「第十五章 この醜くも美しい世界」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

第十五章 この醜くも美しい世界 - (2010/02/18 (木) 23:48:14) のソース

第十五章 この醜くも美しい世界 

リゾットがアルビオンから戻り、シエスタをモット伯の手から助け出して、数日が過ぎた。 
たった数日であるが、ハルケギニアの政治には大きな変化が起きていた。 
正式にトリステイン王国と帝政ゲルマニアの軍事同盟が締結されたのである。 
同時に一ヶ月後に控えたリステイン王国王女アンリエッタと帝政ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の婚姻が発表された。 
誰が見ても新たに立ち上がったアルビオン新政府への対抗手段であり、事実、アルビオン新政府はトリステイン、ゲルマニア両国に不可侵条約を持ちかけた。 
かくて、アルビオンの内乱によって緊張状態にあったハルケギニアは、一時的な平和を迎えたのである。 

その間、リゾットを取り巻く環境に、また多少の変化があった。 
一つには、ルイズからの待遇が改善されたことがある。 
朝の洗顔や着替えをルイズが自らするようになり、授業でも他の生徒と同じく、空いている椅子に座ることが許された。 
同様に食事のとき、テーブルで貴族の食事を取ることも許可された。 
同じ食卓につく平民、というのは貴族にとっては不快なようで、何人かの生徒が顔をしかめたが、どことなく不気味な印象を与えるリゾットに、皆口を噤んでいた。 
あまりに急に変化したことを不思議に思い、リゾットはルイズに訳を尋ねた。 
「べ、別に……。ただ、あんたも結構、優秀な使い魔ってことが分かったからね。働きにはちゃんと報いないと…」 
顔を赤くしながらルイズは答える。言葉どおりの意味ではないことは表情から分かったが、だからといって真相がわかるわけでもない。 
(最近はルイズも周囲に評価され始めたからな……。機嫌がいいのか) 
実際、ルイズが学校を休んで大手柄を立てたらしいことは噂になっており、今まで『ゼロ』と馬鹿にしていた周囲も、ルイズを違った目で見るようになっていた。 
ルイズは気分屋でわがままだ。機嫌がよければ、使い魔にも寛大になるのだろう。リゾットはそう結論した。 


もう一つは、リゾットが学院の教師の中でも一目置く、コルベールとの親交を築けたことがある。 
きっかけは彼が授業で自作の機械を開陳したことにある。ふいごで油を気化させ、それに魔法で火をつけることで爆発させ、その力で車輪を回すその装置は、地球でいうエンジンだった。 
コルベールはこれがあれば、そのうち魔法に頼らなくても馬のない荷車や風に頼らない船が作れる、と熱弁した。 
だが、その偉大な発明の真価は生徒の誰にも理解されない。生徒の誰もが、魔法でできることを何故機械でやらなければならないのかと不思議そうだった。
その反応にコルベールは気落ちしていた。 
その時、静まり返った教室を拍手が乱す。拍手したのはリゾットだ。熱心に聴いていたリゾットはコルベールの才能にある種、感動すらしていた。 
「大したものだ。自力でエンジンを開発する人間がいるとは思わなかった」 
「エンジン?」 
きょとんとするコルベールに、リゾットは頷いた。 
「それを改良したものを使って、言っていた通りのものを作ることが出来る。現に俺がいた場所ではそういった機械が大量に走っている」 
「なんと! やはり、気付く人は気付いておる! おお、君は確かミス・ヴァリエールの使い魔の青年だったな」 
「リゾットだ」 
「リゾット君、君はどこの生まれだね?」 
「…………」 
眼を輝かせて近寄るコルベールに、リゾットは正直に答えていいものかどうかルイズへ視線を送る。 
異世界から来たことを言い立てると、無用な波が立つから黙っているように、とあらかじめルイズに言われているからだ。
今、そのことを知っているのはルイズ、タバサ、キュルケ、デルフリンガー、フーケ、オスマンの六人(?)だけだ。 
リゾットの視線を受けて、ルイズが代わりに答えた。 
「ミスタ・コルベール。彼はその、東方の……、ロバ・アル・カリイエからやってきたんです」 
「なんと! あの恐るべきエルフの住まう地より召喚されたのか! やはり東方の地の文化は進んでいるのだな…。なるほど…」 
「他にも、こういう発明をしているのか?」 


リゾットが質問すると、コルベールは嬉しそうに笑った。自分の研究に興味を持ってもらえるのは研究者冥利につきる。 
「興味があるのかね? なら、今度、是非とも私の研究室に来なさい! 今は授業中なので無理だが、色々と見せてあげよう」 
こうして、コルベールとリゾットの交流が始まった。ちなみにこの授業で公開された初代エンジンは、生徒の実習時、ルイズの『発火』の失敗によって爆発し、粉々になったことを明記しておく。 

