第16節:僕の修羅が騒ぐ



『高杉晋作……彼は日本の幕末期に、倒幕という悲願を成し遂げることに一生を捧げた、尊王攘夷派の〝維新志士〟です』
「ああ、そこまでは知ってる」

身を焦がしかねぬほどの熱と、生物だったものが燃え尽きることで発生する異臭。
それらが蔓延する地獄と化した動物園から抜け出した立香は、街を走るハンヴィーの助手席にて解説を聞いていた。
もちろん内容はアヴェンジャーの正体、長州藩士〝高杉晋作〟についてだ。
だがこうして通信を繋げるまでには、かなりの時間を要した。というのもそれは、立香の心と脳が揺さぶられたままだったせいである。
心はともかく、脳が働いていない状態でサーヴァントの解説をされたところで、内容は耳から耳へと素通りするに決まっている。
故にこうして話が出来るまでに精神力が回復する時を、ただただ呆けたまま待ち続けていたのだ。
そして完全回復に至った頃には、既に長時間が経過しており……いつの間にやら立香一行は、既に国境を越えてペルーの領地内へと入っていた。
既に太陽も大きく傾いている。残り数時間で、甘い金平糖を想起させる星々が空を支配するであろう。

「マスター、倒幕ってのは何だい? あと、尊王攘夷っての? いきなり専門用語とは恐れ入った」

そんな中で立香に問いを投げかけたのは、撤退後すぐに鮮血を洗い流したことで片目の機能が復活した燕青だった。
彼はアヴェンジャー改め高杉晋作が〝生前に抱いていた願い〟を表している単語の意味を知らなかったらしい。
運転席に座っているケツァル・コアトルも同じらしく、曲がり角でハンドルを切りながら「何となく不思議な響きがする言葉ね」と独りごちる。
そんな二人に対し、ダ・ヴィンチは『究極的に噛み砕いて説明すると、力で政府を解体させることだ』とフォローを入れた。

「早い話が、クーデターってことでいいのかしら」
『少し難しいところだ。というのも……アヴェンジャー、即ち高杉晋作が生きていた頃の日本は、実に複雑な事情を抱えていてね』
「俺らも学校で習う話なんだけど、その頃の日本は〝ごく一部を除いた外国とは関わりませんからねー〟って引きこもってたんだよ。
 でも、でっかいアメリカの船がやってきてな。色々とやりとりしたいらしくて〝引きこもりやめてネー〟つって上がり込んできたんだ」
『当時のアメリカは、イギリスやフランスなどの西欧諸国と比べると、世界に市場を広げるペースがかなり遅れていてね。
 あの時代は〝帝国主義〟がブイブイいわせていた頃だ。だから流石にこれはまずいと、アメリカは日本へと目を向けたわけさ』
『ちなみに彼らが日本に目を付けた理由は、アメリカが〝捕鯨船に物資を補給させるための寄港地を求めていたため〟でもあるそうです』
「へぇ。捕鯨船の話は知らなかったけども……とにかく、そんな感じでアメリカは日本の政府、つまり〝幕府〟にコンタクトを取った。
 そんで日本国内はもう大騒ぎになってな。色々あったらしいんだけど、最終的には日本側が不利な〝不平等条約〟を結ばされたんだよな」
『ああ。付け加えると、イギリス、フランス、オランダ、ロシアとの間でも不平等条約が結ばされたから、鎖国は事実上崩壊してしまった』

当時のアメリカをはじめとする列強諸国が取った行動に、思うところがあったのだろう。
ケツァル・コアトルはサイドミラーを一瞥すると「侵略の第一歩ね。気に入らないわ」と吐き捨てるように言った。
とはいえ、出会い頭に一方的な殺戮行為をされなかった分、アステカ文明よりは遥かに幸運ではあったのだが。

「で、だ。こっからは多分、燕青はシンパシー感じると思う」
「ほう?」
「自分達より遥かにヤバい技術持ってるアメリカにビビった幕府……つまり、政府と国に対して〝ふざけんな〟って思った奴らが出てきたんだ」
「……へぇ」

燕青の相づちに、ほのかな高揚感らしき何かが交ざる。
それを敏感に感じ取った立香は、心中で〝やっぱな〟と呟くと、いつかの燕青の如く人差し指を立てて解説を続けた。

「それがマシュの言ってた維新志士だ。今の時代になってこう呼ばれるようになった人達は、新しい政府を作ろうと奔走しまくってたわけ。
 まぁその中でも派閥が大きく分かれてたりしてたんだけども……坂本龍馬って人のおかげで割かし一丸となって、見事に悲願を達成したんだ」
「なるほど……確かに俺達に通ずるものはある。俺に突っかかってきたのも、本能的に同族嫌悪を覚えたからかね?」
「それはどうだかなぁ。で、その維新志士の中でも特に有名な人達……その内の一人こそ、高杉晋作だ」

開けた窓越しに解説する立香。
そんな彼に、燕青は端的に訊ねる。

「どんな奴なんだ? 死因は?」

だが立香の知識量で解説出来るのはここまでであった。
故に彼は「病気で死んだってのは知ってるけど、深いところまではちょっとな……」と、遠回しにマシュ達へと助けを求める。
するとすぐに察してくれたのだろう。マシュが『では勝手ながら、先輩の解説を引き継がせていただきます』と口を開いた。
立香は即座に「サンキュー」と返すと、そのまま「じゃ、お願いしまーす」と躊躇なく丸投げする。プライドのプの字も見当たらない態度だ。
しかしマシュはちっとも不快感も覚えていないらしく、小さく咳払いすると『では先輩、お勉強の時間ですよ』と、件の男について話しだした。

『高杉晋作は長州藩……現在の山口県に位置する地で生まれ、学校に通いながら柳生新陰流の免許皆伝を受けたという剛の者です。
 と言っても、型にはまりきった授業が気に入らず、落第を繰り返していたそうですので……正しくは剣術磨きついでの学校通い、ですね』
「ロック過ぎる。燕青的にはどうよ?」
「ロックだな」
「適当な相づちやめて」
「ってのは冗談だが……ふぅん、どうりで。初めて会ったときに殺せなかったのが、今更ながら悔やまれるな」

