第五節:園忍

 それから、わたしたちがやったことは地道すぎていちいち語るような内容ではない。
 インターネット全盛の情報化社会らしい、地味で陰湿な特定作業だ。
 "最初の動画"の背景に写っていた景色が一体何処なのか。そこに焦点を絞ってひたすら調べる。ググる。
 ただ───言わずもがな、こんなちまちましたやり方でそう上手く成果を得られるわけもなく。

「……はぁ。すいません、目疲れてきたんでちょっと休憩しますね」
「なんや、根性のない奴やな。わしはかれこれ半日は画面に向かいっ放しやぞ」
「地獄みたいなマウント取るのやめてくださいよ……ていうか、サーヴァントと人間の体力を一緒にしないでください」

 予備として買っておいたらしいわたし用のノートパソコンを閉じて、伸びをする。
 机の上には毎度お馴染みのエナジードリンク、ロング缶。
 目がしぱしぱしてくるから目薬も欠かせない。
 ……これだけ身体と視力を酷使して臨んでいるのにも関わらず。わたしたちはかれこれ三日間、何の成果も得られずにいた。

「もうちょっと、特徴的な建物でもあればいいんですけどね」
「そやねん。背景の建物がどうにも地味で、特徴がないんや。
 検索に使えそうなキーワードもあらへんし、ガチで虱潰しでやるしかないから効率が終わっとる」
「……アプローチの仕方。もうちょっと考えた方がいいかもですね、あんまり進まないようだったら」

 などと言いつつ、エナジードリンクを一口呷る。
 ケミカルな味わいは好みではないが、身体に元気を与えてくれる。
 いつになったら終わりが見えるのかなあ。
 思いながらわたしは、今日も今日とてお絵かきに勤しんでいるリリィのところへ向かった。

「よく飽きないね……って、描きたくて描いてるわけじゃないか。ごめんね」
「……、……」

 リリィはずっと結界の内側に居るけれど、身なりは綺麗なままだ。
 朝昼晩、食事の時にはわたしが御札を何枚か身体に貼り付けた状態で結界に入って食べさせてあげている。
 洗顔や歯磨きも同じ要領だし、身体も拭いてあげているから特に不衛生なことはないはずだ。
 ……流石に、毎回やるのは結構大変だけど。

「……、……。■■■・■■■■ ■■■・■■■■■……」

 ……前より、絵がおかしくなってるな。

 わたしはスケッチブックをちらっと見て、すぐに視線を反らした。
 一面の黒い人影と、仏と、中央に描かれた"なにか"。
 それともあれが、あの動画で言及されていた"お姫さま"なのだろうか。
 六芒星に囲まれて、例の如く貌だけ描かれていない───けれど、周りの人影たちとは明らかに違った雰囲気の"なにか"。
 見ていると自分まで魅入られてしまいそうな気がして、あれを見る度ゾッとする。

 と。その時だった。
 道鏡さんが、「だあああッ、やってられんわこんなもん!!」とやけっぱち気味に声をあげて立ち上がったのは。

「道鏡さんも休憩ですか? 根詰めすぎると良くないですよ」
「……ああ、そうさせてもらうわ。
 とはいえ、ただ休むだけやったら時間の無駄やからな。支度せえ、出かけるで」
「へ? 今から、ですか?」
「おう、今からや」

 道鏡さんはノートパソコンを音を立てて閉じると、そう言って肩を回した。

「散歩も兼ねて、それらしい場所がないか実地調査や。
 もちろんお前も連れてくからな、立香」
「それは、いいですけど……この子は?」
「心配いらん。作業の傍らに寺全体に、あれを囲んどるやつを更に巨大化させた結界を貼っておいた」

 道鏡さんによると、この寺は今やある程度の怪異ならば立ち入るどころか近付くことも出来ない堅固な要塞になっているらしい。
 結界の他にもいろいろと仕掛けを施してあるらしく、子どもをひとり置いていっても特段問題はないそうだ。
 ……理屈では分かっていてもちょっと気が引けるものはあったけれど。
 その辺りに特段感慨を覚えない辺りが、あの手この手で成り上がろうとしたこの人の強みなのかもしれない。

