この第1部では現代若者の様相を探る。そこには現代の特徴が見られるだろう。「フリーター」、「ニート」、「おたく」といったキーワードから出発するが、現象の単なる記述にとどまらず、現代若者が直面している共通の問題を取り出すことを試みる。やはり若者にとっては、職業生活と愛情生活とが大きな位置を占めており、「フリーター」、「ニート」は職業生活に、「おたく」は愛情生活において、何らかの問題を投げかけている[*2]。これらは新しい現象ではあるが、注意深く検討すると、いつの時代にも共通するような問題に通じている。
 職業生活では失業、愛情生活では愛されないこと、これら二つのことは、現代に限らず、広く見られる仕方のなさそうな問題である。しかし現代では、こうした問題が正面から論じられることは少ないように思われる。「フリーター」、「ニート」、「おたく」が語られる際も、彼らの新奇な特徴が強調され、こうした問題にはなかなかたどり着かない。現代では職業生活や愛情生活において、科学技術の発展や制度の自由化により、外的な制約が少なくなってきているために、あらゆることが本人の内面に帰着させられがちなのである。
 こうして、現代若者は、個人に強い負荷がかけられている。多くのことが本人次第だとされるのである。しかし実際には本人だけではどうしようのないことも多い。現代若者は、何でもできるはずの自分と、そうはできない自分とに引き裂かれているのである。


[*2]
「おたく」と愛情生活との関わりについては意外に思われるかもしれない。このことは本論の第2章の第1節で詳しく述べる。
 また、「フリーター」・「ニート」と「おたく」とが、重なることがあるにしても、直接つながるわけではない。「ニート」でかつ「おたく」ではない人もいるし、「フリーター」でも「ニート」でもなく(つまり正規雇用で働いており)かつ「おたく」である人もいる。とはいえ、恋愛をあきらめている若者を指す「恋愛ニート」という言葉があるように、職業生活と愛情生活とに共通する構造があるのかもしれない。
最終更新:2007年05月02日 18:27