主の緊張をほぐすためだったのだろう。燕青は一度だけ、おふざけ全開の応答をする。
だがそれを自ら〝冗談だ〟と切り捨てると……若草色の双眼に宿る光が鋭さを増していった。
恐ろしい宝具の全貌が明らかとなった今、どうすれば即座に殺害出来るのか……そればかりを考えているのだろう。
勿論、マシュによる高杉晋作講座を耳に入れながらだ。

『しかし、吉田松陰の私塾に入ったことが人生の転機となります。彼の運命を変えたと言っても差し支えないでしょう』
「あっ、聞いたことある名前だ。なんか処刑された人だろ? 密航か何かしようとして」
『はい。吉田松陰は、当時の清国が西洋の傀儡へと変えられてしまったことを知り、アジアの力不足を強く認識した人物です。
 更にペリー来航の際に黒船の姿を目に焼き付けたことで、既に日本は何もかもが後れを取っていたのだという事実を、完全に理解します。
 そんな人物が開いた塾で、やがて高杉晋作も〝このままでは日本の未来は危うい〟と強く感じ、吉田松陰の思想と人柄に惹かれていきました』

書類らしきものをめくっているのか、紙と紙が擦れ合う音が耳に入る。
真面目一徹なマシュのことだ。きっと相手の真名が判明するやいなや、即座に情報をまとめてくれたのだろう。
このバックアップがあってこその人理修復である。彼女達がいなければ、行く先々で1UPキノコを欲しがる羽目になっていたところだ。
本当に感謝してもしきれない話である……と考えた立香が密かに手を合わせると、ここでケツァル・コアトルがハンドルを切った。
突然の進路変更に少々驚いたが、彼女がただただ無意味な行動を起こすとは考えにくい。
ならば給油か、と立香は予想をする。すると見事に大正解。目の前にガソリンスタンドが見えてきた。

「話の途中でごめんなさい。マスター、給油をするから一旦あそこで止まるわ。カルデアの皆は、引き続き周囲への警戒態勢を続けて。
 ああ、でもマシュのお話は大歓迎! ちゃんと外に出ても聞こえるでしょうから、そのシンサクって人のことをどんどん教えてちょうだい」
『了解です、ケツァル・コアトルさん。それではダ・ヴィンチちゃん、お手数ですがそこの画面を周辺の映像に……』
『心配しなくとも、既に切り替えているさ。ノックもせずに土足で入り込んでくる輩がいたら、すぐにお知らせしてあげよう』

ハンヴィーを停車させたケツァル・コアトルは、かつて燕青が起こした蛮行によって手に入れた貨幣を機械に投入する。
そして気を張るように視界を左右に向けた後、黙々と給油作業を開始した。
ついでに彼女は「小次郎、起きてる?」と荷台に声をかける。すぐさま「無論」と返ってきた。
更には「なに。監視も、マシュ殿の講義を聞くことも、依然として差し障りはない。今のところは、心配ご無用というものだ」と続ける。
相変わらず、頼りになる英霊だ。さすがは佐々木小次郎の名を冠するだけのことはある。素晴らしい。

『では続けます。やがて高杉晋作は、藩に命じられて海外視察に向かいました。奇しくも行き先は、かつて松陰に転機を与えた〝清〟です。
 上海に到着した彼が見たのは、かのイギリスとフランスによって無惨にも植民地化されつつある清国の実情……彼は激しい危機感を覚えます。
 アメリカの脅威に怯えた末に開国し、不平等な条約までも結ばされた日本の未来が〝この清〟なのだ……と、大きすぎるショックを受けました』
「それはそれは……そして奴は、我ら魔星の生まれ変わりの如く、心に業火を纏わせた……否、業火に突き動かされるようになったわけだ」
『燕青さんの仰るとおりです。帰国後の彼は、力尽くで政府を潰す修羅へと生まれ変わっており、すぐさま同志を募りました。
 ですがまさに梁山泊を作り上げようとしていたさなか、彼は藩からこう命じられました。ずばり、大胆な行動は避けるように、と。
 当然ながら彼は憤慨しました。とある事件で既に別の藩は外国人を斬り殺したというのに、何故我々は……とまで言い放ったそうです』
「……マシュ、ちょっといいか?」

挙手をした立香に『はい』と応えるマシュ。そんな彼女に立香は「性格も勢いもヤバいのは解った。そりゃ森も焼くわ」と言う。
だが納得がいかない部分も多々ある。その内の一つに、彼はメスを入れた。

「なんでアヴェンジャーのクラスなんだ? セイバーとかアーチャーとかバーサーカーじゃなくて、なんで復讐者になってんだ?」

この問いに対し、マシュは『後々よく解ります』と答えた。どうやら深い事情があるらしい。
ならばここで深く問うても仕方あるまい。立香はそう判断すると、マシュに「すまん。じゃあ続き、どうぞ」と返した。
ここで丁度ケツァル・コアトルも無事に給油を終えたらしく、運転席に座ってシートベルトを着けると「生前から物騒だったのね」と呟いた。

『さて、そういうわけで彼は藩から注意を受けたわけですが、彼は止まらないどころか、こっそり同志達と共に外国公使を殺そうと企みます。
 ですが紆余曲折あった結果、その企みはお偉い方達に露見してしまいました。結果、彼は注意を越えて〝謹慎せよ〟と命じられてしまいます』
「なんでそこまでカッ飛ぶんだよ……よく謹慎で済んだな……」
「梁山泊の奴らなら納得だがねぇ。バーサーカーだらけだしぃ?」
『しかし彼は謹慎を命じられたその年に〝知ったことか〟と事件を起こしました』

キーを回し、遂にハンヴィーを発進させたケツァル・コアトルが「ワオ……」と呟く。
もしも自分が日本国外で育っていたなら、同じ言葉を発するだろう……と、立香はそんなことを考えた。
そしてあまりのショックにシートベルトの着用を忘れていたので、今更になって慌てて着けた。