「……ていうか、徒歩で向かうんだったら本当にただの散歩でしかないような」
「せやから言うとるやろ、"散歩も兼ねて"やって」

 まあ、わたしもそろそろ外に出たかったというのは正直ある。
 何せ三日間ずっと寺の中だったから、だんだん息苦しさも感じ始めていたし。
 そんなこんなでわたしたちは、三日振りの外に赴くことになったのだった。


  ▼  ▼  ▼


「……でもまあ、現実はこうですよねー」
「うん。概ね、予想通りやな! 結局時間の無駄には変わりなかったか」

 とはいえ───。
 文明の利器に頼りまくって何の成果も得られなかったのに、わざわざ足と目で探すなんてアナログなことをして状況が変わるわけもない。
 結局わたしたちは、ただの散歩を一時間ほどして、上で述べた予想通りの結論に到達した。
 それでも、ただ帰るのではあんまりにも虚しいからと、喫茶店に転がり込むことにしたのだったが。

「でも、さっきも言いましたけど。
 あんまりこのまま話が進まないなら、本当にやり方を変えた方がいいんじゃないですか」
「せやなあ。わしも正直舐めとったわ、本当は二日足らずでどうにかなる予定だったんやけど……」

 わたしはガトーショコラを、道鏡さんはイチゴのパフェを口に運びながら、ムードはすっかり反省会のそれだ。
 禿頭の大男がイチゴパフェなんてファンシーなものを食べている光景は少し愉快だった。
 本人曰く、この時代に召喚されて一番感心したのはお菓子の美味しさだったらしい。

「そもそも、やけどな。
 こっちから動くには、石動戯作の特定が成功するのが大前提やねん」
「……それはまた、どうして?」
「石動戯作が《黒い仏》の感染源だからや。
 わしらに出来るのは精々、奴が特別に選んだ"障り持ち"を潰す程度。
 せやけど、《障り》を幾ら潰しても結局あっちにしてみれば、ばら撒いた爆弾が一個自分の知らんところで処理されたって程度や。
 何も困らんし、そもそも認識されてるのかも分からん。厘業くらい影響力のある輩ともなれば、少しは痛いかもしれへんけどな」

 道鏡さんは生クリームの雪崩を器用にスプーンでせき止め、口に運んだ。

「つまり、石動戯作を特定出来ないなら、奴がもっと大きく動くのを待ってから殴り返すしかないわけや。
 後手に回る、っちゅうことやな。当然、そっちの方がこっちが抱えるリスクはごっついことになる」
「……うーん。それは、確かにちょっと困りますね」
「せやろ? だから悩みどころやねん。ホンマ、ものごっつけったいな仕事押し付けてくれたもんやで」

 あのくそったれな仏様は、と道鏡さんがぼやく。
 破戒僧ってレベルじゃない発言だなあと思いつつ、わたしももう一口ガトーショコラを口に運んだ。
 優しい甘味にわたしが癒やされていると───そこで、不意に。
 わたしのものではない声が、挟まった。

「ははは。そのようなことを言ってはいけませんな、仮にも僧侶であるならば」
「あん?」

 道鏡さんにしてみれば、いきなり見ず知らずの誰かが口を挟んできたようにしか聞こえなかったろう。
 けれど、わたしは違った。
 その声は……またしても、カルデアで聞いたことのあるものだったからだ。

「失礼、相当に位の高いお坊様と見受けましてな。
 仏門に帰依した者として、どうしても御話をしてみたくなったのですよ」

 べんっ、と、思わず声を出しかけた。
 咄嗟のところで堪えられた自分を褒めてやりたい。
 そこにいたのは───わたしの知る英霊、武蔵坊弁慶。
 言わずもがなその姿形に"見えている"だけなのだろうが、それでも、いきなり現れると吃驚してしまう。

