目を覚ます。
そこは、寺の中だった。
一面に敷き詰められた畳は手入れが行き届いていないのかだいぶ古びていて、どこか饐えたような匂いもする。
もしも仏様が見ていたのなら、確実に険しい表情をするだろう風景。
そんな薄汚れた寺の中に───わたしは寝転がっていた。
「おう、目ェ覚めたか」
「……あの」
一瞬、何が起きたか理解出来なかったけど。
すぐに「ああ、いつものアレだな」と思って意識を切り替える。
身体をむくりと起き上がらせると、本堂の主らしき禿頭に僧衣を纏ったその人はこちらには一瞥もくれずにそう言った。
「此処、何処ですか? ……って言っても、大方またいつものレムレム───
こほん。夢の中で、何処か別な世界や時間と繋がっちゃったパターンだと思うんですけど」
「ああ、それで合うとるよ。素人やって聞いとったけど、流石に察しはええみたいやな」
「……ありがとうございます……?」
僧侶、なのだろうか。
寺なんだから多分そうだろう。
でも、昔法事で会ったお坊さんはもっとなんというか、お行儀のいい感じだった気がする。
けれどこの人はまるでそんな様子がない。というか、逆だ。
胡座を掻いて傍らに煎餅の入ったお椀を起き、お寺に似合わないノートパソコンを開いてカタカタ何か打ち込んでいる。
……サーヴァント? それとも、この世界の人間?
いぶかしむように目を顰めるわたしの様子に気が付いたのか、彼は言った。
「此処は寺や、寺。つっても、住職がおっ死んでから長いこと形だけの場所になっとったらしいけどな」
「それは……見れば分かりますけど」
「そんで、わしは道鏡っちゅうもんやな。
くらす、やったか? なんやよう分からんけど、多分"きゃすたー"で合っとる。
ただ、横文字で呼ばれるのはむず痒いんや。直接道鏡って呼べ、敬称は任しとく」
「はぁ……」
道鏡。
その名前に、わたしは生憎と覚えがない。
ただ、多分仏教系の英霊なのだろう。
……それにしても、見れば見るほど、聞けば聞くほどお坊さんらしくない人だなあ。
「心配すんな、面倒臭いのはわしも同じや。
せっかく英霊の座でバカンスしとったのに、なんだってしみったれたけったいな街で慈善事業せなあかんのや、って超思っとる」
「わたしは別にそういうことは思ってないんですけど」
「ただ、口煩い……ごほっ、ありがた~い仏様になんぞ頼まれてなぁ。
道鏡様の凄いお力をお借りしたいんですぅ~言うて、頭下げてきおったからわしも無碍には出来んかったんや」
「"あ、わたし今嘘吐かれてるな"ってこんなに強く思ったの多分産まれて初めてなんですけど」
英霊の座でゴロゴロしてたら、仏様に怒られて駆り出された。
……といったところだろう、本当のところは。
それにしても───何のためにわたしまで呼び出されたんだろうか? 今回は、わたしが来ることが事前から分かってたみたいだし。
「お前を呼んだんは他でもない、わしじゃ。
仏様も流石に無理押し付けたと思っとるんか知らんけど、ますたぁとやらを手配してくれたらしい」
「そのイントネーション、知り合いと被るのでやめてください」
「細かいことは気にすんなや、ちっちゃい奴やのう。胸だけにしとけや」
「その頭もしかして普通にハゲたの?」
この人、もしかして僧侶っぽいけど全然僧侶じゃなかったりするのかな。
そんなことをすら思ってしまうほど、敬虔さというものがこの人からは感じられなかった。
「ま、細かいことはまるっと置いとく。
お前さんもこういう無茶苦茶な案件は初めてじゃないらしいしな。
大事なのはあくまで"何が起こってるか"や。極論そこさえ解決出来れば、難しいことは考えんでええのよ」
「……じゃあ、此処では何が起こってるんですか」
遠くを見る。お寺の外をだ。
……あまり、妙な気配はしない。
とてもじゃないけど、今まで経験した特異点のように恐ろしいことが起こっているようには思えなかった。
「此処はな、2012年の大阪や。お前の記憶では、この年にこの街で、何ぞ妙なことは起きてたか?」
「……いや───多分、なかったと思います。少なくとも、特異点になるほど大きなことは」
「せやな、その通りや。この時代はびっくりするほど平和で、日ノ本にゃ戦の"い"の字も無い」
ただな、と道鏡さんは指を一本立てた。
何故だか不思議と、引き込まれる喋り方だ。
聞いていて心地好いというか、聞き応えがあるというか……
「ちぃとばかし、妙なもんが出回っとる。時代錯誤の厄ネタや」
「……妙なもの?」
「実際に見た方が早いな。これや」
そう言って道鏡さんが差し出したのは……一枚のお札、だった。
それ自体はなんてことのない、ごくごくありふれたもの。
でも───わたしはそれを一目見た瞬間、背筋に氷の塊をぶち込まれたような気分になった。
「曲がりなりにも人外のものと関わってきたんなら、分かるやろ?」
こくりとわたしは頷く。
ああ……確かに。
間違いなくこれは、まともじゃない。
「この《黒い仏》の札が、街の至るところに出回っとる。
どこまで出回っとるのかは正直なところわしにも分からん。
ただ、かなり広範囲なのは確かやな。中にはありがたいものと信じて祈っとる奴らも居るらしいで」
御札に描かれていたのは、《黒い仏》だった。
無数の経文が耳なし芳一よろしく札いっぱいに書かれている。
そこに黒い仏様が描かれているのだが、その向きと顔が明らかにおかしい。
逆さ、なのだ。お経と逆さに描かれた、顔の部分だけが意図的に切り取られた仏。
「無知ってのは阿呆やな。
こんなもん、持っとるだけで有害も有害、大有害や。わけわからんウイルスの株が市販されてるようなもんやぞ。
おうお前、立香やったっけ? この札の意味、説明出来るか?」
「いや……なんとなく漠然と、"よくないものだ"って分かるくらい……ですかね」
「経を読んどるんが、この《黒い仏》や」
見たくないけど、御札に目を落とす。
「でも、仏は逆向きに描かれとるやろ。
これはな、つまり仏が経を逆さで諳んじてるって意味なんや」
「……あ」
「察しが付いたか」
その通りや、と道鏡は煙草に火を点けながら言う。
心底嫌だとばかりの態度が、これがどれだけ忌まわしいものなのかをわたしに理解させた。
「この菩薩モドキは、ありがたいお経を逆に呼んどる。
それはつまり、お経の意味も逆さまってことや。
衆生を救う加護のお経は反転し、衆生を滅ぼす呪いの魔文に成り果てる」
「……呪術」
「せや。こんなんはヨゴレの呪術師がやることやな」
……なんとなく、話がわかってきた。
つまり、そういうことか。
今、この大阪には……無数の呪いがばら撒かれている。
確かにこの御札はどうにかしないと、後々大変なことになりそうだ。
「……でも、こんなあからさまに不気味なもの進んで持ちます?
