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「そんなに堅くならなくてもいいわよ」 「はっ、はい!」 シエスタは、エレオノールの気遣いに緊張して、かえって体を強ばらせていた。 モンモランシーはシエスタの隣に座り、馬車の窓から外を眺めている。 シエスタとモンモランシーの二人は、エレオノールの乗ってきた馬車に乗り込み、ラ・ヴァリエール領へと移動している最中だった。 シエスタとモンモランシーは魔法学院の制服姿、手持ちの小道具を入れた小さなバッグを脇に置いている。 エレオノールは飾り気のない白を基調とした服を着ており、魔法アカデミーの紋章が胸に刺繍されていた。 エレオノールは波紋についてシエスタに質問するが、緊張しているシエスタはうまく説明できず、そのたびにモンモランシーが説明を補足する。 だが、魔法学院では習わないような専門用語が出てくる度に、モンモランシーも狼狽えてしまう。 「オールド・オスマンの論文では、波紋はメイジも平民も等しく持つモノだとされているわね。体内を循環する血液に波紋は本来備わっていて、副次的作用として覚醒作用と浄化作用が……」 水系統を基にした、人体構造の研究にも目を通しているエレオノール。 彼女の知識はモンモランシーとは比較にならない程深かった。 「は、はい、たぶんそんな感じだと思います」 モンモランシーは冷や汗をかきつつ、曖昧な受け答えで誤魔化すことしかできなかった。 しばらく馬車がすすみ、外の景色が移っていくと、シエスタもようやく馬車の雰囲気に慣れてきた。 強ばっていた肩から力が抜け、どこか懐かしむように外の景色を見つめる。 「シエスタ?」 モンモランシーがシエスタ側の窓から外を見ると、外には草原が広がっており、その遙か先には森林が見えていた。 そよ風に吹かれた草花が柔らかい太陽の日差しを受けて輝いている、シエスタは故郷を思い出していた。 「あ、はい」 「あんまりきょろきょろしちゃ駄目よ」 「すいません、あの、草原が綺麗だったもので…」 エレオノールも外を見る、そして、少し目を細めてから、座席に座り直した。 「ルイズは、変わった子だったわ。あの子ったら子供の頃、カトレアのためにこの草原まで花を取りに来たのよ」 「ルイズ様が、ですか?」 ルイズと聞いて、シエスタが反射的に聞き返した。 「ええ。ヴァリエール家の中庭に、小さな花の種が風に乗って飛んできたの。 カトレアが『どんな花を咲かしているのでしょうね』なんて言うから、ルイズったら馬で遠乗りした時に、泥だらけになるまで花を探してたのよ。 この草原はルイズが花を探した場所なの」 「…そうですか」 「ねえ、魔法学院ではルイズがいろんな人に迷惑をかけたのでしょう?あの子、どんな事してたのか、教えて欲しいわ。それと貴方ルイズのこと知っているみたいだし、貴方のこと教えてくれないかしら」 モンモランシーはツバを飲み込んだ。その時の音が、やけに大きく聞こえたので、自分が緊張しているのだと理解できた。 魔法学院でルイズが何をしでかしたか、どれだけ被害を被ったか、馬鹿正直に話すわけにはいかない。 その上、シエスタはシュヴァリエを賜ったとはいえ元平民、貴族の上下関係厳しいトリステインで、田舎出身の平民がラ・ヴァリエール家の人間を診察するなど考えられない。 しかしシエスタは、隣で頭を悩ませているモンモランシーの思惑など知ったことではない、馬鹿正直に話をしてしまった。 「私がオールド・オスマンに『波紋使い』だと告げられる前は、魔法学院のメイドとして過ごしていました」 「……メイド?」 「はい、オールド・オスマンは、私の曾祖母『リサリサ』に恩を返すつもりで私を雇って下さったそうです」 隣に座るモンモランシーは『やっちゃった』と言わんばかりの視線でシエスタを見ていた。 ラ・ヴァリエール家の長女に『私は元平民です』などと言おうものなら、その場で馬車から放り出されてもおかしくない。 いや、怒り狂って自分も一緒にうち捨てられてしまうかもしれない、そんな物騒な未来予想図がモンモランシーの頭をよぎった。 「そうだったの。オールド・オスマンは貴方を保護していたとしか言っていなかったわ」 「保護ですか?」 「ええ。きっと、貴方が怪しまれるのを防ぐためじゃないかしら」 モンモランシーの予想に反して、エレオノールはシエスタが元平民である事実を受け止めていた、それどころか、あらかじめ知っていたかのような反応だった。 エレオノールは、リサリサと出会った後のオスマンが、どんな苦境に立たされていたのかを話し始めた。 当時、人間と亜人はまったく別の系統で発生した生物だとする学説と、人間と亜人は一つの根源から枝分かれしていったとする学説が対立状態にあった。 そんな時にオールド・オスマンは、『波紋』という未知の説を打ち出したのだ。 あらゆる生命体が持つ力であるが故に、系統魔法や先住魔法の力を底上げするという『波紋』は、すべての生物は根源が一つだと証明するものでもあった。 そのため、対立する学者達から命を狙われたのだ。 