さて、そんなある日、リゾットはコルベールに呼び出された。見せたいものがあるらしい。 
使い魔が何をしてるのか知る義務がある、というルイズを伴い、本搭と火の搭に挟まれた一画にある、コルベールの研究室を訪れた。
まあ、研究室といってもただの掘っ立て小屋なのだが。 
「ミスタ・コルベール、いらっしゃいますか?」 
「ああ、来てくれたか! 鍵は開いている。入ってくれ!」 
招きに応じ、二人が中にはいる。まず二人の目に入ったのは薬品のビンや試験管、さまざまな実験器具だった。壁は書物の詰まった本棚に覆われ、蛇や蜥蜴や得体の知れない生物が檻に入れられている。 
「何、この臭い……」 
中に漂う埃ともカビとも着かない異臭に、ルイズが顔をしかめ、鼻をつまむ。雑然とした部屋の奥から見慣れた輝く頭が現れた。 
「やあ、リゾット君。ミス・ヴァリエールも一緒か! 我がむくつけき研究室へようこそ!」 
「ミスタ・コルベール…。この臭いは一体……」 
「なあに、臭いはすぐに慣れる。しかし、ご婦人方には慣れるということはないらしく、私はこの通りまだ独身だ。さ、座りたまえ」 
椅子を進められ、二人は座る。奇怪な研究室だが、リゾットはその中の一角に鎮座しているある物に眼を奪われていた。 
「……その剣は…」 
「え……あ!」 
リゾットの指摘にルイズも気付いたのか、驚愕の表情を浮かべた。 
「そう、君に来てもらったのはこの剣とのコンタクトに立ち会って欲しかったからなんだ」 
そこにはアヌビス神の剣が鞘に収められ、安置されていた。 
 
「コンタクトってどうするつもりだ? 誰かに持たせるとかはやめてくれよ。もうあいつと戦うのは俺も相棒もこりごりだぜ」 
鞘から僅かに刃を覗かせたデルフリンガーが愚痴をこぼすと、コルベールは重々しく頷いた。 
「うむ、君たちからあの剣の脅威についてはよく聞いているからね。だが、ディテクトマジックをかけても反応がない以上、やはりその中に宿っているという意思とコンタクトしてみないことには始まらない。そこで、私なりに考えた。見たまえ!」 
得意げに言って、隣にあった布を取り去る。布の下から胸像が現れた。 
「私なりに色々調べたんだが、この剣は人間でなくてもある程度の自律意思と、動く構造を備えたものならば触れただけで乗っ取れるらしい。ネズミや野鳥を使って何度か脱走されそうになってね…。だから、これでも大丈夫だろう、と」 
「もしかして、ガーゴイルですか?」 
ルイズの質問に、コルベールは得意げに笑う。ガーゴイルとは貴族が作り出す、擬似生命である。その形は千差万別で、よく出来たものになると生物と見分けがつかない。もっとも、このガーゴイルは胸像なのでガーゴイルにしか見えなかったが。 
「そう、彼はガーゴイルだ。視覚と聴覚を持ち、口以外動かない、ね。彼を乗っ取らせ、会話を行う」 
「どうやって持たせるんだ…? 腕もないようだが……」 
「ああ、ここにはめ込むんだ。別に手で持たなくてもいいようだからね。では、早速始めようか」 
コルベールは胸像の台座部分を示すと、確かにちょうど剣の形のくぼみがある。コルベールは『レビテーション』を唱え、アヌビス神を浮かせると、杖を使って刃を押し出し、くぼみにはめ込んだ。 
「ククク…リゾット・ネエロ……。俺に斬られる気になったか? って、この身体、手さえじゃねえか!?」 
突然、ガーゴイルが口を開き、自らの状態に気付いて悲鳴を上げる。その口ぶりから、中身がアヌビス神のスタンドに変わったことが分かった。 
「生憎、斬られるつもりはない……。こちらの先生が質問があるらしい」 
「あー?」 
リゾットの指し示した先にいるコルベールを、ガーゴイルがぎろりと睨む。 
「やあ、始めまして、アヌビス君。私はコルベール。このトリステイン魔法学院の教師をしている」 


「何だ、このU字禿は? 人に質問したいなら、まずまともな身体を与えろ。具体的に言うと、少し斬らせろ!」 
「すまないが、それは出来ない。君は酷く凶暴らしいのでね」 
「ふん、こっちは剣だぜ? 触れるもの全てを斬るのは当然だろう」 
そうアヌビス神が嘯くと、突然、デルフリンガーが反論し始めた。 
「そいつは聞き捨てならねーな、アヌ公! 俺たち剣は確かに斬るためにいるが、誰を斬り、誰を守るのか決定するのは使い手だ。俺たち剣じゃねえ」 
「誰がアヌ公だ、この鈍ら野郎! 甘っちょろいこといいやがって! 剣ってのはなあ、殺すか殺されるか。そんな雰囲気がいいんじゃねーか。人に使われるしかできねえ鈍らは黙ってろ!」 
この後、二振りの剣による、『知性を持つ剣は如何あるべきか?』をテーマに三十分ほど喧嘩腰の議論が続いたが、コルベールによってさえぎられた。 
「あのー、だね! 白熱してるところ、すまないんだが!」 
「何だ、U字禿。まだいたのか。そういえば、何か質問があるとか言ってたな。何だ? この鈍らデル公との会話はやってられねえ。お前の話の方がマシそうだ」 
「けっ、殺人狂が!」 
デルフリンガーはまだ何か言いたそうだったが、口を閉じた。ルイズは初めて見る剣同士の口喧嘩に呆気を取られ、リゾットはいつもの無表情で事態を眺めている。 
「うむ……。すまない。では質問させてもらおう。君は……誰に作られたんだね?」 
「俺は俺が作ったんだよ。正確には人間だった頃の俺が作った剣に、俺のスタンドが乗り移ったんだ」 
「スタ…ンド? 何だね、それは?」 
「ああ、こっちの世界にはスタンドがないんだったな。スタンドってのは力ある生命のビジョンだ。そっちのリゾットも多分それが使えるだろうな」 
「こっちの世界?」 
コルベールは次々出てくる未知の単語に鸚鵡返しに訊き返すしかない。 
「……俺や、そのアヌビス神は別の世界から来たんだ」 
リゾットの言葉にコルベールが振り向く。 
「多分、本当です…。あの『破壊の杖』もリゾットの世界から来た武器だそうです」 
ルイズが口ぞえすると、コルベールはリゾットと剣をまじまじと見て、「なるほど」と頷いた。 


