●久々津宅

久々津家前で甲賀しのぶが腕を組み立っている。
武僧都と舞の家に一緒に行くためだった。

正午過ぎの日差しが、真上から容赦なく照りつけ、
黒いアスファルトがフライパンのように熱せられる。
上下から焼き付けられ、まるでオーブントースターのようだとしのぶは思った。

打ち水をして、せめて下からの熱だけでも抑えようと、
いたるところで水を撒いている家があるが、正午過ぎのこの時間にやっても、まさに焼け石に水。
何の効果もなくあっという間に水は蒸発し、撒きすぎた水が湿気となり、
なんとなくジメジメと鬱陶しい暑さに変わっている。

【しのぶ】「……暑い」
【村崎】「口にすると余計に暑くなるぞ」

声のした方に顔を向けると、村崎竜子が涼しい顔で立っていた。
いつの間にかに来ていたようだ。

【しのぶ】「リューコは暑くないの?」
【村崎】「心頭滅却すればなんとやらだ」
【しのぶ】「そんなの今時流行らないよ……」

あまりの暑さに沈黙した時間が流れる。
ジジジジジとアブラ蝉の鳴き声があたりを満たしていた。

数分後、ゆらゆらとした陽炎の中に都の姿が現れた。
両手には、おそらく自分の家で摘んできた花を抱えている。
しのぶが手を振ると、都もそれに返した。

【都】「ごめん!お花摘んでたら遅れてしもた!」
【村崎】「腹でも壊したか?」
【しのぶ】「……そのお花摘みじゃないと思うよ、リューコ。
      暑いんだから、無駄な突っ込みさせないでよね。
      さあ、行くよ」

3人はぞろぞろと門を潜り玄関に歩いて行った。

都は庭をキョロキョロと見回すが、舞の姿は見当たらない。

【しのぶ】「今日は特に暑いからね。家から出るなって言っておいた」
都はそれを聞くと一度頷き、少しほっとしたような顔になった。

【しのぶ】「舞の体調の事?それとも、舞に会うのがちょっと不安?」
【都】「ん~……、両方。にゃはは……」
都は力なく笑った。

【都】「心の準備はしとったはずなんやけど……、
    目の前まで来たら、急に体が震えて止まらへん。
    気ぃ抜いたら、倒れそうやわぁ。……にゃはは」

不安そうに都を見つめるリューコとは裏腹に、しのぶは声を上げて笑い出した。

【しのぶ】「几帳面な子だとは思ってたけど、そこまで神経質だとは思ってなかったよ。
      予め伝えてあるし、それを拒まなかったという事は大丈夫ってこと。
      何も心配する事は無いよ、あたしが保障する」

リューコが都に深呼吸を促し、都はそれに応じて2~3度深呼吸をした。
少し落ち着いたのか口元をきゅっと締め、よっしゃと軽く言うと久々津家の呼び鈴を鳴らした。
すると、呼び鈴が鳴り止む前に玄関が開いた。

【舞】「いらっしゃい、みぃ姉!しぃ姉に家の中で待ってるように言われたから、玄関で待ってた!」
そう言って、えへへと照れくさそうに笑った。

都の目には涙が溜まり、涙を流すのを我慢しているようだった。
舞は、ゆっくりと都に近づき「元気になって良かった……」と、ぎゅっと抱きしめた。
都の涙は堰を切ったように溢れ出し、大声で泣きだした。

しのぶとリューコは、その様子をやれやれといった感じで見守っていた。



●久々津宅 仏壇のある部屋

【村崎】「都、いい加減泣き止んだらどうだ?」
【都】「せやかてっ……!」

リューコはため息をつき、舞の出してくれた良く冷えたお茶を飲んだ。

【しのぶ】「……まあ、無理もないよ。都は今はじめて現実を直視してるわけだし」
しのぶはお線香を上げ終わると、都を仏壇の前に促し、
都はよろよろと立ち上がり、ふらふらと仏壇の前に正座した。
鼻をぐすぐす啜りながらお線香を焚き、
手を合わせて「ごめんなさい、ごめんなさい」と静かに呟いた。

