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去にし辺よりの想い


__鮮血《あか》く染まった、夢を見た。


白昼に落とし込められた、悪夢の欠片。


__虚無《くろ》く染まった、夢を見た。


漣の様に、限りなく繰り返す幻影。


__原初《しろ》く染まった、夢を見た。


其処に映し出される、幾つもの影。
意図的に切り抜かれたかの様に、顔だけが茫洋と霞んでいる。
しかし、それは同時に、私に強い懐かしさを覚えさせる。

それは、幼子が母を求める姿にも似て、根源的な望みを叶えようとしている様で。
影を求める様に。影に縋る様に。知らず、私は靄へと手を伸ばそうとして__



__そうして、何時しか私の意識は、天窮《あお》く染まった現実へと還るのだ。
其処に何らの証を残すことなく、唯、深い蟠りのみを齎して。




吹く風は萌え出した草木の薫りを孕み、遥かに高く聳えるこの老樹の枝葉にさえ清々しさを運んでくる。
眼下に広がる樹々の群れを見れば、優し気な深い緑が眼に沁みてくる。
しかし、それさえも、垂れ込める暗雲の様な私の気分を晴らすことはない。
寧ろ、それを感じる度に、陰鬱さは増していくのだ。

この美しい異国の地こそが、私を苦しめている原因だと。
少なくとも、今この時にはそう考えざるを得ないから。



エレヴィスティアより遥か東。
リンティスタの覚醒以前に興ったという、永い歴史を持つ小さな島国、大和皇国。
所謂旧世界の失われた技術と魔術を巧みに組み合わせた魔導を用いて、
自然と調和を保ちながらも驚く程に繁栄している、奇妙な国。
その国土の片隅に位置する、とある小さな農村が私達の悠久郷へと組み込まれたのは、
私が創造した結界が安定したその次の瞬間のことだった。

この様な事は、確かに理論上は十分に起こり得る。
世界中から、忘れられたモノが無差別に悠久郷へと迷い込む。
場所という曖昧な概念であったとしても、忘れられれば全て同じなのだから、
迷い込むこと自体はおかしくはない。

しかし、この村は違った。異様な点を二つ含む、奇妙な入り方だったのだ。

先ず第一に、結界の創造とほぼ同時に入り込んできた点。
これは、普通ならば、その時点で既にこの村が幻想に近かったことを意味している。
だが、余りにもそれは早過ぎたのだ。

結界の効果が外界全てに及ぶ、つまり、世界中の幻想が結界の効果に反応するまで、
マナの波動の伝播を考えると、数年は掛かると計算していた。
しかし、現実にはこの村が直ぐに反応した。
実際の距離からすると、反応するのは数ヶ月も後の事になる筈の場所にあるこの村が、だ。

そして第二に、そもそもこの村が『忘却』されていたというその事実だ。

『忘却』とは、それをまず認知し記憶する存在があってこそ成り立つ。
知りもしないことを『忘れる』ことは出来ない。当然の話だ。
だが、この村の有様はどうしたことか。

この村は、『最初から他の如何なる存在とも関わりを持たない』事を前提として、
全てが成立する様になっている。
そして、住人達はそれを疑う事もなく、外界に対する一切の興味を持たない。
自分達の住む村とその周囲だけが世界であるという不自然な『当然』の上に成り立つ、奇怪な在り方。

環境が厳しいということはない。
生活において、殊更に奇異な習慣などを有している訳ではない。
増してや、住まう者に変わったところもない。

唯、その一点だけが異常なのだ。

そして、その異常は、実際に起きた『忘却』という現象が含む、忘却の定義に対する矛盾の要因となっていた。

『この村』というものを記憶しているのはこの村の住人だけであり、
その外に位置する人間は一切これを認知していない。
これはつまり、この村が、『誰にも知られていない』状態で『誰かに忘れられた』。
外界に住む人間が、『知ってもいないことを忘れた』ということだ。

それは、世界の理に反すること。然在るべき事象が捻じ曲げられているということ。
そしてそれ以上に、私達の悠久郷に何かが起こっているかもしれないという不安を齎す原因となるものであり、
私の『苦しみ』をも引き起こしているのではないかと疑いを向けるに十分な異変だった。

彼らの村長は、何故外界へ興味を持たないのか、という私の問いにこう答えた。

「村の外はこの世の地獄であり、それから逃れる為に先祖はこの地に移り住んできた。
 そして、外と交わることなく、唯この村を守って生きていく様に子孫に言い遺された。
 我々は、その戒めに基づいて生活しているだけだ」

この村には、ほぼ無傷の旧世界遺物が数多く残されている。
その事実とこの言葉を考え合わせると、彼らの先祖は、
審判の日』に訪れたという大災害から逃れ得る場所として此処へ移り、
そして生き残った者達なのかもしれない。
そして、その影響が外界に残っていることを恐れ、子孫を生かす為に外界との交流を絶たせたのかもしれない。
其処までは筋が通るし、理解も出来る。

だが、だからといって、二つの異常が解消されるということは有り得ない。
何故、彼らや彼らの村は『忘却され得た』のか。
そして、何故、遥かに離れている場所で発動した魔術に、即座に『反応し得た』のか。