「驚かないのか。これを聞いた奴はよくて半信半疑なことが多いんだが……」 
「うむ、驚いたとも。しかし、そう考えると、つじつまが合う。君の言動や行動やその服、それにこのアヌビス神の剣が魔法以外の動力で動いていることなど、さまざまなことがハルケギニアの常識とは一線を画している。うむ、面白い」 
「流石に魔法のさまざまな技術への転用を考えているだけあるな。思考が柔軟だ」 
「悪かったわね。頭が固くて」 
リゾットの言葉に、ルイズが不貞腐れたように呟いた。 
「ははは、まあまあ、普通は直ぐには信じられなくても当然だろう。それより、出来れば私に別の世界のことを聞かせてくれないかね?」 
熱心な様子でコルベールがリゾットとアヌビスに頼む。その表情からは純粋な学究心が見て取れる。少なくとも今のコルベールは根っからの研究者なのだと、リゾットは理解した。 
「構わない…」 
「まあ、俺も黙って倉庫に封じられているのは暇だからな」 
「そうか。じゃあ、ぜひ頼むよ!」 
「分かった…。まず、先の授業で紹介していたエンジンだが……。俺たちの世界ではあれを使って鋼鉄で出来た荷車を動かすことができる」 
「自動車だな。もっと大きい物には電車とかもある」 
アヌビスとリゾットはもとの世界の技術体系について、コルベールの促すままに話し始めた。懐かしいのか、いつも淡々としたリゾットの声も、多少、感情の色が見える。 

ルイズはそんな様子を少し離れた場所からじっと見ていた。まるで自分がこの世界から切り取られたような、奇妙な感覚に襲われる。
同じく話に加われないデルフリンガーがそれに気付いた。 
「おい、貴族の娘っ子、どしたね? まるで世界が終わるような顔してるぜ?」 
「………何だか私、リゾットのこと、何にも知らないんだなって思って……」 
「寂しいってのか?」 
ルイズの顔が赤くなり、デルフリンガーを蹴飛ばした。たまらずデルフリンガーが床に転がる。 

「だ、誰が寂しいって!? ただ、主人が使い魔のことを何も知らないなんて問題だなって思っただけよ!」 
「あー……そーかい。しかし人、じゃない剣を蹴飛ばすのはやめて欲しいね」 
転がったデルフリンガーは白けたような声を出した後、口調を改めて続ける。 
「まあ、相棒は秘密主義だからな……」 
「そうよ。大体あの男、自分のことはほとんど喋らないんだから…」 
「そうなるだけの人生を送ってきたんだろうし、仕方ないんじゃねーか」 
デルフリンガーの口調に、ルイズがデルフをまじまじと見る。 
「何よ。あんた、リゾットの過去を知ってるの?」 
「いや、直接聞いた事はほとんどないよ。だが、相棒と俺はいつも一緒にいるしな。なんとなく察せるのよ」 
「やんなきゃいけないことがあるって言ってたよね…」 
ルイズはラ・ロシェールの夜を思い出しながら呟く。 
「言ってたなあ」 
「何なのかな、それ」 
「わからんねえ…」 
「結局あんた、役に立たないじゃない…」 
「そりゃ俺は伝説とはいえ、剣だしね。変な期待をして貰っても困る」 
ルイズはため息をついた。二人と一振りの談話はまだ続いている。 


ふと、コルベールの実験室に設えられた時計を見ると、結構な時間が経っていた。 
「ほら、リゾット、そろそろ行くわよ」 
「そんな時間か……。分かった」 
「残念だな。まあ、また次の機会に話してくれたまえ」 
リゾットはコルベールに一つ頷くと、ルイズに従って外へ歩き出す。と、戸口で振り返った。アヌビスを見据える。 
「アヌビス、最後に一つ訊いておきたい。……お前はどうやってこの世界に来た?」 
「前にも言っただろー? よく分からねえと。俺は河に沈んでからお前があの店に来るまで、ほとんど意識を失ってたんだよ」 
「……そうか…。手がかりにはならないな……」 
それを聞くと、アヌビスが小馬鹿にしたように鼻で笑った。 
「はっ、そんな悠長なことを言っていていいのか? いいか、よく考えろ! 俺とお前、それにロケットランチャーを持ってきた男! 三人もの人間が地球から、このハルケギニアとかいう土地の近い地点に現れているんだぜ?」 
「………表ざたになっていないだけで、実は結構な数の地球人が召喚されている、と言いたいのか?」 
「そーだよ! そしてその中にはきっといるぜー? 俺やお前と同じ、スタンド使いがな。そいつらが友好的だ、なんて甘い観測はもたねーことだな!」 
歌うような口調でアヌビスが喋る。何故かニヤニヤしている犬の頭を持つ男の姿が想像できた。 
「………何故俺にそんなことを教える?」 
その途端、ガーゴイルの…正確にはアヌビスの忍び笑いが部屋に響いた。 
「お前の身体とスタンドと左手の力、必ず俺が貰い受ける。それまで死なずにせいぜい生き残るんだな……」 
「………」 
それには答えず、リゾットは外に出た。慌ててルイズが後を追う。 
誰もまだ知らない。アヌビスの指摘が当たっていることを。 
誰もまだ知らない。スタンド使いが他にもいることを。 
誰もまだ知らない。その中には、リゾットの因縁の敵がいることを。 
彼がそれらを思い知るのは、まだ少し先のことである。 