その姿を見た舞は「なんか、悪い霊に取り付かれてお払いしてるみたい」と
笑いながら都をからかって見せた。
都は「そんなんちゃうねん!」と、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を舞に向けて反論したが、
しゃっくりと鼻声で何を言っているのか誰も聞き取れなかった。

舞は「ごめんね、みぃ姉」と、にこやかな顔で都の頭を撫でて、タオルを差し出した。

【舞】「真剣なのはわかってるけれど、そんな顔じゃ兄様が心配しちゃうよ?」
舞は手鏡を都に向けて、自分の顔がどんな状況になっているのかを見せてみた。
都は「うっ!?」と一言発し舞からタオルを奪って、顔をごしごしと拭き始めた。
でも、涙は枯れる事を知らず、どんなに拭っても止めどなく溢れてくる。
どうしたら良いのか分からない都は、タオルを抱えたまま蹲ってしまった。
舞は都の頭を自分の膝に乗せて、優しく頭を撫でてやり「ゆっくりでいいから」と囁いた。
都は舞に身をゆだね、泣き続けている。

【村崎】「脱水症状にならなければ良いが……」
【しのぶ】「心配するとこ、そこ!?」

舞は困った表情を浮かべながらあははと笑った。

都は舞の膝の上で泣いている。
3人は静かにそれを見守った。
次第に都の嗚咽は治まりはじめ、代わりにすやすやと寝息を立てはじめた。


【舞】「みぃ姉、寝ちゃったみたい……」
【村崎】「泣き疲れたか」
【しのぶ】「手の掛かる子だね、ほんとに」

舞はそっと都の頭を膝から外し、布団を敷いて、リューコが都を運んで舞にお礼を言った。
しのぶは寝息を立てている都の頬を軽くつねったりして悪戯して、リューコに怒られた。



【しのぶ】「さて……、どうしたもんかね」
【村崎】「落ち着くまで待つしかあるまい」
リューコは寂しげに都の寝顔を見つめている。

【しのぶ】「それしかない、か。
      ……あたしらがしてやれる事って、本当に少ないなぁ」
【村崎】「ああ、なんとも歯痒い」
【しのぶ】「けどね……」
【村崎】「ん?」
【しのぶ】「今日の都を見ていたら、もしかしたらそれで十分かもしれない、とも思った」
【村崎】「……なぜ?」
リューコは首を傾げた。
しのぶは都の寝顔を見て、珍しく優しく微笑んでいる。

【しのぶ】「都はちゃんと現実を受け入れた。
      取り乱さずに、素直なままの感情を出した。
      都なりに落ち着いているのかもしれないよ」
【村崎】「ふむ……」
リューコは口をへの字に曲げ、なにやら考え込んでいる。

【村崎】「後は都自身の問題……、そういうことか?」
【しのぶ】「正解。あたしらがしてやれる事は、もう無いかもね」
しのぶは都の寝顔を見てニヤニヤしている。

【しのぶ】「……士郎の夢でも見てるのかね、この子は。
      あんだけ泣いてたのに、ニヤニヤしてるよ」
そう言った瞬間、しのぶに悪寒が走った。
反射的に舞の顔を見たが、特に変わったところは何も無い。
舞は優しく微笑みながら、都の頭を撫でている。
気のせいか……?

しのぶは都に顔を戻し、真顔でじっと見つめた。
あたしの中にあった不安の正体は、都の事じゃない……?
舞……なの?
不安の正体を探るように、しのぶは舞を再び見つめた。

【舞】「……? どうしたの、しぃ姉?」
【しのぶ】「んっ!?あ、ううん、なんでもないよ。
      ……二人を見ていると、どっちがお姉ちゃんなのか
      分からなくなってくるって、思っただけさ」
リューコは、フッと笑い「確かにそれは言えてる。舞の方がずっと大人だからな」と言った。

