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仮面のルイズ-52 - (2007/12/16 (日) 20:23:55) の最新版との変更点

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シエスタとモンモランシーの二人は、ヴァリエール家に到着してすぐ、ヴァリエール公爵夫人カリーヌ・デジレの出迎えを受けた。 滞在する部屋を準備させてあるので、今晩は疲れを癒すようにと言われ、二人はそれぞれ別の部屋に通された。 シエスタにとって、ヴァリエール家は「有名な貴族」であり「大きなお屋敷」でしかない。 しかし、モンモランシーは家名の『格』を気にしてしまう、ヴァリエール家は自分より遙かに目上なのだ、よってモンモランシーは、シエスタ以上に緊張していた。 あてがわれたゲストルームは、二つのベッドルームがリビングで繋がっており、モンモランシーは片方のベッドルームに行くとすぐに寝間着に着替えて眠ってしまった。 モンモランシーは緊張のあまり疲れてしまったのだろう。 一方、シエスタはなかなか寝付けず、窓から空を見上げていた。 エレオノールから聞いた話では、カトレアは生まれつき体が弱く、今まで何人もの高名な水のメイジに治療を依頼していたらしい。 だが、体を伝わる水の流れを何度治しても、またすぐ別の場所に異常が出てしまい、根治することができないのだ。 そんなカトレアの体を治すため、エレオノールは魔法アカデミーでの研究を志したと言う。 他のメイジが見向きもしなかった『波紋』の効能に、興味を惹かれたのも当然だと言える。 シエスタとモンモランシーがシュヴァリエを賜って間もない頃、タルブ村で治癒の力を使い活躍をした二人組の話が、エレオノールの耳に届いた。 エレオノールは、すぐに関連する資料を調べ上げ、オールド・オスマンへアポイントを取った。 オールド・オスマンは、モンモランシーを『将来有望な水のメイジ』として紹介し、シエスタを『オスマンと共に波紋を研究していた人物の曾孫』として紹介した。 「波紋を受け継ぐ者…か…」 ベッドの上でシエスタが呟く。 出発前、オールド・オスマンから、『波紋戦士』の立場は盤石でないと聞かされた。 何十年も昔、リサリサと共に波紋を研究していたオールド・オスマンは、波紋が人体に及ぼす影響だけでなく、魔法への干渉をも研究していた。 『水の秘薬』の効果を劇的に高めるのも、水系統の『治癒』を促進するのも波紋作用の一つ。 応用すれば、『毒』を排出することも、『覚醒作用』を持たせることも、『安心感』を得ることもできる。 波紋を好意的に受け入れて貰うためにも、またシエスタの立場を確固たるものにするために、オールド・オスマンはあえてエレオノールの耳に『波紋』の噂が届くようし向けたのだ。 あくまでも『治癒』の力として波紋を印象づければ、カトレアを治癒できなかったとしても、ヴァリエール家とのパイプは太くなる…そう見越してのことだ。 だが、シエスタには、そんなことはどうでも良かった。 ルイズが治してくれた足をさすりつつ、タルブ村に行く途中で乗り捨てた馬を思い出す。 仮にルイズが吸血鬼だとして、ルイズが人間との共存を望むとしたら、シエスタはルイズを殺す必要はないと考えている。 オールド・オスマンは、それを許すだろうか? ルイズの血は、際限なく食屍鬼を作り出し、世界を混乱させる恐れがある。 やはりルイズを殺さなければいけないのだろうか? なぜ私が波紋使いになってしまったのだろうか? 結論の出ない思考を続けているうちに、眠気がだんだんと強くなっていく。 シエスタは用意されたネグリジェに着替え、ベッドに入った。 その日、久しぶりにルイズの夢を見た。 翌朝、シエスタとモンモランシーは、ゲストルームのリビングで朝食をとっていた。 ヴァリエール家の朝食は魔法学院よりも早いので、魔法学院での朝食と同じ時間に食事をとれるようにと、公爵が二人に気を遣ってくれたらしい。 魔法学院の料理を任されているマルトーは、学院長が直々にスカウトした程の腕前だが、ヴァリエール家もそれに引けを取らなかった。 それほど、朝の食事は豪勢で、しかも食べやすいようにと様々な工夫が凝らされていた。 「ねえ、シエスタ、あなたは緊張してない?」 「え?」 シエスタが顔を上げると、向かい側に座っていたモンモランシーと視線が重なった。 モンモランシーの瞳は力強くも見えたが、どこか儚げだった。おそらくカトレアを治療する緊張感が勝っているのだろう。 それは無理もないことだと、シエスタは理解していた。 国内有数の水のメイジに治療を施されても、病気が根治しない…そんな相手を治癒しろと言われたら緊張するのは当たり前だろう。 「大丈夫ですよ、治せるかどうか、やってみなければ解りませんけれど…ほら、オールド・オスマンが出発前に『今のミス・モンモランシーなら微細な流れも解るじゃろう』って仰っていたじゃありませんか」 「うん…そうね、そうだけど……ねえ、私が何て言われてるか知ってる?」 「え?『香水のモンモランシー』ですよね」 「そうよ、私が一番得意なのは調香。食べ物に使われてる香草や薬味は臭いで解るわ。でも…今は駄目よ、緊張しちゃって、ちょっと自信ないの。弱気になると駄目ね…私」 「そ、そんなことないです!だって、タルブ村で、どんなに酷い怪我人もすぐに治療できたじゃありませんか。今回だって、悪い結果にはならないはずです」 「……怪我と病気は違うのよ。ミス・カトレアを長年治癒していた水のメイジがいるって聞いたでしょう?その人はトライアングルなんですって。私、その人と比べられるのかと思うと…緊張して食事の味もよく分からないわ」 「それでも、私たちは私たちの役目を果たすべきです、たとえどんな結果になっても」 シエスタの言葉を聞いたモンモランシーは、驚き目を見開いた。 「強いのね」 「私は強くなんか無いです、弱いから、必死にならざるを得ないんです」 「…そっか、そうよね。弱いから必死になるのよね…」 モンモランシーは、改めてシエスタの顔を見た。 シエスタは強い、迷いがない、今ならそう思える。 平民出身のシエスタに学ぶことがあるなんて思いもしなかった、だが、今ではそれも快く受け入れられる。 