『彼は同志達と共に〝幕府が天皇からの命に背いていることへの抗議活動〟として、建設中の英国公使館に焼き討ちを行いました』
「焼き討ち」
『はい。焼き討ちです』

抗議のために建物焼いちゃいました。
このくだりを聞いた立香は長い溜息をつくと、ダッシュボードに額を預けて「宝具があんなのなのはそういうことですかぁ~~~~?」と呟いた。
一方のマシュは『心中お察しします。あの……続けても構いませんか?』と訊ねる。立香は「当然!」と答えると、頭を上げて姿勢を正した。

『結果、長州藩は江戸にいた彼を藩に戻らせました。主の操作を受け付けない移動型爆破装置のようなものですから、当然の流れです。
 これが〝藩は弱腰である〟と映ったのか、それともやりたいようにやれないことに怒りを覚えたのか、彼は〝十年隠遁する〟と言ったそうです』

立香は反射的に「絶対嘘だろ」と口にする。
返ってきた言葉は『はい』だった。

『まずはその翌年、長州藩は下関の海峡に大砲を並べ、更に四隻の軍艦を配備し、海外の船舶を狙った海峡封鎖を画策しました。
 そしてまずはアメリカの商船を発見すると、強硬派……即ち高杉さんの同志達が、躊躇する派閥を説得して攻撃を決行させました。
 幸か不幸か砲撃は成功し……後日、更にフランスとオランダの船にも砲撃を開始。またまた成功し、長州藩の士気は大いに上がります』
「仲間がやったのか……」
『ですがこの砲撃は当時の国際法に違反していました。そのため、とんでもない報復が返ってくることになります』

そりゃそうなるでしょうよ。
急カーブによって発生した遠心力に身を委ねながら、立香は心中でそう呟いた。
そして「割と先が読めるんだけども、どうなった?」と訊ねる。
その間にハンヴィーは直線道路に入ったため、遠心力が消えた。

『まず、アメリカとフランスの軍艦から砲撃を受けました。その結果、長州藩の海軍はボロ雑巾同然の状態になってしまいました。
 更には後日、フランスが二隻の軍艦で再登場して攻撃を開始します。しかも長州の民家などを焼き払うなど、激しさは倍増しています』
『ちなみにその二隻の内、特に活躍した方の名は〝セミラミス〟だ。長州藩は、戦禍という名の猛毒に侵されてしまったわけだね』
「おいマスター、あの復讐者から話がずれていってねぇか? 大丈夫か?」
「確かに。で、その頃どうしてたんだよ高杉は。どう考えても、そんな状況で呆けてる性格じゃないだろ」

燕青の言葉によって〝そういえば〟と思い至った立香は、肝心の高杉晋作の話へと軌道修正せねばと口を開く。
だが実はこの話は、そうそう高杉本人からずれたものではなかったのである。
そのことを立香が知るのは、再びマシュが言葉を紡いだときだった。

『ええ。その頃に下関の防衛を任されていたのが、高杉晋作でした。長州藩も、彼の力を借りざるをえなかったわけですね。
 そんな彼は藩の命令通りに任務を果たすため、とある組織を創設しました。それこそが、宝具の名にもなった〝奇兵隊〟です!』
「ここで出てくるのか!」
『はい。身分という枠に囚われず、戦いを志願する者達のみで構成された……タカ派の極みとも言える凄絶な戦闘部隊です!』

自分達を散々に苦しめた宝具……その元ネタが遂に登場したため、立香のテンションが上がる。
だがしかし、

『ですがその凄絶さが仇となり、藩士で構成された別の戦闘組織と衝突。相手を数人ほど殺害してしまったことで、免職されます』
「……え?」

そのテンションは、即座に下がった。
もしもこの揺らぎを線グラフで表したならば、とてつもなく面白い図が完成するだろう。

『続いて京都から長州藩士が追放されたので、見かねた彼は京都へと脱藩したものの……すぐに桂小五郎に説得されて戻った結果、即逮捕。
 脱藩の罰として牢屋に入れられると、その間に会津藩士を殺害しようとした長州藩士達が返り討ちに遭います。有名な〝蛤御門の変〟ですね。
 この事件で遂に長州藩は朝敵……天皇の敵となってしまい、かつての同志だった方々も討ち死に。それらの責任を問われた者は、自ら果てました』

あまりにもあんまりな過去の出来事が一挙に襲いかかってきたためか、比較的お喋りな方である立香ですら遂に相づちすら打てなくなってしまった。
時代が時代とはいえ、英霊として昇華された人間が生前に味わってきた苦難が〝これ〟とは。
確かにこれならば、アヴェンジャーへと一直線だ。復讐心なぞ、心の内へと秘めきれずに漏れ出してしまっているに違いない。
というわけで、立香はただただ「なるほど。そんな目に遭ってりゃ、アヴェンジャーになるのも当然か」と頷くだけの機械と化した。
するとそんな彼にマシュは『先輩』と声をかけ、極めて冷静に『まだ、彼の人生は語りきれていません。むしろここからです』と続けた。
そう。まだ、高杉晋作の物語は終わってなどいない。むしろここからだ。これからなのだ。

『続けます。そんな苦境に立たされた中、長州藩は〝四国艦隊下関砲撃事件〟によって更に苦しむこととなりました』
「……なんだっけ、それ。四国地方は関係ないよな?」
『高知、愛媛、徳島、香川……ではありません。イギリス、フランス、オランダ、アメリカが連合艦隊を設立し、下関を襲ったのです。
 そして砲台が占拠され、完全に敗北を喫した長州藩は……脱藩の罪で投獄していた高杉晋作を許し、和議交渉を行うよう指示しました』
「和議、ねぇ……」

あのアヴェンジャー・高杉晋作がよりにもよって〝和議〟とは。
苛烈極まりない彼には、どう考えても不向きであろう。立香はそう高をくくった。
そのため立香は無意識下で侮り、鼻で笑いながら「で? また刃傷沙汰でも起こしたのか?」と訊ねる。

『いえ。彼は連合国からの要求をほぼ全て飲み込み、会議を無事に終わらせました。駆け引きが上手かったのでしょうね。
 ただ〝彦島を貸せ〟という要求だけは突っぱね、一滴の血を流さずに取り下げさせています。吉田松陰の教育の賜物、なのでしょうか?』
『彦島を貸さなかったのは……清の現状を知っていた彼が〝貸したが最期、それが植民地化の一歩となる〟と考えたからという説がある。
 それと、その件の島についての話に入った途端、丸暗記していた古事記を暗唱し、全てを有耶無耶にしてしまった……という逸話もあるとか』

