暖かい色の明かりが部屋全体を照らして、太陽が沈み暗闇に落ちた外から人を守るように、光は家族を包んでいる。
街を騒がせる恐怖を煽る猟奇的なニュースにも無縁だと、家の中は笑顔で賑わっていた。
光とは安寧の元だ。神が与えた原初の火に始まり、照らされる場所に人は集まり寄り添う。
人は闇と戦う手段を手に入れ、現代に至るまで光は人と共にある。
「わあすごい!これお姉ちゃんが作ったの!?」
「こらモモ、お行儀が悪いわよ」
四人が囲ってもまだ少し余裕があるテーブルに並ぶのは、色鮮やかな料理の数々。
やわらかいパンに新鮮なサラダ、湯気が立つスープと香ばしく焼けた肉が食欲を誘う。
幼い次女が待ち切れず、フォークを手に取ろうとするのを母がたしなめている。
「お母様の言う通りです。食事の前は神様が降りてくる時間、きちんとお祈りをして感謝の言葉を伝えなければいけませんよ」
「はーい」
まだ神の教えを十分に理解しておらず、作法の大事さもわからない幼子は、しかしもう一人の声には素直に従った。
言葉の内容云ではなく、話した人そのものへの信愛に応えたがためだ。
「ははは、おまえより
マルタさんの言葉の方がよっぽど効果があるようだ。すっかり懐いてしまったな」
椅子に座るのは家族四人と、昨日から家に招かれた長女の友人だ。旅行に海を渡ってこの見滝原に来たものの、運悪く宿泊先の手違いで予約が滞ってしまっていた。
どうしたものかと不安に思っていたところを偶然知り合い、同じ信仰を志す縁で家族のみで暮らすには広い教会に一時の滞在に預かる身であった。
「さあ、それじゃあ祈りましょう」
全員が椅子に座ったところで食前の祈りを捧げる。
父と母は教えに則り感謝の言葉を述べ、まだ意味がよく分からない次女も倣うように手を合わせる。
客分であるその女性は、神父である父から見ても完璧に過ぎた姿勢で祈りに臨んでいた。
清く美しく、無償の愛(アガペー)に満ちた聖なる画の如き佇まい。
自分以上に信仰を積んでいると確信させる女性は、僅かな日数寝食を共にしただけで夫婦双方から大きな信頼を得ていた。
ともすれば目の前のこの人にこそ自分達は祈るべきでないのかと、不遜なる考えを抱いてしまうほど。
全ての信徒が模範とすべき理想形がここには顕在していた。
「―――いただきます」
そして、祈りの動作はちゃんとしながらその光景を眺めていた長女は。
目の前の団欒に目と耳を傾けることなく食事のみに集中していた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
教会屋上。
信仰の象徴たる十字が建てられた下で、冷えた大気に身を晒す二人。
その一人は長い赤の髪を上に纏めた十代前半の少女だ。
星空瞬く空を鏡合わせに、無数の電灯が煌めく地上。
夜の街を一瞥する瞳は生まれてから重ねた年月に釣り合わないほど冷めており―――
佐倉杏子の送った人生の苛烈さの証となっている。
住む場所はなく、適当なホテルに無断で宿泊する毎日。
食料の確保には窃盗は当たり前、コンビニのレジをこじ開け金銭を奪うのも日常茶飯事。
荒んだ生活を見た目は中学生の少女が不自由なく送れるのは、奇跡の残滓たる魔法の力あってこそ。
自分の力を自分の欲望に用いる。躊躇などない。そうする事でしか生きられない以上迷いなどない。
杏子の送ってきた生活とはそういものだ。完全に順応して習慣になってしまうほど馴染んでいた。
「でさ……何やってんだよあんた?」
杏子は隣にいる英霊に問いを投げた。
先ほども家族と一緒に食事を共にしていた旅人であった。
清廉。そのような一言が凝縮された女がいた。
それだけで言い表せるような器量で収まらない乙女であるが、見た者は始めにその一言を連想するに違いない。
激する性質を思わせる杏子の赤髪に反した、紫水晶色の長髪。宝石や金銀財宝の豪奢とは異なる、渓谷に注ぐ透き通った水流の自然なる美。
地上の電灯と天空の星々に照らされてるだけの筈のそれは髪自体が光り輝いているよう。
身に纏う衣装は現代の街並みには溶け込まない意向だが、鋼の鎧といった戦士の、戦いの道具という印象からは程遠い。