幸いにもオールド・オスマンの唱えた『波紋』は、ごくごく微々たる力でしかなかった、そのため彼自身の老化を遅らせることはできたが、他人にそれを分け与えることはできず、『波紋』はアカデミーから忘れられていった。 だが、それはオスマンの策でもあった。 『波紋』をメイジ同士の争いに利用されぬために、波紋使いである『リサリサ』の存在を隠すために、あえて『波紋』を役立たずであると印象づけたのだ。 シエスタを魔法学院で雇っていたのは、リサリサの血を引く一族へのせめてもの恩返しであった。 シエスタが『波紋使い』の素質があると知ってからは、シエスタを保護するために雇っていたのだと対外的に説明している。 そのためエレオノールは「オールド・オスマンは、シエスタを保護するために魔法学院で雇った」と思いこんでいるのだ。 「オールド・オスマンの研究は確かに素晴らしかったわ。でも、改めて読んでみると不思議な点がいくつかあるわね。たとえば貴方のような『波紋使い』の存在を隠すために、わざと不完全に書かれているみたい」 「そ、そうなんですか」 オールド・オスマンという人物の底知れなさに、シエスタは少しだけ驚いた。 モンモランシーも驚いている、スケベ爺が実は凄い人だった、そんな風に考えているに違いない。 「もし、その当時貴方のような『波紋使い』が世に出ていたら、きっと『先住魔法を使うエルフの間者だ』と誤解されて解剖されていたでしょうね。オールド・オスマンの先見性には驚かされるわ」 エレオノールがシエスタの瞳を見つめる。 「さ、この話はもういいでしょう。ルイズの話を聞かせてくれないかしら」 「はい。私がルイズ様からお声をかけて頂いたのは……」 エレオノールは、シエスタとモンモランシーの話を寂しそうに聞いていた。 モンモランシーが、ルイズの勝ち気さに愚痴を言うと、『あの子はそういう子だから』と言って笑った。 シエスタが、ルイズは魔法学院で働いている平民達にも気を配っていた、メイド仲間からも尊敬されていたと語ると、エレオノールは『あの子も成長したものね』と言って、ほんの少しの間だけ…声を殺して泣いた。 「…ごめんなさい、ちょっと、取り乱しちゃったわね」 エレオノールはそう言いながら、涙で濡れた目元を拭った。 「父が倒れたの。ルイズが死んだって聞かされて、相当こたえたんでしょうね。私も父も、魔法の出来ないルイズを叱ってばかりだったわ」 顔を上げると、シエスタとモンモランシーの顔を交互に見つめて、エレオノールは笑う。 「魔法が使えなかったら、貴族は貴族として認められないの。だから私も父も厳しく接してきたわ。でも、一度もルイズを褒めてあげられなかった……きっと、私と、父様を、ルイズは恨んでいたでしょうね」 「そんなことはありません。絶対に、そんなことはありません!」 シエスタの口調が強くなり、エレオノールが少し驚いた。 「ルイズ様は、土くれのフーケに立ち向かったんです。『立場における責任を果たす』と私に仰って下さったのは、他ならぬルイズ様です!そんなルイズ様が家族を恨んでいるだなんて……絶対に、絶対にありえません!」 「ちょ、ちょっとシエスタ、無礼よ!」 モンモランシーがシエスタの肩を押さえる、はっとして、シエスタの興奮は一瞬で冷めた。 「あ……す、すみません、あの、興奮してしまって」 急におどおどしだすシエスタを見て、エレオノールは、静かに微笑んだ。 「いいのよ。気にしないで…ね。到着したら妹にも、父にも、母にも、その話を聞かせてくれないかしら」 「…はい」 ごめんなさい、と、シエスタが心の中で謝った。 ルイズは生きている。 それも、吸血鬼として。 でも今は、シエスタが知る『尊敬するルイズ様』の姿をエレオノールに語るべきだと思った。 シエスタはもう一度、心の中で謝った。 もしルイズが心まで吸血鬼になっていたら、自分はルイズを殺さなければならないのだから。 エレオノールは、少しだけ救われた気がした。 自分の気の強さは、ルイズを厳しく教育するために養われたのかもしれないと思った。 ルイズが死んで以来、覇気が抜けてしまったのは自分だけではない、父も母も、口には出さないが心が疲れ切っている。 ルイズを溺愛していた、ルイズは誰よりも愛されていた! でもそれをルイズに語ることはできない、ルイズが貴族として、メイジとして一人前にならなければ、自分たちが死んだ後残されたルイズが苦労する。 だからルイズに厳しく接してきた。 そして、厳しく接し続けたままルイズは死んでしまった。 いや、ルイズを『貴族らしさ』という言葉で死に追いやったのは自分達だ。 本音を言えば、どんなに無様でも、ルイズには生きていて欲しかった。 けれども、シエスタの言葉を聞いて、自分たちがいつまでも悲しんではいられないのだと気付かされた。 父の教えが、母の教えが、自分の教えがルイズに伝わり、ルイズの言葉が、シエスタに受け継がれている。 ルイズは本当に立派になったのだ、そして死んだ。 だから自分たちもラ・ヴァリエール家の人間として、役目を果たさなければならない。 