【舞】「そんな事っ!みぃ姉は、運動も出来るし、料理も出来るし、
    勉強は……ダメだけど、それでも私よりずっと凄いもん!
    ……時々思うんだ。みぃ姉みたいになりたいなぁって。
    ……みぃ姉みたいに……もっと……おに……」
【村崎】「都みたいにか……。私が言うのもなんだが、それはやめておいた方が良い」
【舞】「えぇ~!?なんでぇ!?」
リューコと舞はケタケタと笑った。

もっと、素直に……。確かにそう聞こえた。
どういう意味?そのままの意味?
あの事故の真相を、都に打ち明ける心の準備が不完全……、そういうこと?
それとも、もっと別な意味が。

【村崎】「どうした、しのぶ?心配しすぎて気疲れでもしたか?」
リューコは澄ました顔で、しのぶの顔を覗き込んできた。

【舞】「しぃ姉、なんか怖い顔してるよ?」
舞は心配そうに見つめている。

しのぶは頭を振り、うーんっと伸びをし大きく息を吐いて「なんでもないよ」と明るく返した。

【しのぶ】「いやぁね、後は都がなんとかするだろうと思ったら、急に疲れちゃってさ。
      ……今までの疲れが、どっと出た感じだよ~。
      こりゃ、後で都にご飯でも作らせて労ってもらわなね」
【村崎】「ははは!確かに、しのぶは良く頑張った!
     それくらいねだっても罰はあたるまい!」
舞もうんうんと頷きながら、あははと笑っている。



時刻はすっかり夕刻になり、窓から覗く空は茜色に染まっていた。

【村崎】「さて、私はそろそろお暇させてもらうぞ。
     明日も早いのでな」
【しのぶ】「んじゃ、そこまで送っていくよ。
      舞は都を見てて?起きて誰もいなかったら、また泣き出しそうだし」

舞は、「りょ~かーい!」と敬礼の仕草を真似た。
【舞】「村崎先輩、今日は忙しい中、どうも有り難う御座いました!」
【村崎】「いや、問題は無い。私も舞の顔を見れて元気が出たよ」
リューコは笑って答えた。


しのぶとリューコは久々津宅の門を出て、
しばらく沈黙のまま歩いた。

二人の間に重苦しい空気が流れている。
明らかにリューコは苛立っていた。
そして、しのぶが先に沈黙を破った。

【しのぶ】「一体、何?帰り際に表へ出ろみたいな合図して」
【村崎】「どういうことだっ……!舞を騙せても私は騙されないぞ!」
【しのぶ】「なんのこと?どうしたの、そんなにイライラしっ……くっ!?」
リューコはしのぶの襟を掴み、そのまま電柱に押し付けた。

【しのぶ】「リューコっ……、痛いっ!痛いって!」
離してくれと訴えても、リューコはやめなかった。
それどころか、さらに強く押し付けた。

【村崎】「なぜ私には何も話さないっ!どうして黙ってる!
     そんなに私は信用が無いか!?」
【しのぶ】「リューコ……。うっぐ!落ちつ……いて……」
しのぶはリューコの腕を掴み、涙目でリューコを見つめた。
リューコは、はっとした顔で手を緩めた。
しのぶは崩れるようにうずくまり、ゲホゲホと咳き込む。

リューコにやり過ぎたという罪悪感が押し寄せてきたが、
しのぶに対する怒りは依然として残っていて、複雑な表情を浮かべている。
手は差し伸べなかった。

しのぶが落ち着くと、リューコは話を続けた。

【村崎】「私では役不足か?私では不満か?」
リューコは鋭い目つきでしのぶを威圧している。
しのぶは苦しそうな顔でリューコを一度見たあと、顔を背けた。

【しのぶ】「リューコが……何を言ってるのか、……わからないよ。
      もっと順を追って、話してくれない……とっ!?」
リューコは、またしのぶの襟を掴み、罪悪感からか先ほどよりは加減をして、電柱に押し付けた。
しかし、顔は鬼のような形相で、苦しくてもがいているしのぶの顔を睨んだ。