手足に最低限の装具をはめる以外には実りの均整が取れた体を包む法衣のみ。彼女が武に行き覇を唱えた勇士ではない事を示している。
清らかで優しい、輝くばかりのひと。
その名だけで人々の心の寄る辺となり、希望を在り示してくれる、力ある言葉。
それ即ちは聖女。奇跡を成した聖者の列に身を置く者。
それが佐倉杏子の片翼。聖杯戦争を共に行くサーヴァントだ。
ライダー、その真名をマルタ。
救世主の言葉を直に受け、御子の処刑の後も信仰を捨てる事なく、時の帝国によって追放されるも死せず神の恩寵を受けた者。
布教の道程、ローヌ川沿いのネルルクの町にて、人々を苦しめる暴虐の竜タラスクを鎮めた竜使い。
その宗教に属さずとも知らぬ者はいない、世界中で崇敬されるその人であった。
「何、と言われても。マスターとその家族に料理を振る舞っただけよ?嫌いなものでも入ってた?」
「好き嫌いとかはないよ。ウミガメのスープは美味かったし。肉の叩きも汁がすごかった」
「お粗末様」
杏子を見つめるアクアマリンの瞳は慈しみに満ちていた。
その言葉遣いは、彼女と関わった者の多くが見る顔とは違っていた。
礼節を欠いてるわけではなく。さりとてサーヴァントがマスターに、従者が主に、聖人が他者に向けるものとしては間違いがあるような。
どちらかといえば、穏やかな気質の姉が春を迎える年頃の妹にかけるような、親しい間柄でのみ見せるやり取りだった。
「出されたものは残さず頂く。立派な心がけだわ」
「そんな大層なものでもないだろ。腹が空いたら食えるだけ食っとくってだけの話だ」
選ぶ余裕のない生活を送っていた杏子にとって、食事は取れる時に取っておくという考えだ。
味の善し悪しや心情で手を付けない粗末な真似は自分は勿論、他者にも許さない。だから出された料理は食べるし残しもしない。
幼少から触れてきた教えも少なからず関係しているのだろう。どう受け止めようと過去の習慣は消えずに沁みっている。
「おかわりもしてたものね。うんうん、食べ盛りの子はそうでなくちゃ」
「っガキ扱いすんな!」
杏子の舌に残るのは素朴で、郷愁を誘う母の味だ。今も住居も兼ねている教会で眠っている実の母を尻目にして。
悪くない料理だった。美味しかったという感想に偽りはなく、また口にしたい欲求がある。
懐かしい、と憶えた感情。
家庭の料理などもう長らく食べていないと、口にした瞬間に思い知らされた。
あの日に焼け落ちて止まった記録。これから一生思い出す事のない筈だった味そのものだった。
「だから違えよ。そういう話じゃない」
こんな偽りの円満に加えられる事がなければ、決して。
「あいつらは、あの人たちは、あたしの家族じゃない」
その欺瞞に気付いた時、杏子は己の魂がどす黒く濁るのをはっきりと感じ取れた。
「みんな、みんな、偽物だ。死人だ。あっちゃいけないものなんだ。
これを認めたら、あたしは本当に魔女になっちまう。だからいらないんだよ、こんなおままごとに付き合う真似はさ」
許せなかった。憎らしかった。
こんな偽物を用意して罠に嵌めた相手への怒りだった。
自らの手で失ったありし日で幸福を感じていた自分への怒りだった。
はじめは”魔女の結界”の仕業かと判断した。
奇跡を詐称する御遣いによって得た力、闇を齎す絶望の化身、魔女を討つ希望、魔法少女。
結界は魔女のテリトリーであり餌の狩場でもある。社会に疲れた人間の心の隙に潜り込み囁いて、自分の膝元へ招くのだ。
その中で見つけた、魔法少女の証たる宝珠が放置されているのを不審に思い手を出した直後、杏子の意識はひっくり返った。
狩人の側である魔法少女が無様に誘惑に引っかかったのだと、鬱憤を放出する矛先を定めた。
だが魔女の気配は一切探知しなかった。代わりに痛みと同時に手の甲に顕れた聖痕(スティグマ)の紋様。そして光が集合して形成して出来た聖人の姿。
杏子は事態の全てを知った。聖杯戦争。サーヴァント。殺し合い。願望器。
願いを叶えられるという、儀式。
「家族が死んだのは全部あたしの自業自得だ。誰も恨みやしないさ。けどこんな都合のいい幻想に浸かってるなんて、それだけは許せない。
あんただって、そうじゃないのかよ?死人と戯れるなんてのを聖女さまはお許しになるのかい?」