コルベールの研究室から出たルイズは、デルフリンガーとの会話を思い返していた。 
確かに自分はリゾットのことを知らない。 
どこで何をしていたのかも、彼がとても大事にしているらしい『昔の仲間』のことも知らない。 
彼が持っているという『スタンド』という奇妙な能力についても知らない。 
それに、彼が何をしに戻りたがっているのかすらも。 
「おい、どうした?」 
気がつくと、リゾットが腰を屈め、間近でルイズの顔を覗き込んでいた。考え事に没頭するあまり、立ち止まっていたらしい。 
特徴のある、しかし見慣れてきたその目で見つめられ、ルイズの顔に血が上って行く。 
「な、何でもないわ!」 
すぐさま答えるが、取り繕った発言による嘘は表情に表れ、すぐにリゾットに見破られる。 
「何でもないことはないだろう……。まさか熱でもあるのか?」 
額に手を当てられる。ルイズの動揺は頂点に達した。思わずリゾットから飛びのく。 
「な、なななななななな何でもないったら!」 
「そうか…。分かった」 
それ以上追求するとまた怒り始める可能性があったため、リゾットはそれ以上は言わないことにした。 
「は、早く行くわよ。ついてらっしゃい!」 
ルイズの声に従い、リゾットも歩いていく。 


その二人の上空に浮かぶ影があった。シルフィードである。 
リゾットの索敵範囲は広いが基本的に地上に集中しているため、空高くから覗いていたのだ。 
二人を見ていた背の赤い髪の少女が詰まらなさそうに呟いた。キュルケだ。 
「何だか、あの二人、いつの間にか仲良くなったわね…。やっぱりアルビオンで何かあったのかしら」 
もう一人、タバサは相変わらず本を読んでいる。 
「まったく、あたしだって、そりゃ、本気じゃないわよ? でもねー、あそこまであたしのアプローチを拒まれると、ついつい気になっちゃうのよね」 
聞き様によっては言い訳がましいことを言う。今まで、自分のアプローチを拒んだ男はいない、というのがキュルケの自慢である。 
まあ、本当はそんなことはないのだが、前向きな彼女は都合の悪いことは忘れてしまうのだ。 
そんな誇りを持っている彼女なので、自分が袖にしたリゾットが、ルイズや、シエスタとかいう平民に近づかれるのは気分が悪い。どうにも落ち着かない。 
「う~ん、陰謀は得意じゃないけど、少し作戦を練ろうかしら、ねえタバサ」 
タバサは本を閉じて、首を振った。 
「あら、反対なの? どうして?」 
「陰謀は無駄」 
「やってみなきゃわからないじゃない。それとも、他に何か案があるの?」 
かくん、とタバサが首を傾げる。しばらくその態勢でいた後、ぽつりともらした。 
「…………正攻法?」 
「正攻法ね…。う~ん…そういってもね……」 
考え始めたキュルケを見て、タバサは逆に首を傾げた。 

「嫉妬?」 
キュルケは珍しく頬を染めた。それからタバサの首を締めてがしがしと振る。 
「あたしが嫉妬なんかするわけないじゃない! これはゲーム! 恋のゲームよ! ゲームには必ず勝つわ! それがツェルプストーの家に生まれた者の義務だもの!」 
自分で言い聞かせるようにいい、息を吸い込んで冷静になる。心の中は素数を数えられるくらい冷静だ。 
タバサは同じ呟きを繰り返した。ただし、イントネーションを変えて。 
「嫉妬」 
「違う!」 
キュルケはまたタバサの首を揺さ振った。 

翌日、ルイズは学院長のオスマンに呼ばれ、学院長室を訪れた。 
「鍵は掛かっておらぬ。入ってきなさい」 
ノックの後に入室を促され、ルイズは中へ入る。 
「わたくしをお呼びと聞いたものですから……」 
やや緊張気味に尋ねるルイズに、オスマンは安心させるように両手を広げ、この小さな来訪者を歓迎した。 
「おお、ミス・ヴァリエール。すまんな。迎えもよこさず。どうも秘書がいなくなってから不便でいかん。また雇わねばな。出来れば若い娘がよいんじゃがのぅ」 
ほっほっほっと笑うオスマンに、ルイズも苦笑した。緊張が解けたのを見て、オスマンが続ける。 
「旅の疲れは癒せたかな? 思い返すだけで辛かろう。だがしかし、お主達の活躍で同盟が無事締結され、トリステインの危機は去ったのじゃ。 
 そして、来月にはゲルマニアで無事、姫様とゲルマニア皇帝との結婚式が執り行われる事が決定した。君達のおかげじゃ。胸を張りなさい」 
その言葉に頭を下げつつ、ルイズは少し悲しくなった。敬愛する主にして友であるアンリエッタが政治の道具として、ゲルマニア皇帝と結婚するのだ。それが王族の使命とはいえ、胸が締め付けられるような思いになる。 
気落ちするルイズに、もう一度オスマンは下ネタを振って場を和ませようかと思ったが、これからする話の内容を考え、思い直した。 