タルブ村で、治療のために奔走するシエスタの行動力、そして強い意志、それは魔法学院では滅多に見られない物だった。 貴族という立場に、家名にアグラをかいている生徒達と違い、シエスタは実力だけが評価されている。 そのハングリー精神が無かったモンモランシーの父親は慢心し、水の精霊を怒らせる真似をしてしまったのではないか。 父親を悪く言うつもりは無いが、父も典型的な貴族主義の貴族であり、シエスタのような目的意識を持たない貴族だと思えた。 だからこそ、今のシエスタがとても眩しく、そして力強く見えるのだ。 「ね、シエスタ。私も波紋が使えたら自信がつくかしら?」 「それは解りませんけど…でも、モンモランシーさんが波紋を使えたら、もっと沢山の人を治せると思います。だからモンモランシーさんにも波紋を会得して欲しいです。自信なんて…その後考えればいいじゃないですか」 「…そうよね。ありがとう。シエスタ」 朝食が下げられた後、メイドから今日の予定を告げられた。 ヴァリエール公爵との面会を済ませてから、カトレアの治療に当たって欲しいとの事だった。 二人は魔法学院の制服に着替え、マントを付けて杖を携えた。 お呼びがかかるまで部屋で待機しているのだが、この時間がやけに長く感じられた。 実際には、着替え終えてから五分と経っていないのだが、何かを待つ時間はとても長く、緊張に満ちている時間でもある。 パタパタパタと、誰かが廊下を走る音が聞こえてきた。 お呼びがかかるのだろうと思い、二人は居住まいを正したが、シエスタはふと疑問を感じた。 廊下を『走る』。それ自体公爵の住まう館では、異常なことではないか? そして不安は的中した。 コンコン、と急ぎ調子なノックの音が鳴る。 モンモランシーはすぐさま「はい」と返事をした。 「大変です!カトレア様が発作を起こされました、すぐにカトレア様を診て頂けませんか!」 メイドの声に驚き、二人は顔を見合わせた。 二人は同時に頷くと席を立ち、カトレアの部屋へと急いだ。 カトレアの部屋に入った二人は、急ぎカトレアの容態を見るべくカトレアに近づいた。 ベッドの上で苦しそうに呼吸するカトレアの姿は、エレオノールとは正反対とも言える容姿だった。 シエスタの胸が高鳴る。 ピンク色の髪の毛はルイズを彷彿とさせる、顔つきもルイズによく似ている、姉妹だから当然かもしれないが、それでもシエスタにとっては大きな事だった。 カトレアの従医が杖を向けて小声でルーンを詠唱しているが、カトレアが落ち着く様子はない、ゼェゼェと息を切らせて苦しそうにしている。 「行きましょう」 シエスタが歩き出した。 モンモランシーが一歩遅れて続き、カトレアの傍らへと立つ。 「君たちがシュヴァリエを賜ったメイジかね?」 カトレアの従医が、杖を引き、二人に向かって問うた。 「「はい」」 男はカトレアに視線を戻すと、左手で自分の頭を押さえた、どうすれば良いのか解らないのだろう。 「今回のは特に酷い、水の濁りが治まらないんだ」 「濁りが?」 モンモランシーが聞き返しつつ、カトレアの体に杖を向ける。 窓から差し込む日差しに、間接的に照らされたカトレアの体は、姉のエレオノールよりもわずかに濁って見える。 それがどれだけ異常なことかモンモランシーにもよく解る。 「シエスタ!波紋を流してちょうだい…体の末端から様子を見るわ」 「はい!」 シエスタがカトレアの手を覆うように握る、そして、深く息を吸い、横隔膜をコントロールし、体の浄化能力を活性化させる波紋を流した。 その上にモンモランシーの杖が触れる、波紋がどういった効果を生み出すのか、水の流れから感じ取るためだ。 結果として、波紋はカトレアの治癒に効果があった、体のほんのわずかな変色と、カトレアを襲っていた強烈な悪寒が治まり、呼吸がだんだんと安定してきたのだ。 その間、モンモランシーはひたすらカトレアの体を観察していた。 『より微細な流れを感じ取りなさい』オールド・オスマンの言葉である。 タルブ村では、主に怪我人を相手に治癒を繰り返していた。 外傷の酷い者もいれば、内臓にダメージを負った者もいる、病人の場合は後者と同じで内臓に目を向けなければならない。 モンモランシーは、波紋によって浄化されていく体から、いくつかの『原因』を抽出していった。 三十分ほどすると、カトレアの体から汗が流れ出す、その汗は脂汗であり、冷や汗でもあった。 人間の体は、少しずつ毒を溜め込み、『水』と共に排出される。 尿や汗がそれだ、だが、カトレアの体は解毒作用が極端に低下している。 シエスタから『波紋』のサポートを受けることで、溜まっていた毒が汗として排出されたのだとしたら、間違いなくカトレアは浄化能力が極端に低下している。 肝臓か、脾臓か、腎臓か、それとも水の流れを生む心臓か。 ……モンモランシーは、心を落ち着ける香水を持ってくれば良かったと、頭の隅で考えていた。 「ふう…」 シエスタがため息をつく。 一時間以上波紋を流し続けていたが、全力で流していた訳ではないので体力的には疲れていない。 だが、精神的な疲労は確かにあった。 ルイズによく似ている人物が、目の前で苦しんでいるというだけでも辛いのに、それがルイズの実姉だと言うのだ。 自分が抱えている秘密…ルイズを殺すために波紋を学んだという事実を秘匿したまま、カトレアを治療すると思うと、どこかやるせない気持ちがわき起こる。 身体の様子を調べていたモンモランシーが杖を収めると、傍らで見ていた従医が入カトレアに杖を向けた。 「……ふむ、小康状態か、いや二人ともありがとう、このところカトレア様の発作が長引いておられたので、私一人では体力的にも辛いところだった。助かったよ」 そう言って額を拭う、どうやらこの医者も長く治癒を続けていたらしく、疲れが見えていた。 「カトレアは落ち着いたの?」 突然聞こえてきた声に、シエスタとモンモランシーが驚く。 声の主はエレオノールだった、いつの間にかカトレアの部屋に居たのだ。 「今のところは安定していますわ」 モンモランシーの言葉に安堵したのか、エレオノールは「そう」と呟いてため息をついた。 エレオノールは椅子を引き、カトレアの隣に座る。 汗でべたついたカトレアの髪の毛を手ですくと、寂しそうに、そして愛おしそうにカトレアを見つめた。 「ミス・モンモランシー。ミス・シエスタ。カトレアの病状は解ったでしょう…原因もよく分かっていないの。何か感じたことはある?」 