―――みんなが、父さんの話をちゃんと聞いてくれますように―――
幻惑。佐倉杏子にとっての禁忌。
困窮する家族の幸せを願い、多くの人を幸せにするものだと信じた祈り。
得られた奇跡の報酬は、願った全ての喪失だった。
人心を誑かす魔女。絶望に染まった顔で罵る父の声は、どんな鋭利な槍よりも杏子の胸を穿った。
自分だけを残し、家族を連れて荒縄で首をつり下げた姿は、杏子の心を残酷に引き裂いた。
教会で教えを説き、裕福に家族と幸せに暮らす。
再演される見滝原の人形劇は滑稽だった。
求めてやまなかった幸せを嘲った形で見せつけられるのが、これほど腹が立つとは思わなかった。
早々に家を出て今までのように流浪の生活に戻ると何度も思った。そして実行する度に、このサーヴァントに首根っこを掴まれ連れ戻されるのだ。
こうして、今も。
「優しい人なのですね、マスターは」
自分を戸惑わせる声を、真っすぐに向けてくる。
「彼らは仮初の住人。聖杯戦争の舞台を回す為の部品として生み出された偽の命。その通りです。
命を模造し争いの消耗品として道具に使う、それはあまりにもは許されざる行為です」
些細な、決定的な変化があった。
顔も声も何もかもが変わりないのに、そこにいるのがライダーだと認識は変わらないのに。明確に印象がひっくり返る。
「けど、だからといって彼らの存在すら罪とするのはどうなのでしょう。
複製といえど彼らには命があり知性がある。死霊などではない、生きた人なのですから」
隠す演技、人格の変更、そんな浅ましいいものではない。
分かってしまう。ライダーは変わっていない。変わらないままに身に纏う雰囲気だけを一変させる。
信仰を受ける聖女としての顔も、どこにでもいる町娘としての顔も、どちらも真なるマルタの素顔なのだ。
「あなたは優しくて、強い人。家族の複製を見て穢されたと感じ、家族を失った事を自らの罪と受け止めている。
なら彼らと向き合ってもよいのではないですか。壊れた夢を見る事には確かに辛いもの。けどそこには、あなたが見失ったものも落ちているかもしれません」
「……随分言ってくれるじゃないか。ほんと何なんだよ、あんた」
「あなたのサーヴァントですよ。あなたを守り、導き、あなたに祝福を送るもの。
これでも聖人ですもの。迷える子を救う事こそ私の使命なのだから」
「だから、ガキ扱いすんなっての」
忌々しいものだった。
自分が何かすれば止めに入り、正論を出しあれこれ説教してくるライダーを杏子は鬱陶しがっていた。
その多くが家を失ってからの荒れた生活で身につけたものなのだから、何も思わない事もないのだが。
発言の意図よりも、なにより、自分に世話を焼く姿勢にこそ原因が多いのではないか。
苛立ちともむず痒いとも言えぬ感情。でもはじめて知ったわけでもない。いつ以来のものであったか。
「ていうかあんた、優勝する気はないんだな」
「当然です。聖杯とは救世主の血を受けたもの。そうでないものは偽なる聖杯。求める道理がありません。
まあこんな儀式を仕組んだ奴らは後でシメ……ンンッ説伏しますが、まずは街で起こる戦いを止めなければなりません」
確かに、聖女なる者が偽の杯を求め殺し合うのは想像すら及ばない選択だ。真の聖杯が殺戮の血を注ぐのを許すとも思えない。
欲得にまみれた黄金の杯。偽物であるからこそこの聖杯は正邪問わず万人の願いを汲み取るのだろう。
だからライダーが聖杯戦争を否定するのはまったく自然な成り行きだ。想像通りというべきか。
名前を知った時点でそう来るだろうとは薄々思っていた。
「冗談」
よって杏子は考えるまでもなく、ライダーの掲げる方針の拒否を即答したのだ。
「素直に乗らないってとこだけは同意だ。奇跡と抜かしておきながらやることが殺し合いだ。どうせ碌なもんじゃない。
けど戦いを止めるだとか、そういう慈善事業はお断りだ。聖女の行進に付き合う気はないよ」
希望が落ちたあの日から決めている。佐倉杏子という魔法少女は、全て自分だけに帰結する戦いをすると。
生きる為。楽しむ為。自分に益があり満たされるのなら何でもいい。好き勝手に生きれば、死ぬのも自分の勝手だ。誰を恨むこともしなくていい。