ここで、心中で相手をナメまくっていたことにようやく気付いた立香は心から反省し、シンプルに「凄ぇ……」と呟いた。
ああ、そうだ。そもそも彼は、こちらの策を見通した上で逆に全員を焼き殺そうとしたサーヴァントなのだ。
常に警戒をしておけ……そう心に刻みつけていたはずだというのに、いつの間にか慢心していた。
気合いを入れ直すために、運転中のケツァル・コアトルに驚かれることを承知で、立香は自身の手で己の両頬を叩く。
バックミラーを覗いてみると、両の頬が赤く染まっているのがバッチリと確認出来た。だが、これでいい。良い気付けになった。

『その後、先の〝蛤御門の変〟で朝敵となったままの長州藩へと、幕府が軍を動かしました。いわゆる〝第一次長州征伐〟です。
 当時の長州藩は幕府への恭順も致し方なし、という派閥が台頭していたため、高杉晋作は〝まずは身を護るために〟と福岡に移動します』
『ちなみに彼は、当時台頭していたその派閥を〝俗論派〟と呼び、対する自身達の派閥を〝正義派〟と呼称していた。彼の性質がうかがえるね』
「やべぇ正義がいたもんだ」

今になってじわじわと両頬に痛みが襲いかかってきたのを無視し、立香は乾いた笑い声を上げる。
一方で荷台に座す燕青は「あっはっは! いいなぁ! 一〇九人目に欲しかったなぁ、あいつ!」などと言って豪快に笑っていた。
もしも高杉がバルベルデの配下としてではなく、はぐれサーヴァントとして現界していたら、燕青と肩を並べて共闘していたのかもしれない。
そんな〝もしも〟を考えると、確かに惜しい。燕青の発した言葉にも頷きたくなる。恐らくは、冗談交じりなのだろうが。

『しかし同月……その俗論派によって、正義派、即ち高杉晋作が所属する派閥の家老が処刑されてしまいます。
 その報を耳にした彼は即座に下関へと帰還。同胞達が率いる様々な部隊と共に挙兵をすると、俗論派を排斥しました』
「ちなみに、そんときも奇兵隊はご健在で?」
『はい。むしろそのときにも活躍しています。そうして藩内部の敵対勢力を排除した彼は、遂に藩の実権を握りました』

で、そっからは高杉のオンステージか。
立香は心中でそう独りごちると、運転中のケツァル・コアトルに「凄い話だな」と声をかけた。
彼女もマシュ達の説明から覗かせる、高杉の――それも文武に境のない――強かさに舌を巻いていたのだろう。
片手でギアの操作を行うと、溜息をついて「もう何が何だか、デース」と苦笑いを浮かべた。
そんな彼女に、立香は「俺も」と笑う。

『ちなみに実権を握った後にも様々な事件が起こりましたが、そこは割愛します。説明しきれませんので』
『例えば〝俗論派〟の残党から命を狙われたりと、色々忙しかったそうだ。いつの時代も、人気者はつらいものだね』
「ほへー……まぁさほど重要じゃないっていうならカットしてくれてオッケーだ。そのまま続けてくれ」

映像越しのマシュが頷くと、彼女は再び文書をめくった。

『その後の高杉晋作は、来たる第二次長州征伐に向けて防備を固めることにしました。第一次では派閥争いなどもあって散々でしたからね。
 そして坂本龍馬の奔走と仲介の甲斐あって、あの〝薩長同盟〟が締結。高杉晋作自身も丙寅丸という軍艦を勝手に購入し、藩を強大にしました』
「……勝手に?」
『はい。長崎にて、イギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーから、藩からの了承も得ずに独断で購入したんです。
 そして第二次長州征伐では、海軍総督として自らその艦へと乗り込むと、戦闘指揮を執り……結果、幕府軍を敗走させています』
『勝ったから結果オーライだと言いたいところだが、額が額だ。立香君は、勝手にドえらいものを購入したりはしないようにね』
「そんときは〝上様〟って領収切るから」

画面の向こうから、満面の笑みを浮かべながらも口角をひくつかせたダ・ヴィンチが『り~つ~か~くぅ~ん?』と名を呼んだ。
さすがに冗談が過ぎたらしい。焦った立香は「お、おいおいおい、今の、今の嘘! 嘘!」と即座に前言を撤回する。
するとダ・ヴィンチが『よろしい』と〝笑顔という名の矛〟を下げてくれたため、マシュは解説を再開した。

『そんな彼の活躍は、のちに幕府の権威を失墜させる引き金の一つとなり、1867年の11月に起こった大政奉還と明治維新へと繋がっていきます』
『つまりあの男は、我々カルデアが観測した中でも非常に珍しい、生前に復讐を成し遂げたアヴェンジャーなのさ。間接的に、ではあるがね』
「ああ……だからこそ、強い。そういうわけか」

先の戦闘で深い森林に火を放たれたときには、一歩間違えれば三途の川へとひた走る事態になっていたかもしれない。
改めてそう思った立香は、再びえげつないほどの怖気に襲われた。裸の状態で、何の合図も無しに氷柱を押しつけられたかのようだ。
だがマスターたる自分が震えていては話にならない。立香は自身に対して冷静さを取り戻すよう強く求めると、

「で、繰り返しになるけど、死因は病死だったよな?」

と、端的に問うた。
するとマシュはすぐに頷き「ええ。奇しくも沖田さんと同じ〝肺結核〟によって命を落としています」と答えた。
答えを聞いた立香は「妙な偶然もあったもんだ……」と心中で呟いたが、同時に〝奇妙な現象が起きている〟ことに気がついた。
立香は早速「おい、ノッブ!」と声を上げる。