前者については、彼らが知らぬ間に何者かが村を見つけ、
それを忘却したか誰かに伝える前に死んでしまった、ということが考えられるが、
この村の見張り役を担っている者も、そんな人間は見たことがないと言っていた。
それが間違いないのならば、この可能性はほぼ消えることになる。

後者については論外だ。
今現在、悠久郷に居る研究者達に頼んで、科学・魔術・魔導全方面から研究を進めているが、
どうしても現実にあった距離を無視する訳にはいかない。
これだけの長い距離を一瞬で渡って効果を及ぼす魔術など、聞いたこともない。
マナの行使の際に、超高速で伝播する何かしらの物理作用が働くということも観測結果としては得られていない。
全く暗中模索の状態なのだ。

……せめて、この理由だけでも分かれば。何か、あの事について分かるかもしれないのに――





………

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………





じわり、と。その刹那、視界に空虚が拡がった。





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……空虚が去り、世界が再び色を取り戻す。
気付けば、私の服は斜陽の光で朱く染められていた。
『今回』は、随分と長く掛かった様だ。

身体の具合を確かめる。少し筋肉が固まり気味だが、さして酷くはない。
手足もしっかりと動く。私の力以外は、何も差し支えない。
どうやら、特に目立って不具合は起きていない様だ。
それを確認して、ようやく安心して一つ溜息を吐いた。

……これが、私の『苦しみ』。
この村を悠久郷が取り込んでからというもの、絶えず私を苛みつづけているもの。

法則性など無く、時も場所も問わず、唐突に訪れる幻。
内容はその度毎に異なり、今まで同じものを見たことはない。
しかし、唯一つ共通しているのは、我に返ったその瞬間、『境界』の力が揺らぎ……
まるで、幻に呼応して、何かが私にも干渉しているかの様な、そんな感覚を覚えること。

この揺らぎは、私の身体にも影響を及ぼすことがある。
酷い時では、『私の身体』と『それ以外』の境界が揺らいでしまい、
危うく意識だけを残して消滅しかけるという、
命に関わってくる事態を引き起こしたこともあった。

だが、それ程の出来事を引き起こしながら、幻の原因はようとして知れない。
何もかもが幻想の中で上手くいっている中で、その一事だけが私を悩ませて已まない。
何とかしようとして、原因として最も有り得そうなこの村を皆の力を借りてまで探っているというのに、
それも成果を挙げることは無い。

死とも消滅とも知れぬ、曖昧な滅びに怯えて暮らす日々。
一体、何時まで耐えればいいのだろうか。

何時まで、耐えられるのだろうか?


「賢者様ー。賢者様ぁー」

その時。遠く村の方から、小さな影が近付いてくるのに気付いた。
聞き覚えのある幼い呼び声も、次第に大きくなってくる。
さては、と見てみれば其処には、この村の住人である少女が、
仲がいいという燕達と共にふわふわと宙に浮いていた。

「こんにちは、でいいのかしら。どうしたの、ヨネちゃん」

弱気な心を奥へと押し込め、出来るだけ自然な笑顔を作ってこの国の土着言語で話しかける。
この娘……名前はヨネというが、彼女は、同年代の同種他個体と比較して
非常に傑出した魔術の才の持ち主であり、 十を越えるか越えないかという年齢でありながら、
水以外の魔術が苦手な者が多いリンティスタへならば、事細かな指南さえも出来る程の力がある。

その関係で、彼女とは私的にも交流があり、時折話をすることもあるのだが……
普段は村内ででも魔術で引っ張りだこの彼女の方から、
元々部外者であり縁遠い存在である私を態々探しに来るとは、何事なのだろうか。
何か言伝でも頼まれたのか……?

「えっと、父様が、賢者様をお呼びしろって。干海で妙な物が見つかったから、見て欲しいんだって」

「干海……」

確か、村の近く、悠久郷に入り込む以前には海があった場所の手前に存在する、広大な砂漠地帯のことだ。
嘗て、所謂遠浅と呼ばれる類の深度の浅い海があったのが、
『審判の日』後の気候変動で干上がって出来たものと記憶している。そこで、妙な物、か。

「妙な物って、何なのかしら?」

「船。おっきな昔の船だよ」

……それは、おかしくはないと思うのだが。
元は海だったのだし、旧世界の沈没した船がそのまま残っているというのも、有り得ない話では無い筈。
では、何故?