誰が何を願い動くのは自由だ、好きにすればいい。干渉はしない。
けれど、誰もが聖人になれるわけじゃない。
誰かの為に生きる。万人にとって口当たりのいい言葉を実践できる者は本当に一握りだ。だからこそそれを成した者は聖人と呼ばれる。
杏子はなれなかった。他の見知った魔法少女にもそんな資質の持ち主はいなかった。ただ一人を除いて。
未熟な自分を師として育て、最後まで見捨てようとしなかった黄色の魔法少女。
正義を生きがいに出来る、正しい希望の持ち主と同じ道を行く事を、杏子は出来なかった。今になって再び道を変えるなど甘い事が通用するわけがない。
ライダーに手を伸ばす。届きはしないし、届かせる気もない。
嵌めていた指輪から現出する赤い宝石。魔法少女の証、ソウルジェムを見せる。
「聖女はどうだか知らないけどさ、魔法少女をやるのはタダじゃないんだ。
祈りには対価がある。魔力を使えばソウルジェムが濁る。犠牲がなくちゃそれを補えない。
分かる?誰かが死ななくちゃ魔法少女(あたしら)は食えないのさ。ここに魔女がいるかはともかくな。
どうせ消費するんなら自分のために使うべきだろ?命を賭けてまで、得もないのに誰かの為に戦うなんざ馬鹿げてるよ」
見ず知らずの人間が使い魔に食われても意に介さない。そうして育った魔女を倒してようやくグリーフシードを手に入れられる。
魔法少女として活動を続けるには、使い魔を放置するのが大事だ。聖杯戦争も似たようなものと杏子は考える。
悪目立ちして暴れる敵は放置して消耗を待つ。手堅く、確実な戦法。
「……あんたとはコンビだ。バラバラに動いて片方がヘマしたら残った方も揃ってヤバくなる。ここじゃ全員そうなら尚更さ。
マスターっていうんならあたしの方が上だろ?いいか、あたしは乗らないからな」
マスターという立場を傘に着るわけでもないが、自分のサーヴァントにははっきりと断っておく。
伸ばした手とは逆にある令呪を意識する。ご丁寧に令呪の使用法まで教えてくれた。どう反抗されようともいざとなれば押さえつける手はある。
果たして、ライダーは動いた。向き直ってこちらを見る表情は憮然なれど、その美しさは損ないはしないまま、軽く微笑んで見せた。
意地の悪い笑みだった。杏子の魔法少女としての直感が背筋に寒いものが走るのを鋭敏に捉えてしまっていた。
「……ふぅん」
「な、なんだよ」
「ちょっと借りるわね」
なにか、嫌な予感がする。警戒を強めたその時には、風は過ぎ去った後だった。
掌の上をそよぐ風。何かが、ライダーのたおやかな指が通過した音。
「な、おい!返せ!」
一秒あったか定かではない交差。それでも変化はある。
杏子の側にあった赤い輝きは、いま目の前の聖女の手で依然と瞬いていた。
「ああもう暴れないの、ちょっと見るだけだから」
「あだだだだぁぁーーー!?」
野苺でも摘むような気軽さで杏子のソウルジェムを分捕ったライダーは、手にある宝石をしげしげと観察している。
空の片手では、飛びかかって奪還しようとした杏子の頭部を掴み自分の行動を阻害させないようにして。
眉間にがっちりとはまった指の握撃による痛みは杏子の想像を絶していた。
杏子と変わりない見た目、麗しい聖女のアイアンクローは頭蓋を割らんとする威力で逆らう意識を剥奪させる。
あれほど念頭に入れていた令呪の行使ももはや頭から抜け落ちた。このまま反逆により意識が落ちるか最悪死ぬかと朧に察しはじめたところで縛りから解放された。
「……よし、と。はい返すわね」
「ぁ……とおぉっ!?」
朦朧として霞がかってぼやけた視界で、放り投げられた赤石。
自分のソウルジェムと認識して咄嗟に、必死になって手を出す。どうにか光は無事に手の中に収まった。
「オ、マ、エ、なああああ……!」
赤い旋律が魔力として現実に走って、杏子の体を包み上げる。
武装の展開を構築。怒りと痛みで熱くなった頭はとっくに統制を離れている。槍の一つでもブチ込まねば気が済まないという一念でいっぱいだ。
正常に戻る視界で女を捉え、手に握ったソウルジェムを見据え―――そこで沸騰するほどの熱は冷や水をかけられた。
「……あ?」