「トリステイン王室の伝統で、王族の結婚式の際には、貴族より選ばれし巫女を用意せねばならんのじゃ。選ばれた巫女は、この『始祖の祈祷書』を手に、式の詔(みことのり)を詠みあげるのが習わしになっておる」 
「は、はぁ」 
ルイズは突然、薀蓄を語られ、生返事をした。その手に、一冊の古びた本が差し出される。 
「そして姫は、その巫女に、ミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ」 
「姫様が?」 
「その通りじゃ。巫女は、式の前より、この『始祖の祈祷書』を肌身離さず持ち歩き、読み上げる詔を考えねばならん」 
「えええ!? 詔を私が考えるんですか?」 
ルイズは慌てた。そんな神聖かつ格調高い場で読み上げるような詩を作る自信はとてもない。 
「そうじゃ。もちろん、草案は宮廷の連中が推敲するじゃろうが……。伝統と言うものは、面倒なもんじゃのう。じゃがな、姫はミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ。 
 これは大変に名誉な事じゃぞ。王族の式に立会い、詔を詠みあげるなど、一生に一度あるかないかじゃからな」 
ルイズはまず断ろうと思った。しかし、思い直す。アンリエッタは、幼い頃、共にすごした自分を式の巫女役に選んでくれたのだ。ならば臣下として、友として全力で望むべきだろう。 
「わかりました。謹んで拝命いたします」 
ルイズはその『始祖の祈祷書』を手に取った。中を見る。オスマンは生徒の成長を喜ぶように、ルイズを見ていた。 
「快く引き受けてくれるか。うむ、姫様も喜ぶじゃろうて」 
「…ところで、オールド・オスマン。この祈祷書、何も書かれていませんが」 
「そうじゃな」 
「これを基に詔を考えるのでは?」 
「そうじゃな」 
「白紙ですが」 
「頑張るんじゃぞ。何、始祖様も見守ってくれるじゃろうて」 
ぽんぽん、と優しく肩を叩かれる。ルイズは泣きそうになった。 


タバサとリゾットはヴェストリの広場で額をつき合わせていた。ついでに近くに立てかけられた剣も唸っている。二人と一振りの間には大量の地図と紙がある。 
それらはフーケが集めてきた「異世界産と思われるアイテム」の場所や、その出所を示したもので、口でとても説明しきれないため、資料として渡したのだ。 
一応、自分でもそれらを読もうとしたが、未だに名詞と、動詞の一部しか読めないリゾットにとって難易度が高すぎる。 
「文字が読めないのは知ってるけど、あんた一人で帰れるわけがないんだ。誰か手伝ってもらいなよ」 
といって渡されたそれらの解読を、リゾットはタバサに頼んだ。こういう事柄について一番詳しそうだし、口が堅そうだと思ったからだ。
案の定、タバサは情報の出所を訊く事もなく、引き受けた。 
タバサは地図と、それに記された備考を読み、自分の知識や伝承と照らし合わせて「調査する価値のある場所」と「調査する価値のない場所」と「判別できない場所」を選定していく。 
「……本を読む時間を奪って、すまない…」 
リゾットがそういうと、タバサは首を振った。リゾットを指差す。 
「生徒」 
ついで自分を指差し、呟く。 
「教師」 
「教師が生徒の面倒を見るのは当然だ、ということか…?」 
こくり、とタバサは頷いた。そして付け加える。 
「それに面白い」 
元々タバサは本をえり好みしない。こういった資料に書かれている文字でも、構わないのだ。 
「しっかし量が多いなー…。そんだけ世の中、与太話が多いってことか」 
デルフリンガーがより分けられた地図を見て感心する。 
「一つでも当たりがあればいいさ」 
「そうかい? だが、貴族の娘っ子、そんなに外出を許してくれるかね?」 
「あまりルイズから離れるわけにも行かないしな…。夏季休暇の間に誘ってはみるが……許可が出されない場合、どうするかな」 
デルフリンガーとリゾットが会話している間にも、タバサは次々と資料をより分けていく。 

