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ある編纂者の主観的考察/旧き魔術と認識の相関

ある編纂者の主観的考察/旧き魔術と認識の相関


何だ何だ、今度は何だ。あたしも暇じゃ無いんだが……いや、そんな事はないか。
時間だけは無限にあると言ったのはあたしだしな……

で? 何が如何したって……フム……フン……超能力は分かったが、肝心要の魔術がまだだって?
それにこれじゃ、小人の魔術の説明がつかない?

……あんまりこういうことは言いたくないけどね、新入り君。
お前さん、少々落ち着きが足らな過ぎるよ。この先を見ろと言うんだよ、あたしは。
考えてもみ給えよ。
超能力の話がさぁ終わったという所なんだから、さて次は何だと次のページを捲るのが筋じゃあないのか。

ん? 疑問をそのまま放ってはおけないだって?
……何だな、お前さんのそれはずっとそうなのかね……いや、いい。
そうでなければ此処に来れないものな。馬鹿な質問をしたよ、済まないね。

まぁ、取り敢えず読み進めることだ。腰を据えて何かをする事も覚えた方がいいよ、新入り君。
ほれ、此処だ。魔術云々と書いてあるだろう? 此処から読み進めればいいさ。

もういいな? じゃ、あたしは仕事に戻らせてもらうよ……全く、中々如何して難儀な新人だ……



__しかし、世の中には、所謂魔法とか魔術とか、呪いとか呼ばれるものもある。
これらは、何らかの形で訓練を積めば誰でも使えるもの、という認識をする者が多いかとも思われる。
旧世界は日本国、往古に行われたという丑の刻参りは最たるもので、
これなぞは、誰でも特定の手順をなぞるだけで誰かを呪えるというから、
超能力とは明らかに異質な現象である。

境井女史の時代には超能力の存在が認められた為に、再びこれらへの科学考証が試みられた。
しかし、終ぞ女史を含む科学者達は、これらを解明することはおろかその存在の確認すらも出来なかった。
結局、彼らはこれを、超能力の一種或いは偶然の産物として片付けてしまった。

では、実際には如何であったか。
否である。
名を魔術と呼ぶが、それは、確かに超能力とは別の存在として現実にある。
とは言っても、審判の日以降の、エルフ種による魔術とは少々意味が違い、
もう一つの旧人類、小人達が発明し、有史以来使っていたそれを指して言う。
これを旧き魔術とするが、これは、端的に言えば、
『引き出した霊力の加工と使用』に関する諸々の技術系体の総称である。

つまり、こういう事だ。
超能力は、魂によって生産された霊力という素材に何ら手を加える事なく、
そのまま四次元空間に吐き出し、その状態で使える事に使っている。
一方、旧き魔術は、まず使用用途を想定し、
霊力をそれに合った形に加工してから吐き出し、これを使っているのだ。

原木の様な未加工品を、加工を加えずにそのまま使って何かをすることと、
木材の様な加工品を使って何かをすることの違い、という喩えが、
これを比喩的に表すのに近いかもしれない。

前者では、幾ら知恵を絞って考えても出来ることは限られるが、
後者では、前段階である加工の仕方によって、又作り手のアイデアによって、可能性は大きく広がっていく。

小人達は、その矮躯と非力を補う為に、超能力について深く研究していた。
その結果として、超能力を更に拡大発展させる術である旧き魔術を創出するに至った。
霊力を扱う力は潜在的に全ての生命体が持つものであることを踏まえて、
訓練によりこの能力を引き出してしまえば、超能力に適性の無い魂の持ち主であっても、
代わりに旧き魔術を使うことで同じ事が出来る、という訳だ。

旧き魔術に於ける加工と行使のプロセスは、大凡次の様になる。
まず、通路を通じて行使者の肉体へ至った霊力を、魂の統御によって変質させる。
この変質には生命力が使われるが、これは、四次元空間の法則に則った力によって、
高位次元のエネルギーとしての特質と引き換えに、四次元空間で普遍的に通用する性質を付与する為である。

