闇より暗き祈り




題名:闇より暗き祈り
原題:My Darkest Prayer (2019)
著者:S・A・コスビー S.A.Cosby
訳者:加賀山卓朗
発行:ハヤカワ文庫HM 2025.02.25 初版
価格:¥1,300


 この並外れた個性を持つ作家の一作目は『黒き荒野の果て』だと思っていたが、これまで日本でも翻訳ミステリーのなかで最高評価を受けてきた三作の前に、実は未訳の本書が存在していたとは。現代の新しいクライム小説に眼を着けているハーパーBooksの代表的傑作となっているコスビーだが、今になって版元を変えて、知られざるデビュー作が時代を遡って登場した。

 未だ日本の版元が眼を着ける前の作品とは言え、これまでの既翻訳作品3作と比べても何の遜色もないばかりか、この作家の原点となる南部を舞台にしたノワール&バイオレンスをこれでもかと見せてくれるハイレベルな傑作であるように思う。一人称による葬儀社勤務の中年黒人男性が主人公なのだが、彼の独白による展開方法が作品を見事に成功させているし、むしろデビュー作だからなのか、躍動感とエキセントリックなストーリーとがとても際立って見える傑作であるように思う。

 ヴァージニア州の田舎町の神父が殺されるという事件。元警察官ながら現在は葬儀社勤務で、昔から腕っぷしに自信を持つ反骨の青年ネイサンはその殺人事件の真相究明に拘り、町のダークサイドの渦中へと飛び込んでゆく。一人称での彼の語りが紡ぐ長編小説ながら、小さな町でのダークサイドと、そこに息づく町民たちのそれぞれの闇を抉る語り口と、息継ぎを許さない緊張の連続が現在のコスビーとその印象をダイレクトに繋げてしまう。

 出版社は変われど、翻訳者が同じである点も好感が持てるが、この作品が埋もれていたというこの数年間が何とももったいなかったと感じるのも、既作品を超えるくらいの本書の密度を経験すれば誰もが感じて頂けるものではないだろうか。ページ数の割に登場人物が多く、キャラクター・リストが別紙で付いているものの、そこに全員が掲載されているわけでもない。むしろこの作品の主人公はネイサン一人ではなく、町の住民すべてではないのか? と疑念を覚えるほど、すべてのキャラクターが結構な大役を課され、なおかつ運命の歯車に呑み込まれているように見える。

 しかし、思えば、それがコスビー・ワールドなのだと思い返せば頷ける。新作はもう一年待ちのようである。二年も(翻訳を入れれば三年か)待たされるというところに、この旧作の翻訳があって有難い限り。現代アメリカ南部の闇を抉るコスビーの作品は、権力欲でいっぱいの醜くしか見えない現大統領を裏側から嘲笑するパワフルな文化力学になっているかもしれない、などとそう考えるのは穿ち過ぎであろうか?

(2025.6.10)
最終更新:2025年06月10日 22:53