そこへシエスタがやってきた。リゾットを見つけると、小走りによってくる。 
「リゾットさん!」 
「シエスタか…。どうした?」 
「こないだ言っていたお礼なんですけど、良かったら今からどうですか? とっても珍しい品が入ったので、ご馳走したいんですが」 
「構わない……。珍しい品というのは?」 
「ええ、リゾットさんの故郷の品です。東方のロバ・アル・カリイエから運ばれた『お茶』っていうんです」 
「お茶? ……珍しい紅茶か?」 
「いえ、紅茶とはまた違うものらしいんです。面白い色なんですよ?」 
「……興味が湧くな……。一口に故郷といってもあそこは広いからな…。俺の知らないものかも知れない」 
実際、地球には紅茶以外にもさまざまな茶があるし、ひょっとしたらこちらの世界特有のものかも知れない。リゾットは誘いを受ける気になっていた。 
「何で相棒が東方から来たなんてことを知ってるんだ?」 
リゾットが東方から来たというのはコルベールの授業ででっち上げた作り話だ。いかに噂が広まるのが早い学院とはいえ、貴族と平民に交流はあまりないし、シエスタが授業の内容を知っているのは奇妙だった。 
「ええと、それは……その、食堂で、そういう話を聞きまして……」 
シエスタが顔を赤くして答える。どうやらこの娘、リゾットに関する情報に網を張っているらしい。
良くも悪くも有名になってしまったリゾットに関する話題を、食堂で聞いていたのだろう。 
「ふ~ん、そりゃ熱心なことだね。頭が下がる思いだよ。俺、剣だから頭ないけど」 
デルフリンガーがカタカタ震える。どうやら笑っているようだ。見かねたリゾットが助け舟を出す。 
「それで…そのお茶をご馳走してくれるのか?」 
「あ、はい! お時間がないなら、また今度でいいのですが……」 
「いや……頂こう。タバサ、悪いが、今日はこれで」 
資料を片付け、リゾットが席を立とうとすると、コートが引っ張られた。振り返ると、タバサがコートの裾を掴んでいる。 


「………一緒に行きたいのか?」 
タバサが頷く。その顔からはわずかに好奇心が見て取れる。 
「『お茶』に興味がある」 
「シエスタ…、悪いが、タバサも一緒でいいか?」 
一瞬、シエスタは残念そうな顔をしたが、明るく言った。 
「かまいません。ミス・タバサもどうぞ」 

厨房の裏の庭で、リゾットたちの『お茶』試飲会は始まった。 
シエスタが白いテーブルクロスがかかったテーブルの上にティーポットとティーカップ、それにお皿を並べる。 
「さあ、どうぞ。席にお着き下さい」 
シエスタがタバサの椅子を引いて座らせる。だが、リゾットは座らない。 
「どうしましたか、リゾットさん?」 
「俺が座るとお前の席がなくならないか……?」 
テーブルには椅子が向かい合わせに二つ出されていた。タバサが来る予定がなかったということは、シエスタとリゾットが座ると想定されていたことは明白だ。 
「いえ、私が貴族の方と一緒にテーブルに着くなんてできません。だから、いいんです」 
笑顔でいうが、その表情に寂しさの影が差しているのをリゾットは見て取った。 
 
「俺は貴族じゃないし、タバサもそんなことは気にしないだろう」 
タバサを見ると、相変わらずぽーっと座っていたが、かくんと頷いた。 
「で、でも……私は平民で、この学院付きのメイドですから……」 
シエスタは重ねて遠慮しようとした。 
「分かった…」 
呟くと、リゾットは無言で厨房へと入っていった。すぐに出てくる。片手にティーカップと皿、フォークなどの乗ったお盆、もう片手には椅子を持っていた。
テーブルに椅子を入れると、カップその他を手早く並べる。 
「お前の席だ。座れ」 
「……リゾットさん…」 
シエスタはなんだか感動したような顔でぽーっとリゾットを見ている。 
「すまないが、ケーキの取り分けはやってくれ。俺はうまく切れる自信がない…」 
「はい!」 
今度は陰りのない笑顔で、シエスタは返事をした。 

「これが『お茶』か……。緑茶だな…」 
「緑茶?」 
「俺の住んでる地方ではそれほどでもないが、別の地方ではよく飲まれるお茶の種類だ。健康にいいらしい…。以前、イルーゾォが持ってきていたことがある」 
口にすると、紅茶とは違う独特の味がした。シエスタが伺うようにこちらを見ている。 
「美味しいですか?」 


「ああ。悪くないな…。タバサはどうだ?」 
タバサはこくこくと喉を鳴らして飲んでいた。間違った飲み方の気もするが、礼儀作法をうるさく言う場面でもないので放っておく。 
「お代わり。濃い目で」 
飲み干すと、二杯目を要求した。しかも微妙に注文が細かい。 
しばらく、お茶の味を楽しみつつ、話をする。タバサも二杯目からはゆっくり飲むことにしたらしい。
よほど気に入ったのか、目を閉じてため息などつきながら味わっている。 
「リゾットさんは東方からいらっしゃったんですよね?」 
不意に、シエスタがそういった。正確には違うのだが、遠い場所という意味では大体合っているので曖昧に頷く。 
「どんなところなんですか? 聞かせて下さい、リゾットさんの故郷の話」 
「俺の故郷か……? そんなに面白いことはないぞ…」 
「それでもいいです。聞かせてください」 
「俺もぜひとも相棒の故郷話をききてーなー」 
「興味がある」 
タバサまで本を読むのをやめてこちらを見ている。タバサとデルフリンガーはリゾットが異世界から来たことについて知っているのでそれもあるだろう。 
「分かった。じゃあ、話そう。そうだな……まず…」 
リゾットは話しても問題のはない範囲で話し始めた。十八で人を殺し、ギャングになってからの記憶はかなりヤバイことが多いので、必然的に少年時代をすごしたシシリー島の話になる。 
魔法がないこと以外はハルケギニアと大して変わらないのではないかと思ったが、それでも面白いらしく、二人とも聞き入っていた。 
「それじゃあ、その親戚の子は、心配してるでしょうね。仲良かったみたいですし」 
一通り話した後、シエスタがそういった。リゾットの脳裏に目の前で彼女が轢かれた光景が蘇り、胸に痛みが走るのを感じながら首を振る。 
「いや、それはない。死んだんだ……。さっき言った、自動車っていう鉄の荷車に撥ねられてな……」 
「あ、ごめんなさい……」 


