本発表では『新世紀エヴァンゲリオン』を、その放送から十年が経過した現在から振り返り、そこから現代の若者について考える。ちなみに演者は、この作品が放送されていたときに主人公たちと同い年の14歳であった。それゆえ現代の若者を内部から考察することになるだろう。
庵野秀明監督のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が放送されたのは1995~96年にかけてであった。この本放送時こそ大きな反響を呼ばないかのように見えたが、その後数年に渡り社会現象と言えるほどのブームとなった。この日本病跡学会においても何度か取り上げられている。
新しい世紀に入り数年が経った現在、さすがに一時の熱狂は失われているが、『新世紀エヴァンゲリオン』はいまだに大きな影響力を保っている。2007年から08年にかけて、同じく庵野秀明が総監督を務める『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版』が公開される予定になっている。アニメファンの間では、この作品を越えるアニメは登場していないというのがおそらく共通認識だろうし、近年注目を集めている「おたく」、その中でも「萌え」を重視する人たちの源流もここにある。
『新世紀エヴァンゲリオン』にまつわる最大の争点は、主人公のモノローグに終始するテレビ版の最終二話をどのように位置づけるかにある。本放送終了後には激しい議論が持ち上がり、いわば普通の終わり方をする劇場版が作られた。このことからもわかるように、庵野監督自身はテレビ版の最終二話にはわりあい否定的なようである。
しかし、演者はテレビ版の最終二話にこそこの作品の、「わけのわからなさ」という特徴が現れているのではないかと考える。そして、そうしたわけのわからない状況において、まだ制御可能なこと、それは想像することである。この構図は現実の社会とも連動している。神が死に、大きな物語が失われた現代では人々は不確実性に直面しなければいけない。こうした時代特性はとりわけ若者に大きな影響を与えるのだが、それに想像することで対処しようとしている人たちが「おたく」なのではないかと考えられる。
このように考えると、庵野監督がテレビ版最終二話に否定的な理由がわかる。それを考える前に、彼と「おたく」との関係を見よう。彼はあれだけ「おたく」的な作品を作っておきながら、「おたく」批判を繰り返している。この矛盾はたやすく解決できる。というのも、彼が「おたく」的な作品を精力的に制作していたのは『新世紀エヴァンゲリオン』以前であり、「おたく」批判を繰り返すようになったのはそれ以後であるからである。庵野秀明は『新世紀エヴァンゲリオン』を作ることによって、わけのわからない状況から脱したのである。登場人物に即して言うなら、わけのわからなさを甘受するシンジから、わけのわからなさを供する父ゲンドウになったのである。視聴者という、多くのシンジを後に残しながら。
最終更新:2007年04月17日 15:03