安楽死法制化までの歩み
ポストマ事件
1971年、オランダ・フリースラント州の開業医が、脳溢血で半身麻痺状態にあった78歳の母親に頼まれ、
モルヒネを注射し安楽死させる。
医師は嘱託殺人で起訴されるが、医師を知る周囲の人々が医師の無罪を訴える活動を行い、
このことが大きくマスコミにも報じられたことで、国中で安楽死の是非を問う議論が起こり始める。
二年の裁判の後、レーウワールデン地裁は、
「患者の死期を早めても、患者の苦痛をとるための鎮痛剤投与は認められる」という見解を示す。
しかし、致死量のモルヒネを使用したことが咎められ、医師には一年間の執行猶予付き禁固一週間の判決が下る。
また、地裁は、安楽死の要件として次の四つを示した。
- 患者は不治の病にある
- 耐え難い苦痛がある
- 患者は死にたいと希望している
- 実施するのは医師で、他の医師と相談した
自発的安楽死協会発足
1973年、「自発的安楽死協会」が1600人で設立され、
延命治療の拒否や将来の安楽死希望を表明するアドバンス・ディレクティブ(事前指示)の普及を開始する。
協会の会員数は五年後までに一万人を超え、「安楽死宣言書」の協会への預託は二万人に達する。
最終更新:2008年12月31日 20:27