『なんじゃ!』
「お前、新撰組の二人にも話を聞いて〝知らねぇー〟って言われたんだよな!? おかしくないか!? いや、絶対おかしいだろ!」
『……あ、確かに! その件の男、弱小人斬りサークルと同じ時代に生きておったのよな!? ならば激しく同意よ!
 もしや沖田のやつ、ワシに水着を先んじられたばかりか、一向に己の水着が用意されんことに腹を立てて大嘘を……!?』
「いや、それはねぇわ」
『そっかー』

するとここでダ・ヴィンチが『そう不思議なことでもないさ』と横槍を入れた。

『マシュが語った彼の半生を思い出してごらん? 確かに高杉晋作は攘夷のために奔走こそしたが、京都では事件らしい事件を起こしていない。
 だから新撰組とバッタリ出会うなどという出来事が発生する可能性は、極めて低いと言える。そして実際に、接点はなかったということだろう』

成程、と納得した立香はすぐさま信長に「悪い、変なこと言って!」と声をかけた。
だが信長は嫌悪感の〝け〟の字も見られぬ表情で「構わん構わん。悪い偶然なんじゃろ。なら是非もないわ」と、器の広さを見せてくれた。
さすがは織田信長。生前、同じ人物から三度も裏切られてもなお、全て〝許す〟方向で話を進めたこともある才女の名は伊達ではない。
政宗ではないという意味でも、伊達ではない。

『というわけで立香君。これにて楽しい偉人の勉強タイムは終わったわけだが、彼の弱点は確実に〝病〟だ。もはやそこを突くしかない』
「ああ。思えば、初めて出会ったときに咳き込んでたのも、令呪に反抗してたときに血を吐いてたのも、全部そこに繋がるんだな」
『沖田さんと同じく、彼もまた病弱スキルをその身に刻まれているのかもしれません。先輩、この際プライドは抜きでいきましょう』
「安心してくれ、マシュ。俺は自分達が生き残るためならいつだって無様になれる男だ。またピンチになったら秒で捨ててやるよ」

そうでもしなけりゃ即死案件だからな……と、立香は低い声で呟いた。
それは自分を嘲る言葉でもあり、今までの立ち回りを信じているが故に出た言葉でもある。
プライドは捨てられてもプレッシャーを撥ね除けられないのがネックだな、と立香は胸中で嗤った。
誰を? 当然、己をである。

「ところで、ダ・ヴィンチちゃん。質問があるんだけども」

そんな彼は、不意に言葉を発した。
ダ・ヴィンチは、カルデアからは観測出来ない何かが起こったのかとでも思ったのだろう。
先程まで――ほんの少しではあるが――緩んでいた姿勢を正すと、すぐに「何かな?」と応える。
すると立香は向かって右側、即ち西側に掌を向けて問いかけた。

「俺らは今、海に近い場所を走ってるっぽいんだけども、これ……大丈夫だと思うか?」
『……なるほど、そういうことか。結論から言うと、真名が明らかになっていない以上は、こちらからは何とも言えない』
「ですよねー……」

立香が危惧したのは、あの無敵の防御力を誇るライダーと、水を自在に操るランサーの存在である。
もしもライダーの宝具たる乗り物が水陸両用の類いならば、海岸沿いを走行するのは得策ではない。
故に立香達は今、ライダーの宝具がそうでないことを祈りながら南下を続けているのだ。

『ただ、既に君も思い至っているだろうが、問題はランサーだ』
「ああ……あそこまで水芸を披露されちゃな……やっぱ厳しいか。サンキューな、ダ・ヴィンチちゃん」

しかし仮にライダーが、海や河川に関する逸話を持っていなかったとしても、ランサーの存在が更に不安を煽る。
何せ水を生成し、意のままに操るのだ。これで〝水に関する逸話〟がなければ、詐欺というものだろう。
万能の化身たるダ・ヴィンチも、既にそのことに関して危機感を覚えていたらしい。
だが長い会話には至らなかったのは、こうしてお互いに〝危険視すべき点〟を理解していたからだ。
というわけでダ・ヴィンチとの会話を一旦打ち切った立香は、ケツァル・コアトルに視線を向けた。
そして「ケツァ姉……もっと内陸部を走れたりはしないのか?」と問いかけたのだが、

「無理ね。いくらこれが軍用車といえども、一般兵士の身体能力を遥かに凌駕している相手と戦いながら走らせる勇気はないわ」

彼女はきっぱりと断ってきた。一体どういうことなのかと、立香は首を捻る。
するとそんな彼の眼前に、新たなARモニターが表示された。どうやら南米の西海岸を表示しているらしい。
突然何を……と思いながら、立香はそれを注視する。すると一寸の間が訪れたところで、ようやく「あっ!」と声を上げた。

『立香君。解ったかい? 彼女の言う通りなんだよ。君達はペルーに辿り着いた時点で、しばらくは海沿いを走らなくてはならなくなったんだ』
「な、なな、なんだよこの地形!? まさかこの赤とか白のところ、全部が……!?」
『そう、かの〝アンデス山脈〟だ。たとえ頼もしい味方がいようとも、君を担いで猛者達と戦いつつ移動しろ……などとは言えない程度には、凄いよ』

残酷な現実を前に、立香は「そういやあったなこんなのもー……」と溜息交じりにこぼす。
そんな彼に対しダ・ヴィンチは『とはいえ、道が完全に閉ざされているわけではない』と言葉を続けた。

『例えば旧インカ帝国の首都、クスコへと続く道なども存在している。戦闘中でなければ内陸部へと進むのも不可能ではないだろう。
 ただ一番の問題は、我々の目指すべき地点が未だに確定していないことだ。もしも東へと侵攻し、その先に黒幕が潜んでいなかったら……』
「山越え損……どころか、次に西側へと向かう機会もしばらくは失われるってことか。キッツいなぁおい!」

立香の弱音を合図にしたかのように、ARモニターが閉じられる。
そして『新たに地図を更新した。参考にしてくれ』というダ・ヴィンチの言葉と共に、新たなモニターが開かれた。
いつかにも世話になった、現在地付きの地図である。点滅する赤い点が、ひたすら南へと動いている。
立香はダ・ヴィンチに感謝の言葉を述べると、一度咳払いをしてからモニターを再確認した。
どちらに進むべきか……最終的にそれを決めるのは他でもない最後のマスター、藤丸立香である。責任は重大だ。
顎に手を当て、彼は地図を相手に〝にらめっこ〟を続ける。そして荷台にいるアサシン達の意見も聞こうかと、顔を上げた。
すると、その時である。

