民宿雪国





題名:民宿雪国
作者:樋口毅宏
発行:祥伝社 2010.12.10 初版
価格:\1,400



 装丁、というか、本にかけられた横帯だけで購入意欲が沸いてしまう本というのはあるのではないだろうか。永いことネットで本を買う癖が付いてしまっていたぼくは、ここ数年以来、そういう見逃しがいやで、無情報のまま書店に足を運び入れ、現地にて本を調達するという買い方にきっぱり切り替えた。

 あまり冒険を犯して新人を発掘しようとしない自分ではあるけれど、さすがに本書の横帯のアジテーションには惹かれるものがあった。ぼくの気持ちをぐいぐい牽引してしまったそのアジテーションの内容とは、

  • 梁 石日氏絶賛の問題作!
  • 「なみなみならぬ筆力に感服した。人間の底知れぬ業を描き切る」かつてない、刺激的にして衝撃的な読書体験
  • 『さらば雑司ヶ谷』で話題沸騰の著者が昭和史の裏面に挑む怒涛の書き下ろし
  • 本書を手にした読者は読み進めていくうちに不安をいだくだろう。「この物語はどこへ向かってゆくのだろう?」と
  • すべてが刺激的だ。

 以上、扇情的な言葉の数々が眼を吸い寄せる。

 そして読後わかることなのだが、確かにこれらのすべてはブラフではない。形としては連作短篇集と言った方がよいかもしれないが、それでもバラバラの断片は最終的に一つの長編小説を目指す。

 これはノワールなのか、歴史小説なのか、ミステリーなのか、ホラーなのか、とジャンル分けしにくい書きっぷりでそれぞれのエピソードが進むのだが、どうもホラーまたはノワールのどちらからしいというところに落ち着く自分がいて、それがこの小説中最も客観的で冷静な文体による主人公の個人史の記述に至って、またも崩壊してゆく。

 相当に硬派な軸を持った上で、けれんに満ちた落とし穴だらけの闇迷宮、のような小説、いやさ民宿こそが、雪国なのである。この新潟県の海べりにあって冬は雪に覆われる古い宿に、謎めいた車いす姿で存在する老人の正体こそがこの小説の物語そのものなのである。

 しかしそこに至るプロットのこのスタイルは何なのだろう。果たして未知というべき構成で、一見散乱したファイルだらけのように見える。ところが、その背後には凄まじいまでの昭和がある。

 自分史に紐付けるとすれば、わが父は、戦後シベリアの強制収容所で三年を費やしてから復員したのだが、その内容をほとんど本人から聞いたことがなかった。その内容について、この小説中で具体的に語られるページがあり、身を切られる思いを禁じ得なかったところがある。

 しかしよしんば自分史がなかったとしても、本書の奥深さ、昭和の暗黒面に向かって顎(あぎと)を開いた魔物のような脅威といったものは、読後のあなたのうちに必ずや残るであろうと思う。

 来年の『このミス』1位、もしかして既に、これで決まりか?

(2011.01.22)
最終更新:2011年01月25日 01:03