「非モテ男性」問題を性分業(性別役割分業)の観点から考えてみる。「非モテ男性」といった問題は精神的な要因に帰着されがちであるが、経済的な要因は無視できないほどに大きいだろう。少なくとも結婚に関しては、男性は収入が多いほどより結婚しているというデータがある。実感としても経済力のある男性のほうが「モテ」る。
近年注目を集めるようになった「非モテ男性」問題は、性分業の解体がきっかけになっていると私は考える。とはいえその傾向に反対しようとは思わないし、思ったところでその流れを止めることはできないだろう。性分業下では経済力を握られているために不当な支配を受けている女性が多くいたのだから、そうした性分業が解体に向かうことはよいことである。ただ、性分業もそれなりに機能していたわけであり、それが解体すると「非モテ男性」問題などが持ち上がる。もっとも、もし現在に生きていたなら「非モテ男性」になったであろう男性が、性分業下では経済力でそれを覆い隠していただけではあるが。
それでは性分業が完全に解体したらどうなるのだろうか。かなりの数の男性が「専業主夫」になるかもしれないし、男女とも同じくらい働くことになるかもしれない。しかし現状を見る限りでは、ある程度性分業が解体したにもかかわらず、「男が仕事、女が家庭」というパターンが圧倒的で、その反対のパターンは少ない。景気循環や構造変動、世代間の格差とも相まって、まともな収入を得られない青年男性が少なくないのであるが、「女が仕事、男が家庭」といった選択肢はかなり困難であり、それゆえ「非モテ男性」の存在が大きな問題になるのである。
論をこれ以上先に進める前に、性分業に関する議論を整理しておこう。立岩真也の「家族・性・市場」(『現代思想』上で連載中)をまとめることにより、それを行う。
立岩真也,「家族・性・市場」の要約
この第1回では全体の概要を記す。
性分業を議論する際には、「家父長制」と「資本制」の二つの軸が見られる。しかしどちらをとっても対象が漠然としているので、問題点を解きほぐしながら議論を進める。
また、性分業では女性が損をしていると言われるが、そのとき損をしていると言われる女性には二種類ある。専業主婦とパートタイマーである。これも分けて考える。
ごく素朴に考えるなら、女性を市場で働かせないことは、資本家にとって得ではない。労働者の供給が多いほうがその価格(賃金)が下がるからである。しかし経済成長や人口の維持(労働力の再生産)を考慮に入れると、性分業が合理的であるかもしれない。一人で二人以上が生活できるだけの収入が得られるような状態であるなら。
しかしひとたび性分業が成立すると、過去のデータから算出された「統計的差別」が起こる。その上で現在では男女間の格差が縮小し、個人間、世帯間の格差が拡大している。
家事労働は「不払い労働」であるとして非難されることがあるが、その労働の賃金を誰が払うべきかという点があいまいであり、よい議論の進め方だとは言えない。最近では家事労働よりも「ケアの仕事」が話題を集めるようになっているが、「ケアの仕事」は不当に低く評価されている。
人々が生活できることを最優先にするなら、その対策は財や労働を分配することである。
- ②「家族・性・市場(第2回)労働を買う側は利益を得ていない」
第1回でも触れたように、性分業は基本的に資本家の得にはならない。
資本家(雇用者)の趣味で差別が行われることがある。しかしそうした非合理的な振る舞いをする企業は淘汰されるとある種の経済学者たちは言う。
とはいえその趣味が通用する場合が多くある。賃金が固定されている場合などである。それとは別に、消費者は自分たちの趣味を押し通せる。消費者の趣味を何の制限もなしに尊重することはよくないだろう。
男性労働者は確実に性分業から利益を得ている。
- ③「家族・性・市場(第3回)労働を買う側は利益を得ていない(続)」
第2回では男性労働者が性分業から利益を得ていると書いた。しかし、経済学の理論が言うように、同じ商品なら安いほうが買われるので、最終的には男女で同一の賃金になるはずである。
これを否定するためには、もともと男女が同じではないと主張すればよい。生まれながらの違いはないとしても、「人的資本」や「統計的差別」による差は生じる。この差を肯定する必要はない。能力の差の背景にあるものを問題にすることができる。そしてこの差が、採用/非採用といった大きな結果の違いをもたらす。