「いや……もう十四年も前だ。どうってことはない」 
「…………」 
気がつくと、タバサがリゾットをじっと見ていた。察しがいい彼女は気付いたかもしれないが、何も言わなかった。 
シエスタが話題を変えようと思ったのか、きょろきょろと辺りを見回すと、リゾットが脇においていた資料を見た。 
「あれ? リゾットさん、それ、何ですか?」 
「……これか? ……まあ、宝の地図だ……」 
言ってから、確かに宝の地図そのものだと気がついた。求める価値が金銭にあるか、帰還への手段にあるかだけの違いで、宝には違いない。 
「へー…宝の地図ですか」 
シエスタが興味津々と言った感じで一番上にあったものを手に取る。タバサがより分けた「調べてみる価値がある」地図の一枚だった。
しばらくそれを眺めて、声を上げた。 
「あれ? この地図、私の村に印がついてますけど、どうしたんですか?」 
「何?」 
「ほら、この『タルブ村』っていう場所です。ここは私の故郷なんです」 
シエスタから地図を受け取って、改める。『竜の羽衣』という用途不明のアイテムのある場所として書かれていた。 
「じゃあ、お前はこの『竜の羽衣』という品に心当たりはあるのか?」 
「え、ええ……」 
何かそれについて話すことに乗り気でないような雰囲気で返事をする。 
「おでれーたな。調査に行く手間が省けるかな、こりゃ」 
「そんな……調べるようなものでもないですよ」 

 
「どういうもの?」 
シエスタの態度をタバサも疑問に思ったらしい。 
「それをまとうと空が飛べるっていうんです」 
「『風』のマジックアイテム?」 
「そんな大した物じゃないです」 
要領を得ない。もう少し深く話を聞こうとすると、マルトーがシエスタを呼びに来た。 
「おい、シエスタ。デートもいいが、そろそろ夕食の仕込がある。手伝ってくれ」 
「え? あ、はい! 今すぐ!」 
「デートって所は否定しねーのな」 
「え? えええ! そ、そんなことはないですよ!? お茶会ですし!」 
デルフリンガーのツッコミにシエスタが赤面して慌てまくる。 
そしてタバサはそんなことなど関係ないように一言、呟いた。 
「お代わり。濃い目で」 

結局、その場はそれでお開きになった。 
タバサもお茶のカップを持ったまま、大型使い魔用の厩舎へと歩いていく。シルフィードに何か用があるのだろう。 
リゾットとデルフリンガーも一旦、ルイズの部屋に戻ることにした。歩きながら今後の方針を検討する。 
「いずれタルブの村にも行こうぜ、相棒。あまり大した物じゃねえと思われてるところが逆に怪しい」 
「そうだな。とはいえ、ラ・ロシェールより遠くではすぐには無理だ。手近なものから調べていくのがいいだろう……」 
デルフリンガーが少し考え、一番手近なものを思い出す。 

 
「…アレか?」 
「アレだな」 
「あの娘っ子の部屋に行くなら、遅くなると面倒なことにならねーか?」 
「なるだろうな……」 
「じゃ、今行く?」 
「行こうか…。心がけていれば対処はできる」 
リゾットは歩き出した。一番近い手がかり、すなわちキュルケの部屋へ向けて。 

「あら、ダーリンが自分から来てくれるなんて珍しいわね。どうしたの?」 
キュルケは部屋にいた。突然の来訪に嬉しそうに対応する。 
「訊きたい事がある」 
「私に興味が出てきた? なんでも聞いて」 
「いや、お前のことじゃない……。『召喚されし書物』という本について、知らないか?」 
フーケが集めてきた情報の中でもっとも簡単に確認できるアイテムが『召喚されし書物』だった。 
誰にも読めない言語で書かれたこの謎の書物は、キュルケの実家、ツェルプストー家が家宝として所有しているというのだ。 
「ダーリン、あんなのに興味があるの? ちょっと意外」 
「いや……俺が異世界から来た、という話は聞いただろう? 元の世界に帰るには、そういった召喚された物を調べるしかないと思ってな…」 
「ふ~ん……、いいわよ。少し待ってて」 
奥にあったチェストを開くと、鍵のかかった金属製のカバーに包まれた一冊の本状のものを取り出す。 