「身体の中が全体的に弱まっています、毒を溜め込んでしまうような…」 モンモランシーが呟くと、エレオノールは従医に目配せをして「あれを持ってきて」と言った。 従医が退室すると、しばらくしてから何枚かの絵図面らしきモノを持って部屋に戻ってきた、エレオノールは絵図面を受け取るとモンモランシーにそれを手渡した。 「これは…日付が沢山書き込まれてる…もしかして、ミス・カトレアが今まで発作を起こした箇所ですか?」 「そうよ」 エレオノールがモンモランシーの言葉を肯定する、シエスタが絵図面をのぞき込むと、そこには人体の簡素なイラストと、いくつもの矢印と丸印、そして日付が書かれていた。 「これは…ここ一ヶ月以内のモノしか書かれていませんね」 シエスタが呟くと、エレオノールは窓の外を見つめつつ、言い聞かせるように喋り始めた。 「あの子が死んだって聞かされた時、カトレアはひどい発作を起こしたの。それから発作の頻度が多くなって……今は立ち上がることも辛そうなの」 シエスタの身体が、ぶるっと震えた。 あの子とは、ルイズのことだ。 それに気付いたとき、シエスタの身体は恐怖と武者震いで震えたのだ。 「ん…」 「カトレア、目が覚めた?」 エレオノールがカトレアの顔をのぞき込むと、カトレアは薄目を開けて、自分を取り囲む人たちの姿を見回した。 身体を起こそうとしてベッドに手をついたカトレアだが、体力が衰えているためかうまく上体を起こせない。 「だめよ、寝ていなさい。…お願いだから、ね」 エレオノールが優しくカトレアの頭を撫でると、カトレアは小声で呟いた。 「……そちらのお二人が、魔法学院のお医者様?」 「ええ、そうよ。ルイズと一緒に学んだ仲なんですって」 「そうなの……あの子が沢山迷惑をかけたでしょう?」 カトレアはほほえみを浮かべた、どこか懐かしむような笑みはルイズの笑顔を彷彿とさせる。 厳しさのあったルイズと違い、カトレアは慈愛に満ちた瞳をしている。 だからこそ解る、ルイズが目指していた憧れの人とは、きっとこの人に違いないと、直感的に感じるのだ。 「私はカトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ 。まずはお礼を言わせていただきますわ…。ところで、お二人の名前も聞かせてくれないかしら」 「はい。私はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ」 「私は、シエスタ・シュヴァリエ・ド・リサリサです」 「あら、貴方がシエスタさんね、ルイズからの手紙に貴方のことが書いてあったわ」 「えっ」 静かに微笑むカトレアの瞳は、とても優しかった。 魔法学院で、自分に声をかけてくれたルイズのように、慈愛に満ちた瞳だった。 この場にいる誰も気付かなかったが、カトレアの隣に座るエレオノールの表情が少し強ばっていた。 ルイズはカトレアに懐いていた、対して自分はルイズに恐れられていた。 手紙を貰っていたカトレアが、とても羨ましく思えた。 一方、場所は変わり、トリステインの首都トリスタニア、その一角。 『魅惑の妖精亭』では、相変わらずロイズ(ルイズ)とロイド(ワルド)の二人が仕事に追われていた。 ルイズは高くもなく低くもない、中堅どころの人気を得ていた。 ワルドは表に出ることなくひたすら裏方仕事を続けている。 店主のスカロンが『訳ありなのに顔を出しちゃまずいでしょ』と気を利かせてくれたのだ。 ワルドは、自分の心境の変化に驚きつつ、これが当然だとも思えていた。 ルイズと再開して母を蘇らせ、リッシュモンに復讐すると誓ったあの日から、価値観がすべて一度崩れ去った気がする。 一度崩れた価値観は、ルイズを中心として再構築され、今は自分でも驚くほど皿洗いが気に入っている。 つかの間だと解っていても、平和なのだ、この場所が。 魔法衛士隊に正式に入隊する前は、実力を見せつけるために無茶な任務に志願し、何度も死線をくぐり抜けて仕事をこなした。 時には農村を襲うオーク鬼を退治したり、はぐれの火竜を退治するなどもした。 その時、村人から感謝されたりもしたが、正直なところ何の感慨も涌かなかった。 たが今は違う、皿洗いをしたり重い荷物を運んだり、閉店後の後かたづけをして、ルイズや他の店員から礼を言われるのがとても嬉しかった。 トリステインの腐敗も、己の名誉欲も、母を蘇らせるという目的も、すべて過去のもの。 今自分がやるべき事は、リッシュモンに復讐する機会が来るまで、ここで与えられた仕事を全うすることだ。 つかの間の平和であったとしても、平和は尊い。 暗闇に光が差し込んだような晴れ晴れとした気分で、ワルドは今日も皿洗いを続けていた。 ルイズは、そんなワルドの変化を感じ取っていた。 仮面のように張り付いた作り笑いではなく、飾り立てもしない健やかな笑みがとても嬉しかった。 思い出の中の、青年時代のワルドよりもずっと魅力的に思えるのだ。 閉店時間が近くなり、ルイズが厨房へと入ってきた、ワルドの隣に並び顔をのぞき込む。 「手伝うわ」 「いや、いいさ、すぐに終わる」 「こんなに沢山皿が残ってるじゃない、私も手伝うわよ」 水場に積み重ねられた食器はかなりの数だった、タワーのように積み重なる食器を一枚一枚手に取り、洗っていく。 ワルドの付けている義手は人間と見紛う程のものだが、精密な動作は完璧ではないので不意に力がかかってしまう。 昨日、それで二枚も皿を割ってしまったので、ワルドはおそるおそる食器を洗っていた。 ルイズが横から手を伸ばすと、皿を左手に持ち、右手でキュッと音を立てて拭う。 すると不思議なことに、ルイズが手で拭った箇所が、汚れ一つ無いほど綺麗に磨かれていた。 「…?」 ワルドが首をかしげると、ルイズは掌を見せた。 ルイズの手のひらは、銀色の毛で覆われており、ブラシのようになっていた。 手首に仕込んだ吸血馬の骨が、黒と銀色の毛を掌に伸ばしていたのだ。 毛の先端は微細で、堅すぎず柔らかすぎない、どんな細かい汚れも落としてしまう。 「便利だな」 「でしょう」 カチャカチャと音を立てながら、食器を洗い続けていると、不意にワルドの動きが止まった。 ルイズは、どうかしたんだろうか?と思いつつワルドの表情を見た。 そこに居るワルドは、かつてニューカッスル城で見たような、感情の見えない顔をしていた。 