あの本は読まれているか
題名:あの本は読まれているか
原題:The Secrets We Kept (2019)
作者:ラーラ・プレスコット Lala Prescott
訳者:吉澤康子
発行:東京創元社 2020.04.24 初版
価格:¥1,800
大作映画『ドクトル・ジバゴ』は、まず映画雑誌『スクリーン』の広告で知り、実際には中高生時分にTVの日曜洋画劇場あたりで夢中になって観たことがある。ストーリーまでは如何せんほとんど覚えていないのだが、壮大なロマンだったという印象は強く残る。
この映画の原作本は、冷戦下のソヴィエトで書かれたが、スターリニズムに批判的な思想書として国内で発禁となっていた。原作が国外に持ち出され、イタリアで出版され、ノーベル文学賞に選考されたが歴史上類を見ぬ作者による辞退に至った経緯は、ウィキペディアなどにもその背景の記述が見られる。
本書は『ドクトル・ジバゴ』を冷戦下プロパガンダ政策の強力な武器としてスパイ活動に使ったCIAの記録と、当時の綿密な歴史資料を集めて黒字で伏せられた部分を創作として丹念に綴った一大力作である、ちなみに作者ラーラは本名であり、両親が映画『ドクトル・ジバゴ』のヒロインの名前をもとに命名したというから、本書もまた運命の一作なのだろう。
本書は、『ドクトル・ジバゴ』の原作者ボリス・パステルナークと、愛人オリガ(ヒロイン≪ラーラ≫のモデルとなった人物)の圧政下でのスリリングな恋愛を軸とした<東>の物語と、鉄のカーテンの内側に『ドクトル・ジバゴ』の本を持ち込んだ女性スパイたちの動きを軸とする<西>の物語として交互に語られてゆく。
<西>の物語を受け持つのは二人のヒロイン、ロシア生まれのイリーナと天性の女スパイ、サラ・ジョーンズである。二人は当時のハラスメント、息が詰まりそうな性差別に抗いつつ、『ドクトル・ジバゴ』オペレーションに強く関わる運命に身を投じる。独自のヒューマンでタフな一人称文体で語られる彼女らの人生がずしりとした読みごたえを与えてくれる。
彼女らの所属するCIAタイピスト部屋の個性的な面々と、ここから世界を動かしに出かけてゆくイリーナらとのつかず離れずの関係もリアルに活写され何とも力強い。作家のペンは繊細かつタフで、時と場を移動しつつ、<東>と<西>両者の国家的非情さを横目に、個として生きる人間ドラマを紡ぎ出してゆく。
歴史上の事実に基づいて描かれたスリリングでドラマティックで野心に満ちた作品である。高額な翻訳権争いが生じたほどの魅力的な題材であり、映画化も予定されているというが、本書そのものが何とも映像的で美しい時代、街、季節を背景に、感性に満ちた濃密な魅力を纏う。
『
ザリガニの鳴くところ』の後に読んだこの『あの本は読まれているか』、どちらも世界的ベストセラー、女流作家によるデビュー作、密度の濃い内容と優れたドラマ性が目立っている。充実する作品の登場が何とも頼もしく有難い季節なのである。
(2020.05.27)
最終更新:2020年05月27日 23:02