「これが『召喚されし書物』よ」 
「お前が持っていたのか……」 
家宝というからにはどこかに安置されていると思っていたリゾットは意外そうに呟いた。 
「嫁入り道具として持たされたのよ。まあ、私は興味ないから、鍵を開けたこともないけど」 
「どういった由来のものだ?」 
「どこかのメイジが偶然召喚した物を私のご先祖様が買い取って以来、家宝になってるのよ」 
「そのメイジは今は?」 
「さぁ? もう何年も前のことだし、生きてるかどうかも分からないわ」 
「手がかりなしか。せつねーな、相棒」 
落胆するデルフリンガー。 
「でも、召喚された物があった方が色々探しやすいわよね」 
「……確かにな。とはいえ、家宝をもらうわけにも行かない…。キュルケ、それを見せてくれないか?」 
その瞬間、キュルケの頭に雷光のようにアイデアが浮かんだ。 
「んー、ダーリンが欲しいなら、これ、あげてもいいわよ。タバサじゃあるまいし、本に興味ないしね」 
「……いいのか?」 
「そのかわり……」 
腕を取られ、豊満な胸に押し付けられる。 
「私と付き合ってみない? 私はいいわよ。美人だし、束縛しないし、後腐れもないし」 

「自分に自信があるんだな……」 
「もちろん」 
くすりと妖艶に笑って抱きついてくる。だが、その眼はかなり真剣だ。 
「まだ日が高いが……甘く見すぎたか」 
「ええ、愛に時間は関係ないもの」 
「…………恋人になるってことが、どういうことか、わかってるのか?」 
呟くと、リゾットはキュルケをベッドに押し倒した。 
「あ、あら、情熱的ね……。素敵だけど」 
「眼を閉じろ……」 
今まですげなくあしらわれたリゾットに真剣な眼差しで見つめられ、キュルケは柄にもなく照れた。元々嫌いな相手ではないのだ。身を硬くしながら眼を閉じる。 


だが、思っていたような情熱的で衝動的なアプローチはない。その代わり、柔らかく頭に手を置かれた。 
「僅かに身体を硬くしたな。緊張の証だ」 
キュルケが驚いて眼を開くと、そのままさらさらと赤毛を撫でられる。意外なほどに気持ちがよく、キュルケは猫のように眼を細めた。 
「お前は少し自分を安売りしすぎるな……。自信があるのはいいが、もう少し自分を大切に扱え」 
今までキュルケが聴いたことのない、優しい声だった。キュルケがうっとりしていると、リゾットはするりと手から抜けた。 
「ちょ、ちょっと!」 
「いい薬になっただろう? じゃあな……」 
いつもの淡々とした調子で別れを告げ、扉を開けて外へ出て行く。 
「待って!」 
打算も駆け引きもなく、思わずキュルケはリゾットを追いかけた。後ろから抱きしめる。 
リゾットはその時、あるものに気をとられていたため、それを避けられなかった。 
あるもの、すなわち、この時間まで広場で詩を考えていて、今、自分の部屋へ戻ってきたルイズに。 
「あら、ヴァリエール」 
「ヤバイね、相棒」 
ここまで空気読んで黙っていたデルフリンガーも思わず呟いた。心なしか刀身が震えている。 
「………」 
ルイズは無表情でリゾットの所へ歩いてくると、思いっきり脛を蹴りつける。リゾットも避けない。 
そのまま怒涛の勢いで怒り出すかと思えば、何も言わず、部屋に入っていってしまった。 
「おい、ルイズ!?」 
リゾットが追いかける。流石にいつもと様子が違うので、キュルケも引き止めなかった。 


部屋の窓をむいて、ルイズは肩を落として窓の外を見ていた。身体が震えているところからみると、泣いているらしい。 
「また、説明が必要か? それなら、最初から説明するが…」 
リゾットの言葉に、首を激しく振った。 
「分かってるわよ。ツェルプストーが抱きついてきたんでしょ? でも、私、貴方に言ったわよね? あの女に近づくなって」 
「ああ……。だが、彼女が持っている本に興味があったんでな……」 
「そんなことは関係ないの。今度という今度は頭に来たわ」 
涙をぬぐって振り向くと、リゾットの言葉をさえぎるように言い放つ。 
「ご主人様の言いつけを聞けない使い魔なんか、クビよ。顔も見たくないわ。出てって」 
ルイズの目にはまた涙がにじんでいた。リゾットが声をかけようとする前に、布団を被ってしまう。 
「出てって! あんたなんかもう私の使い魔じゃないわ! どこへでも行って、野垂れ死ねばいいのよ!」 
「……すまない」 
何を言っても無駄という剣幕に、リゾットは謝罪を述べて部屋を出た。 
廊下にはキュルケがいた。流石にバツの悪そうな顔をしてこちらを見ている。 
「ごめんなさい。タイミングが悪かったわね……」 
「別にお前のせいじゃない……。俺に隙があったってだけのことだ……」 
「そう……。でも、あの…私、冗談でやったんじゃないから」 
「分かってる」 
淡々と答えるリゾットを悲しそうにキュルケは見た。 


「あの、部屋、追い出されたんでしょう? あたしの部屋、来る? 大丈夫。もう、何もしないから……」 
珍しくしおらしい申し出で、実際、その態度に嘘はなかったが、リゾットは断った。 
「いや………そういうわけにもいかない。しばらくは野宿するつもりだ」 
「ごめんなさい………」 
リゾットはいかなる感情も伺わせない、凍りついた無表情で外へと歩き出す。 
キュルケは切ないような、なんともいえない気持ちでリゾットを見送った。 
ルイズは泣き続けた。何が悲しいのか良く分からない。だが、とにかく涙が溢れてしょうがなかった。 
三者三様、上手くいかないまま、それでも夕日はこの醜くも美しい世界を赤く照らしていた。 
記事メニュー
ウィキ募集バナー