●久々津宅

和室にある仏壇の上には兄様の遺影が新たに加わっていた。
沢山ある遺影には、知っている顔は少ないけれど、
そこに兄様が加わったことで、普段見ない遺影を眺めることが多くなった気がする。

私は仏壇の前に座りお線香をあげ、目を瞑り形だけの祈りを捧げた。
そして、目を開けると少ししなびてきた花が目に入った。
たぶん普段なら気にすることは無いことなんだけれど、
兄様が死んだということで心境が少し変わっているのかもしれない。
仏壇の花を取り替えておかないとと思うようになっていた。

私は立ち上がり、部屋の空気の入れ替えのために障子をあけ、
縁側の窓を一杯に開けた。

一瞬、真夏の蒸し暑い空気が流れ込んできたかと思うと、
続いて清涼な風が部屋を吹き抜けていった。

空は晴れて、今日も陽射しが強かった。


縁側を出て、庭に出ると垣根の外にしぃネェの姿が見えた。
丁度玄関でチャイムを鳴らそうとしているところだった。

【舞】「しぃネェ!」

私が呼びかけると、しぃネェは手を振りこちらへ歩いてきた。
手には、恐らくお供えのための菊の花が抱えられていた。

【しのぶ】「こんなに暑いのに、外にいて平気?」
【舞】「うん、大丈夫!今出てきたばかりだから!」
私は両腕を持ち上げ、ガッツポーズをして見せた。
しぃネェはそれをみて、クスクスと笑った。

【しのぶ】「ああ、それと…これを仏壇に。
      もしかしたら変えたばかりかもしれないから、
      どうしようか迷ったんだけれど。
      うちの庭に咲いていて、綺麗だったから。」
そういうと、持っていた菊の花束を私に差し出した。

【舞】「ううん、ありがとう。しぃネェ。
    丁度新しいのを買いに行こうかと思ってたところだよ。」
私は菊の花を受け取り、しぃネェを部屋に招いた。
しぃネェは玄関から入ると言ってたけれど、
昔はそんなのおかまいなしだったよ?と言うと、そうだったねと笑った。

【舞】「座って待っててー、しぃネェ。
    今、お茶持ってくるね」
【しのぶ】「冷た~~い麦茶とかだとうれしいなぁ。」
【舞】「はい、承りました!」

私は台所に麦茶を取りに行き、戻ってくるとしぃネェは仏壇にお線香をあげていた。
手を合わせお祈りが済むと、兄様の遺影を眺めた。
しぃネェの表情からは特になんの感情も見受けられなかった。
やっぱり、私と同じように、兄様が死んでしまったことに対して
実感がまだわいていないのだろうか。

【しのぶ】「……。お葬式にはあたしも出席させてもらったけれど、
      今だに実感がわかないんだよね。
      最後までずっといたのに、まだ学校にいるんじゃないかって思っちゃうんだ」

私は持ってきた麦茶を座卓の上に置き、しぃネェに差し出した。
しぃネェは、ありがとうと答え麦茶を一口飲んで喉を潤した。

【しのぶ】「ごめんね、こんな話しちゃって」

私は首を振り、兄様の遺影に目をやった。

【舞】「私も同じ気持ちだった。
    火葬場で兄様のお骨もこの目にして、
    骨壷に入れてあげたのに、それが兄様じゃないような気持ちがして……。
    結局、今でもずっとそんな気持ちが続いてるの。
    けれど、家には兄様はいなくて、帰ってこなくて……、
    それで、あぁ兄様はもういないんだなって思って……、
    そう思うんだけれど、やっぱり実感は無くて」

暫く沈黙が流れた。
しぃネェも兄様の遺影を眺めている。

静寂の中、部屋を駆け抜ける風が気持ちよかった。

【しのぶ】「本当はね……、都を連れて来るつもりだったんだ。
      ほら、お葬式出れなかったから。
      だからリューコと一緒に、都の家に行ったまでは良かったんだけれどね。」
【舞】「みぃネェ、退院できたの?」
【しのぶ】「うん、まあ一応ね。
      今は落ち着いていて、パニックとか起こすことも無いだろうからって
      退院することになったんだけど……。
      あたしとリューコが声をかけても、何も反応が無いんだ。」

あの時から私はみぃネェに会っていない。
会いたい気持ちもあるし、話さなければいけないこともある。
けれど……、怖い。
みぃネェが私に会うことで、またパニックを起こさないとも限らないし、
それにもし大丈夫だったとしても、真実を話した時みぃネェが私をどう思うかが、
とてつもなく怖かった。

そんな事を考えていて、ひょっとしたら私の顔に安堵が表れていたのだろうか、
しぃネェが「舞もまだ心の準備が出来てなかったか……、連れて来れなくて正解だった?」と言った。

【しのぶ】「都の事はあたしらに任せてよ。
      頼りないかもしれないけどさ……。
      舞は舞の気持ちの整理をしていて?
      大丈夫、都は夏休みが終わる前には立ち直らさせるからさ。」

しぃネェはそう言って、私の頭を撫でてくれた。

しぃネェの表情は少し悲しそうだった。
みぃネェの家で何かあったのかもしれない。
けれど、しぃネェはそのことを伏せている気がしたから、私も何も聞かなかった。

日が少し傾いてきた頃にしぃネェは帰った。

私は、しぃネェが持ってきた菊の花を仏壇に新しく添え、
お線香を焚き、お輪を鳴らし手を合わせた。

お輪の悲しげな音が部屋を満たし、音が無くなるまでがとても長く感じられた。
最終更新:2008年01月28日 21:51