次に、変質した霊力を、任意の術式などに注ぎ込む。
此処で言う術式とは、魔術に於ける魔導陣魔術回路とは異なるもので、
『何者かの認識に於いて特定の意味を為す記号・文章・行動』を総称するものだ。
先の丑の刻参りを例に取ると、『丑の刻』に『誰にも知られず』に、
『御神木』に『藁人形』を『釘で打ち付ける』のを『七日間続ける』ことが、
『誰かを呪う為の』術式に当たる。

すると霊力は、術式に含まれる意味の認識を、四次元空間に実現する。
丑の刻参りをすれば相手を呪えるという認識を具現化することによって、実際に呪いを掛ける。
またこの場合では、地方などによって細部が違う為、
呪いの実行者の認識によって、手順や発現の仕方が異なる。

前者では、人に見られたら効力が無くなるだけか、
或いは見たものも殺さなければならないか、自身に呪いが返ってくるか、といったところで、
後者では、釘を刺した所から病む、妖怪の類が祟る、などである。

丑の刻参りが呪術として成立して後、これらは、それを知る者の間で、
『これは丑の刻参りの手順であり、これに従って行動する事で誰かを呪える』という認識を得ている。
旧き魔術は、霊力によってこの様な術式に対する認識を世界に具現化するものであり、
必ずしも、魔導陣の様に明確な形としてそれを象徴するものがある訳ではない。
又、必要なのは『何者かの認識』であることも特徴だ。
行使者が、自身の知らない術式を偶々なぞっていただけでも、
霊力が流れさえすれば発動してしまうこともある。
逆に、例えそれまで術式として成立していないことでも、
自分がそれを術式だと思い込むことで、新たに魔術を構築することも出来る。

しかし、これを見る者には、どうやって見も知らぬ他者の認識をなぞるだけで旧き魔術が発動するのかとか、
そもそも何故旧き魔術は認識によって行使されるのか、といった疑問も持つ者もいるだろう。
至極尤もな疑問だ。なので、早速それを解明していこう。

まず、旧き魔術と認識の関係だが、これは、旧世界の科学で十分説明出来る。
要は量子論の応用だ。世界の全ては観測されて初めて成り立つ。
そして観測とは、その対象に関する情報を主体が認識することだ。
旧き魔術は、この原理を利用している。
つまり、加工した霊力で以て、行使者の術式に対する認識を、
観測に先立って四次元空間という『世界』に押し付ける。
すると、認識という結果が確定された観測対象は、四次元空間の物理則にのっとり、
その認識に従う様に『観測されなければならない』ことになる。
『目の前の石ころは浮かんでいる』という認識を押し付けられたら、
世界は、その認識に従うべく、『その石ころが浮かんでいる』という観測結果を用意しなければならない。
『こうすれば誰かを呪える』、という認識でも同じこと。
その結果、認識されたことが実体化する、という寸法である。

そして、全くの赤の他人の認識でも魔術が発動する理由だが、
これは、この場所に蔵された『精霊』の項目を参照すると分かるが、
この世界そのものが持つ『世界精神』と呼ばれる領域が関係している。
名称については哲学者ヘーゲルの言を借りたものだが、この領域は、
星に存在する全ての事物と、蜘蛛の糸の様に細く、しかし強固に結びついている魂の一部である。
全ての生命体は星の活動に伴って生まれてきたものであり、
身体の構成物質のみならず、魂さえも星から分化したものである。
そしてこれらは、星全体の有機体としての活動の際などに、
この繋がりを通じてお互いに連携し、行動を為すことがある。
世界精神の、所謂『理性の狡智』の実現の為に、
民族全体が一つの方向へ突っ走るのもその現れの一つと言える。
だが、この繋がりは言わばインターネットの様なもので、
世界精神というサーバを介していつ何時でも他者と繋がっている。
旧き魔術の行使の際、事象の知覚という入力によって一人の人間が得た情報に対し、
世界は、それに関係する他の認識が無いかをその下に置く端末から検索する。
もし事象に対する特別の認識があった場合は、それと知覚を関連付け、
観測結果を確定して実現する、といった塩梅だ。

最終更新:2015年06月05日 00:39