- ④「家族・性・市場(4)経済という語で何を指しているのか」
性分業が「資本制」や「経済」に寄与しているなどと言われる。その内実を詳しく見る。
資本制や経済に奉仕する装置とは、(3)分配の機能がいくらか働きながら、(1)格差が維持・拡大され、(2)生産を拡大しようとするものである。性分業下での家族はこれらの条件をある程度満たすので、資本制や経済に寄与していると言える。
とはいえ家族間、家族の成員間での利害は一致しない。
次に専業主婦化の歴史的過程を押さえる。
1.近代化以前も男と女は同じ仕事をしていたわけではない。
2.近代の工場でまず労働力となったのは女である。
3.工業が主流になるにつれて、男も工場で働くことになる。
4.労働力の供給が過剰になると、女が退出し、男が残る。
より多くの商品を生産するという観点からは、性分業は肯定されない。しかし一人分の収入で一家が暮らせるという条件下では、生存を維持するという機能を果たすと言える。
性分業は誰の利益にかなっていたのだろうか。たくさん仕事をしないでいいという面で、女にとって利益があったと言うことはできるが、他の要因のほうが大きそうである。ヴェブレンの言うような、見栄を張ってでも裕福さを示そうとする「顕示的消費」もあるだろう。しかし、直接的には、男の利害にかなっている。「工場法」や「家族賃金」が男の側の都合で作られたことが今では明らかになっている。
ともかく性分業では男の支配があると言える。物質的な水準における優位と、価値の水準における優位である。もちろんある種の男たちにとっては女を支配できなくもあるし、そこに支配を認めない女もいる。それでも生活に必要な財の供給を男が担っているという事実はあり、男と別れようとするときなどにその事実が大きな影響をもつ。
性分業は人を働かせる側にとって得なようには見えないが、社会の成員の生活をそれなりに維持しながら格差が保存されるという機能を果たしている。しかしその機能は男女が対になるという条件でのみ作動し、とりわけ女性は不利な位置に置かれる。
- ⑨「家族・性・市場(第9回)労働について--これからの予定」
労働の話をする。一人ひとりが生存する権利を最優先し、所得と労働の分配を支持する。だから家事労働を「不払い労働」として告発すべきではない。前回までで確認したように、労働の供給過剰に対応するという機能を性分業はもっていた。家事労働や世話労働は低い賃金に抑えられているが、その労働の種類と、性別との結びつきをなくすべきである。
- ⑩「家族・性・市場(第10回)「不払い労働」について(1)」
「不払い労働」については、本来は誰が支払うべきかという問題を避けることはできない。夫が支払うべきだとして、ある程度の額を要求することはできるが、大した額にはならない。子供の世話を考慮に入れても、妻と夫が等しく負担をするとするなら、支払いをほとんど要求することはできない。
- ⑪「家族・性・市場(第11回)撤退そして基本所得という案」
「不払い労働」の話を続ける前に、ベーシックインカムという考え方を検討する。それは有用性に基づいて賃金を支払うというものではないので、「不払い労働」の主張とは異なる。
- ⑫「家族・性・市場(第12回)労働の義務について--再度」
性分業の話からは離れて基本的な議論をする。結論は、その人が暮らせる条件があった上で、その人が交換に供するもの、売りに出そうとするものは徴収と分配の対象になるということである。もちろんその際に生産するときの苦労は考慮する。また、特定された行為の義務を課される必要はない。
- ⑬「家族・性・市場(第13回)「不払い労働」について(2)」
「不払い労働」に話を戻す。夫の世話という観点では不払い労働の価値はそれほど大きくはならなかった。機会費用という考え方もあるが、これは実際の交渉に依存するので、ここでも確実に不払い労働から大きな価値が引き出せるとは限らない。また、夫婦の財産は共有すべきという議論もあるが、これは不払い労働の中身を直接評価したものではない。
最終更新:2007年04月23日 20:51