晶子さんの優しいご指導により、俺はなんとかバリスタのルールを理解した。
 お礼を言って晶子さんとは別れ、後半戦に突入していた三年生VS一年生の試合をながめることにする。

ルールを理解したところで、それはようやく登山道の入り口に立ったに過ぎない。
この学園の猛者どもはすでに七合目にも八合目にもいるだろう。
もしかしたら『てっぺん』もいるかもしれない。
俺がそんなやつらとタメをはれると思うか?
そうだ。到底できっこない。
 どこかの漫画みたいに主要人物は全員必殺シュートを持っているもんだ。
 もちろん俺にそんな大そうな力は……ない。
遊佐「ちっ……こうなりゃ頭脳戦しかないぞ。晶子さん。君の言うことを、俺は信じてみるよ」
自慢じゃないが、最近はやりの脳トレというやつで俺の脳年齢は二三歳と診断された。
実年齢より老けてるじゃん、と思って大したことないのかと思っていたら、実は結構すごい結果らしいとのこと。
中島に言わせると『そんなのありえませーん』マグリフォンさんには『あなた、只者じゃないわね』と、一応? 褒められた。
GEOの試遊コーナーでたった一回、しかも練習なしの一発勝負でこの成績だ。
これを武器に生かさなくてどうする。
この学園の猛者どもを車にたとえるならば、やつらはスカイラインやNSXに違いない。
……だったら、俺はマーチだ。
遊佐「同じフィールドで戦おうと思うな。最初から不利なのは目に見えている」
やつらは百戦錬磨のソルジャーだ。戦いを通じて能力を高めてゆき、強くなる。
それにくらべたら、俺は最弱クラスの『村人A』にすぎないだろう。
おっと、だからって負けを認めるわけじゃないぜ。
俺はただの村人Aじゃない。
とびきりのポテンシャルを隠し持った規格外の村人『遊佐洲彬』だ!
俺の頭の中で螺旋を描いていたすべての迷いが剣のようにまっすぐに吹っ切れ、そして感覚がどんどん鋭さを増していくのを感じる。
俺は、俺のフィールドで戦うまでだ!
強さなんてそれぞれ違う。力だけが強さじゃない。
遊佐「……クールにいこうぜ。クニアキ」
 今は目の前の試合に集中し、じっくりと知識をたくわえるんだ。
 俺のフィールドを完成させるためにもな。



遊佐「残り時間五分か」
 バリスタのフィールドはグラウンドのトラックを使って行われている。
トラック内には年季の入ったボロボロのベニヤ板製のシールドが所々に配置され、本物さながらの塹壕なども掘られていた。
競技がより面白くなるようにとは言え、これじゃまるでサバイバルゲームだ。
バリスタが『戦争』と呼ばれる所以も十分すぎるほど理解できる。
遊佐「得点は……三年が五六、一年は四八」
遊佐「開始五分で二〇点も差をつけられた割には、かなり善戦してるな」
二〇点差が数十分でたった八点差だ。
それだけで一年生とはいえ、彼らのバリスタにかける情熱が並大抵ではないことを物語っている。
しかし、たかが八点。されど八点。
時間的に一年生の逆転はきついだろう……
 しかも……
遊佐「あの状況はいただけないな」
ルークが、二つとも三年生に占拠されていた。
バリスタにはルークが二つ配置されているが、両方とも三年に占拠されているのでは一年にゲートブリーチ状態の人間がいくらいようと得点することはできない。

ルークが二つ配置されることには理由があった。
ひとつの軍に二つともルークが占拠され、試合が一方的になることを避けるため、である。
さっきの晶子さんの説明で、それはわかった。
しかしそれは禁止事項ではない。全三回にわたるルーク移動という救済処置すらある中で、それを卑怯と呼ぶにはあまりに無意味。
 ルールにのっとった上での卑怯は立派な戦法になる。
良い言い方をすれば、勝利に対する執着と、もてる最大限の努力を形にした結果がそういう戦法につながったといえよう。
 それは時に素人目からはイカサマに等しいとすら映る。
 だが……それが素人と玄人の決定的な違いなんだ。
 卑怯を卑怯と見るか。卑怯を戦法と考えるか。二者の違いはたったこれだけだ。
 ……話が過ぎたな。試合観戦に戻ろう。