『サーヴァント反応! セイバーです!』

突如マシュが、叫び声を上げた。
その報告に「なんですとぉ!?」と声を上げた立香は、外へと僅かに顔を出す。
案の定、視界の先からフル装備の幼い子ども達が近付いてきた。例によって信号弾を空に向かって撃っている。
アドニスが侍らせていたときよりも数が多いか? 訝しんだ立香は即座に首を引っ込め、必死の形相で窓ガラスを閉めた。

『先輩! もうすぐセイバーの位置とハンヴィーの位置が重なります! 目視は出来ますか!?』

再び外へと首を出す勇気はなかったので、立香は燕青に「どうだ!?」と訊ねた。
だが答えはノウ。なんと「重なってるだぁ!? 空にはいねぇぞ、マスター!」という報告が返ってきた。

「……いけないわ!」
「……ケツァ姉?」

すると眉間に皺を寄せたケツァル・コアトルが、右手をシフトチェンジ用のバーへと添える。
そしてなおもアクセルを踏み続け、速度を上昇させていたそのとき、事件が起きた。
視界の先で、大きなマンホールが音を立てて上空へと吹き飛んだのである。
だがそれだけでは終わらない。まるで鉄棒選手がフィニッシュを決めるかのように、とある人物がひねりを加えながら空中に飛び出したのだ。
その高さたるや、周囲に建っている多くの雑居ビル……その中腹を軽く越すほどであった。
そんな闖入者の右手には、禍々しい輝きを放つ邪な剣が収まっている。

「見……っつけたぁー!」

そう。突如として地下から飛び出して来たのは、まさしく件のセイバーであった。
その瞬間にケツァル・コアトルは、複雑なシフトチェンジで速度を操作するとすぐさま手を離し、両手で握ったハンドルを僅かに右に切る。
すると、かつて彼女を敗北させた邪剣ティルヴィング……その刃が、運転席と助手席の間へと侵入してきた。
間違いない。天井へと華麗な着地を決めたヘルヴォルが、助手席に狙いを定めて突きを繰り出してきたのだ。
もしもケツァル・コアトルが僅かに車の位置を変えていなければ、既に立香はお陀仏となっていただろう。

「そなたが件の邪剣使いか。確かに、随分と冒涜的な輝きを放つ得物よな!」
「おわっ! 本当にサムライなんだねぇお前! あのアーチャーを殺ったらしいが、いやはや大したもんだ!」

どうやらこのピンチを前にして、我らが小次郎が迎撃に出てくれたらしく、刃はすぐに引き抜かれた。
その瞬間を見計らい、ケツァル・コアトルは即座にブレーキを踏み込む。
すると見えない間につんのめったらしいセイバーが、ハンヴィーの前で受け身を取った。
その僅かな隙を突いて、乗車していた者達全員が車外へと飛び出す。
先頭に立ったのは、先程素晴らしいドライビングテクニックを披露してくれたケツァル・コアトルだ。
既にマカナと盾を装備し、臨戦態勢である。ひょっとすると、リベンジに燃えているのかもしれない。
ならば手伝わない理由などない。立香は少しでも相手の動揺を誘うためにと、にたりと意地の悪い笑みを浮かべてこう切り出した。

「何日ぶりになんのかね? 久しぶりだなぁ……〝ヘルヴォル〟!」

途端にセイバーの眼が大きく開かれる。だが動揺するまでには至らなかったようだ。
相手は「へぇ……知られちまってたかい。まぁ、あれだけ思いっきり宝具をぶっ放せばねぇ」と言い、桃色の風船ガムを膨らませる。
自分から真名のヒントを出しているサーヴァントが真名を知られたところで、然程響くものはなかったのだろう。
まぁ、そんなもんだわな……と悟った立香は、それ以上の挑発行為は自重しておこうと決めた。

「しっかしお前達、相変わらずギンギンだねぇ。私を睨むその眼、生前にぶった切られてきた賊共を思い出すってもんさ」

そう独りごちながらティルヴィングに舌を這わせたセイバー改めヘルヴォルは、喉を鳴らすように笑う。
一方のケツァル・コアトルは「そんな安いパフォーマンスは結構です。こちらはとっくに準備完了よ」と言い放ち、マカナを構えた。
持ち主がまとう気合いに呼応したか、黒曜石の牙がチェーンソーの様に動き出す。
その光景を前にしても怯まぬ様子のヘルヴォルは「そうかい」とだけ言うと、怒鳴りつけるかのように「お前達!」と叫んだ。
すると立香達の追跡に徹していたホムンクルス達は、ヘルヴォルの前で横一列の陣を組んだ。
さながら集合写真を撮影する準備でもしているかのようだ、と思ったが……生憎と狙いは遥かに剣呑なものだった。
なんと彼らは、ヘルヴォルの「総員、構え!」という指示に従い、一糸乱れぬ動きで戦闘準備を整えたのである。
全員の手に、軍用マチェットが握られている。その上、やはり人数は〝アドニス班〟よりも遥かに多いときた。
そして、そんな彼らを紹介するように両腕を広げたヘルヴォルは「さっき、準備完了とか言ってたね……?」と呟くやいなや、

「でもぉ? 優しい優しいお姉様は、こうされちゃうと腑抜けになるんだったよねぇ!?」

彼女は、己の宝具に勝るとも劣らぬほどに邪悪な光を放つ両眼を見開き、大声でケツァル・コアトルへと毒づいた。
それどころか、かんらかんらと愉快そうに笑いながら「これだけで最低一人はリタイアさせられるんだから、楽なもんさ!」と続ける。
先程から先頭に立っている都合上、ケツァル・コアトルの表情は確認出来ない。
立香はこの策に対し、マスターとしてどうするべきかと思考を巡らせる。
だがそうしている内に、件の〝お姉様〟は一歩二歩と前進を始めた。
それを見たヘルヴォルは「おや?」と怪訝そうな表情を浮かべる。
するとその挙動がスイッチだったかの如く、見る見るうちにケツァル・コアトルの歩調が早まっていった。

