第四節:戯作

「……しっかし、昨日は無駄骨やったな」

 はあ、と溜息をついて道鏡さんは平らげ終えたハンバーガーの包装をゴミ箱に放り込んだ。
 わたしはそれを見て、「無駄骨ってわけではないでしょ。あの邪教はあれで実質潰れたんですから」と口を尖らせる。
 そして自分の分のハンバーガー……というかマフィンを口に運ぶ。うん、ごきげんな朝食だ。ジャンクな味わいがたまらない。

「アホ、無駄骨は無駄骨や。
 確かに厘業が去ねば教団の拡大は防げるやろうが、そもそも石動とかいうけったいな男をブチのめせてれば全部解決しとるんやぞ」
「それは……そうですけど。でもそれってだいぶ身も蓋もない話じゃありません?」
「まあ、の。収穫と言えば、敵がどれだけヤバいもんか再実感出来て、兜の緒が引き締まったってのと───」

 あの後、道鏡さんは改めて厘業の私物や手持ちの携帯端末を調べたらしい。
 もちろんその場で調べていたら駆け付けた信者に見つかって大事になるのは見えている。
 だからスマートフォンを中心に幾つかの道具を押収し、道鏡さんはあの後も夜なべしてその中身を検めていた。
 わたしは結局眠気に耐えられなくて途中で眠ってしまったのだが、どうやら一応……成果はあったにはあったらしい。

「───あと、これや。連中のスマホの内、厘業の物だけに妙な動画が入っとった」
「……妙な動画? 石動戯作の、ですよね」
「おう。ただ、これはどうも"個人用"に編集されたものらしくてな。少なくとも、わしは見たことがないモンやった」

 ……個人用?
 急に不穏な響きが出たものだから、わたしは反射的に姿勢を整えてしまう。
 厘業の端末にだけ入っていたという、個人用に編集された特別な動画。
 それは、つまり……

「……石動は、やっぱり厘業に直接接触していたんですね」
「直接、かは分からへんけどな。まあ、メールなり何なりやりようは幾らでもある。何かしらの手段で動画を送り付けたんやろ」

 そして、厘業はほぼ間違いなくこの動画を通じて《障り》を人にけしかける力を得た。
 道鏡さんはそう語る。力というよりは───権限、というべきかもしれないが。

「で、だ。この動画がまた、随分とけったいでな。
 正直なところ、お前に見せていいもんかどうか」

 朝食と一緒に買っていたシェイクをずるずる音を立てて啜りながら、道鏡さんは悩んだような素振りを見せる。
 いつも人を巻き込むことに何の抵抗もない彼が悩むということは、相当なものなのだろう、その動画は。
 一体、どんな内容が記録されているのか……考えたくもないけれど。

「道鏡さん的には、見た方がいいと思ってるんですか?」
「まあ、情報ってもんは大事やからな。
 こいつを見れば、お前も敵が只者やないって改めて実感出来る……とは思う」
「じゃあ見た方がいいんじゃないですか、結局」
「まあ、あくまでも厘業個人に宛てたもんやからな。
 お前が見ても大丈夫やとは思うけど、それこそ障りが無いとも限らんのよ」

 そう言われるとわたしとしても結構怖くなる。
 石動戯作が一般公開している動画でさえかなり不気味に感じたのに、あれ以上とは。
 ただ……怖がってばかりはいられないというのも事実なのだ。
 見たくないけど、道鏡さんの言う通りこういう状況では情報を多く持つことはとても大事。
 わたしは意を決して、「我慢するから見せてください」と口にしようとして───

「ん」

 道鏡さんがそこで、何かに気付いたように目線を少し上に向けた。

「誰か来おったな。妙な気配はせえへんけど」
「参拝客とか、檀家さんとかじゃないんですか? 一応お寺ですし、此処」
「"一応"は余計じゃボケ。せやけど、あー、そういう客が来るってことも有り得はするか。面倒臭ぇなあ……」

 でも確かに、このお寺は廃寺同然だったところを道鏡さんが自分が住みやすいように少し弄ったというだけの襤褸だ。
 外から見れば手入れの行き届いていない、それこそ廃寺にしか見えない不気味なお寺。
 こんなところにわざわざ参拝に来るなんて、結構な好き者だとわたしも思う。
 そうしていると来客を告げる呼び鈴が鳴ったのでいよいよ無視するわけにもいかず、道鏡さんは頭をポリポリ掻きながら出ていった。