一年のゲートブリーチが二名。
三年が……っと、三年はゼロか。
三年はすでに手持ちのペトラをシュートしきった状態ってことだ。
一度シュートしたらゲートブリーチは解除されちまうらしいからな。
一年側の塹壕に数人のアンブッシャーがいるものの、表立った交戦は見られない。
一年は三年のアンブッシュに対してカウンター・アンブッシュ網を敷いている。
三年生数人の姿が見えないことからも、それは間違いないだろう。
待ち伏せVS対待ち伏せ。
三年が一年の網に引っかかるか、一年が待ち伏せ体制を崩すまで試合は動かない。
どちらかに動きがなければ、このまま時間だけが進んでいくだろう。
早い話が、こう着状態ってわけだ。
遊佐「三年はまずこのままタイムアップを狙っていくだろうな……」
それを表すがごとく、三年はルークを中心に武僧先輩、リューさん、他に体つきの良い男たちが壁をつくり、その後ろには黒井先輩や音羽さんのような打たれ弱い人たちが守られるように固まっている。
もうひとつのルークも同じように強固な陣形で守られていた。
しのぶさんと、数人の姿が見えないのは、一年の網をくぐってどこかに偵察にでも行っているからだろう。
三年は完璧な防衛線をはってるな。
意地でもルークはやらんって感じだ。
???「これは……『アレ』狙いね」
遊佐「うおっ」
突然の声にビビッた俺は、思わず声のほうに首をまわす。
ブロンドの髪がふわりと俺の視界をかすめた。
マグリフォン=茜さんだった。
 自分の欠点を決して許さない――欠点なんて見当たらないけど――帰国子女。
遊佐「……『アレ』狙いって?」
マグリフォンさんに答えを求めた。彼女のことだ。きっとバリスタに対する知識だって相当なものなんだろう。
茜「……」
しかし彼女はつん、とした表情をくずさない。そして視線も動かさない。
 俺の声が聞こえていないのかなと思い、視線を試合に向けようとしたとき、
茜「三分」
遊佐「え?」
 振り向きかけた首を元に戻す。
彼女の鋭利な刃物のような瞳が、いつの間にか俺を見ていた。
茜「ラスト三分、最後のルーク移動がある。一年生はそれに賭けているのよ」
 その一言が稲妻のように脳天を直撃する。
遊佐「ああ、なるほど! それなら確かに一年生にも勝算があるかもしれない」
 鉄壁の守りがくずれる一瞬を狙っているというわけだ。
遊佐「つまり、この試合は……」
茜「新たなルーク配置になった瞬間、試合に変化が起こる」
茜「三年は一年よりも早くルークを確保、そして死守。一年の攻撃を阻止すれば三年の勝利」
茜「一年はルークの奪還、及び周辺の安全確保。そしてシュート。成功すれば一年の勝利」
茜「奪還するルークはひとつでいいわ。きっと一年のゲートブリーチ二名はペトラを大量に持っているはずよ」
遊佐「五六対四八の点差をくつがえすほどのペトラを、か……」
他意の介入すら許さないような力強い口調。
マグリフォンさんは自らの推理に強い確信を持っているみたいだ。
 確かに俺もマグリフォンさんの言うとおりだと思う。
 となると、キーマンは一年のゲートブリーチ状態の二名ってことだ。
 その二人だけが試合を動かせる。
 勝ち、負け、という境界に線を引くことができる。
 俺は、一年の中から敵軍の腕章を持った人物を探した。
 やがて……そのうちひとりを見つけた。
 片手持ちの剣を、力なく構える彼女の姿を。
青島「……困りましたね。この状況は想定外です」
 キーマンのひとり、青島マリナがつぶやいた。
青島さんの表情は冷静だったが、声はやっとしぼり出したみたいにか細かった。
 青島さんは表情の変化にとぼしい。
顔はとても落ち着いているけど、きっと内心はすごく焦っているんだろう。
 汗が粒になって流れているのが、ここからでも見える。
遊佐「青島さん……」
 あんなに苦しそうな青島さんを、俺ははじめて見た。
雪のような儚さと、ガラスのような脆さを纏う青島さんが、いつもからは想像もできないほどの汗を流してがんばっている。
だから、思わず口に出していた。
遊佐「がんばれ! 青島さん」
 いずれは青島さんとも戦うことになるだろう。
しかし、今は応援したかった。
 くそっ。俺は、彼女に何にもしてやれないのか……?
 せめて、彼女に一言声をかけてやりたい。
 大丈夫、落ち着いて青島さん。チャンスはまだあるんだ!
???「だーいじょーぶ! 青島ッ! まだまだこれからじゃない!」
 俺は顔を上げる。
