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今が最悪の状態、と言える間は、まだ最悪の状態ではない。
ウィリアム・シェイクスピア
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地方都市『見滝原』。
日本の中心都市たる東京とは異なり。最先端技術を積極的に取り入れた近未来都市である。
その為か、建築物は日本らしかぬアメリカやヨーロッパじみた芸術性を帯びた景観は多く見受けられる。
タッチパネルによる操作機能は、公共施設のみならず。
一般家庭ですら定着し、洒落たアンティークが目につく。
独りの男がいた。30代前半だが独身貴族。特別視される機会にも恵まれない。
パシリ紛いの雑用を押し付けられるが、嫌な顔一つせずそつなくこなす。
雰囲気や物腰はエリートを彷彿させるものの。経歴にはコレと言って光るものが不気味なほど無い。
彼は、別にこんな平穏が毎日続く事に退屈や不満はない。
むしろ逆だった。
植物のような平穏で静かな生活が、今日これから先も、ただただ続けばいいと願っている。
だが……何故だろうか。
彼は自分が『何かを見落としている』気がしてならないのである。確実に……重要な『何か』を……
疑念がフツフツと込み上げ始めた時。
男にとっての『平穏』に幕が閉じたのだった。
どことなく『見滝原』という場所に不満を抱き始めた。
近未来都市。住人に配慮されたシステム、風力発電による環境保護など、建て前の響きは心地よいが落ち着きが無い。
自分にこの町は相応しくない。どこが自分に適した町かも分からないが……
周囲を観察し始めた。
男は必ず女性の存在に注目するように、否――正しくは『手』だ。女性の手。
美人を求めている訳でもなく、結局集束される先は『手』に行き着く。
彼にとって女性の顔や気品の良さなんて、心底どうでもいい。
例え、本心から男を愛してくれる女性を相手にしても、手されあれば。
違うのだ。『手』以外は要らない。切り取って然るべき不必要な付属品でしかなかった。
――また発見される『赤い箱』。震撼する見滝原!
――警察は容疑者と思しき黒コートと黒帽子が特徴の男性の映像を公開。
――鋭利な凶器を所持している可能性あり……
バス車内にある液晶パネルで繰り返し流される報道。
思考に乱れを感じた頃合いからだ。
至って平和だった見滝原に謎の猟奇殺人が発生するようになった。なんでも人間一人そのものが『収められた』赤黒いガラスの箱。
一体、何の目的で。どういう思考回路、趣味思想を持ち合わせているか。
到底理解したくもない。
謎めいた猟奇殺人犯が徘徊する町なんて一刻も早く立ち去りたい。
元より、逃れられる安全領域はないのだが……思わず溜息ついて男は下車した。
(おや?)
男が共に下車した少年の行く先に振り向く。
あの先は―――確か風力発電の風車がある……しかし『それ以外なにもない』。そんな場所に何の目的が?
………まあ。私には関係ないか。
踵返そうとした時、男のポケットの中に何かがあると気付く。
取り出せば――装飾の枠に収められた掌に収められる大きさの『宝石』。
透明で色彩のないガラス細工みたいな宝石を――誰かが『ソウルジェム』と呼んだ。
■
ソウルジェム。
当初は『魂の保護』を目的として産み出された宝石。
魂が色彩を放ち、様々な色や形状のソウルジェムがこれまで幾つもあったことだろう。
『この聖杯戦争』にてマスターの元に配布されるソウルジェムは、無色透明な、ガラス細工の美しさだけ。
素人目でも魂のない空っぽだと察せる。
―――ソウルジェムに7騎のサーヴァントの魂を加えた時、聖杯へと変貌する。
あらゆる願いを叶える奇跡を為す聖杯になりえる『器』を手にした『怪盗』は
黄昏に墜ちた空の元で、常人とは異なる目論みを思案する。
つまり、ソウルジェムはサーヴァントの全てを収める『箱』と同じ。
ルールを考慮するに、主従一組に一つある代物。
丁寧に一つ一つ。
サーヴァントの魂を一騎だけ全て収められるし。観察できる。『視る』事ができる。
嗚呼。どんなものかな。
ヒトが恐怖する『怪盗』の様子は、無邪気な人間の子供そのものだった。
□
風は如何なる世界も変わらないらしい。
目が痛い光源から離れ、ちっぽけな少年が一人だけ風車と共に風を受け続けている。
ここに、誰も居ない。そう誰も居ない筈だ――『自分以外』(だったら■■■■は?)