「あ~……そういうのならやめといた方が身のためやで。
 わしは別に、仏様に心身捧げます~って柄やないねん。
 あんさんみたいなこと言って近付いてきた同業者と喧嘩になった回数なんぞ、両手足の指全部足しても追い付かんわ」
「ふむ……そうですか、それは残念」
「おう、帰れ帰れ。こっちはこれでも取り込み中なんや」

 ひらひら、と手を振ってつれなく追い返そうとする道鏡さん。
 基本的にはよそ行きの時は敬語を使う道鏡さんだが、同業者に対してはそうではないらしい。
 すると無碍にされた弁慶……もといお坊さんは、わざとらしく腕組みをして、こんなことを言った。

「この街に巣食う……(いや)
 この街に降り立とうとしている"善くないモノ"について、意見を交わせれば───と思ったのですが」
「……は。なんや、あんさん。最初からそのクチやったんか」

 その台詞を聞いた途端、わたしも道鏡さんも顔色が変わる。
 それは明らかに、わたしたちが追っているものについて何か知っているような口振りだったからだ。
 彼はあくまで"意見を交わしたい"と言っただけ。
 もしかしたら、有益な情報は持っていないのかもしれない。
 けれど、それでも───此処に来て同好の士を見つけられたことに対する喜びが単純に大きかった。
 長らく停滞していた状況が、少しだけれど前に進んだ気がしたのだ。道鏡さんもきっと、同じ考えだったと思う。

「失敬、名乗り遅れました。拙僧は"園忍(えんにん)"と云う者。しがない僧をしております」
「"鷺摩"や。こっちはまあ……訳あって調べ物に突き合わせとる、立香ってガキやな」
「誰がガキですか。……あ、よろしくお願いします。園忍さん」

 流石に、悪名高い道鏡の名を名乗ると色んな意味で面倒だと思ったらしい。
 道鏡さんは今回も偽名の鷺摩を名乗っていたが、どうやら話をしてみる価値はあると看做したようだ。
 わたしたちの名乗りを聞くと園忍さんは、「これはこれは。ええ、よろしくお願い申し上げます」と頭を下げてくれた。

「ま、この際無駄話は無しにしようや。
 単刀直入に聞くで、園忍さんよ。あんたは今回の騒動、何処まで情報を掴んどるんや?」
「《石動戯作》なる人物が、あの冒涜的な仏の存在を動画に載せて撒き散らしていること。
 その石動は特定の人物に対して追加の動画を送り付け、善からぬ《障り》を生じさせる即席の祟り神に変生させていること」
「……ふむ。大体、わしらと同じ程度の知識ってことか」
「───そして」

 一瞬、落胆しかけるが。
 園忍さんはそこから、更に続きを口にした。

「《黒い仏》が、文字通りの意味で"この世のものではない"可能性が高いこと」
「……ほう」

 道鏡さんは、ニヤリと笑った。
 続けろ、と言外に促しているのがわたしにも分かる。
 わたしも同じ気持ちだった。その先は、間違いなくわたしたちの知らない話だという確信があったから。

「遡ること数日前に、ですな。
 拙僧はかなり深く魅入られた"障り持ち"と対峙致しまして。
 鎮圧自体は上手く行ったのですが、その際に《障り》の根元と思しき、瘴気とでも呼ぶべきものを浴びてしまったのです」

 いつの間にか冷えてしまっていたコーヒーを、わたしは一口喉へ流し込む。
 そして、彼の話にただ、耳を傾けていた。

「その時に幻視したものは……ああ、今でも忘れられませぬ。
 《黒い仏》。何処とも知れぬ鬱屈とした空洞の中に佇む、無貌の菩薩であった」
「…………」
「あれが常世の神であるというのなら、仏敵であるというのなら、この世はきっと末世に達しているに違いありませぬ。
 おぞましく、巨大で、冒涜的で、直視するだけで脳が弾けそうになる。
 にも関わらず───ああ、死にたくなるほど神々しい(・・・・・・・・・・・・)。あんなものが、この常世に存在していい筈がない」

