ノー・セカンドチャンス





題名:ノー・セカンドチャンス
原題:No Second Chance (2003)
著者:ハーラン・コーベン Harlan Coben
訳者:山本やよい
発行:ランダムハウス講談社文庫 2005.9.13 初版
価格:上¥750/下¥780

 ずっとマイロン・ボライター・シリーズを書いてきたハーラン・コーベンは、21世紀に入ってから、馴染みのシリーズを離れ、がらりと作風を変えた単独ミステリーに傾注してゆく。その現象が、後から顧みて、どうも不思議である。どちらかと言えば陽気でユーモラスで、軽妙で、それでいながら血が熱くなるような、人間の内側に潜り込んで書いていたようなウェットな作家だったように思うが、本書を見る限りはスリルとサスペンスという物語の側に軸を移し、より過激に、より血腥く、そしてよりエンターテインメント色を強めるよう意識して作風を変えた、というように見える。

 まるで違う作家のように見えるのは、訳者が変わったこともあるのかもしれないが、やはり馴染みのボライター・ファミリー、癖の強いバイプレイヤーたちの姿を一端消去して、新しいコーベン・ワールドにリセットし直したようにしか見えないのが、シリーズに続く各単独作品である。とりわけ本書は、まったく異なる作家が書いたかのような過激なサイコ・スリラーである。

 いきなり主人公の「私」が撃たれるシーンに幕を開ける小説というのは、多くはないだろう。それも二発。叙述が始まった途端、昏睡。時間が飛ぶ。撃たれ、娘が誘拐されたこと、妻が殺されたことがわかるのは、昏睡から覚醒したときだ。治療中の病院のなかだ。最悪な状況把握の中、誘拐犯側から身代金要求の連絡が入る。「いいか? チャンスは一度だけだ(No Secand Chance)」

 無理やりな退院。身代金を受け渡しにゆくが空振り。そして一年半経ち、またも犯人側から身代金受け渡しの指示。

 そしてアクション。捜査。またアクション。立ち止まる気配のないノンストップ・スリラーである。しかしすべてが一人称叙述ではない。誰かよくわかない犯人側の三人称描写も続く。狂った女とサディスティックな男の狂気のコンビ。これらが誘拐犯かと思うと怖すぎる。二度三度に渡る身代金受け渡し兼復讐心のこもった追跡劇。

 元FBI捜査官レイチェルや近所の友人弁護士レニーの力を借りて娘の奪還のためにすべてを賭ける主人公マーク・サイドマンの足取りを追いつつ、片や非情でサイコな殺し屋カップルの動きを追う。途中で世話になるヴァーン・ファミリーの個性が素晴らしく、銃器の専門家であり古き良きレッドネックの激しさも優しさも感じさせてしまうところが、どこかマイロン・ボライターとセットの親友ウィンの立ち位置を彷彿とさせる。

 サイコでもあり、アクションでもありながら、ロード・ノベルでもあるという、旧来のこの作者のシリーズとはかなり色を変えた、同じ作風とは絶対に言えない新たな独立作品の初期長編。ぼくとしてはページを開いたら全くブレーキが利かなくなった小説。最後までフルアクセルで読めるバイオレンス・スリリング・アクションでありました。

(2023.12.20)
最終更新:2023年12月20日 17:30