ソウルジェムは魔法少女にとっての要だ。戦う姿に変わるための媒体で、中身の濁りで魔力の残量を示す。故に逐一の確認は欠かせない。
今日の状態は濁りが一割。底に僅かに沈殿するのみのもの。
だが今見た宝石の中身はどうか。色鮮やかな赤には一変の濁りもない純度ある美しさを保っている。
初心者の魔法少女でも知る知識。穢れの浄化はグリーフシードを用いでしか出来ない。その常識を壊されて、杏子は首を回す。
そこにいるのは一人の女。過去に起きた偉業を成した夢の具現。聖女のサーヴァント。
奇跡―――。
今目撃したものの意味を、言葉に出来ぬまま。呆然とそれを起こした人をずっと眺める。
一分、いやそれ以上、もしかしたら以下かもしれない間隔の後。
「これで、タダ働きでも問題ないわね?」
「あるに決まってんだろ!」
反射的に叫んでいた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
結局、杏子は最後までライダーの方針を認めないまま寝ると言って下に降りていった。
残ったままのライダー、マルタは一人のまま地を見続けているが、思考は去ったマスターについてに割かれていた。
良い子ではあるのだろう。善性を持って生まれ、愛ある家族に育てられて成長した。
だが家族を襲った悲劇が自分の原因であると背負い、罪人らしく粗暴に振る舞うしか出来なくなってしまった。
家族を殺したのは自分だ。そんな自分は醜い悪ある者でなければいけない。
元来の信心深さが悪い方向に絡み、今の佐倉杏子の人格を歪めて形成している。
この所感はマルタがマスターから直接聞きだした経緯ではない。尋ねても絶対に口を開く真似もしないだろう。
サーヴァントとマスターは契約時に霊的にもパスを共有し、互いに夢という形でそれぞれの過去を覗くというが、それによるものでもない。
彼女を直に観察し、語り合い、そうして得たそのままの印象と分析でしかない。
心を読むといえば特殊な技能なりし異能を必要とするものと思われるが、それは人に予め備わった機能だ。
経験と徳を積み、真に人と向き合う努力を怠らなければ誰であろうとその心を読み解ける。少なくともマルタはそう思っていた。
「女の子捕まえて契約持ちかけた挙句魂を弄るなんて……どの世界でも胡散臭い詐欺師はいるものね」
キュゥべえなるものとの契約により生まれたソウルジェム。
目にした時、聖女としての感覚が訴える声に従いつぶさに調べその正体を看破していた。
あれは……人間の魂を収めている。
杏子は理解しているのか。あの様子では満足に知っている様子ではない。彼女だけでなく他の魔法少女もそうなのか。
その事実を今すぐ詳らかにするのをマルタは禁じた。自分の魂を肉体と切り離されたお知り少なからぬ衝撃を受けるのを避けた。
いずれ伝えなければならない。しかし遠慮なく暴露して徒に彼女の心に更なる傷を与え真似をマルタは冒したくなかった。
だからせめて淀んでいた穢れを浄化した。濁り切ってただ魔法、魔術が使えなくなるだけのものと楽観はしない。
もっと恐ろしいことのためにあれは造られたのだと、マルタの聖女の部分が警鐘を鳴らしている。
人間の『箱詰め』事件。
悪の『救世主』の噂。
街にも幾つもの物騒な噂が蔓延している。
恐るべき『邪悪』が街中に潜み、黄金の日常を食い潰そうとしている。
己が招かれた事態が偶然性が引き起こした事故などではなく、必然の、必要と求められての結果であるとしたら。
世界の焼却にも並ぶ、未曽有の危機の萌芽の可能性すらもが危惧になる。
「……そうねタラスク、今度はちゃんと救いましょう。世界も、あの子も」
それでも。マルタの在り方は変わることはない。
如何なる時代でも、如何なる形であったとしても。
マルタは聖女であり続ける。人々を守り、導くこと。それが、聖者と呼ばれた者の使命。
思われ、願われた……なら、そう在ろうとするまで。
『あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである』
「大丈夫です。私は私の必要なこと、やるべきことを心得ております」
ですから、どうか見守り下さい。