「カウントでもしましょうか」

そうしてホムンクルス達の懐にまで入り込んだケツァル・コアトルは、唐突にそう呟く。
お天道様が与えてくれるような心地よい暖かさなど、雀の涙ほども込められていない……そんな声音だった。

「お、お前達……っ!」
「遅いわ」

まずは「ウノ」という呟きが聞こえた瞬間、少年の首がゴムボールの様に跳ねとんだ。
続いて「ドス」という言葉と共に、マカナの刃が少女の心臓へと突き刺さる。
更に「トレス」という単語が立香の耳に入ったときには、盾で殴打された別の少女の頭骨がひしゃげた。
しかしまだまだ終わらない。その場で跳び上がったケツァル・コアトルは空中で回転すると、

「クアトロ!」

その運動によって得たエネルギーをふんだんに使用し、少年の頭に向けて踵落としを繰り出す。
つい先程盾で殴られた少女と同じく、彼もまた骨ごと脳をやられたようで、うつぶせに倒れると一切動かなくなった。

「シンコ! セイスッ!」

続いては、ここでようやく硬直が解けたらしい少年少女の胴体が、横向きに振るわれた一本のマカナによってまとめて切断される。
二人分の長い腸が、鮮やかなリボンのように宙を舞う。だが震動する黒曜石に触れた途端、それらは容易く引きちぎられた。

「シエテェッ!」
「は、話が違うっ! 何だ、何なんだいその変わり様は! イケない葉っぱでも吸ったってのかい!?」

そして見事な袈裟斬りによって、また別の少年が斜めに両断された瞬間……遂にヘルヴォルは激しく狼狽した。
ここまでで、被害者の数は七人。明らかに慢心していたと見えるヘルヴォルが構えを取るまでに、多くの子ども達があの世行きとなっていた。
遅い。あまりにも遅すぎる。哀しいかなヘルヴォルは、貴重な時間をまとめてドブに捨ててしまった。

「ティル……ッ」
「させると思う!?」

だが無理もないことだろう。
ヘルヴォルからしてみれば、相手は敵意を向ける子ども一人を手にかけることにすら忌避感を覚えるほどの慈悲深き聖女。
心を揺さぶられていた隙を突かれ、大振りの宝具をまともに受けてしまった哀れな甘ちゃんだったはずなのだ。
だというのに、今はそうした過去が嘘だったかの如く、虐殺にも等しい一方的な攻撃を浴びせてくる苛烈な存在と化している。
ヘルヴォルにしてみれば、いくらなんでも説明が付かないとしか言いようのない話だろう。なおかつ、理不尽極まりない話でもあるだろう。

「ああ、そうだよな。アドニスを倒した後……前に進むって誓ってくれたもんな」

だが立香は、ケツァル・コアトルの覚悟を識っている。
底辺魔術師である自分なんぞのために深い悲しみを背負った彼女が〝どん底から這い上がった〟姿を、近くで視ている。
この醜悪極まりない特異点を潰すために〝己を変える〟と約束してくれたことを覚えている。
こんな情けないマスターに対し、感謝の言葉を述べてくれたときに彼女が浮かべた笑顔は……未だ脳裏に焼き付いている。

「燕青、小次郎。ケツァ姉の援護を」
「よしきたぁ」
「承知!」

またぞろヘルヴォルの盾となった少年少女が、一心不乱にマチェットを振るう。
しかし、決意と覚悟が完全に固まった今のケツァル・コアトルには、切っ先すら届かない。
そんな状況下で、立香の指示通りに動いた二人の暗殺者が援護に駆けつけたことで、彼らは全滅への一途を辿り始めた。
件の〝アドニス班〟とは比べものにならない数が揃っていたというのに、今やその面影は見られない。
立香は「グッバイ、ヘルヴォル。とこしえに」と呟き、いつぞやの高杉晋作の如く、犬歯を見せつけるかのように笑った。
それが、とてつもなく気にくわなかったのだろう。

「穿て! 私のっ! そう、我が『流転生みし盟約の邪剣』よっ! あいつを、あの凡骨をぶち殺せぇっ!」

ホムンクルスの数が片手で数えられる程度になったところで、遂にヘルヴォルが二度目の宝具発動に至った。
素人目でも解る。狙いは自分だ。立香は即座に状況を理解したが……防御や回避の姿勢を取るどころか、そもそも動こうともしなかった。
何故ならば、信頼しているからだ。

「なめないでちょうだい!」

神の一柱たる彼女を。
他でもない、ケツァル・コアトルを。

「お前……邪魔だぁっ!」
「でしょうね!」

狂気じみた忌々しい輝きを放つ宝具は、翡翠色の盾によって阻まれる。
それは二人が初めて出会ったあの日の再演だ。だがそれは決して、ただの素っ気ない繰り返しなどではない。
今のケツァル・コアトルは、全てが違う。覚悟も、気合いも、情熱も、何もかもがあの日の彼女自身を凌駕しているのだ!
故に、

「醜いプレゼントをありがとう! おかげで底が知れたわ……セイバー・ヘルヴォル!」
「ンの……クソデカ売女ぁ!」

宝具が放つ圧倒的な前進力によって、立香の目と鼻の先にまで押し返されはしたものの……遂にケツァル・コアトルは防御を完遂させた。
それどころか、盾越しに突きを放つことで、返品までしてしまうという嬉しいおまけ付きだ。
宙へと飛ばされた邪剣は――まるで意志を持つかのように――幾何学的な軌道で逆走すると、怒号を上げた持ち主の右手へと帰っていく。
その頃にはもう、バリケード代わりの役目を果たしていた全てのホムンクルスが、物言わぬ肉の塊へと姿を変えていた。
数の有利は遂に覆った。残るはマスター役のホムンクルス二体と、邪剣の使い手ヘルヴォルのみ。
当然ながら、この好機を逃す手はない。