 畏怖の念を多分に含んだ、園忍さんの言葉。
 それが終わるや否や、道鏡さんがわたしの方を見て言った。

「どうした。なんや心当たりでもあるみたいやな」
「心当たり……って言っていいかは分かりませんけど。
 そういうものと繋がってる人とは、会ったことがあります」

 ……その語りに、わたしは想起するものがあった。
 カルデアにも、そういう英霊が居る。
 彼女たちは幸い、英霊の規格に収まってくれているけれど。
 その存在の奥底に、何か途方もなく巨大で、底知れぬものを感じさせる者たちが。

「なんや、またけったいなことになってきおったな」

 道鏡さんがそう言うのも、確かに無理はないだろう。
 彼はあくまでいち僧侶であって、"そういう話"とは無縁であるはずだから。
 でも、確かにそういうモノは存在するのだと、わたしは確かに知っている。

 ……領域外の存在。この世ならざる何処かから、この世に降臨するモノを。

「……ただ、そんなもんをどう相手取ればええんや?
 腐った神ならまだどうにかなる。爛れた妖ならどうにでもなる。
 だが、わけのわからん所から来たわけのわからん奴の相手は流石に経験ないで」

 喫茶店の一角でするには、些か妙ちくりんな話。
 新しい手掛かりは光明になるどころか、立ち込めた暗雲の上から絵の具を塗るが如きものでしかなくて。
 道鏡さんも、園忍さんも、黙りこくってしまう中。
 なんとか話を前に進めなくちゃと、わたしが口を開こうとした───その時だった。


 ……ぴろりん、という、気の抜けた音。
 スマートフォンの、通知音。
 道鏡さんが自前のそれを気怠げな目をしながら手に取り、起動させ……そこで、驚いたように目を見開いた。


「どうしたんですか」
「如何にされました、鷺摩どの」

 その反応に、わたしと園忍さんも"何かが起きた"らしいことを察する。
 椅子から身を乗り出す勢いで問いかけると、道鏡さんは浅黒い笑みを浮かべながら画面をわたしたちに示してきた。
 通知を送り付けてきたアプリは、YouTube。言わずと知れた、世界的な動画再生アプリ。
 このタイミングで彼を驚かすことの出来る"動画"なんてものは……当然、この世に一種類しかない。

「"新作"や。追加の手掛かりが、向こうからやって来てくれおった」


  ▼  ▼  ▼


 に■る・■ゅ■ん に■る・■し■■な
 に■■・■ゅたん にゃ■・■しゃ■な
 ■ゃる・■■たん ■ゃる・が■■んな


 (あのいびつなお経ではない。)
 (奇妙な歌。頭の痛くなる歌。)
 (暗い部屋に、目玉模様の仮面の男。)
 (ぎょろぎょろと、仮面に刻まれた目玉が動いているように見える。)

『空の瞳が潤いて淀む血反吐は揺蕩う神靈の響きに満つる』
『六芒は廻り巫女は嘆き今ぞ■■■様の廻廊が地に伸びる』
『そこに御遣いが居らずとも。巫女は今や独り立ちをなされた』
『おお尊きかな■■■■■■菩薩よ、願いを叶ふる抱擁の歌にて大祓と成すのだ』

 (水っぽい音がする。)
 (湿った何かを、高いところから落としたような音。)
 (よく聞くと、それは人の声に似ている。)

『目覚める。目覚める。目覚める』
『目醒める。目醒める。目醒める』
『覚醒める。覚醒める。覚醒める』

 (じゃらじゃら、じゃらじゃら。)
 (仮面の男の手に見える数珠が音を立てる。)
 (なにかに祈るように。なにかを招くように。)
 (見えない、此処にはいないなにかが、迷うことなく此処まで来られるように。)

『───さあ、祈りましょう』
『言祝ぎは空に、しかして瞳は海底に』
『さすれば必ずや皆の祈りは界となり、■■■様を下ろす社となるのだから』

 (アーメン。)
 (そんな言葉を最後に、動画が切れる。)
 (ずっと、あの歌が響いている。)
 (きっと、あなたの耳の中で。)


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最終更新:2019年09月14日 00:17