星々の行き交う夜空を見上げ、マルタは手を合わせ天に祈った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
妹もいる自室。既に寝入っている妹を起こさないように、隣のベッドに潜り込んで布団を頭までかぶる。
早く寝付いてこの嫌な思いを忘れてしまいたかった。なのにこういう時に限って目が冴えたままでいる。
頭にまだ残る鈍痛が原因のひとつでも、まああるのだが。
もぞり、と動く音。横目に見れば寝返りをうった妹の顔。
幼い頃の自分に似た、何もかもあの頃のままの家族の寝顔。
これも偽りなのか。寝息を立てる仕草も、幸せな夢を見ているだろう、蕾のような微笑みも、全て。
ああ、少なくとも自分はそう捉えている。もう戻らないものと認めている。
「優しい子、だとさ。あたしをよ」
何人も欲望のために見捨ててきたあたしを。
正義の味方になれなかった自分を。
見込み違いにも程がある。聖人とは名ばかりかと笑いたくもなる。
「まったく見せてやりたいよ。あたしの本当の家族の最期をさ……」
追いつめられた人間の取る行動。行き着くところまで詰まってしまった末路。
醜さ、憎悪、怒り、悲哀、無情、絶望。世界の負を煮詰めたような光景。
「でも―――あのひとなら……本当に救えていたんだろうな」
なにせ本物の聖女マルタだ。
救世主の言葉に導かれ世界中から信仰を得た崇高なる偉人。
いち宗教家とは、その言葉の質も存在感の重みも”もの”が違う。
今のこの世界と同じく、家を訪れ、言葉を交わし、食事を共にするだけで、
仮に本物であると知れたら滂沱と涙し、自ら膝を折り跪いてしまい、娘が人を惑わず魔女だった絶望など、軽く拭い去ってしまうのだろう。
奇跡になど、頼らずとも。
魔法なんか、使うまでもなく。
培い、積み上げた徳だけで、人の心に希望を宿す。
……そうだ。反抗しなかったのは怖かったからだ。
幾ら言葉を投げつけても全てを返されてしまい、聖女の威光に自分の虚飾を剥がされるのを拒んだのだ。
彼女の方が望まずとも、彼女の克(つよ)さを見せられる側が自傷に陥ってしまう。
白日の元に投げ出される、無様な自分が残るだけ。
「…………くそ」
ライダーともうひとつ考えが一致した。
この儀式の主催とやらは、悪趣味だ。魔女に聖女を送りつけるんだから間違いない。
ベッドの中で微睡みに落ちるまで、杏子の気は晴れはしなかった。
【クラス】
ライダー
【真名】
マルタ@Fate grand order
【属性】
秩序・善
【パラメーター】
筋力D 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運A+ 宝具A+
【クラススキル】
騎乗:A++
騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。
例外的に竜種への騎乗可能なライダーである。
対魔力:A
A以下の魔術は全てキャンセル。
事実上、現代の魔術師では○○に傷をつけられない。
【保有スキル】
信仰の加護:A
一つの宗教観に殉じた者のみが持つスキル。
加護とはいうが、最高存在からの恩恵はない。
あるのは信心から生まれる、自己の精神・肉体の絶対性のみである。
奇跡:D
時に不可能を可能とする奇跡。固有スキル。
星の開拓者スキルに似た部分があるものの、本質的に異なるものである。
適用される物事についても異なっている。
神性:C
神霊適性を持つかどうか。
高いほどより物質的な神霊との混血とされる。
聖人として世界中で崇敬されており、神性は小宗教や古代の神を凌駕する。
水辺の聖女:C
船上で漂流し、ローヌの畔でタラスクを制したマルタは水に縁深い。
水辺を認識した時、マルタの攻撃力は上昇する。ノッてくるのである。
ヤコブの手足:B
ヤコブ、モーセ、そしてマルタへと脈々と受け継がれてきた古き格闘法。極まれば大天使にさえ勝利する。
伝説によれば、これを修めたであろう聖者が、一万二千の天使を率いる『破壊の天使』を撲殺している。
通常時には機能しておらず、一部スキル、聖杖、主の教え、本人の自重、聖女としての威厳を捨てる事と引き換えにステータスを一時的に向上、