少年は船を脳裏に蘇らせる。空を飛ぶ船である。名をグランサイファー……
船に帰ろう………少年は静かに、誰にも聞かれずに決心した。
聖杯を、どうするか分からないが。
第一。少年が抱える最大の問題は――自身が召喚したサーヴァント。
聖杯戦争において切っても切れない関係にも関わらず、よりにもよって、何故なのか。
何故あのようなサーヴァントを召喚してしまったのか……少年自身感じ取っている。
『自分がそうだから』
その『縁』であのサーヴァントが召喚されてしまっただけだ。
恐らく、サーヴァントの方は気付いているのだろうか。動きは見られないのだが……
分かっている。個人の問題に過ぎない、と。
少年の中では未だ複雑な感情が渦巻いたままだった。
実際、例のサーヴァントに関して少年は何一つ知らないでいる。中身の問題は、今回ばかりは後回し。
「見つけたぞ! 『
アイル』!! テメェ何勝手に出歩いてやがる!」
黄昏ていた少年――アイルの名を吠えたのは、彼のサーヴァント。
何故か生きたカエルを耳に当てる姿は『まるで誰かと電話している』ようで、否、実際そのサーヴァントは『誰か』と電話する
特別な雰囲気もない少年は会話を続けていたのだ。
「ボス、奴を見つけましたよ! ボスの忠告に耳も傾けないなんて……こらしめてやった方が――え?」
面倒くさそうにアイルが振り返った先には、先ほどの威勢の良さとは変わり。
へこへこと上司に頭下げる部下のような態度で、誰かと電話する『一人芝居』を繰り広げるサーヴァントの姿があった。
「ほ……本当に何もしなくていいんですかボス? マスターの事情? 何かご存じなんですか?」
「……………」
「わかりました……」
ガチャ、と電話を切る動作と音を立てて、カエルを適当に放り捨てる。
アイルがサーヴァントの『一人芝居』を眺める表情は、複雑怪奇なものだった。
不快でもあり憤りでもあり、憐れみでも虚しさでも。
ハタから見た一般人からすれば気の触れた奴程度で意図して避け、無視するに限るのだが。
アイルの眼差しは、どれでもない。
故にサーヴァントは理解が出来ずに睨む。
「言いたいことでもあるのか。『マスター』」
「別に」
深淵に潜む『帝王』は知っている。否、直感的に感じたのだ。アイルの中には『もう一人』居る!
『自分』と同じ。二つの魂を持つ者なのだと。であれば、成程、『私達』を召喚したマスターなだけある。
だからこそ警戒している。
未だにアイルの中で潜めている魂は、表に顔を出さない。
意図して表に出さないのか? その魂を『保護』する為に……あるいは……
★
高層ビル群の一つ。屋上から、人工光源が何万カラットの価値となる夜景と化した見滝原を眺めるは
召喚されたサーヴァントの一騎。
邪悪の象徴たる王がここに登場を果たした。
色の無いソウルジェムを掌で持て余しながら『世界』を象徴する邪悪は、ゆったりと口を開く。
「必要なのは『極罪を犯した36名以上の魂』だ。マスター」
もう一人。
赤縁眼鏡をかけた三つ網の少女が重々しく「はい」と口を開いた。
彼女の様子は、どこかオドオドして。恐怖と不安、表情からも、本来なら其処の邪悪とすら無縁な平凡な少女。
……だったのだろう。
それ以前から少女の平穏は、失われてしまったのかもしれないが。
「天国への到達……それこそが魔法少女が救われる道だ」
大切な友達を、大切な人達を、それだけじゃあない。
全ての魔法少女が救う。全ての魔法少女が『騙された』。哀れな結末に至らない為に、聖杯ではない。
絶対的な奇跡。魔法少女を欺いた存在を凌駕する力が欲しい。
少女が抱える『感情』は確実に計り知れないものへと変貌するのだった。
★
どこにでもいる平穏な生活を営んでいただろうサラリーマンが召喚したのは、
彼の世界を魅了した頬笑み『モナ・リザ』そのものを体現した英霊・キャスターのサーヴァント。
一方の男は呆然と彼女を眺め続けていた。
どうも彼の様子は変だった。
単純に、有名なモナ・リザが現れたから驚いている風でない。
落ち着きなく、緊張か混乱か。整っていた金髪をくしゃくしゃに掻きまわすほど冷静を失っている。
男は震える声で問う。
「き……君がッ………ま、まさか。君が私のサーヴァント………」
「うん。そうだとも」
モナ・リザの微笑を間近で目にし、男は――
「良かった……他の奴が君を召喚していたら、発狂していたかもしれない……本当に良かった」
男は心底『安堵』を露わにしている。決して冷静ではないが、ひきつった口元は高揚を表現していた。
キャスターが尋ねてもないが、男は勝手に話を続ける。
「私は聖杯戦争に巻き込まれた事に嫌気が差していた。これは事実なんだ。私は平穏でストレスのない生活を望んでいる。
それだけで良かった……だが『君』に出会えた『奇跡』に感謝しなくちゃあならない」
「………」
世界に誇る笑みを崩さずにいるキャスターだが、彼女は気付いていた。
「『君』と一緒なら聖杯戦争だって特別な思い出になる。さあ、共に勝ち抜こうじゃあないか……」
男はキャスターではなく。
キャスターの『手』だけに語りかけている事を―――
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最終更新:2018年07月07日 21:30