 それから、数分。
 道鏡さんはしばらく玄関先で、その"客"と何か話していて。
 再び戻ってきた時には、人の数は三人になっていた。


「……あ、こんにちは」
「ああ……どうも、こんにちは。すみませんね、突然お邪魔してしまって」

 わたしが目を白黒させてしまったのも、しかし無理のないことだろう。
 だって道鏡さんが連れてきた"ふたり"の客は、どちらもわたしの知っている顔だったからだ。
 やや疲れを宿した顔でわたしに会釈したのは、天草四郎。
 そしてその彼に手を引かれているのは───いつかのクリスマスにカルデアへとやって来た、ジャンヌ・オルタの幼い姿。

「ちょ、ちょっと。道鏡さん、この人たちってまさか───」
「……おう、そのまさかや。俺も驚いたで、欲しかった手掛かりが向こうからやって来てくれるとは思わんかったからな」

 ニヤリ、と笑う道鏡さん。
 それとは対照的に天草は疲れたような表情で。
 幼いジャンヌは……光のない、虚ろな瞳でそんな彼に手を引かれていた。

「この小娘、《黒い仏》に魅入られとる」


  ▼  ▼  ▼


「娘がおかしくなったのは、一週間くらい前からでした。
 娘は絵を描くのが趣味だったのですが、スケッチブックに奇妙な絵が増え始めたのです」

 沈痛な面持ちで語る天草の横で、リリィはただぼうっと机の上に置かれた髪にペンを這わせている。
 紙は道鏡さんが出したものだ。
 そこに記されていく絵は……黒い、逆さの人。顔の部分はペンを強く机に食い込ませることで、わざわざ破り取っている。

「そう、ちょうどこういう絵ですね。
 最初はスケッチブックの片隅に居るだけだったのが、いつの間にか数が増えて……気付けばこれ以外は描かなくなっていました」
「それで、おかしいと思ったと」
「……ええ。娘のスマートフォンを調べてみたら、妙な動画が見つかったんです」

 そう言って天草が示したのは、例の有名動画サイトではない。
 いわゆるフォトアルバムのアプリだ。そこに、黒いサムネイルの奇妙な動画がひとつぽつりと保存されている。
 他の写真や画像が一切見当たらない辺りもまた、不気味さに拍車をかけていた。

「これは何なのか、と問い詰めはしたんですが……その頃にはもう、娘はほとんど何も喋らないような状態でして。
 朝から晩まで、食事を摂ることもせず絵を描き続けるだけです。
 紙を取り上げれば壁に、画材を取り上げれば自分の身体を傷付けて、その血や傷口で。
 何をどうしても絵を描き続けるので、今はこうしてスケッチブックを与え、好きなようにさせているんですが……」
「賢明でしょうな。もし無理に止めさせようとすれば、世辞でも何でもなくこの子は自分の脈を掻っ切ったでしょう」

 道鏡さんの言葉に、天草は唇を噛む。
 本職の人間からこういう言葉が出たことで、事の深刻さをよりいっそう深く理解出来たらしい。

「……この子の動画アプリの閲覧履歴を見たら、ビンゴや。
 一から十まで石動の動画で埋め尽くされとった」

 道鏡さんがわたしに耳打ちしたので、わたしは頷きを返した。
 そりゃ、そうだろう。
 そうでもなきゃ……こんな年頃の子がそんな風に壊れるわけがない。
 わたしは元の元気なリリィを知っているから、尚更手にたくさんの絆創膏を巻いてうつろな目をした今の彼女が痛ましく写った。

「そして、それだけじゃないんです。
 この子がこうなってから、身の回りで妙なことが起きるようになりました」
「妙なこと、とは?」
「……妻が、あの気持ち悪い動画を見るようになったんです。
 幸い妻はそこまで重篤な様子ではないんですが、それが逆に不気味というか」
「……厘業の信者共と同じやな」

 道鏡さんがそう言ったので、わたしももう一度頷く。
 厘業の信者たちは、厘業に障られて《黒い仏》の妄信者になった。
 多分天草の妻にも、それと同じことが起きているのだろう。