【村崎】「しらばくれるな!!!
     お前が何かを考えていた事くらいっ、私が気が付かないとでも思ったか!!
     都の家でもそうだった!お前は何かの不安を感じていたはずだ!
     あの時もお前は言った!何でも無いと!
     心配事が出来たら、私に話してくれるとも言っていた!
     なぜ話してくれないんだ!
     ……あの時は、都の事で何か不安を感じているんだと思っていた!
     だから、何も言わなかった!……誰だって不安になるから……!」
リューコの手が一瞬緩み、薄っすらと目に涙を溜めていたが、
またすぐに目一杯電柱に押し付けてきた。
しのぶは、苦しそうに唸ったが、リューコはそのまま話を続けた。

【村崎】「けれど、都は元気になった!舞も、都と仲良くしていたじゃないか!?
     まるで本当の姉妹のようにしていたじゃないか!?
     お前にはそう見えなかったとでも言うのか!?
     一体何なんだ!?もう大丈夫なんじゃないのか!?
     これ以上、どんな問題が残っているというんだ!?
     私は……、私はお前ほど頭がキレないっ……。
     私にはわからないんだ!お前の考えている事も、わからないんだ……!
     後生だから、教えてくれ……。不安なんだっ……」
鬼の形相は消え、変わりに大粒の涙が顔に溢れていた。
しのぶを抑えていた腕は力なく解け、その場にへたり込み嗚咽を漏らしている。

しのぶは苦しそうな表情で、リューコを見つめていた。
そして考えていた。
この問題は、リューコに話したところで解決策は見つからない。
リューコは人に対して甘すぎる所がある。基本的に優しすぎるのだ。
舞に問題があったとして、リューコが舞に優しく接しても、きっと何の解決にもならない。
かといって、あたしがどうにかできる問題でも無いのも理解している。
これはたぶん、あの二人の問題だから。

あたしの不安、真実を話すことで、またあたし達の世界が狂うかもしれない。
それがなによりも怖くて、避けたい事だった。
でも、話さないことで、あたし達の間に溝が出来るのは明らかだった。

しのぶは選択した。

【しのぶ】「本当は、このまま自然に解決するまで黙ってるつもりだった」
リューコは力無く、しのぶを見上げ続きを待った。

【しのぶ】「ごめんね、リューコ。本当は不安とか心配事は沢山あるんだ。
      けど、その不安の種が何なのかわからなくて、話せなかった。
      あたしの気のせいかもしれないからね」
しのぶは屈んでリューコを抱きしめて、そのまま耳元で静かに話を続けた。

【しのぶ】「あたしの心配事を全部話すよ。
      でも約束して欲しい事がある。
      今から言う話は、絶対に誰にも言わない事。
      勿論、舞と都にもね」
リューコは抱きしめられたまま、軽く頷いた。

【しのぶ】「それと……、もう一つ忠告をしておくよ」
しのぶはリューコを解放して、そのまま肩に手を置きリューコの瞳をじっと見つめながら言った。
リューコは、いつになく真剣な眼差しで見つめてくるしのぶに臆し、無言で頷いた。

【しのぶ】「この話を聞いてしまったら、きっとリューコは舞の顔を見れなくなる。
      舞は結構鋭いから、悟られまいとすればするほど勘ぐられる。
      その上、リューコは隠し事が下手だからね。
      それでも今まで通りでいたいなら、この話を聞いたら忘れて。
      それが出来ないなら、せめて意識しないでいて」
【村崎】「……そんな事、話の内容にもよる。
     出来るかどうかなんて、わかるはずが……」

【しのぶ】「だよね……。あたしがバカだった。
      なら、こういうのはどう?
      舞を信用して欲しい。これでどう?」
【村崎】「愚問だ。そんなこと聞くまでも無い」

しのぶは満足げに頷き、
「そういうと思ったよ。なら、全部話す。
 けれど、これはあの子達の人生に大きく関わってきちゃうかもしれない程に重大な事。
 しつこいようだけど、もう一度確認するね。
 本当に誰にも言わない事、そして舞と都にも悟られちゃだめだよ?」
と念を押した。

リューコは一言「くどい!」と言い放ち、それを答えとした。
最終更新:2008年09月16日 18:25