ルイズの肘がワルドの腕を軽くノックする、ワルドはハッと我に返り、ルイズの方を見た。 「どうしたの?」 「耳を貸してくれ」 ルイズがワルドに密着すると、ワルドはルイズの耳元に口を近づけ、小声で呟いた。 「『遍在』がラ・ロシェールに居るんだが、フーケが何者かに襲われているのを見つけた。相手は……」 「相手は?」 「おそらく、クロムウェルが蘇らせた、ウェールズの近衛兵だ」 「…!」 ルイズの表情が、心なしか厳しくなり、髪の毛がほんの少しだけ逆立つ。 「洗い物は頼むよ、僕は先に部屋に戻る」 手の汚れを軽く洗い落として、ワルドは部屋へと足を向けた。 「…助けてよ、お願い」 ルイズの呟きが、やけにハッキリと聞こえた。 ワルドは、他の店員達に顔を見られぬよう、俯いたまま部屋へと戻っていった。 怒りでも悲しみでもない、目の前の敵を排除するという目的のために、ワルドの表情は凍り付いていく。 その顔を見られたくないのだ。 部屋に入ると、ベッドの上に転がり、目を閉じた。 マチルダ・オブ・サウスゴータは、魔法学院での名をロングビルといい。盗賊としての名を土くれのフーケという。 彼女がどんな理由でラ・ロシェールにいるのか解らないが、とにかく今は彼女を助けるために尽力せねばならない。 ワルドは、トリステインで最も多く、また長距離にわたって遍在を使えると自負している。 『魅惑の妖精亭』で本体は身を隠し、遍在を使って各地の調査に当たらせていたのだ。 だが、遍在ばかりに頼っては居られない、レコンキスタからの暗殺者や、そのあたりのごろつきに『魅惑の妖精亭』が襲撃されるかもしれないのだ。 だから本体にもある程度の精神力を残しておく必要があった。 だが、今はそんなことも言ってられない。 全精神力を遍在に配分し、本体が気絶するまで精神力を使い、全力でフーケを助けるつもりなのだ。 ルイズは、フーケを信頼している。 そしてフーケもまたルイズを信頼している。 仮に、フーケがレコン・キスタに捕らえられたとしたら、水の魔法などで『騎士』の正体がルイズだと知られてしまうだろう。 それを防ぐためには、フーケを殺してしまうのが一番良いのだ。 だが、ルイズは『助けてよ』と言った。 甘い、甘すぎる。 容赦なく敵兵を殺す吸血鬼でありながら、心を許した仲間には甘い。 だからこそ自分はルイズが好きなのだろう。 そんなことを考えながら、ワルドは目を閉じて意識を集中させていった。 ロングビルは、シエスタとモンモランシーを送り出した後、オールド・オスマンに頼み休暇を貰っていた。 アルビオンに残している身内が心配なので、休みが欲しいと申し出たのだ。 ロングビルの故郷はアルビオンである、現在はなりを潜めているが、戦争をしていることに違いはない。 ラ・ロシェールからアルビオンに行くには、密航しか方法がない。 オールド・オスマンはロングビルを引き留めたが、ロングビルの決意を崩すことはできなかった。 事実、ロングビルは焦っていた。 ティファニアに物資を援助している商人と、このところ連絡が付かない。 その上、ルイズから渡されたメモには、ティファニアが虚無の使い手であり、レコン・キスタが虚無の使い手を捜していることまで書かれていた。 レコン・キスタからワルドに与えられた任務の一つに、『始祖のオルゴール奪取』があった。 レコン・キスタが虚無の使い手と、キーアイテムを探しているのは間違いない。 ルイズはロングビルに気を利かせたつもりだが、逆にそれがロングビルを焦らせることになった。 ロングビルの熱意に負けたオールド・オスマンは、ついに休暇を認めたが、危険を感じたらすぐに帰ってくるようにと何度も念を押した。 そして今、ロングビルはラ・ロシェール近くの旅籠で盗賊に襲われ、街の外に逃げ出していた。 森の中で、左の上腕に火傷を負い、荒く息をついている。 ただの盗賊が相手なら、ここまで後れを取ることも無かったが、メイジ崩れの盗賊があいてでは分が悪い。 その上、かなりの訓練を積んでいるのか、統率のとれた動きでじわりじわりとロングビルを追いつめている。 「はぁッ…はぁ…ちくしょう、ちくしょうっ…」 絶体絶命だった。 一人、二人、三人、四人と、敵が姿を現していく。 相手はおそらくトライアングル、それが四人。 火、土、水、風で構成された部隊が相手では、フーケの勝ち目は皆無だった。 「…ただじゃやられやしないよ…!」 そう言って、折れた杖を構える。 すると、距離を置いてフーケを取り囲んでいた四人も、杖を構えた。 フーケは、正面にいるメイジの姿を凝視した、薄汚れたローブは胸の前が裂けており、鉄でできた角が深々と刺さっている。 この盗賊達は、フーケが練金で作り上げた槍を食らい、一度は倒れたのだ。 それで安心していたのがいけなかった、死んだはずの盗賊達が内蔵を引きずりながら起きあがり、魔法を使ってきたのだ。 風の魔法を防ぎきれず、フーケは杖を折られてしまった。 「冗談じゃないよ、ゾンビかい?」 心なしか、フーケの声は震えていた。 ゆっくりと、フーケを囲う包囲網が狭まる。 正面にいる男がぴたりと歩みを止めると、不意にフーケの視界が白く濁った。 「ふあ…」 身体から力が抜け、あくびが出る。 まずい!と思ったフーケは、頭をかきむしり、髪の毛を引っ張って眠気に耐えた。 (ああ、これはスリープ・クラウドだ、私を眠らせる気なのか、このゾンビどもは) 強烈な眠気に耐えきれず、意識を失いそうになったその時。 目の前のから、ごろりと首が落ちた。 「!?」 驚いたフーケの後ろで、ドンッと爆発するような音が聞こえた。 後ろを振り向くと、もう一人の盗賊が、何かの魔法で吹き飛ばされ宙を舞っていた。 突風が吹き荒れ、風の刃が盗賊を切り刻む、特に念入りに首と胴を切り離され、ズタズタになった体が地面に落ちた。 残った二人の盗賊は、フーケではなく、突然現れた敵に向けて杖を構えた。 「死人を使って女を襲うとはな」 (どこかで聞いた声がする、そうだ、ルイズの連れていた男の声だ) 薄れゆく意識の中で、フーケはワルドの戦いを見つめていた。 エア・ニードルとエア・スピアーを駆使して、容赦なく首をはねるその姿は、死神のような雰囲気を身にまとっていた。 手際よく切り落とされた首が転がり、フーケを見る。 ぱくぱくと数秒間口を動かすと、それっきりピクリとも動かなくなった生首が、フーケをじっと見つめていた。 フーケは、生首の瞳を眠そうな眼で見返すと。 (ざまあみな) と呟いて意識を闇に落としていった。 To Be Continued→