「そして私も、最近あの動画をもう一度見たくて堪らなくなってきました。
 私はカトリックですので、そういう時は十字架を握ると少しだけ衝動を抑えられたのですが……
 今朝などは、もうほとんど限界でした。もう数日もすれば、私も妻と同じになってしまうだろうという確信があります」

 そう言って天草が懐から取り出したロザリオの先端に付いている十字架は、まるで長い間塩水に浸けていたかのように錆び付いていた。
 その絵面はなんとも言えずおぞましく、冒涜的で、わたしは鳥肌が立つのを禁じ得なかった。
 けれど道鏡さんは流石に慣れているらしく、冷静に。

「厘業と同じ状態になっとるな。それも、こっちの方が深く魅入られとる」
「あの、その厘業というのは───」
「ああ、こっちの話です。とにかく……親父さん、事は大体あんたの推測通りですな。
 もしもあと数日診せに来るのが遅ければ、確実に取り返しの付かないことになっていたでしょう」
「……教会にも連れて行ったのですが、何の甲斐もなく。
 お門違いとは承知の上で、半ば藁にもすがる思いで駆け込んだのがこのお寺でした」

 カトリックの人間がこうしてお寺に駆け込むという辺り、相当切羽詰まっていたのだろう。
 でも、その判断は正解だ。
 仏教だからとか、キリスト教だからとかではない。
 此処にはサーヴァントが居る。こういう恐ろしくておぞましい物事を解決するプロフェッショナルが、居るのだから。

「……とりあえず、この動画を見せていただきましょう。
 娘さん宛の動画であるならば、恐らく見ても障りはありますまい」

 ただ、念のため親父さんは控えた方がいい。
 道鏡さんはそう付け足しつつ、更に続けた。

「名前を呼ぶことで個人を指定して行う呪術ってのは古来より、呼ばない場合とは段違いの効果を上げられるもんでしてね。
 ただその分、定義した人間以外には効果が落ちる。だからまあ、わしとこの立香は大丈夫でしょう」
「……そうですか、分かりました。では私は動画の音が耳に入らないよう、娘を連れて離れていますね」
「いや、娘さんは此処に居ても構いませんよ。
 其処まで深く魅入られてるならもうこれ以上は誤差ですし、何より、娘さんと一緒に居ることで更に深く"障られる"方が面倒だ」

 そう伝えて天草だけを外にやり。
 未だ変わらずスケッチブックにペンを這わせ、歪な絵を描き続けているリリィとわたしたちだけが残される。
 道鏡さんは「えらいことになってきたな」というような顔をして、わたしの方を見た。

「見るか見ないかはお前が選べ。後で見なきゃ良かったとか言うても知らんからな」
「言いませんって。それより、早く見ましょう」
「おう。……さあて、鬼が出るか蛇が出るか、やな。或いは、仏か」

 ごくり。
 固唾を呑む音がして───道鏡さんの指が、動画の再生ボタンを押した。


  ▼  ▼  ▼


  義 実 真 来 如 解 願

  持 受 得 聞 見 今 我

  遇 遭 難 劫 万 千 百

  法 妙 微 深 甚 上 無


 (歪なお経が響く。)
 (部屋の中は暗いが、和室のようだ。)
 (幸せそうな家族の写真が供えられた祭壇。)
 (父と、子と、母の遺影が飾られている。)
 (顔の部分だけが、黒く焼け焦げてしまっている。)

『これは君だけのおまじない』
『仏様と君だけの、秘密のおまじない』
『ひとりでこっそり唱えよう。この世が嫌になったとき』

 (目玉模様の仮面を被った男が画面の端からぬっと出てくる。)
 (サブリミナルの要領で、無数の遺影が画面に映る。)
 (ひとつとして顔が見えるものはない。)

『■■■様のお名前は、みだりに口にしてはいけないよ』
『君は知っている。かわいそうなお姫さま』
『■■■様。逆さの仏様は、今はあの子にかかりきり』

 (家族の葬式らしき光景が逆再生で流れていく。)
 (葬式が行われるより前にまで巻き戻る。)
 (仏壇から、男の子が黒い手によって取り出される。)
 (男の子は不思議そうに仏壇を覗き込んで、逆再生特有のぎこちない動きで去っていく。)
 (逆再生。逆再生。逆再生。逆再生……。)