魔法アカデミーで一番刺々しい茨だったエレオノール、彼女の棘は、ルイズの死と共に落ちたのだ。 エレオノール、モンモランシー、シエスタ。 三人を乗せた馬車がラ・ヴァリエールの居城に到着する頃には、漆黒の空に二つの月が浮かんでいた。 「いらっしゃいませー」 その日も『魅惑の妖精亭』は繁盛していた。 ルイズは扉を開けて入ってきた客に屈託のない笑顔を向け、空席へと案内する。 フードを被った客は、席に案内されるとルイズを見上げて小声で呟いた。 「何をしてるんだこんな所で」 「え?……やだ、何言ってるのよ、貴方が教えてくれたんでしょ?」 フードの影から覗く瞳と金髪には見覚えがある、まごうことなき銃士隊のアニエス、その人だった。 「潜伏には魅惑の妖精亭がいいって言ったの、貴方じゃない」 「それはそうなんだが…」 「無駄話をしに来た訳じゃないんでしょ?ご注文は?」 「とりあえずコレとこれを貰おうかな」 「はい、ワインとシーザーサラダね、承りました」 トレー片手に厨房へと入っていくルイズを見て、アニエスは小さく呟いた。 「冗談のつもりだったんだが……」 ルイズとワルドが潜伏先に選んだのは、城下町ではそれなりに人気の酒場『魅惑の妖精亭』だった。 アニエスの部下がこの店で働き、情報収集を務めていたことがある。 そのため『情報収集を兼ねるなら魅惑の妖精亭がいい』と言ってしまったのだが。 アニエスとしては、アニエスの息がかかった秘薬屋や、郊外の隠れ家に潜伏して欲しかったが、すでに働き始めている以上取りやめろとは言えない。 露出度の高いキャミソール姿で給仕をするルイズ、それを見て、アニエスは再度ため息をついた。 今のルイズはルイズであってルイズではない。 『ロイズ』という偽名を名乗っているだけではなく、姿形も大きく違う。 まず、背が高い。アンリエッタより10サントは高い。 その上胸が大きい、中に何を詰めているのか知らないが、とにかく膨らんでいるのは確かだ。 そして髪の毛は茶色の染料で染められ、王宮を出る前に『固定化』をかけられている。 顔立ちも違う、鼻はほんの少し高く、いつものルイズよりほんの少し面長になっており、しかも口元には黒子までついている。 ごくごく親しい人間でも、一目で彼女をルイズだと見抜くのは難しいだろう。 「反則的だな…あの能力は」 アニエスは、変身前のルイズを思い出し、静かに呟いた。 厨房に注文を届けたルイズは、この店の店主であるスカロンと二~三言言葉を交わして、再度表に出て行く。 皿を洗いながらそれを見ていたのは、精悍な顔立ちの男性、ワルドだった。 店主のスカロンは、ワルドがルイズを見ていたのに気付くと、ワルドに近づいて肩を叩く。 「ロイズちゃん頑張ってるわねー!ロイドちゃんはお兄さんとして気になるかしら!」 「ええ、まあ」 髭を蓄えた中年の男性が、くねくねと体を揺らしながらオネエ言葉で喋るのはちょっと不気味だ、しかしミノタウロスを相手にするより遙かに気楽だ。 ワルドは照れくさそうに笑いつつ、皿洗いを続けていた。 この店でワルドは『ロイド』ルイズは『ロイズ』と名乗っている。 二人は訳ありの没落貴族という設定で、身分を問わずに雇ってくれる『魅惑の妖精亭』にやってきた… そういう設定なのだ。 ワルドは人間の腕と見まがう程精巧な義手を巧みに操り、皿洗いを続ける。 水をくむのが面倒なので、義手に仕込んだ杖から、魔法で水を継ぎ足しつつ、延々と皿を洗っていった。 ふと、手を休めて、給仕口から店内を見渡す。 料理を運んでいるルイズと目があって、ウインクを返された。 「訳ありの没落貴族か…駆け落ちみたいで悪くないな」 トリステインの貴族らしくない、奇妙な満足感に包まれて、ワルドは笑った。 ルイズはこの店で、ブルリンと旅をした数日間のことを思い出していた。 注意深く周囲を観察し、人々の会話に耳を傾ける。 ただそれだけのことなのに、ルイズの耳には刺激的な話がどんどん入ってくるのだ。 あの時ブルリンと会わなければ、五感をフルに使うことも無かったろうし、情報収集の大切さも気付いていなかったかもしれない。 商売のために高等法院の許可貰うに、どんな抜け道を使うとか。 脱税スレスレの節税方法とか、北側の衛兵のいい加減さとか… アニエスの部下が、情報収集のためこの店に赴いたこともあるそうだが、その理由が分かる気がした。 特に気になるのは、アンリエッタに関する噂だった。 アンリエッタは聖女といわれ湛えられているが、すべての平民がアンリエッタを湛えているわけではない。 そもそもの原因となったウェールズ皇太子との恋愛話は平民達の噂の的だった。 アンリエッタとウェールズが以前から恋仲だったと、まことしやかに噂されているが、ラブレターのことまでは噂されていなかった。 二人を称えるもの、けなす者、酒場には多種多様な客が来る。 ルイズは、この不思議な空間を気に入っていた。 「ねえちゃんワイン注いでくれよ!」 そう言いながら、酔った客の一人がルイズの尻を撫でる。 ルイズはすぐに振り向いて、テーブルに置かれているワインの瓶を手に取った。 