シエスタとモンモランシーの二人は、ヴァリエール家に到着してすぐ、ヴァリエール公爵夫人カリーヌ・デジレの出迎えを受けた。 滞在する部屋を準備させてあるので、今晩は疲れを癒すようにと言われ、二人はそれぞれ別の部屋に通された。 シエスタにとって、ヴァリエール家は「有名な貴族」であり「大きなお屋敷」でしかない。 しかし、モンモランシーは家名の『格』を気にしてしまう、ヴァリエール家は自分より遙かに目上なのだ、よってモンモランシーは、シエスタ以上に緊張していた。 あてがわれたゲストルームは、二つのベッドルームがリビングで繋がっており、モンモランシーは片方のベッドルームに行くとすぐに寝間着に着替えて眠ってしまった。 モンモランシーは緊張のあまり疲れてしまったのだろう。 一方、シエスタはなかなか寝付けず、窓から空を見上げていた。 エレオノールから聞いた話では、カトレアは生まれつき体が弱く、今まで何人もの高名な水のメイジに治療を依頼していたらしい。 だが、体を伝わる水の流れを何度治しても、またすぐ別の場所に異常が出てしまい、根治することができないのだ。 そんなカトレアの体を治すため、エレオノールは魔法アカデミーでの研究を志したと言う。 他のメイジが見向きもしなかった『波紋』の効能に、興味を惹かれたのも当然だと言える。 シエスタとモンモランシーがシュヴァリエを賜って間もない頃、タルブ村で治癒の力を使い活躍をした二人組の話が、エレオノールの耳に届いた。 エレオノールは、すぐに関連する資料を調べ上げ、オールド・オスマンへアポイントを取った。 オールド・オスマンは、モンモランシーを『将来有望な水のメイジ』として紹介し、シエスタを『オスマンと共に波紋を研究していた人物の曾孫』として紹介した。 「波紋を受け継ぐ者…か…」 ベッドの上でシエスタが呟く。 出発前、オールド・オスマンから、『波紋戦士』の立場は盤石でないと聞かされた。 何十年も昔、リサリサと共に波紋を研究していたオールド・オスマンは、波紋が人体に及ぼす影響だけでなく、魔法への干渉をも研究していた。 『水の秘薬』の効果を劇的に高めるのも、水系統の『治癒』を促進するのも波紋作用の一つ。 応用すれば、『毒』を排出することも、『覚醒作用』を持たせることも、『安心感』を得ることもできる。 波紋を好意的に受け入れて貰うためにも、またシエスタの立場を確固たるものにするために、オールド・オスマンはあえてエレオノールの耳に『波紋』の噂が届くようし向けたのだ。 あくまでも『治癒』の力として波紋を印象づければ、カトレアを治癒できなかったとしても、ヴァリエール家とのパイプは太くなる…そう見越してのことだ。 だが、シエスタには、そんなことはどうでも良かった。 ルイズが治してくれた足をさすりつつ、タルブ村に行く途中で乗り捨てた馬を思い出す。 仮にルイズが吸血鬼だとして、ルイズが人間との共存を望むとしたら、シエスタはルイズを殺す必要はないと考えている。 オールド・オスマンは、それを許すだろうか? ルイズの血は、際限なく食屍鬼を作り出し、世界を混乱させる恐れがある。 やはりルイズを殺さなければいけないのだろうか? なぜ私が波紋使いになってしまったのだろうか? 結論の出ない思考を続けているうちに、眠気がだんだんと強くなっていく。 シエスタは用意されたネグリジェに着替え、ベッドに入った。 その日、久しぶりにルイズの夢を見た。 翌朝、シエスタとモンモランシーは、ゲストルームのリビングで朝食をとっていた。 ヴァリエール家の朝食は魔法学院よりも早いので、魔法学院での朝食と同じ時間に食事をとれるようにと、公爵が二人に気を遣ってくれたらしい。 魔法学院の料理を任されているマルトーは、学院長が直々にスカウトした程の腕前だが、ヴァリエール家もそれに引けを取らなかった。 それほど、朝の食事は豪勢で、しかも食べやすいようにと様々な工夫が凝らされていた。 「ねえ、シエスタ、あなたは緊張してない?」 「え?」 シエスタが顔を上げると、向かい側に座っていたモンモランシーと視線が重なった。 モンモランシーの瞳は力強くも見えたが、どこか儚げだった。おそらくカトレアを治療する緊張感が勝っているのだろう。 それは無理もないことだと、シエスタは理解していた。 国内有数の水のメイジに治療を施されても、病気が根治しない…そんな相手を治癒しろと言われたら緊張するのは当たり前だろう。 「大丈夫ですよ、治せるかどうか、やってみなければ解りませんけれど…ほら、オールド・オスマンが出発前に『今のミス・モンモランシーなら微細な流れも解るじゃろう』って仰っていたじゃありませんか」 「うん…そうね、そうだけど……ねえ、私が何て言われてるか知ってる?」 「え?『香水のモンモランシー』ですよね」 「そうよ、私が一番得意なのは調香。食べ物に使われてる香草や薬味は臭いで解るわ。でも…今は駄目よ、緊張しちゃって、ちょっと自信ないの。弱気になると駄目ね…私」 「そ、そんなことないです!だって、タルブ村で、どんなに酷い怪我人もすぐに治療できたじゃありませんか。今回だって、悪い結果にはならないはずです」 「……怪我と病気は違うのよ。ミス・カトレアを長年治癒していた水のメイジがいるって聞いたでしょう?その人はトライアングルなんですって。私、その人と比べられるのかと思うと…緊張して食事の味もよく分からないわ」 「それでも、私たちは私たちの役目を果たすべきです、たとえどんな結果になっても」 シエスタの言葉を聞いたモンモランシーは、驚き目を見開いた。 「強いのね」 「私は強くなんか無いです、弱いから、必死にならざるを得ないんです」 「…そっか、そうよね。弱いから必死になるのよね…」 モンモランシーは、改めてシエスタの顔を見た。 シエスタは強い、迷いがない、今ならそう思える。 平民出身のシエスタに学ぶことがあるなんて思いもしなかった、だが、今ではそれも快く受け入れられる。 タルブ村で、治療のために奔走するシエスタの行動力、そして強い意志、それは魔法学院では滅多に見られない物だった。 貴族という立場に、家名にアグラをかいている生徒達と違い、シエスタは実力だけが評価されている。 そのハングリー精神が無かったモンモランシーの父親は慢心し、水の精霊を怒らせる真似をしてしまったのではないか。 