• reasonable man
通常人=道理をわきまえた人=理性的男性(reasonable man)という基準は、道理をわきまえた男[傍点付](man)を引き合いに出しており、女性に対する偏見を抱いているとフェミニストは論じてきた。(18)
その通りである。この批判への対処は二種類考えられる。男性と女性からなる道理をわきまえた人(reasonable person)という概念を作ることを目指すか、男性と女性との違いを認めた上で、どちらにも配慮するか。精神分析の観点からは後者になる。

  • ポルノグラフィが実際の生活に与える影響
マッキノンはそこから更に進んで、二次元的セックスとしてポルノグラフィを見ることについての自らの理解に基づいて、「中毒」の議論をする。二次元的セックスをする男性は、より多くを望む。彼は現実の女性の上でそのシーンを実行したいと望む。もはやファンタジー的対象では彼にとっては十分ではないのである。(167)
これは違うだろう。ポルノグラフィが原因となって性犯罪を行うという主張は怪しいと同時に危険でもある。著者のコーネルも「私は、男性は考えると同時に勃起することができる、と思う。」(170)とマッキノンに反対している。

  • ナルシシティックな傷
私たちはこの原初的なナルシス的傷[原初的な母子関係を、父が断ち切るときにできる傷]の効果を探求しなければならない。消費者/読者がポルノ・シーンへと誘惑されることを説明することができるのは、この傷なのである。(172)
よくわからない。

  • イマジナリーな領域
私たちはまた、イメージを通じて、私たちの自己の感覚や私たちの現実において侵犯される可能性がある。このように、現実とファンタジーが独立かつ相互に分離されて存在するという議論から遠く離れて、私は、想像力それ自体が、現実を構成しているものの決定的に重要な側面であると思っている。女性は、このイマジナリーな領域を保護されねばならない。(212)
イマジナリーな領域のわかりやすい説明。女性だけでなく男性も保護される必要があるとは思うが、現状では女性のほうが圧倒的に侵害されているだろう。

  • セクハラ
私はセクシュアル・ハラスメントを次のように定義する。すなわち、セクシュアル・ハラスメントとは、(a)不平等な権力関係という文脈において、一方的に押し付けられる性的要求、もしくは、(b)個人をその「性 sex」についての投影されたステレオタイプや客観化されたファンタジーへと還元し、基本財としての自己尊重を侵食するほどの性的恥辱を強いる職場環境を創出し、浸透させること、もしくは、(c)部下に対して――大学のケースの場合には学生に対して――行使される、相互が合意の上で望んだ性的関係に対する雇用に関連した報復に関わるものである。(236-7)
特に(c)が重要。相互の合意があってもセクハラになり得る。307から詳しく議論されている。これに強く賛同したい。

  • セクハラ裁判のレトリック
「身持ちの悪い女」に対する言い寄りは、暗に、歓迎されていたとみなされるだろう。……あるいはその逆に、その事案に関与しているのが、……「身持ちの良い女」であるのならば、彼女に対する言い寄りがあったという彼女の申し立ては、全くもって「信用できない」ものと見なされるのである。
 このような形の分裂は、ラカンが、大文字の女性についての心的ファンタジーとして言及しているものである。(267)
このレトリックは確かにひどいものである。最後の一文に見られる心的ファンタジーとは、娼婦と聖母のことか。
最終更新:2007年03月03日 14:49