「お触りはいけませんよ」 そう言って笑顔でワインを注ぐ。 ワインをつぎ終わり瓶をテーブルに置くと、その客はルイズの腕を掴んで、酒臭い息を隠そうともせずルイズに顔を近づけた。 「なあ仕事の後どうだい?俺とさぁ…あ、あれ~?」 ルイズは男の腕を払い、逆に握り返す。 「お客様、飲み過ぎですわよ」 掌から少しずつ、少しずつ血を吸っていく。 「あ~…飲み過ぎたか…なあ~………」 みるみるいうちに顔色が青くなり、男は眠るようにテーブルに突っ伏した。 「あら大変!」 それを見た他の店員がルイズに近づく、青ざめた客を見て、どうやら酒に悪酔いしたと思ったらしい。 「ロイズちゃんは注文を取りに行ってくれない?この人よく酔っぱらって寝ちゃうのよ」 「解ったわ、ありがとう、ジェシカさん」 そう言ってルイズはテーブルを離れる。 心なしか、ルイズの胸は先ほどより少し膨らんでいる気がした。 夜も遅くなり、客が少なくなった頃、黒髪の少女ジェシカがルイズを呼んだ。 「ね、ちょっとこれ手伝ってくれる?」 ジェシカの前には木箱が置かれており、そこには沢山の食材が入っている。 「わかったわ」 ルイズは短く返事をすると、重そうな木箱を軽々と片手で持ち上げた。 「どこに持って行けばいいのかしら」 「え……えーと、ついてきてくれる?」 ジェシカは、少し狼狽えながら倉庫へとルイズを案内した。 倉庫の中で木箱を開け、中身を棚に並べていく。 すると、不意にジェシカがルイズに耳打ちした。 「ねえねえ、あったしー、わかっちゃった」 「え?」 「訳ありって言ってたけど…身分違いの恋とか、駆け落ち?」 ルイズは唇を手に当て、少し考える仕草をすると、首を横に振った。 「私とロイドは兄妹よ」 だが、ジェシカは不敵な笑みを漏らすと、人差し指を立てて顔の前で左右に振る。 「あたしはね、パパにお店の女の子の管理も任されてるのよ。女の子を見る目は人一倍だわ。ねえねえ、どんな訳があるのよ。ただの駆け落ちじゃないでしょ?誰にも言わないから、ね?教えてよ」 ルイズが黙っているのを見て、ジェシカは微笑む。 「もしかしてぇ…貴族のロイドさんが、メイドの貴方に恋しちゃった…とか?」 内心では『あたしは公爵令嬢よ』と思っていたが、そんなことは口には出せない。 ルイズはジェシカの顔を見つめて、一つ、質問してみることにした。 「どうしてそう思ったの?」 「だって、あの人プライド高そうだもの。貴方はお尻を触られても飄々としてるじゃない、こういう仕事慣れてるでしょ」 ルイズは心の中で、少しだけ苦笑いをしていた。 自分はいつの間にか、平民が板に付いていたようだ。 「私が貴族で、あの人は従者だったの」 「まさかぁ!」 ジェシカが口を手で覆いつつ、笑う。 つられてルイズも笑い出した。 「本当よ」 「本当に?」 「じゃあ嘘でいいわ」 「何よ、ずるーい!」 ころころと笑うジェシカを見て、ルイズはふと何かを思い出した。 『そうだ、この笑顔…シエスタに似てる』 その頃、洗い物を終えたワルドは、ルイズよりも一足早く部屋に戻っていた。 ルイズとワルドに与えられた部屋は、ベッドが二つ並んでいるだけの小さな部屋で、余計なものは一切置かれていない。 ベッドの下に置かれていたデルフリンガーを取りだすと、鞘から少しだけ引き抜いてベッドの上に置く。 『ずいぶん繁盛してんなあ、この店。どーだい皿洗いは?』 「意外と疲れるものだな」 『そりゃそーだろ、ところで、嬢ちゃんは』 「ルイズなら倉庫だ、女性同士の内緒話だろう」 デルフリンガーと話をしつつ、ワルドは先ほどルイズから渡された紙切れをポケットから取り出す。 アニエスから渡された紙切れには、リッシュモン追跡の様子が簡潔に書かれていた。 「…………商人、か」 『ん?』 「メイジが商人に化けているようだ、そいつがリッシュモンの手先らしいな」 『そいつをどーするんだい』 「捕まえるさ、聞くまでもなかろう?」 『その後だ、殺すのか?』 ワルドは顎に手を当てて、しばらく考えこんだ。 「……衛兵に引き渡すさ」 『おでれーたな、おめえ、あのギラギラした殺気がサッパリ消えてやがる』 「ルイズのおかげだよ」 そう言いながら、ワルドはデルフリンガーをベッド脇に立てかけた。 「彼女の苦悩に比べたら、僕なんてちっぽけなものさ」 デルフリンガーも同じ事を考えていた。 彼女は、自分の幸せを犠牲にした分だけ、その周囲にいる人を助けている気がする。 『あー…考えてもしょうがねえなあ』 「ん?」 『なんでもねえ。おめえが嘘を言ってないのは解った。嬢ちゃんを悲しませんなよ』 「そのつもりさ」 ルイズは、フーケに、ワルドに、ティファニアに、アンリエッタに、ウェールズに、アニエスに『頼られている』 だが、彼女が『頼れる』人は居ない。 彼女が本来頼るべき母は、シエスタとモンモランシーの二人の到着を、笑顔で迎えていた。 [[To Be Continued→>仮面のルイズ-52]] ---- [[戻る>仮面のルイズ-50]] [[目次へ>仮面のルイズ]]