「あのね。父様達が、調べる為に中に入ろうとしたんだけど、どうしても進めないんだって。
 何時の間にか、入り口に戻ってきちゃうの」

「……続けて」

「それで、私が調べてみたんだけど、何か、結界? みたいなのが道の途中に張ってあって、
 通ろうとしたら入り口まで戻されちゃうみたいなの。私も試してみたけど、駄目だった」

……成る程。村長が私を呼ぶ訳だ。

魔術師というのは、旧世界のものを忌む。
断片的にではあるが、『審判の日』のことは伝承として各地に残っている。
その恐ろしい災害を引き起こした以前の人類達を、オールグリーンと共に生きる者は良く思っていない。
その残滓である遺物についても同様だ。為に彼ら彼女らは、極一部の例外を除けば、
遺物に関わり合うことどころか、目にし耳にすることさえも避ける。
そんな者達が、己の弛まぬ研鑽の成果である魔術を忌避の対象へ掛けるだろうか。
無いとは言い切れないが、然りとて易々と肯定も出来ないだろう。

しかも、術の精度や効果の程は途轍もないものだ。
ヨネ……彼女の才は天賦のものであり、魔導装置に用いられるような複雑な術式を、
直感のみに頼って解体するなど、それは正しく『天才』の領域に達している。
だというのに彼女が手出し出来ないとなると、相当の高位の魔術師の代物であるというのは予想に難くない。

彼女の魔術の才覚を以てしても突破出来ない結界術。
しかもそれが張られているのは旧世界遺物。
確かに、妙だ。

「分かったわ。今から向かいましょう。道案内、お願いできるかしら?」

「はーい!」

飛行の魔術を使い、ゆっくりと浮かび上がってから、先に動き始めたヨネの後を追う。
徐々に高度を上げ、加速していくその合間に、一つの仮説を思い付いた。

ヨネによると、結界の効果は船内への侵入の妨害の様だが、その為に起こっている現象は、
特定の場所を通過しようとするものを強制的に排出する、空間操作系魔術の様だ。
空間操作は、魔法の一つである空間転移にも繋がり得る高度な魔術であり、習得はかなり難しい。
従って、術者も相当の力を持っている筈だという私の予想にも、この事実は合致する。

だが、それに加えてもう一つ思い当たったのは、空間操作の持つ性質だ。
空間操作とは、当然ながら空間を自在に操る術である訳だが、
操られた空間は概して、何らかの形で歪曲している場合が殆どだ。
この結界の様に、強く本来の空間に影響を及ぼす魔術ならば尚更。

旧世界の物理理論によれば、時間と空間は別々のものではなく、
元来一つに纏められるべきものなのだという。
故に、何方かに異常があれば、もう一方にも必ず影響が現れる。
これを今回の事例に照らし合わせれば、
『空間の歪曲が時間にも影響を及ぼす可能性がある』とも言い換えられないか。

本来伝播まで相当の時間を要する筈の魔術が、
変質した時間によってその伝播を加速されたとは考えられないだろうか。

この仮説が正しいとすると、まず第二の疑問が消える。
第一の疑問については、見張り役がこの村を見つけた人間を見逃したなどの抜け道も考えられるので、
かなり理論構築に余裕が出来る筈だ。

本職ではないので、不確かな知識を元に自分なりに考えてみた結果だが、それなりには筋が通っていると思う。
調査を終えて帰ったら、研究員達に話してみようか?

「……見えたよ、賢者様!」

考えを纏めていると、風切り音に遮られない様にと張り上げられたヨネの声に気付いた。
頷き、彼女が指差す方を見る。



遥か下方に見えるのは、どうやら、旧世界の海上艦の様だ。
辛うじて船としての形を維持しているといった具合で、残骸も同然と言っていいほど酷い状態。
恐らくは、戦闘によって撃沈されたものだろうか。

「降りるよー!」

「えぇ! 分かったわ!」

答えて、少しずつ降下していく。

朽ち果てている筈の船内は、どの様な状況なのだろうか。
高位の魔術師が空間操作魔術を使う理由とは、何だろうか。
色々と思いを巡らせる中、ふと、風に声を聞いた気がした。
ヨネの方を見てみるが、彼女は前を向いて真っ直ぐ飛び続けている。
彼女ではない様だが、なら誰が? 私の聞き間違いだろうか。








……





………



思い出せ。



………





……








「!?」

聞こえた。

慌てて周りを見回すが、何処からも声は聞こえてこない。
しかし、今度は気の所為とは思わない。何せ、耳元で囁かれたかと思う程近くで聞こえたのだから。

一体、何が起こったというのだ。
風の魔術に、風の流れに乗せて音を届けるものはあるが、今のにはマナの反応が一切無かった。

魔術無しで、どうやったらあんな真似が出来るのか。
『思い出せ』とはどういう意味なのか。
誰の仕業なのか。
次々と疑問が浮かぶが、その全てに解が出ない。

前を行くヨネが、急に動きの鈍った私を怪訝な表情で見つめる。
何でもない、と身振りで伝え、先導を続ける様に言った。
得心のいかない顔をしていたが、素直に従ってくれたのを見てから、その後を付いていく。

……また、謎が増えた。一つ手掛かりを見つけて喜んでいた所にこれとは、気が滅入る。
夕陽に染まった鈍色の塊に近付くのを見ながら、また心が濁り始めたのを感じる。
一体如何したものだろうか……

この時は、私は知らなかった。

私の聞いた声の理由も。

船に『魔術』が掛けられていた理由も。

結界が村に反応した理由も。

繰り返す幻の理由も。

そして、私が『私』である理由も。

それを知ったのは、船が『目覚め』を求めていると、『私』が理解した時だった。


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era4 事件
最終更新:2022年09月03日 21:26