父親を悪く言うつもりは無いが、父も典型的な貴族主義の貴族であり、シエスタのような目的意識を持たない貴族だと思えた。 だからこそ、今のシエスタがとても眩しく、そして力強く見えるのだ。 「ね、シエスタ。私も波紋が使えたら自信がつくかしら?」 「それは解りませんけど…でも、モンモランシーさんが波紋を使えたら、もっと沢山の人を治せると思います。だからモンモランシーさんにも波紋を会得して欲しいです。自信なんて…その後考えればいいじゃないですか」 「…そうよね。ありがとう。シエスタ」 朝食が下げられた後、メイドから今日の予定を告げられた。 ヴァリエール公爵との面会を済ませてから、カトレアの治療に当たって欲しいとの事だった。 二人は魔法学院の制服に着替え、マントを付けて杖を携えた。 お呼びがかかるまで部屋で待機しているのだが、この時間がやけに長く感じられた。 実際には、着替え終えてから五分と経っていないのだが、何かを待つ時間はとても長く、緊張に満ちている時間でもある。 パタパタパタと、誰かが廊下を走る音が聞こえてきた。 お呼びがかかるのだろうと思い、二人は居住まいを正したが、シエスタはふと疑問を感じた。 廊下を『走る』。それ自体公爵の住まう館では、異常なことではないか? そして不安は的中した。 コンコン、と急ぎ調子なノックの音が鳴る。 モンモランシーはすぐさま「はい」と返事をした。 「大変です!カトレア様が発作を起こされました、すぐにカトレア様を診て頂けませんか!」 メイドの声に驚き、二人は顔を見合わせた。 二人は同時に頷くと席を立ち、カトレアの部屋へと急いだ。 カトレアの部屋に入った二人は、急ぎカトレアの容態を見るべくカトレアに近づいた。 ベッドの上で苦しそうに呼吸するカトレアの姿は、エレオノールとは正反対とも言える容姿だった。 シエスタの胸が高鳴る。 ピンク色の髪の毛はルイズを彷彿とさせる、顔つきもルイズによく似ている、姉妹だから当然かもしれないが、それでもシエスタにとっては大きな事だった。 カトレアの従医が杖を向けて小声でルーンを詠唱しているが、カトレアが落ち着く様子はない、ゼェゼェと息を切らせて苦しそうにしている。 「行きましょう」 シエスタが歩き出した。 モンモランシーが一歩遅れて続き、カトレアの傍らへと立つ。 「君たちがシュヴァリエを賜ったメイジかね?」 カトレアの従医が、杖を引き、二人に向かって問うた。 「「はい」」 男はカトレアに視線を戻すと、左手で自分の頭を押さえた、どうすれば良いのか解らないのだろう。 「今回のは特に酷い、水の濁りが治まらないんだ」 「濁りが?」 モンモランシーが聞き返しつつ、カトレアの体に杖を向ける。 窓から差し込む日差しに、間接的に照らされたカトレアの体は、姉のエレオノールよりもわずかに濁って見える。 それがどれだけ異常なことかモンモランシーにもよく解る。 「シエスタ!波紋を流してちょうだい…体の末端から様子を見るわ」 「はい!」 シエスタがカトレアの手を覆うように握る、そして、深く息を吸い、横隔膜をコントロールし、体の浄化能力を活性化させる波紋を流した。 その上にモンモランシーの杖が触れる、波紋がどういった効果を生み出すのか、水の流れから感じ取るためだ。 結果として、波紋はカトレアの治癒に効果があった、体のほんのわずかな変色と、カトレアを襲っていた強烈な悪寒が治まり、呼吸がだんだんと安定してきたのだ。 その間、モンモランシーはひたすらカトレアの体を観察していた。 『より微細な流れを感じ取りなさい』オールド・オスマンの言葉である。 タルブ村では、主に怪我人を相手に治癒を繰り返していた。 外傷の酷い者もいれば、内臓にダメージを負った者もいる、病人の場合は後者と同じで内臓に目を向けなければならない。 モンモランシーは、波紋によって浄化されていく体から、いくつかの『原因』を抽出していった。 三十分ほどすると、カトレアの体から汗が流れ出す、その汗は脂汗であり、冷や汗でもあった。 人間の体は、少しずつ毒を溜め込み、『水』と共に排出される。 尿や汗がそれだ、だが、カトレアの体は解毒作用が極端に低下している。 シエスタから『波紋』のサポートを受けることで、溜まっていた毒が汗として排出されたのだとしたら、間違いなくカトレアは浄化能力が極端に低下している。 肝臓か、脾臓か、腎臓か、それとも水の流れを生む心臓か。 ……モンモランシーは、心を落ち着ける香水を持ってくれば良かったと、頭の隅で考えていた。 「ふう…」 シエスタがため息をつく。 一時間以上波紋を流し続けていたが、全力で流していた訳ではないので体力的には疲れていない。 だが、精神的な疲労は確かにあった。 ルイズによく似ている人物が、目の前で苦しんでいるというだけでも辛いのに、それがルイズの実姉だと言うのだ。 自分が抱えている秘密…ルイズを殺すために波紋を学んだという事実を秘匿したまま、カトレアを治療すると思うと、どこかやるせない気持ちがわき起こる。 身体の様子を調べていたモンモランシーが杖を収めると、傍らで見ていた従医が入カトレアに杖を向けた。 「……ふむ、小康状態か、いや二人ともありがとう、このところカトレア様の発作が長引いておられたので、私一人では体力的にも辛いところだった。助かったよ」 そう言って額を拭う、どうやらこの医者も長く治癒を続けていたらしく、疲れが見えていた。 「カトレアは落ち着いたの?」 突然聞こえてきた声に、シエスタとモンモランシーが驚く。 声の主はエレオノールだった、いつの間にかカトレアの部屋に居たのだ。 「今のところは安定していますわ」 モンモランシーの言葉に安堵したのか、エレオノールは「そう」と呟いてため息をついた。 エレオノールは椅子を引き、カトレアの隣に座る。 汗でべたついたカトレアの髪の毛を手ですくと、寂しそうに、そして愛おしそうにカトレアを見つめた。 「ミス・モンモランシー。ミス・シエスタ。カトレアの病状は解ったでしょう…原因もよく分かっていないの。何か感じたことはある?」 「身体の中が全体的に弱まっています、毒を溜め込んでしまうような…」 モンモランシーが呟くと、エレオノールは従医に目配せをして「あれを持ってきて」と言った。 従医が退室すると、しばらくしてから何枚かの絵図面らしきモノを持って部屋に戻ってきた、エレオノールは絵図面を受け取るとモンモランシーにそれを手渡した。 