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以上述べた、現代若者の就業に関する特徴をまとめよう。
 1990年代初頭のバブル崩壊以降、若年者の完全失業率は高まっている。これには景気要因だけでなく、産業構造の転換も影響している。「フリーター」や「ニート」といった雑多な分類にはこうした失業者がかなりの部分含まれているのである。
 しかし、失業者とそうではない「フリーター」や特に「ニート」の人とを明確に分けることは難しい。理念上は求職活動の有無で分けられるが、求職活動をしても成果が得られずにあきらめた場合などを想像すると、この基準を適用することもそう簡単ではない。
 ここではむしろ、そのように失業者とそうでない人とを分けることが困難になっていること自体が現代社会の特徴であると考えたい。というのも、採用活動の自由化がこうした傾向を生み出しているからである。学校経由の就職が支配的であったなら、その流れに乗れないと失業者とみなされる。一人一社制ではその一社から採用してもらえない場合には、誇張すると、胸をはって「求職活動をしたが採用されず失業者となった」と言えるが、現在主流となっている自由応募制では可能性が広がった分だけ、どれほど熱心に活動しても求職活動をしつくしたと言うことはできない。一人一社制では、出席日数や成績など評価の対象となる事柄が比較的はっきりしていた。しかし現在では「コミュニケーション能力」が求められていると言われる。これも努力すればうまくいくかもしれないという想定につながる。
 それゆえ、現代の「フリーター」や「ニート」は批判にさらされるのである。失業者に関しては政府の責任こそ問われ、本人が責められることはあまりない。ところが現代では努力の可能性が広がったがゆえに、本人を責めることができる。確かに自身の能力や社会の需要を考慮することなしに夢ばかりを追っている若者を非難することにも一理ある。しかし、そういったことを考慮してそれなりにがんばりつつも職がない若者を非難するのは酷である。
 性役割分業などの規範が衰退してきていることも、当事者の自己責任に回収されるという状態に影響している。国のためであれ、家族のためであれ、そういった規範に従っている限りは全てを自己責任に回収されることはない。しかし現在では株取引などで莫大な富を築くことがある種の理想とされるように、自分の利益を追求することがよしとされつつある(佐藤・平塚編 2005: 237)。教育の場でも自己実現が強調される。誰かのために働くという規範が必ずしもよいとは言えないが、全てを自己責任に押し付けるのも間違っている。現在は、規範がないのではなく、自己責任という規範が勢力を拡大しているのである。
最終更新:2007年05月02日 18:46