わたしだったらそもそも受け取らないし、送り付けられてもその場で破きますけど」
「うん、いいことに気ィ付いたな」
ニヤリと笑う道鏡さん。
しかし彼は質問に答えるより先に、ノートパソコンのディスプレイをわたしに見せてきた。
表示されているサイトは、YouTube。昔のお坊さんにしてはえらく近代的なものを知っている。
「まず、これ見よか」
そう言って道鏡さんは、表示されていた動画の再生ボタンをクリックする。
サムネイルは、どこかの暗い部屋。窓からは建物が幾つか見えていて、机の向こうに誰かが座っている。
蛾が鳥を避けるために取る擬態のような、おぞましい目の模様を描いた仮面をかぶって。
動画のタイトルは……《Live Stream.14》。
▼ ▼ ▼
礼 頂 将 今 智 大 等 平 寂 円 入 同
行 薩 菩 修 心 提 菩 発 生 衆 益 利
力 神 仏 以 提 菩 証 我 故 持 加 仏
『逆さの仏様に祈りましょう』
(聞いたことのない、どこか歪に聞こえるお経が止む。)
(目玉模様の仮面の男が、僧侶のように両手を合わせて言う。)
(背景では雷の音が鳴っている。天気が悪いらしい。)
『逆さの仏様はすべての願いを聞き届けます』
『逆さの仏様に祈れば、皆が幸いになれるのです』
『祈りましょう。歌いましょう。唱えましょう。捧げましょう』
『逆さまの仏が笑うよう。空にあるお目々が優しい弧を描くよう。
誰もがしがらみを棄て、優しく楽しい幸いになれるよう』
(ひときわ大きな雷が鳴る。空が光ったのと少し遅れて、ごろごろという音が届く。)
『■■■さまは降り立とうとしています』
『■■■さまは帰ってこようとしています』
『■■■さまは、皆さんのことをいつも見ています』
(アーメン。)
(仮面の男が、合掌をしながら言う。)
入 我 我 入 身 現 我 為 敬 礼 等 我
婆 塔 界 法 身 法 地 本 利 舎 身 真
来 如 迦 釈 満 円 徳 万 礼 頂 心 一
▼ ▼ ▼
「あ~~~、ものごっつ気ぃ悪いわ」
……気持ち悪い。
それが、わたしの率直な感想だった。
なにが、とは具体的には説明出来ない。
けれど、気持ち悪い。吐き気がする。そんな映像。
「あの仮面の男が、御札を配ってるんですか?」
「多分な。で、おまけにああやって啓蒙活動までしとる。
既に新興宗教まで出来上がり始めてる有様や。この国で、この2012年にやぞ? 有り得へんやろ、普通。半端ないで」
煙草を吹かしながら言う道鏡さん。
……確かに、日本は宗教に対して不寛容な国だ。
というより、"有名ではない"宗教に不寛容というべきか。
「このご時世じゃ、日ノ本人の宗教に関する認識はかなり厳しいんやろ?
二十年前ならまだしも、2012年は既にどこぞの気違いが"やらかした"後や。
新興宗教への風当たりなんざ最悪レベルで、おまけにあんな不気味な御神体と映像で布教なんぞ出来るわけあらへん」
「……でも、現にこの《黒い仏》は広まってる」
「そういうこと。要するにな、まともやないんや。
インチキじゃなくて本物だからこそ、一番ヤバい。
騙す気が微塵もない本物の邪教は、手に追えん」
だから早めに潰す、と道鏡さんは言った。
ちゃらんぽらんで信心深そうにはとても見えないこの人が、そんな強い言葉を使う。
《黒い仏》はそれほど厄介で……"ヤバい"存在なのだろう。
「せやから、お前にはいろいろ手伝って貰うで。文句あるなら、あれや。仏様に言ったってくれや」
「……分かりましたよ、やればいいんでしょ。それに、タダ働きは慣れてますし」
「あ? 報酬が欲しいんか。ええよ、これ読んどきや」
?
報酬があるの?
そう思って(少しだけ目の色を変えて)道鏡さんの方を見たわたしの前にどさり、と置かれたのは……
「……わたし、思い出しました。
道鏡さんって確かアレですよね。東の怪僧───」
「おう、せやで。魔羅のデカさで成り上がった、日ノ本一の色男よ」
とんでもない量のエロ本だった。
最終更新:2019年09月09日 00:33