マチェットを構えて全軍突撃……などという作戦に切り替える気配もなければ、ランサーを追う素振りも見せない。
彼らの行動を訝しむものの、マスター役である自分が確実に生き残るためにと自衛を計ったのだろうと考えた。
何せ多くのホムンクルス達が燕青の奇策によってダメージを負い、身を守るカーテン役として機能しなくなったのだ。その判断は正しいだろう。
加えて、相手は立派なマスター適正を有しているため、サーヴァントと距離を取ったところでデメリットも発動しないのだろう……と結論づける。
ホムンクルス達を視界から外した立香は、ケツァル・コアトル達と共に内部へと歩を進めた。

「ごめんな燕青、無茶振りして!」
「そう思うなら応援よこしてくれ! 割と必死なんだよ!」
「来てるから! 来てるから!」

見れば観葉植物や椅子などが散らかっており、その中で激しい闘いが展開されている。
逃走を許さぬよう、必死に食らいついていたのだろう。燕青の全身からは滝のように汗が流れていた。

「愚かな深追いで火傷を負うつもりですか? 僕には理解しがたいですね」
「残念だが、アンタが理解する必要はないさ! だろう? マスター!」
「はい正解! 梁山泊さんチームに10点!」

息も絶え絶えであるにもかかわらず、言葉を紡ぎ続ける燕青に返事を返した立香は、リクエスト通りに応援をよこした。
特に合図があったわけでもないが、ケツァル・コアトルと小次郎が同時に吶喊を試みる。
そしてやはり前者はランサーを、後者はライダーを狙った。

「これは……同じことの繰り返しではないですか。自暴自棄にでも陥ったのですか?」

この采配に対し、驚愕ではなく疑問が沸き上がったのだろう。
ライダーは悩み相談を受け付けるカウンセラーのような、優しい声色で訊ねてきた。
だが立香は「いやいや……繰り返し、じゃないだろ」と一笑に付すと、

「さっき、やっとこさランサーに〝届いた〟じゃんか」

と、両腕を軽く広げて言い放った。
続いて心中で「いやまぁ、俺が特別何かしたってわけじゃないけどな」と呟く。
この答えにはさすがに何かが揺らいだのだろう。未だ苦しげな呼吸が収まらないランサーへと視線を移したライダーは、

「そうですね。僕の不手際で、彼女にはつらい思いをさせてしまった。認めましょう」
「あー……どうせなら俺らが一手上回ったとか、そういう方向性で認めてほしかったんだけども」
「本当ならば、すぐに撤退したかったところなのですが……」

眉をひそめ、睫毛の長い瞼を一度しっかりと閉じる。
そして再び両の瞳を晒した途端、

「いいでしょう。そこまで仰るならば、少しばかりお付き合いしましょう。そしてすぐにたたき伏せて差し上げます。
 それが、騎士にあるまじき失態によって傷ついたランサーへの贖罪であり、己の汚名を雪ぐことにも繋がりますので」

その穏やかな佇まいに、剣呑な闘争心が混じり始めるのであった。


BACK TOP NEXT
第16節:僕の修羅が騒ぐ 南米瞋恚大戦 ダス・ドゥリッテス・ライヒ [[]]

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2019年02月16日 16:48