『みんなで一緒に歌いましょう』
『おっきなお口で、元気よく』
『せーの』

 (画面がぷつんと途切れて。)
 (不気味なほどの静けさの中で、声がする。)

『に───』


  ▼  ▼  ▼


「……なんで途中で切ったんですか?
 あの"おまじない"ってやつ、如何にもこれから読み上げられそうでしたけど」
「……、……」

 ふう、と溜息をついて。
 道鏡さんはわたしの質問には答えず、煙草に火を点けた。
 近くに小さな子どもが居るのにも構わず煙を吹かし、やがて彼はぽつりと口を開く。

「さっぱり分からん。知れば知るほど分からん」
「そりゃ、分からないのは当然じゃないですか。わたしたちはそれを調べてるんですから」
「最初はのう、腐れ神の類やと思っとったんや。
 八百万っていうくらいやからな、悪さする神も中には居る。
 それならまあ、ちぃと手間は掛かるが丁重に追放させて(おかえり)いただこうって腹で良かったんやが」

 道鏡さんは難しい顔をして、遠くを見る。

「こりゃ、どうもそういうわけでもないみたいやな。
 霊ではない、妖怪でもない、零落れた神でもどうやらない。
 この怪異の貌が見えへんねん。普通、どんな悪いもんでも振り撒く障りの中に何かしらの個性はあるもんなんやけどな」

 ……それは、なんとも不気味な話だった。
 姿は見せていない。
 人を自分の信徒に堕とすことはしていても、人を殺すまではしていない。
 けれど、ただ、意味がわからない。推測が出来ない。ひたすら"わからない"という、怪奇。

「あのまじないをお前に聞かせなかったのはな、どうも、教団で信者が呟いとったのと同じ呪文が出てくるような気がしたからや」
「……ああ、あの時の」
「あれは多分、人間が聞いたらあかん類のものや。理解は要らんのやろう。聞いただけで、障りのターゲットになる」

 縁が結ばれるってことや、と付け加える。
 ……聞けば聞くほど、とんでもない話だった。
 なんだってそんなものが、この大阪なんて街に。

「……その嬢ちゃんは当分寺で預かる。
 あの親父さんはわしにはどうにも出来んから、取り急ぎ元凶を引き離すことで手を打つわ」
「でも、わたしたちまで障られてしまったら元も子も無くないですか?
 いや、彼女を保護するってことにはわたしも大賛成なんですけど……」
「せやからそこも手は打つ。多少窮屈かもしれんが、札を貼って結界の中に放り込むしかないわな」

 少し可哀想だとは思ったが───それでも、そうしなければ木乃伊取りが木乃伊になるだけだ。
 わたしと道鏡さんが落ちれば、《黒い仏》はいよいよ止められない。

「明日からはカンヅメや」
「カンヅメ?」
「おう。現代じゃ、寝食棄てて仕事に打ち込むことをそう呼ぶんやろ?」

 言って道鏡さんは、今まで閉じていたノートパソコンを勢いよく開く。
 すっかり現代慣れしているらしく、そのデスクトップには幾つもの難しそうなソフトウェアのアイコンが躍っていた。

「何としても石動戯作を特定する。ンで、完了次第また殴り込みや。三日以内に片付けるで、お前も気ぃ入れときや」
「……はぁ」

 わたしも、手伝わないわけにはいかないか。
 これからの多難を思い、わたしは何度目かの深い溜息を吐き出した。
 ……けれどそこには、何か理解不能な、どうしようもなく恐ろしいものに近付くことへの恐れも含まれていたように思う。

 深淵は、今───わたしたちを、何処から見つめているのだろう。
 ふと、そんなことを考えた。


  ▼  ▼  ▼


「にゃ■・し■■ん に■■・■し■■な」

 そして───
 父は帰り、坊主と救世主は機械の前で唸り続けている夜遅く。
 結界の中で、少女は譫言のように何かを口にしていた。
 結界の効果なのか、そのまじないは不完全。
 障りなんて出せはしないし、ただ、意味もなく響くだけしか能を持たない。

「■■る・■■た■ ■ゃ■・が■ん■■」

 呟きながら、歌いながら。
 少女がペンを走らせる画用紙には。
 たくさんの《黒い仏》と、髪のない男。少女らしき誰か。

 そして───六芒星に囲まれて歌う、貌のない女の姿が、あった。


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最終更新:2019年09月13日 00:57