エルト・オルケイン大宮殿
形式上
久平領に属する永世中立国
オルケイン市国の中央に存在する王宮。
「エルト」は古代オルケイン語で「崇高なる」の意。
この場所はかつて、
ユグドラシル9代皇帝アレクサンダー・ロギ・ユグドラシルと
ソレグレイユ46代連邦大統領ルイス・モンゴメリーが、
オルケイン法王イノケンティウス11世の仲介で追悼式に参列し、
「
審判」以降初めての平和条約・不可侵条約に調印した場所である。
後に四百年条約と呼ばれるこの条約はユグドラシルでは帝暦(I.C.)213年、
ソレグレイユでは次元世紀(D.E.)531年の12月、当時は独立国であったオルケイン市国の仲介で締結された。
永久の平和の証として国際共通紀元であるオルケイン暦(A.O.)が制定され、翌年1月1日から施行されている。
そして追悼式では、このようなことが二度とあってはならないと、
「審判」によって命を失った何十億もの人類の魂を祀り、祈りを捧げた。
しかし、当時の状況を記録した資料のうち少なくない数が行方不明となっていること、
また現存の資料の中に締結作業中の宮殿の出火、暴徒の襲撃などの記録が断片的ながら残されており、
第三者による何らかの意図が存在していたのではないかとも言われているが、真相は定かではない。
条約の主な内容は「今後互いの領土に一切の侵略行為を行わないこと」に関連するものである。
その上で
悪魔や
魔物に対抗するための具体的な意見交換が行われたとされ、
二国間に「共通の敵」を作り協調を深めようという意図があったと見られている。
この提案を行ったアレクサンダー帝は
初代皇帝の推し進めた悪魔対策をさらに発展させ、
現在の形まで大成させた人物であり、特に外交政策での評価が非常に高い人物である。
(他の功績としては、哭ニヴルヘイム大公国の王国盟邦への正式加盟、
またテオゴニア大陸の諸国との軍事的な連携の強化などが知られている)
彼の提案はソレグレイユの同意を引き出すためには非常に優れた着眼点からのものであったが、
一つ抜け穴があったと言われている。
それはまさに「久平領の独立を承認しなかったこと」であった。
この平和条約締結により、ソ・ユ両国は「パックス・オルケイナ」と呼ばれる60年余りの安定期、
歴史学的にはera3と呼称される時代に入る。
しかしこのera3は、単なる表面上の安定期に過ぎなかった。
era2は、発見・発展の時代であると同時に久平領内で多くの紛争が勃発し、
またソ・ユ両国領内でも度々内乱が起こっていたことに由来する軍拡の時代でもあった。
上天帝国の台頭と衰亡、そして久平連合独立同盟の建国宣言。
各国は水面下で互いを仮想敵国として軍拡を進め、高まった緊張はera3で遂に爆発した。
独立を認めない二大国に業を煮やした久平軍の急進派の戦闘機がソレグレイユ本土領空に侵入し、
ソレグレイユ軍によって撃墜されたのだ。
ソレグレイユはこれを非難し、久平が条約の適応外であることを理由に
久平沿岸と北部国境を制裁と称して封鎖した。
しかし当時のユグドラシル10代皇帝―彼は哲学と戦略の専門家であった―フィリッポス・ネロ・ユグドラシルはこの行為を批判し、
「あくまで軍を引かないのであれば我々も軍を出す」と脅しに近い警告を出した。
ソレグレイユと久平が開戦すれば、ユグドラシルも必然的に巻き込まれる。
全面戦争を避けるために下した、平和条約があればこその苦渋の決断であった。
ソレグレイユは二国を同時に相手取るのは分が悪いと考え、また両国の軍事力が未知数であったため軍を引いたのだった。
たったこれだけの事件で死者も出ていないが、この事件は後の世に、眼に見えぬ禍根を残すこととなった。
このいわゆる「アルヴァクラの眼」事件は後の歴史家の中でも議論の分かれているところである。
またこの事件で平和条約は事実上無効化され、表向きは60年間の安定期が続いた裏で、era3はこの時より、激動の時代に突入するのであった。
最終更新:2016年02月24日 17:13