「そんなに堅くならなくてもいいわよ」 「はっ、はい!」 シエスタは、エレオノールの気遣いに緊張して、かえって体を強ばらせていた。 モンモランシーはシエスタの隣に座り、馬車の窓から外を眺めている。 シエスタとモンモランシーの二人は、エレオノールの乗ってきた馬車に乗り込み、ラ・ヴァリエール領へと移動している最中だった。 シエスタとモンモランシーは魔法学院の制服姿、手持ちの小道具を入れた小さなバッグを脇に置いている。 エレオノールは飾り気のない白を基調とした服を着ており、魔法アカデミーの紋章が胸に刺繍されていた。 エレオノールは波紋についてシエスタに質問するが、緊張しているシエスタはうまく説明できず、そのたびにモンモランシーが説明を補足する。 だが、魔法学院では習わないような専門用語が出てくる度に、モンモランシーも狼狽えてしまう。 「オールド・オスマンの論文では、波紋はメイジも平民も等しく持つモノだとされているわね。体内を循環する血液に波紋は本来備わっていて、副次的作用として覚醒作用と浄化作用が……」 水系統を基にした、人体構造の研究にも目を通しているエレオノール。 彼女の知識はモンモランシーとは比較にならない程深かった。 「は、はい、たぶんそんな感じだと思います」 モンモランシーは冷や汗をかきつつ、曖昧な受け答えで誤魔化すことしかできなかった。 しばらく馬車がすすみ、外の景色が移っていくと、シエスタもようやく馬車の雰囲気に慣れてきた。 強ばっていた肩から力が抜け、どこか懐かしむように外の景色を見つめる。 「シエスタ?」 モンモランシーがシエスタ側の窓から外を見ると、外には草原が広がっており、その遙か先には森林が見えていた。 そよ風に吹かれた草花が柔らかい太陽の日差しを受けて輝いている、シエスタは故郷を思い出していた。 「あ、はい」 「あんまりきょろきょろしちゃ駄目よ」 「すいません、あの、草原が綺麗だったもので…」 エレオノールも外を見る、そして、少し目を細めてから、座席に座り直した。 「ルイズは、変わった子だったわ。あの子ったら子供の頃、カトレアのためにこの草原まで花を取りに来たのよ」 「ルイズ様が、ですか?」 ルイズと聞いて、シエスタが反射的に聞き返した。 「ええ。ヴァリエール家の中庭に、小さな花の種が風に乗って飛んできたの。 カトレアが『どんな花を咲かしているのでしょうね』なんて言うから、ルイズったら馬で遠乗りした時に、泥だらけになるまで花を探してたのよ。 この草原はルイズが花を探した場所なの」 「…そうですか」 「ねえ、魔法学院ではルイズがいろんな人に迷惑をかけたのでしょう?あの子、どんな事してたのか、教えて欲しいわ。それと貴方ルイズのこと知っているみたいだし、貴方のこと教えてくれないかしら」 モンモランシーはツバを飲み込んだ。その時の音が、やけに大きく聞こえたので、自分が緊張しているのだと理解できた。 魔法学院でルイズが何をしでかしたか、どれだけ被害を被ったか、馬鹿正直に話すわけにはいかない。 その上、シエスタはシュヴァリエを賜ったとはいえ元平民、貴族の上下関係厳しいトリステインで、田舎出身の平民がラ・ヴァリエール家の人間を診察するなど考えられない。 しかしシエスタは、隣で頭を悩ませているモンモランシーの思惑など知ったことではない、馬鹿正直に話をしてしまった。 「私がオールド・オスマンに『波紋使い』だと告げられる前は、魔法学院のメイドとして過ごしていました」 「……メイド?」 「はい、オールド・オスマンは、私の曾祖母『リサリサ』に恩を返すつもりで私を雇って下さったそうです」 隣に座るモンモランシーは『やっちゃった』と言わんばかりの視線でシエスタを見ていた。 ラ・ヴァリエール家の長女に『私は元平民です』などと言おうものなら、その場で馬車から放り出されてもおかしくない。 いや、怒り狂って自分も一緒にうち捨てられてしまうかもしれない、そんな物騒な未来予想図がモンモランシーの頭をよぎった。 「そうだったの。オールド・オスマンは貴方を保護していたとしか言っていなかったわ」 「保護ですか?」 「ええ。きっと、貴方が怪しまれるのを防ぐためじゃないかしら」 モンモランシーの予想に反して、エレオノールはシエスタが元平民である事実を受け止めていた、それどころか、あらかじめ知っていたかのような反応だった。 エレオノールは、リサリサと出会った後のオスマンが、どんな苦境に立たされていたのかを話し始めた。 当時、人間と亜人はまったく別の系統で発生した生物だとする学説と、人間と亜人は一つの根源から枝分かれしていったとする学説が対立状態にあった。 そんな時にオールド・オスマンは、『波紋』という未知の説を打ち出したのだ。 あらゆる生命体が持つ力であるが故に、系統魔法や先住魔法の力を底上げするという『波紋』は、すべての生物は根源が一つだと証明するものでもあった。 そのため、対立する学者達から命を狙われたのだ。 