素手に手甲(ホーリーナックル)が追加、神霊、死霊、悪魔の類に対して絶大な特効状態が付与される。
【宝具】
『愛知らぬ哀しき竜よ(タラスク)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:2-50 最大捕捉:100人
リヴァイアサンの仔。半獣半魚の大鉄甲竜。
数多の勇者を屠ってみせた凶猛の怪物をマルタが説伏され付き従うようになった本物の竜種である。
マルタの拳も届かない硬度の甲羅を背負い、太陽に等しい灼熱を放ち、高速回転ながら飛行・突進する。
『刃を通さぬ竜の盾よ(タラスク)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1人
一時的に怪獣タラスクの甲羅を召喚し、自分や味方を守る。
味方(単体)の防御力を大幅にUPさせる、もしくは短期間の物理ダメージ無効。
『荒れ狂う哀しき竜よ(タラスク)』
ランク:A+ 種別:対人宝具・対竜宝具 レンジ:1-50 最大捕捉:1人
ヤコブの手足スキル発動中のみ使用可能。
タラスクを相手に落下させた後、その上からマルタ自身が拳のラッシュを浴びせる。まさに鉄拳聖裁。
拳には空手でいう「徹し」「寸勁」の技術が使われているためタラスクにはダメージはない―――が本体曰く実際はかなり痛いらしい。
【weapon】
『聖杖』
救世主たる『彼』から渡された十字架のついた杖。
「これを持っている時くらいは聖女らしくしてはどうか」という教えの通り、マルタの(ちょっとだけ)荒々しい面を抑える精神的リミッターの役割を兼ねている。
なお通常攻撃では、十字架に祈りを捧げる事で対象にダメージが届く。
エネルギー波等の類を射出する過程が殆どなく、目標がひとりでに炸裂、爆発する結果のみが発生している。
【人物背景】
悪竜タラスクを鎮めた、一世紀の聖女。
妹弟と共に歓待した救世主の言葉に導かれ、信仰の人となったとされる。
美しさを備え、魅力に溢れた、完璧なひと。
恐るべき怪獣をメロメロにした聖なる乙女。最後は拳で解決する武闘派聖女。
基本的に優しく清らかで、穏やかなお姉さん風の言動が多いが、親しい者の前では時折聖女でないマルタの面を見せる。
聖女以前の、町娘としてのマルタは表情と言葉が鋭くなり、活動的で勝気。……というよりヤンキー的。
どちらが素というわけではなく彼女の芯は変わらず聖女のまま。要はフィルターのオンオフの違い。
【サーヴァントとしての願い】
聖女マルタは、救世主のものならざる聖杯に何も望むことはない。
かつての時と同じく、サーヴァントとして現界しても聖女として在る。
故に、この戦争も認める事なく真っ向から反抗する。
一度道を外れたマスターが、正しき道に向かう為に。
【マスター】
佐倉杏子@魔法少女まどか☆マギカ
【マスターとしての願い】
【weapon】
分割する多節槍が主装。巨大化しての具現も出来る。
【能力・技能】
魔法少女として優れた身体能力に合わせ、魔女との戦闘経験も豊富。
防御の術も習得してるがスタイルが攻めに比重が偏ってるため防戦は不向き。
魂はソウルジェムという宝石に収められてるため、魔力さえあればどんな損傷でも回復可能。
ジェム内の濁りが溜まり心が絶望に至った時、その魂は魔女と化す。
かつては願いを反映した『幻惑』の魔法を持っていたが、過去のトラウマから願いを否定した事で使用不可になっている。
【人物背景】
キュゥべえと契約した赤い魔法少女。
好戦的。男勝りな口調。常になんらかの軽食を口にしている。
魔法少女の力ひいては願いや欲望は、自分のためにこそ使うべきとする信条。
他人を救おうとした父を助けたくて願った魔法は、父も家族も全てを燃やした。
魔女と罵りを受けた少女は自暴自棄気味に利己を優先するようになる。
だが根が善人なため堕ち切る事もできず、謳歌してるようで鬱屈した日々を送っていた。
【方針】
願いを叶えるという聖杯そのものについて懐疑的で素直に受け取る気はない。
かといって、積極的に戦う気もなく様子見するつもり。マルタの方針に同意する気は今のところ、ない。
最終更新:2018年04月28日 14:20