「これは…日付が沢山書き込まれてる…もしかして、ミス・カトレアが今まで発作を起こした箇所ですか?」 「そうよ」 エレオノールがモンモランシーの言葉を肯定する、シエスタが絵図面をのぞき込むと、そこには人体の簡素なイラストと、いくつもの矢印と丸印、そして日付が書かれていた。 「これは…ここ一ヶ月以内のモノしか書かれていませんね」 シエスタが呟くと、エレオノールは窓の外を見つめつつ、言い聞かせるように喋り始めた。 「あの子が死んだって聞かされた時、カトレアはひどい発作を起こしたの。それから発作の頻度が多くなって……今は立ち上がることも辛そうなの」 シエスタの身体が、ぶるっと震えた。 あの子とは、ルイズのことだ。 それに気付いたとき、シエスタの身体は恐怖と武者震いで震えたのだ。 「ん…」 「カトレア、目が覚めた?」 エレオノールがカトレアの顔をのぞき込むと、カトレアは薄目を開けて、自分を取り囲む人たちの姿を見回した。 身体を起こそうとしてベッドに手をついたカトレアだが、体力が衰えているためかうまく上体を起こせない。 「だめよ、寝ていなさい。…お願いだから、ね」 エレオノールが優しくカトレアの頭を撫でると、カトレアは小声で呟いた。 「……そちらのお二人が、魔法学院のお医者様?」 「ええ、そうよ。ルイズと一緒に学んだ仲なんですって」 「そうなの……あの子が沢山迷惑をかけたでしょう?」 カトレアはほほえみを浮かべた、どこか懐かしむような笑みはルイズの笑顔を彷彿とさせる。 厳しさのあったルイズと違い、カトレアは慈愛に満ちた瞳をしている。 だからこそ解る、ルイズが目指していた憧れの人とは、きっとこの人に違いないと、直感的に感じるのだ。 「私はカトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ 。まずはお礼を言わせていただきますわ…。ところで、お二人の名前も聞かせてくれないかしら」 「はい。私はモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ」 「私は、シエスタ・シュヴァリエ・ド・リサリサです」 「あら、貴方がシエスタさんね、ルイズからの手紙に貴方のことが書いてあったわ」 「えっ」 静かに微笑むカトレアの瞳は、とても優しかった。 魔法学院で、自分に声をかけてくれたルイズのように、慈愛に満ちた瞳だった。 この場にいる誰も気付かなかったが、カトレアの隣に座るエレオノールの表情が少し強ばっていた。 ルイズはカトレアに懐いていた、対して自分はルイズに恐れられていた。 手紙を貰っていたカトレアが、とても羨ましく思えた。 一方、場所は変わり、トリステインの首都トリスタニア、その一角。 『魅惑の妖精亭』では、相変わらずロイズ(ルイズ)とロイド(ワルド)の二人が仕事に追われていた。 ルイズは高くもなく低くもない、中堅どころの人気を得ていた。 ワルドは表に出ることなくひたすら裏方仕事を続けている。 店主のスカロンが『訳ありなのに顔を出しちゃまずいでしょ』と気を利かせてくれたのだ。 ワルドは、自分の心境の変化に驚きつつ、これが当然だとも思えていた。 ルイズと再開して母を蘇らせ、リッシュモンに復讐すると誓ったあの日から、価値観がすべて一度崩れ去った気がする。 一度崩れた価値観は、ルイズを中心として再構築され、今は自分でも驚くほど皿洗いが気に入っている。 つかの間だと解っていても、平和なのだ、この場所が。 魔法衛士隊に正式に入隊する前は、実力を見せつけるために無茶な任務に志願し、何度も死線をくぐり抜けて仕事をこなした。 時には農村を襲うオーク鬼を退治したり、はぐれの火竜を退治するなどもした。 その時、村人から感謝されたりもしたが、正直なところ何の感慨も涌かなかった。 たが今は違う、皿洗いをしたり重い荷物を運んだり、閉店後の後かたづけをして、ルイズや他の店員から礼を言われるのがとても嬉しかった。 トリステインの腐敗も、己の名誉欲も、母を蘇らせるという目的も、すべて過去のもの。 今自分がやるべき事は、リッシュモンに復讐する機会が来るまで、ここで与えられた仕事を全うすることだ。 つかの間の平和であったとしても、平和は尊い。 暗闇に光が差し込んだような晴れ晴れとした気分で、ワルドは今日も皿洗いを続けていた。 ルイズは、そんなワルドの変化を感じ取っていた。 仮面のように張り付いた作り笑いではなく、飾り立てもしない健やかな笑みがとても嬉しかった。 思い出の中の、青年時代のワルドよりもずっと魅力的に思えるのだ。 閉店時間が近くなり、ルイズが厨房へと入ってきた、ワルドの隣に並び顔をのぞき込む。 「手伝うわ」 「いや、いいさ、すぐに終わる」 「こんなに沢山皿が残ってるじゃない、私も手伝うわよ」 水場に積み重ねられた食器はかなりの数だった、タワーのように積み重なる食器を一枚一枚手に取り、洗っていく。 ワルドの付けている義手は人間と見紛う程のものだが、精密な動作は完璧ではないので不意に力がかかってしまう。 昨日、それで二枚も皿を割ってしまったので、ワルドはおそるおそる食器を洗っていた。 ルイズが横から手を伸ばすと、皿を左手に持ち、右手でキュッと音を立てて拭う。 すると不思議なことに、ルイズが手で拭った箇所が、汚れ一つ無いほど綺麗に磨かれていた。 「…?」 ワルドが首をかしげると、ルイズは掌を見せた。 ルイズの手のひらは、銀色の毛で覆われており、ブラシのようになっていた。 手首に仕込んだ吸血馬の骨が、黒と銀色の毛を掌に伸ばしていたのだ。 毛の先端は微細で、堅すぎず柔らかすぎない、どんな細かい汚れも落としてしまう。 「便利だな」 「でしょう」 カチャカチャと音を立てながら、食器を洗い続けていると、不意にワルドの動きが止まった。 ルイズは、どうかしたんだろうか?と思いつつワルドの表情を見た。 そこに居るワルドは、かつてニューカッスル城で見たような、感情の見えない顔をしていた。 ルイズの肘がワルドの腕を軽くノックする、ワルドはハッと我に返り、ルイズの方を見た。 「どうしたの?」 「耳を貸してくれ」 ルイズがワルドに密着すると、ワルドはルイズの耳元に口を近づけ、小声で呟いた。 「『遍在』がラ・ロシェールに居るんだが、フーケが何者かに襲われているのを見つけた。