幸いにもオールド・オスマンの唱えた『波紋』は、ごくごく微々たる力でしかなかった、そのため彼自身の老化を遅らせることはできたが、他人にそれを分け与えることはできず、『波紋』はアカデミーから忘れられていった。 だが、それはオスマンの策でもあった。 『波紋』をメイジ同士の争いに利用されぬために、波紋使いである『リサリサ』の存在を隠すために、あえて『波紋』を役立たずであると印象づけたのだ。 シエスタを魔法学院で雇っていたのは、リサリサの血を引く一族へのせめてもの恩返しであった。 シエスタが『波紋使い』の素質があると知ってからは、シエスタを保護するために雇っていたのだと対外的に説明している。 そのためエレオノールは「オールド・オスマンは、シエスタを保護するために魔法学院で雇った」と思いこんでいるのだ。 「オールド・オスマンの研究は確かに素晴らしかったわ。でも、改めて読んでみると不思議な点がいくつかあるわね。たとえば貴方のような『波紋使い』の存在を隠すために、わざと不完全に書かれているみたい」 「そ、そうなんですか」 オールド・オスマンという人物の底知れなさに、シエスタは少しだけ驚いた。 モンモランシーも驚いている、スケベ爺が実は凄い人だった、そんな風に考えているに違いない。 「もし、その当時貴方のような『波紋使い』が世に出ていたら、きっと『先住魔法を使うエルフの間者だ』と誤解されて解剖されていたでしょうね。オールド・オスマンの先見性には驚かされるわ」 エレオノールがシエスタの瞳を見つめる。 「さ、この話はもういいでしょう。ルイズの話を聞かせてくれないかしら」 「はい。私がルイズ様からお声をかけて頂いたのは……」 エレオノールは、シエスタとモンモランシーの話を寂しそうに聞いていた。 モンモランシーが、ルイズの勝ち気さに愚痴を言うと、『あの子はそういう子だから』と言って笑った。 シエスタが、ルイズは魔法学院で働いている平民達にも気を配っていた、メイド仲間からも尊敬されていたと語ると、エレオノールは『あの子も成長したものね』と言って、ほんの少しの間だけ…声を殺して泣いた。 「…ごめんなさい、ちょっと、取り乱しちゃったわね」 エレオノールはそう言いながら、涙で濡れた目元を拭った。 「父が倒れたの。ルイズが死んだって聞かされて、相当こたえたんでしょうね。私も父も、魔法の出来ないルイズを叱ってばかりだったわ」 顔を上げると、シエスタとモンモランシーの顔を交互に見つめて、エレオノールは笑う。 「魔法が使えなかったら、貴族は貴族として認められないの。だから私も父も厳しく接してきたわ。でも、一度もルイズを褒めてあげられなかった……きっと、私と、父様を、ルイズは恨んでいたでしょうね」 「そんなことはありません。絶対に、そんなことはありません!」 シエスタの口調が強くなり、エレオノールが少し驚いた。 「ルイズ様は、土くれのフーケに立ち向かったんです。『立場における責任を果たす』と私に仰って下さったのは、他ならぬルイズ様です!そんなルイズ様が家族を恨んでいるだなんて……絶対に、絶対にありえません!」 「ちょ、ちょっとシエスタ、無礼よ!」 モンモランシーがシエスタの肩を押さえる、はっとして、シエスタの興奮は一瞬で冷めた。 「あ……す、すみません、あの、興奮してしまって」 急におどおどしだすシエスタを見て、エレオノールは、静かに微笑んだ。 「いいのよ。気にしないで…ね。到着したら妹にも、父にも、母にも、その話を聞かせてくれないかしら」 「…はい」 ごめんなさい、と、シエスタが心の中で謝った。 ルイズは生きている。 それも、吸血鬼として。 でも今は、シエスタが知る『尊敬するルイズ様』の姿をエレオノールに語るべきだと思った。 シエスタはもう一度、心の中で謝った。 もしルイズが心まで吸血鬼になっていたら、自分はルイズを殺さなければならないのだから。 エレオノールは、少しだけ救われた気がした。 自分の気の強さは、ルイズを厳しく教育するために養われたのかもしれないと思った。 ルイズが死んで以来、覇気が抜けてしまったのは自分だけではない、父も母も、口には出さないが心が疲れ切っている。 ルイズを溺愛していた、ルイズは誰よりも愛されていた! でもそれをルイズに語ることはできない、ルイズが貴族として、メイジとして一人前にならなければ、自分たちが死んだ後残されたルイズが苦労する。 だからルイズに厳しく接してきた。 そして、厳しく接し続けたままルイズは死んでしまった。 いや、ルイズを『貴族らしさ』という言葉で死に追いやったのは自分達だ。 本音を言えば、どんなに無様でも、ルイズには生きていて欲しかった。 けれども、シエスタの言葉を聞いて、自分たちがいつまでも悲しんではいられないのだと気付かされた。 父の教えが、母の教えが、自分の教えがルイズに伝わり、ルイズの言葉が、シエスタに受け継がれている。 ルイズは本当に立派になったのだ、そして死んだ。 だから自分たちもラ・ヴァリエール家の人間として、役目を果たさなければならない。 魔法アカデミーで一番刺々しい茨だったエレオノール、彼女の棘は、ルイズの死と共に落ちたのだ。 