ある晩、皇帝が殺された。
暗殺――そう言ってしまえばその通りではある。
だがこれは、皇帝の息子が若い正義感に駆られて引き起こした《過ち》の顛末に過ぎない。
第一次文明戦争当時、
ユグドラシル帝国は
オットー・エル・ユグドラシルの治世の下にあった。
長らく帝位に就いていたオットーは、それまでの在位の間に8度もの親征を繰り返すなど、
好戦的な人物として臣民に知られていた。
久平を主戦場とした
ソレグレイユとの一連の戦争も、彼の意思により決定されたものであり、
兵器の性能差による劣勢と、それによるユグドラシル本土への戦域の移行が現実味を帯び出しても、
彼は一顧だにせず徹底抗戦の構えを崩さなかった。
こと戦争において、オットーは強権的振る舞いを顕わにし、
国策として、或いは保身の為にそれを是としてきた周囲や議会では、
彼を表立って止められる者はおらず、戦争の長期化は避けられないかに思われた。
そんな中、当時まだ17歳の長子
ガノッサだけは臆す事無く、父であるオットーに対し、停戦の決断を促していた。
開戦から早4か月、それでも劣勢を巻き返す術の無いユグドラシルには、半壊した久平を救う力などなかった。
あらゆる観点からユグドラシルの敗北は決定的である。
そこでガノッサは、現状、多くの兵士を久平に派遣したまま本土決戦に臨む事を避ける為、
本土と久平を繋ぐ航路を破壊される前に全戦力を撤退させ、
沿岸部でソレグレイユの侵攻を阻止すべきであると父オットーへと提言した。
しかし、ガノッサの説く構想をオットーは一蹴し、頑なに久平撤退を拒否する。
何故そこまで拒むのか。それを問うても父は答えない。
このまま父が帝位に就き続ければ戦争が長引き、我が国が戦場となってしまう。
かと言って、父を弾劾しようにも、議会で糾弾していては戦争の采配に影響が出るのは必至。
議員を懐柔するにも裏工作に時間を費やしていては何も変わらない。
それに、戦争中に皇帝を退位させたとあっては、臣民からの信頼を失う事になる。
糾弾による父の退位は、即ち、国政の混乱に直結する事態なのだ。
(今、この場で父を政治の舞台から引き摺り下ろせれば……)
――方法はあるだろう? その懐の護身用のナイフが――
彼の頭の中でそんな言葉が聞こえた。
それはガノッサ自身の声ではあったが、彼の口を突いたものでも、到底考え付くような事でもなかった。
彼は驚きをもってその言葉に反論するが、声の主――恐らくは己自身――は、そんな偽善は捨て去れと言う。
――優しさは美徳だ、大事にしろ――
――だがその優しさは君を慕う臣下や臣民に向けるべきだ、目の前の者にはいらないもの――
――君がやれないなら……代わってやろう――
この二人がいた執務室前を巡回していた衛兵が、部屋の中での物音を聞き中へ入ると、
そこには既に息絶えた皇帝オットーと、それを見下ろすような姿勢で放心したガノッサ皇子がいた。
その後は幸いにも、早くに報せを聞いて駆けつけた皇帝側近が秘密裏に事を納める。
ガノッサが皇帝を殺めた事を伏せて皇帝を病死と偽ったり、
ガノッサ自身の決断を助ける為に即位までの手助けをしたりと、精力的に「次期皇帝」に尽力している。
最終更新:2025年01月01日 14:39