「やっちまえ、ケツァ姉!」
「Comprensión!(了解!)」
「援護するぜ、姐さん!」
「では、私も続こうか!」

まずは小次郎の物干し竿、即ち備中青江の剣先が、ヘルヴォルの攻撃範囲外から彼女を襲う。
結果、彼女の右手からは邪剣が打ち払われ、残るは盾を残すのみとなってしまった。
小次郎本人としては不服な結果だったのだろう。彼は微かに「ふむ、手首ごと狙ったつもりだったが」と独りごちた。
続いて動いたのは燕青だ。彼はまず、シンプルに盾へと突きを放った。先刻のケツァル・コアトルよろしく、ヘルヴォルの身体が勢いよく押される。
すると燕青は一度の瞬きも許さぬほどの速度で相手の背後に回り込み、彼女の背に強烈な回し蹴りを叩き込んだ。
悪辣極まりないことに、彼は相手の注意を盾へと集中させた上で、意識が向けられていないであろう箇所に全力の攻撃をお見舞いしたのである。
しかも真横ではなく、斜め上に打ち上げるような軌道でだ。故にいとも容易く、ヘルヴォルの身体が宙を舞う。

「ありがとう、二人とも! 大好きよ!」

そして遂にケツァル・コアトルが動く。彼女はまず両手の装備を霊体化させると、躊躇なくヘルヴォルのもとへと跳躍した。
無論、相手をしっかりと捕まえるためであろう。実際彼女は、逆さになったヘルヴォルの身体を抱きかかえるように締め上げている。
ヘルヴォルは苦しげな声を上げてジタバタと身体を動かすのだが、相手の筋肉によってしっかりと固定されているので逃げられない。
そうしていると、遂に二人は密着したまま道路へと落下し……ヘルヴォルはしっかりと舗装された地面に脳天を打ち付けることとなった。
さながら隕石が落下したかのようだ。いつかに燕青がラリアットを受けたときと同じく、硬質な道路が激しくひび割れている。

「あ、うぁ……あ……っ」
「あの時の言葉を返しましょう。今のあなた、とても無様よ」

もはや言語として成り立っていない呻き声を上げるヘルヴォルは、拘束を解かれるとうつぶせに倒れ込んだ。
だがケツァル・コアトルに髪を掴まれ、強引に顔を上げさせられる。
そして相手の様子をしっかりと確認した彼女は、立香に「……またとない機会だわ。尋問でもしない?」と提案してきた。
燕青も「悪くないな。こういうギリギリの状態を維持したままなら、いずれ何かしら吐いてくれるかもよ」と、その意見に賛同した。

「先刻話していた〝進路〟のこともある。せめて根城だけでも聞き出したいところよな」

太刀を鞘に収めていた小次郎も同意見らしく、立香へと視線を向けてこう言った。
ならば是非……と答えたいところだが、こんな姿を晒していようが相手はサーヴァントである。
しかも最優のクラスに当てはめられた存在だ。少しのミスが命取りとなる可能性も存在している。
立香は「うーん」と唸って腕を組むと、目を細めて「ダ・ヴィンチちゃん達の意見も聞きたいとこだな、これは」と呟いた。
そういうわけで立香は、繋がったままの回線越しに〝ヘルヴォルをどう扱うべきか〟を問おうとした。
しかし、口を開こうとした瞬間……あまりにも理不尽すぎる不運が彼らに襲いかかった。

『先輩! 前方から敵性反応を確認! 数は二騎……ランサーとライダーです! 速度が尋常ではありません!』
『遅れてはいるが、大量のホムンクルスも追従している! ヘルヴォルを回収したいのなら、既に全員が乗車していなければならない状態だ!』

なんとここで、未だに対策らしい対策を練られていない相手がこちらに近付いてきたというのだ。
それどころか一刻の猶予も許されていないらしい上に、まだ誰もハンヴィーに乗っていないどころか、離れた場所に立ってしまっている。
この状況下では、どう足掻いても間に合わない。こうなったら尋問は諦め、即座にヘルヴォルを殺害するべきだ。
シビアな選択ではあるが、そう判断した立香は全員に「もう誰でもいい! こいつの霊核、ぶっ壊してくれ!」と指示を出した。
即座に動いたのは燕青だ。彼は「背に腹はなんとやらだ!」と、心臓に突きを打ち込もうとする。

「失礼」

だが突如として彼は、勢いよく接近してきた何かに撥ねられてしまった。
防御姿勢を取っていなかったのが災いしたか、燕青はしばし吹き飛ばされると、恐らく本人の意志とは無関係に道路の上を転がってゆく。
立香が急いで顔を上げると……彼の目に映ったのは、直線的なフォルムのサイドカーに跨がる長身の騎士、ライダーの姿であった。
続いて、純白の薙刀を構えたランサーも視界へと入る。二人は速やかに下車すると、揃って「「御覚悟を!」」と得物の切っ先を向けてきた。
そしていよいよ新たなホムンクルス達までもが到着すると、突如としてランサーがケツァル・コアトルへと鋭い突きを放った。
完全に不意を突かれてしまったせいか、ケツァル・コアトルの頬に一筋の切り傷が生まれる。
しかも避けることに集中〝させられてしまった〟のか、迂闊なことに彼女はヘルヴォルから手を離してしまう。
強かなライダーは、この機を決して逃さなかった。

「ありがとうございます、ランサー」

地を蹴った彼はヘルヴォルの身柄を奪還し、まずはサイドカーの側車部分に彼女を寝かせる。
そして一人のホムンクルスを操縦席に乗せると、急いでこの場から退散するよう指示を出した。
結果、ヘルヴォルを乗せたサイドカーは遙か彼方へと遠ざかり、やがては肉眼で捉えられなくなってしまった。
今すぐに追おうにも、眼前にライダーとランサーがいては何も出来ない。完全に、してやられたといったところである。

「では、久方ぶりに技をぶつけ合いましょう。いけますか? ランサー」
「元よりそのつもりで来たのだもの。もう準備は済んでるわ、ライダー」

眩い日光に照らされた、ひときわ高い高層ビル……それを背にして、高貴な雰囲気を纏う男女が再び武器を構える。
いずれは椛よろしく真紅に染め上がるであろう空の下で、二つの軍勢は鋭い視線をぶつけ合うのであった。


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最終更新:2018年12月08日 17:06