エレオノール、モンモランシー、シエスタ。 三人を乗せた馬車がラ・ヴァリエールの居城に到着する頃には、漆黒の空に二つの月が浮かんでいた。 「いらっしゃいませー」 その日も『魅惑の妖精亭』は繁盛していた。 ルイズは扉を開けて入ってきた客に屈託のない笑顔を向け、空席へと案内する。 フードを被った客は、席に案内されるとルイズを見上げて小声で呟いた。 「何をしてるんだこんな所で」 「え?……やだ、何言ってるのよ、貴方が教えてくれたんでしょ?」 フードの影から覗く瞳と金髪には見覚えがある、まごうことなき銃士隊のアニエス、その人だった。 「潜伏には魅惑の妖精亭がいいって言ったの、貴方じゃない」 「それはそうなんだが…」 「無駄話をしに来た訳じゃないんでしょ?ご注文は?」 「とりあえずコレとこれを貰おうかな」 「はい、ワインとシーザーサラダね、承りました」 トレー片手に厨房へと入っていくルイズを見て、アニエスは小さく呟いた。 「冗談のつもりだったんだが……」 ルイズとワルドが潜伏先に選んだのは、城下町ではそれなりに人気の酒場『魅惑の妖精亭』だった。 アニエスの部下がこの店で働き、情報収集を務めていたことがある。 そのため『情報収集を兼ねるなら魅惑の妖精亭がいい』と言ってしまったのだが。 アニエスとしては、アニエスの息がかかった秘薬屋や、郊外の隠れ家に潜伏して欲しかったが、すでに働き始めている以上取りやめろとは言えない。 露出度の高いキャミソール姿で給仕をするルイズ、それを見て、アニエスは再度ため息をついた。 今のルイズはルイズであってルイズではない。 『ロイズ』という偽名を名乗っているだけではなく、姿形も大きく違う。 まず、背が高い。アンリエッタより10サントは高い。 その上胸が大きい、中に何を詰めているのか知らないが、とにかく膨らんでいるのは確かだ。 そして髪の毛は茶色の染料で染められ、王宮を出る前に『固定化』をかけられている。 顔立ちも違う、鼻はほんの少し高く、いつものルイズよりほんの少し面長になっており、しかも口元には黒子までついている。 ごくごく親しい人間でも、一目で彼女をルイズだと見抜くのは難しいだろう。 「反則的だな…あの能力は」 アニエスは、変身前のルイズを思い出し、静かに呟いた。 厨房に注文を届けたルイズは、この店の店主であるスカロンと二~三言言葉を交わして、再度表に出て行く。 皿を洗いながらそれを見ていたのは、精悍な顔立ちの男性、ワルドだった。 店主のスカロンは、ワルドがルイズを見ていたのに気付くと、ワルドに近づいて肩を叩く。 「ロイズちゃん頑張ってるわねー!ロイドちゃんはお兄さんとして気になるかしら!」 「ええ、まあ」 髭を蓄えた中年の男性が、くねくねと体を揺らしながらオネエ言葉で喋るのはちょっと不気味だ、しかしミノタウロスを相手にするより遙かに気楽だ。 ワルドは照れくさそうに笑いつつ、皿洗いを続けていた。 この店でワルドは『ロイド』ルイズは『ロイズ』と名乗っている。 二人は訳ありの没落貴族という設定で、身分を問わずに雇ってくれる『魅惑の妖精亭』にやってきた… そういう設定なのだ。 ワルドは人間の腕と見まがう程精巧な義手を巧みに操り、皿洗いを続ける。 水をくむのが面倒なので、義手に仕込んだ杖から、魔法で水を継ぎ足しつつ、延々と皿を洗っていった。 ふと、手を休めて、給仕口から店内を見渡す。 料理を運んでいるルイズと目があって、ウインクを返された。 「訳ありの没落貴族か…駆け落ちみたいで悪くないな」 トリステインの貴族らしくない、奇妙な満足感に包まれて、ワルドは笑った。 ルイズはこの店で、ブルリンと旅をした数日間のことを思い出していた。 注意深く周囲を観察し、人々の会話に耳を傾ける。 ただそれだけのことなのに、ルイズの耳には刺激的な話がどんどん入ってくるのだ。 あの時ブルリンと会わなければ、五感をフルに使うことも無かったろうし、情報収集の大切さも気付いていなかったかもしれない。 商売のために高等法院の許可貰うに、どんな抜け道を使うとか。 脱税スレスレの節税方法とか、北側の衛兵のいい加減さとか… アニエスの部下が、情報収集のためこの店に赴いたこともあるそうだが、その理由が分かる気がした。 特に気になるのは、アンリエッタに関する噂だった。 アンリエッタは聖女といわれ讃えられているが、すべての平民がアンリエッタを讃えているわけではない。 そもそもの原因となったウェールズ皇太子との恋愛話は平民達の噂の的だった。 アンリエッタとウェールズが以前から恋仲だったと、まことしやかに噂されているが、ラブレターのことまでは噂されていなかった。 二人を称えるもの、けなす者、酒場には多種多様な客が来る。 ルイズは、この不思議な空間を気に入っていた。 「ねえちゃんワイン注いでくれよ!」 そう言いながら、酔った客の一人がルイズの尻を撫でる。 ルイズはすぐに振り向いて、テーブルに置かれているワインの瓶を手に取った。 「お触りはいけませんよ」 そう言って笑顔でワインを注ぐ。 