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レオナルド


『レオナルド・ティフリット』

era3初期のソレグレイユにて多くの幻想小説を遺した小説家。
先天的な遺伝子の異常により脆弱な肉体で誕生し、その20年に満たない生涯を平穏な療養所で過ごした。

彼の遺した小説は100を越えるが、それらは全て彼の死後に発表されている。
というのも、彼の創作意欲の対象は世間一般ではなく、たった一人の少女を読者としたものであったからである。


レオナルドが生涯を過ごした場所は、ソレグレイユ西部の穀倉地帯の外れにある、
訪れるものも殆どない広大なライ麦畑のそばに設立された療養所で、
そこは生存には平穏な環境が不可欠な人間のために用意されたただ静かに時が過ぎゆく、
死に向かう人々のための空間であった。

幼くしてその場所に移り住んだレオナルド少年は、そこでの緩やかな時間を楽器の演奏や写生、
そして様々な文学作品を読むことに費やした。
その生活の中で、彼は自身と同じような境遇の少女と知り合い、多くの時間を共に過ごすようになる。
(療養所の関係者の言葉によれば、この頃からすでにレオナルドは物語の創作活動を行なっていたらしいが、
当時の作品自体は残っていない。というのも、彼はそれを紙に書き起こすことなく、
その少女に直接語り聞かせていたらしいからである)

しかし、レオナルドが14歳の時にその少女は容態を崩し、手術を行なうために療養所から都市部の病院へと転院してしまう。
そこから少女が命を終えるまでの3年間の間、レオナルドは少女と手紙を介して関係を続けていた。
この手紙の中には、後にレオナルドの前期作品として有名になる幾つもの物語があった。


少女の死後、失意状態に陥ったレオナルドは自らも体調を崩し、外出もままならないほどに弱りはててしまう。
そこでの鬱々とした病床生活の中、レオナルドは残り少ない命を削るような勢いで小説の執筆を行なった。
(この頃の作品は後期作品として分類されており、不安定な文体や陰鬱で幻想的な世界観など、
前期作品とはまた違う魅力で読者の人気を得ている)

この行動の理由として、彼の作品の愛好者や研究家は少女の弔いのための儀式である、という解釈や、
今際の時に本人が作品がどこかで発表されることを望んだからには、
その少女の姿を誰かに覚えていてほしいという意識の顕れであるなど、様々な解釈を試みているが、未だ答えは出ていない。
結局、彼は後期の小説や手記の中でさえ、己の心境について言及するようなことを一度もしなかったのである。

ひとつだけ確かなのは、彼の全ての作品に必ず登場するカーフィという少女は彼が作品を捧げた少女の、
そして前期作品ではレニーという名の少年として、後期作品では不安定な観察者として現れる語り手は作者自身の投影である、
ということくらいである。

画像は療養所にて文通生活を送っていたころのレオナルド本人の写真。
撮影は、彼の数少ない友人であり主治医でもあり、そして病床にあったレオナルドの頼みを聞き入れ、
著作の出版に尽力したモルデア医師によるもの。

最終更新:2014年07月03日 05:48
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