ジョルジョ・アガンベン,高桑和巳訳,『ホモ・サケル――主権権力と剥き出しの生』,以文社,2003.

  • 生殺与奪権
行政官の支配権は、父の生殺与奪権が市民全員を対象とするものへと拡大されたものにほかならない。政治権力の第一の基礎が、自らが殺害可能であるということによって自らを政治化する端的に殺害可能な生であるということを、これほど明白に言うことはできないだろう。(127-8)
権力というものは生殺与奪権がその中核にあり、いわゆる近代国家の権力は、市民全員の生殺与奪権を保持しているということか。そこには、国民主権という言葉と同様に、自らが殺害可能であるという分裂が含まれている。

  • 事実が規則になること
収容所とは、例外状態が規則になりはじめるときに開かれる空間のことである。(230)
新たな基礎的な政治的主体である生政治的身体は、事実上の問題(たとえばしかじかの生物学的身体の同定)でも権利上の問題(適用すべきしかじかの規範の同定)でもなく、事実と法権利がまったく区別されないところで働く主権的な政治的決定のなされる場である。(234)
規範の適用に関して決定する事実を決定する規範(235-6)
「実際そうであること」と「正しいこと」とは本来異なるはずなのに、それを一致させなければならないとする考え方も、これに似ているか。
最終更新:2007年02月22日 16:34