ワインをつぎ終わり瓶をテーブルに置くと、その客はルイズの腕を掴んで、酒臭い息を隠そうともせずルイズに顔を近づけた。 「なあ仕事の後どうだい?俺とさぁ…あ、あれ~?」 ルイズは男の腕を払い、逆に握り返す。 「お客様、飲み過ぎですわよ」 掌から少しずつ、少しずつ血を吸っていく。 「あ~…飲み過ぎたか…なあ~………」 みるみるいうちに顔色が青くなり、男は眠るようにテーブルに突っ伏した。 「あら大変!」 それを見た他の店員がルイズに近づく、青ざめた客を見て、どうやら酒に悪酔いしたと思ったらしい。 「ロイズちゃんは注文を取りに行ってくれない?この人よく酔っぱらって寝ちゃうのよ」 「解ったわ、ありがとう、ジェシカさん」 そう言ってルイズはテーブルを離れる。 心なしか、ルイズの胸は先ほどより少し膨らんでいる気がした。 夜も遅くなり、客が少なくなった頃、黒髪の少女ジェシカがルイズを呼んだ。 「ね、ちょっとこれ手伝ってくれる?」 ジェシカの前には木箱が置かれており、そこには沢山の食材が入っている。 「わかったわ」 ルイズは短く返事をすると、重そうな木箱を軽々と片手で持ち上げた。 「どこに持って行けばいいのかしら」 「え……えーと、ついてきてくれる?」 ジェシカは、少し狼狽えながら倉庫へとルイズを案内した。 倉庫の中で木箱を開け、中身を棚に並べていく。 すると、不意にジェシカがルイズに耳打ちした。 「ねえねえ、あったしー、わかっちゃった」 「え?」 「訳ありって言ってたけど…身分違いの恋とか、駆け落ち?」 ルイズは唇を手に当て、少し考える仕草をすると、首を横に振った。 「私とロイドは兄妹よ」 だが、ジェシカは不敵な笑みを漏らすと、人差し指を立てて顔の前で左右に振る。 「あたしはね、パパにお店の女の子の管理も任されてるのよ。女の子を見る目は人一倍だわ。ねえねえ、どんな訳があるのよ。ただの駆け落ちじゃないでしょ?誰にも言わないから、ね?教えてよ」 ルイズが黙っているのを見て、ジェシカは微笑む。 「もしかしてぇ…貴族のロイドさんが、メイドの貴方に恋しちゃった…とか?」 内心では『あたしは公爵令嬢よ』と思っていたが、そんなことは口には出せない。 ルイズはジェシカの顔を見つめて、一つ、質問してみることにした。 「どうしてそう思ったの?」 「だって、あの人プライド高そうだもの。貴方はお尻を触られても飄々としてるじゃない、こういう仕事慣れてるでしょ」 ルイズは心の中で、少しだけ苦笑いをしていた。 自分はいつの間にか、平民が板に付いていたようだ。 「私が貴族で、あの人は従者だったの」 「まさかぁ!」 ジェシカが口を手で覆いつつ、笑う。 つられてルイズも笑い出した。 「本当よ」 「本当に?」 「じゃあ嘘でいいわ」 「何よ、ずるーい!」 ころころと笑うジェシカを見て、ルイズはふと何かを思い出した。 『そうだ、この笑顔…シエスタに似てる』 その頃、洗い物を終えたワルドは、ルイズよりも一足早く部屋に戻っていた。 ルイズとワルドに与えられた部屋は、ベッドが二つ並んでいるだけの小さな部屋で、余計なものは一切置かれていない。 ベッドの下に置かれていたデルフリンガーを取りだすと、鞘から少しだけ引き抜いてベッドの上に置く。 『ずいぶん繁盛してんなあ、この店。どーだい皿洗いは?』 「意外と疲れるものだな」 『そりゃそーだろ、ところで、嬢ちゃんは』 「ルイズなら倉庫だ、女性同士の内緒話だろう」 デルフリンガーと話をしつつ、ワルドは先ほどルイズから渡された紙切れをポケットから取り出す。 アニエスから渡された紙切れには、リッシュモン追跡の様子が簡潔に書かれていた。 「…………商人、か」 『ん?』 「メイジが商人に化けているようだ、そいつがリッシュモンの手先らしいな」 『そいつをどーするんだい』 「捕まえるさ、聞くまでもなかろう?」 『その後だ、殺すのか?』 ワルドは顎に手を当てて、しばらく考えこんだ。 「……衛兵に引き渡すさ」 『おでれーたな、おめえ、あのギラギラした殺気がサッパリ消えてやがる』 「ルイズのおかげだよ」 そう言いながら、ワルドはデルフリンガーをベッド脇に立てかけた。 「彼女の苦悩に比べたら、僕なんてちっぽけなものさ」 デルフリンガーも同じ事を考えていた。 彼女は、自分の幸せを犠牲にした分だけ、その周囲にいる人を助けている気がする。 『あー…考えてもしょうがねえなあ』 「ん?」 『なんでもねえ。おめえが嘘を言ってないのは解った。嬢ちゃんを悲しませんなよ』 「そのつもりさ」 ルイズは、フーケに、ワルドに、ティファニアに、アンリエッタに、ウェールズに、アニエスに『頼られている』 だが、彼女が『頼れる』人は居ない。 彼女が本来頼るべき母は、シエスタとモンモランシーの二人の到着を、笑顔で迎えていた。 [[To Be Continued→>仮面のルイズ-52]] ---- [[戻る>仮面のルイズ-50]] [[目次へ>仮面のルイズ]]

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