相手は……」 「相手は?」 「おそらく、クロムウェルが蘇らせた、ウェールズの近衛兵だ」 「…!」 ルイズの表情が、心なしか厳しくなり、髪の毛がほんの少しだけ逆立つ。 「洗い物は頼むよ、僕は先に部屋に戻る」 手の汚れを軽く洗い落として、ワルドは部屋へと足を向けた。 「…助けてよ、お願い」 ルイズの呟きが、やけにハッキリと聞こえた。 ワルドは、他の店員達に顔を見られぬよう、俯いたまま部屋へと戻っていった。 怒りでも悲しみでもない、目の前の敵を排除するという目的のために、ワルドの表情は凍り付いていく。 その顔を見られたくないのだ。 部屋に入ると、ベッドの上に転がり、目を閉じた。 マチルダ・オブ・サウスゴータは、魔法学院での名をロングビルといい。盗賊としての名を土くれのフーケという。 彼女がどんな理由でラ・ロシェールにいるのか解らないが、とにかく今は彼女を助けるために尽力せねばならない。 ワルドは、トリステインで最も多く、また長距離にわたって遍在を使えると自負している。 『魅惑の妖精亭』で本体は身を隠し、遍在を使って各地の調査に当たらせていたのだ。 だが、遍在ばかりに頼っては居られない、レコンキスタからの暗殺者や、そのあたりのごろつきに『魅惑の妖精亭』が襲撃されるかもしれないのだ。 だから本体にもある程度の精神力を残しておく必要があった。 だが、今はそんなことも言ってられない。 全精神力を遍在に配分し、本体が気絶するまで精神力を使い、全力でフーケを助けるつもりなのだ。 ルイズは、フーケを信頼している。 そしてフーケもまたルイズを信頼している。 仮に、フーケがレコン・キスタに捕らえられたとしたら、水の魔法などで『騎士』の正体がルイズだと知られてしまうだろう。 それを防ぐためには、フーケを殺してしまうのが一番良いのだ。 だが、ルイズは『助けてよ』と言った。 甘い、甘すぎる。 容赦なく敵兵を殺す吸血鬼でありながら、心を許した仲間には甘い。 だからこそ自分はルイズが好きなのだろう。 そんなことを考えながら、ワルドは目を閉じて意識を集中させていった。 ロングビルは、シエスタとモンモランシーを送り出した後、オールド・オスマンに頼み休暇を貰っていた。 アルビオンに残している身内が心配なので、休みが欲しいと申し出たのだ。 ロングビルの故郷はアルビオンである、現在はなりを潜めているが、戦争をしていることに違いはない。 ラ・ロシェールからアルビオンに行くには、密航しか方法がない。 オールド・オスマンはロングビルを引き留めたが、ロングビルの決意を崩すことはできなかった。 事実、ロングビルは焦っていた。 ティファニアに物資を援助している商人と、このところ連絡が付かない。 その上、ルイズから渡されたメモには、ティファニアが虚無の使い手であり、レコン・キスタが虚無の使い手を捜していることまで書かれていた。 レコン・キスタからワルドに与えられた任務の一つに、『始祖のオルゴール奪取』があった。 レコン・キスタが虚無の使い手と、キーアイテムを探しているのは間違いない。 ルイズはロングビルに気を利かせたつもりだが、逆にそれがロングビルを焦らせることになった。 ロングビルの熱意に負けたオールド・オスマンは、ついに休暇を認めたが、危険を感じたらすぐに帰ってくるようにと何度も念を押した。 そして今、ロングビルはラ・ロシェール近くの旅籠で盗賊に襲われ、街の外に逃げ出していた。 森の中で、左の上腕に火傷を負い、荒く息をついている。 ただの盗賊が相手なら、ここまで後れを取ることも無かったが、メイジ崩れの盗賊があいてでは分が悪い。 その上、かなりの訓練を積んでいるのか、統率のとれた動きでじわりじわりとロングビルを追いつめている。 「はぁッ…はぁ…ちくしょう、ちくしょうっ…」 絶体絶命だった。 一人、二人、三人、四人と、敵が姿を現していく。 相手はおそらくトライアングル、それが四人。 火、土、水、風で構成された部隊が相手では、フーケの勝ち目は皆無だった。 「…ただじゃやられやしないよ…!」 そう言って、折れた杖を構える。 すると、距離を置いてフーケを取り囲んでいた四人も、杖を構えた。 フーケは、正面にいるメイジの姿を凝視した、薄汚れたローブは胸の前が裂けており、鉄でできた角が深々と刺さっている。 この盗賊達は、フーケが練金で作り上げた槍を食らい、一度は倒れたのだ。 それで安心していたのがいけなかった、死んだはずの盗賊達が内蔵を引きずりながら起きあがり、魔法を使ってきたのだ。 風の魔法を防ぎきれず、フーケは杖を折られてしまった。 「冗談じゃないよ、ゾンビかい?」 心なしか、フーケの声は震えていた。 ゆっくりと、フーケを囲う包囲網が狭まる。 正面にいる男がぴたりと歩みを止めると、不意にフーケの視界が白く濁った。 「ふあ…」 身体から力が抜け、あくびが出る。 まずい!と思ったフーケは、頭をかきむしり、髪の毛を引っ張って眠気に耐えた。 (ああ、これはスリープ・クラウドだ、私を眠らせる気なのか、このゾンビどもは) 強烈な眠気に耐えきれず、意識を失いそうになったその時。 目の前のから、ごろりと首が落ちた。 「!?」 驚いたフーケの後ろで、ドンッと爆発するような音が聞こえた。 後ろを振り向くと、もう一人の盗賊が、何かの魔法で吹き飛ばされ宙を舞っていた。 突風が吹き荒れ、風の刃が盗賊を切り刻む、特に念入りに首と胴を切り離され、ズタズタになった体が地面に落ちた。 残った二人の盗賊は、フーケではなく、突然現れた敵に向けて杖を構えた。 「死人を使って女を襲うとはな」 (どこかで聞いた声がする、そうだ、ルイズの連れていた男の声だ) 薄れゆく意識の中で、フーケはワルドの戦いを見つめていた。 エア・ニードルとエア・スピアーを駆使して、容赦なく首をはねるその姿は、死神のような雰囲気を身にまとっていた。 手際よく切り落とされた首が転がり、フーケを見る。 ぱくぱくと数秒間口を動かすと、それっきりピクリとも動かなくなった生首が、フーケをじっと見つめていた。 フーケは、生首の瞳を眠そうな眼で見返すと。 (ざまあみな) と呟いて意識を闇に落としていった。 [[To Be Continued→>仮面のルイズ-53]]

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