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*鉄砲伝来 1543年(H1543a) ポルトガル人アントニオ・ダ・モタ, フランシスコ・ゼイモト, アントニオ・ペショット, 牟良叔舎(一説), 喜利志多孟太(一説)ら、利益の高い商売のために明国人五峯の船でシャムから中国に向かう。台風に遭って操船不能になったため、種子島西ノ村に漂着する。時に天文12年8月25日(1543年9月13日)。 このとき、初めて欧州の鉄砲が伝来した。欧州側史料では 1542 年のことという。このとき伝えられた鉄砲はエスピンガルダと呼ばれた南欧系の先込め式火縄銃で,口径 18mm前後,最大射程 200m,有効射程 40 ~ 50mくらいのものであった。 五峯は、別名王直(おうちょく)と称し、平戸や五島の福江島に屋敷を構える倭寇の有力な頭目であった。大友宗麟(大分)や大内義隆(山口)など大名とも親しく、すでにこのころ東アジアに広く進出していた。同行のポルトガル人はこの男に雇われていた。 西ノ村の主宰、織部丞(おりべのじょう)が漂着民と接触し、五峯と筆談する。 1543年には、鉄砲の内ネジの技術が日本人には伝わらなかったが、のち1544年、 種子島にやってきたポルトガル船に乗っていた鉄砲鍛治が、種子島に内ネジの技術を伝える。 >1543年に漂着したのは、明国船であり、ポルトガル船でないことに注意。

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