 心の奥で、青島さんに伝えたかったメッセージ。それをひとりの少女が代弁した。
 後ろで縛った髪を一本にまとめ、足をふみだすたびに束ねた髪が上下にゆらゆらと揺れる。
椎府、霞ちゃんだった。
霞「逆境こそが本当のチャンスだよ。逆境ってのはね、やることが一番ハッキリしてる状況のことなんだから!」
 青島さんの背中をばんばんと叩く。
 ああっ! そんな叩くなよ、青島さん咳きしてるじゃないか。
霞「みんな、いい? 青島とあたしがこの試合のカギ握ってるのは間違いないんだ。その、迷惑かけるかもしれないけど……サポート頼むよ!」
 手を合わせる。頭を下げる。
その時、霞ちゃんの腕の『敵軍の腕章』がキラリと光った。
 彼女もまた、試合を動かすことのできるキーマンのうちひとりだったんだ。
 霞ちゃんは自ら頭を下げて頼みごとをする人間じゃない。
 そりゃ安請け合いで「先輩ジュース買ってきてぇー」とは言う。というかよく言う。
 だが……あんな真剣に頭を下げたことはないはずだ。
 少なくとも、今までのこの学園生活の中では俺に見せたことはない。
遊佐「霞ちゃん……」
 俺は、君を誤解していたようだ。
???「霞。そない頭さげんでもええ」
 マロンのような優しい茶色の髪を持つ女の子が、頭を下げる霞ちゃんを諭す。
久々津舞さんだった。
 いや、正確には手袋のように久々津さんの手をすっぽりと覆っている赤い人形『マトンくん』なんだけど。
マトンくん「ええんや。みんなよーくわかっとる。霞、うちの親友の舞はな、うちなしじゃなーんもでけへん臆病者や」
マトンくん「でもな、いつでも心に思っとることが、ひとつだけあるんや」
久々津「……マトンくん、もうええ」
マトンくん「せやけど」
久々津「ええんや」
久々津「そこから先は、うちが言う。うちが言わなあかんねん」
 その決心にも似た言葉はとても意外だった。
心底驚いた。
 彼女にとって『マトンくん』は自らの『心の声』だ。
 だったら彼女は今、勇気を振り絞って本音を口に出そうとしている。
 久々津さんの声が、久々津さんの口から出ようとしている。
 たったそれだけのことが、彼女と彼女を知る者にとっては途方もなく重い意味を持つ。
久々津「マトンくんとうちは……親友同士や」
久々津「それと同じようにな……うちもみんなのこと……むっちゃ……だ……大事に思ってんねん……だ、だからな」
 言葉が区切られる。
 頬を真っ赤にして目を力いっぱい閉じていた。
だが次の瞬間、大きく息を吸い込み、
久々津「う、うちらは仲間や! 全力で霞と青島はんをサポートしたろやないか! なぁ、コルセールはん、リカやん! そしてみんな!」
 ようやく巣立っていく鳥を見守っているような感覚だった。久々津さんのよどみない声が、大空に羽ばたいていく。
ローラ「もちろんデス。カスミ。マリナ。ミスタ=タナーカの言葉を借りれば『勝負トハいかなるトキも勝つタメに戦う』のデス。ワタシもそう思いマス」
梨香「ええ。途中で勝負を諦めてしまうなんて無礼極まりない行為です。たとえしのぶさんが相手でも、私は負けるわけにはいきません!」
 梨香ちゃん、コルセールが大きくうなずく。
 信じる者たちの目だ。
 彼らを止めるものはもう、何もない。
 彼らの前には一本の道が伸びている。
 その道は舗装すらされていない過酷な道に違いない。
ひとりでは絶対に超えていけない道に違いない。
 だが、その困難な道の先には待っているだろう。
『勝利』という二文字が!
梨香「さぁみなさん。行きましょう! 勝利という扉を開ける二本のカギは、椎府さんと青島さんが持っています!」
マトンくん「そうや。二人とも、うちらじゃ『なにもできない』なんて言わせへんで! ばっちり引き立て役になったろやないか!」
 彼らの曇りなき眼が、そう告げていた。塹壕で待ち伏せしている仲間たちも、全員が笑顔で応えている。
 ――人はこうして強くなっていくのだ。
 俺はそう思わずにいられなかった。


茜「……わたしもあれくらい素直になれたらいいのにね」
遊佐「え?」
茜「いいえ。なんでもないわ。さぁ、試合が動くわよ」
 マグリフォンさんの淡々とした声が合図だったかのように、ルークが地面に消えていった。
 勝負とはいついかなる時も勝つために戦う、か。


 どうでもいいけど、久々津さん。
最後のセリフ、もうマトンくんに言わせてるのかよ!
最終更新:2007年02月18日 21:40