第零節:『ソドムの市』

【1】

 その部屋には、いくつもの檻があった。
 猛獣を閉じ込めるあの大きな檻が、空間を埋めていた。
 ならば、その中に収監されているのは、ライオンや豹なのか。
 答えは否である。檻に閉じ込められたのは、そんな獰猛な輩ではない。

 聞き耳を立ててみるといい。出してくれという、か細い声が聞こえる筈だ。
 そこから次いで、助けを求める女の声に、生気の失せた呻き声が、耳に入ってくるだろう。
 どれだけ勘が鈍くても分かるに違いない――檻に収監されたのが、人間であるという事に。

 そんな悪趣味な部屋の中を、一組の男女が並んで歩いていた。
 男の方は、黒衣に身を包み、黒い帽子を深く被った、銀髪の青年であった。
 女の方は、ぼろきれの様な着物で肌を隠した、長い黒髪の童女であった。

「随分死に体が多い、餌は与えたのか?」

 童女が檻の一つを眺めながら、そう青年に問うた。
 あろう事かこの少女は、人間の食料を餌などと言っている。
 彼女が檻の中の者をどう捉えているか、それを如実に示していた。

「大方餌やりに遊ばれたのでしょう。哀しいものですな」

 泣きはらす女がいる檻を見つめながら、青年は答えた。
 彼の表情には、常に作った様な笑みが貼りついている。
 サービス業の者が得てして使う、形だけの笑みであった。

「呆けた事を。これを始めたのはお前だろうに」
「ええ、確実かつ迅速な目標達成にはこれが最適ですので」
「いやはや下種い、下種いのぅ」

 童女が軽やかな足取りで、青年の前に出た。
 彼女の顔も、青年と同様に笑みが張り付いている。
 されどその笑みは、愉悦からくる真の笑顔であった。

「我らが張った糸に反応がある、カルデアの者共だろう。
 当然、対策は練ってあるのだろうな?ライダーよ」

 人理保障機関カルデア――人理焼却という未曽有の災いを退けた者達。
 そして、その内の一人にして人類最期のマスターが、藤丸立花だった。
 本来歴史に載らない筈の彼等の物語を、何故か彼等は知っているのだ。

「無論対策済みです。計画の根底を崩される事はないかと。
 ですが慢心は禁物です、何しろ相手は人類救済の英雄ですので」
「分かっておるわい。ここまで拵えたのだ、易々と潰されては堪らん」

 死にかけである檻の住人とは対照的に、二人は実に生き生きとしていた。
 彼等の内に潜む感情は、きっと歓喜で満たされているに違いない。
 何しろ、今この瞬間に至るまで、計画は滞りなく進行しているのだから。

「他の奴等の顔も見ておこう。お前は引き続き管理を頼むぞ」

 そう言い残して、童女は足早に駆けていった。
 彼女が走る先には、別の"ブース"へと繋がる通路がある。
 その道を経由して、青年以外の仲間に会いに行くのだろう。

 そう、彼等がいるこの場所は、博覧会のブースなのである。
 1940年に開催を予定され、しかし頓挫した、幻の万国博覧会。
 "東京万博"と呼ばれたそれが、特異点として出でようとしているのだ。

「……藤丸立香、早く来るといい」

 青年は檻の一つに歩み寄り、そこに閉じ込められた男に目を向ける。
 彼は片腕を切ろ落とされたようで、しかし傷の処置もされてない。
 "餌やり"に来た男に、半ば遊び半分に身体を破壊されてしまったのである。
 生気をまるで感じさせない、今にも息絶えてしまいそうな状態であった。

 しかし、戦慄に値するのは、何もそれだけではない。
 その男は、肌の色も服装の特徴も、全てが日本人のそれと一致しているのだ。
 彼だけではない、此処にいる全ての人間が、同じ特徴を有している。
 此処に押し込められているのは、悉く同じ国の民衆なのだ。

「貴方の愛する故郷が、消えて無くなってしまうのだからな」

 青年が一層笑みを浮かべるのと同時に、男の呼吸が停止した。





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最終更新:2018年03月26日 00:02