遊佐「あれ? 聖?」

部屋に居ない。
じゃあ、どこだろう?
靴はあったしなぁ。
台所かな?

遊佐「って、何してるんだよ!?」

台所で聖が包丁を片手に震えていた。
左手首をその刃に添えて。

聖「……いざとなると……怖いものだな……」
遊佐「何を……」
聖「私は……私はな……」
遊佐「バカ野郎!」

頬をひっぱたいて腕を掴む。

聖「……離してくれ」
遊佐「ダメだ」
聖「頼む。離してくれ」
遊佐「絶対ダメだ」
聖「罰なんだ……これは……」
遊佐「何を言われても絶対に渡さない」
聖「頼む。私はもう、こうするしか――」
遊佐「ふざけるなっ!」

思わず叫んでしまった。
聖が身をすくめて包丁を落としてしまう。

遊佐「お前は俺の恋人だろう? 何で一人で思いつめようとするんだ?」
聖「……しかし……」
遊佐「俺はお前の味方だってさっきも言っただろう。信じられないのか?」
聖「ちが……そうじゃないんだ……」
遊佐「じゃあ、何で死のうとなんてするんだよ!」
聖「私は……私は……」
遊佐「恋人ってのは、辛いときは分かち合うものじゃないのか?」
遊佐「幸せになるのに協力するものじゃないのか?」
聖「私は……十分幸せだった……」
聖「だから……ダメなんだ……」
遊佐「何がダメだって言うんだよ」
聖「私には……そんな権利ないんだ」
遊佐「何でだよ?」
聖「私は……知っていたんだ……杏の気持ちを……それなのに……」
聖「それなのに……私は……」
遊佐「杏は関係ない。俺はお前が好きだったんだから」
聖「関係……あるんだ」
聖「だって、だって私は……」
聖「杏に……杏に辛い思いをさせた元凶なんだから」

堰を切ったように、聖の瞳から涙が溢れ出した。

遊佐「!?」
聖「それなのに、私は、杏の……杏の気持ちを踏みにじって……」
遊佐「お前……」
聖「いつだって、いつだって私は……杏に負担をかけていたんだ……」
遊佐「あれは、あれはお前のせいじゃない」
聖「私が……私なんかが……」
遊佐「あれはお前のせいじゃない!」

それ以上言わせたくなかった。
だから、抱きしめた。

聖「……離してくれ」
遊佐「ダメだ」
聖「私は……居ない方がいいんだ」
遊佐「絶対ダメだ」
聖「私は……幸せを感じちゃ……いけないんだ」
遊佐「何でだ?」
聖「幸せを……望んだら……杏が……杏が不幸になるんだ」
遊佐「そんなこと無い」
聖「あるさ……いつだって……知らないうちに……」
聖「杏を……踏み台に……してたんだから……」
遊佐「そんなことは無い」
聖「そのくせ……誰かを守りたいなんて……おこがましい……」
遊佐「聖……」
聖「これ以上……杏を不幸にしたくないんだ」
遊佐「だから、死にたいっていうのか?」
聖「……ああ」
遊佐「それで、杏は幸せになれると?」
聖「……そうだ」
遊佐「バカ」
聖「……え?」
遊佐「大バカだ。お前は」
聖「そうかも……しれない……」
遊佐「そんなんで杏が幸せになれるわけ、無いだろう」
聖「でも……」
遊佐「杏はいいやつだ。お前が死んだら悲しむ」
聖「……そう……だろうか……」
遊佐「杏が俺に、原因を口止めした理由。わかるか?」
聖「……いや」
遊佐「お前が受け止め切れないだろうからだ」
聖「…………」
遊佐「多分まだ言うつもりは無かったんだろうさ」
遊佐「そんな思いやりのあるやつが、お前が死んで喜ぶと思うか? 幸せになれると思うか?」
遊佐「俺は思わない」
遊佐「教えたことを後悔して、もっと悲しませるに決まってる」
聖「でも……」
遊佐「でも、何だ?」
聖「…………」
遊佐「お前は、本当はずっと杏を守りたかったんだろ?」
聖「それは……」
遊佐「バレバレだ。お前はいつだって視線で杏を気にしてた」
聖「…………」
遊佐「だったら、素直に杏を守ればいいじゃないか」
聖「でも……杏が……」
遊佐「杏のためなんだろう?」
聖「……そう……だけど……」
遊佐「嫌われるのが怖いか?」
聖「…………」
遊佐「何でそんなことを気にする?」
遊佐「お前は杏に好かれたいから守りたいのか?」
聖「ちが――」
遊佐「じゃあ、気にせずに守ればいいじゃないか」
聖「…………」
遊佐「嫌われても、鬱陶しがられても、守ればいいじゃないか」
遊佐「それで杏が幸せになるなら、それでいいじゃないか」
遊佐「お前が幸せになった分。杏も幸せにするために頑張ればいいじゃないか」
遊佐「死んだらそれも出来ないんだぞ?
聖「…………」
遊佐「生きて守れよ。聖」
遊佐「そっちの方が、もっと辛いんだからな」
聖「……そう……だな」
遊佐「分かってくれて何よりだ」
聖「……すまない」
遊佐「気にするな。恋人としての仕事だ」
聖「ふふ。そうだな。恋人だった」

良かった。やっと笑った。

遊佐「お前から告白したくせに忘れてたのか?」
聖「……バカ」
遊佐「そんなバカに惚れたお前は?」
聖「大バカ……だな」
遊佐「分かればよろしい」

前もやった掛け合いだが、やっぱりまだ調子は戻らないか。

聖「もう少しだけ……このままでもいいか?」
遊佐「ああ、何なら泣いてもいいぞ」
聖「……バカ……」

俺の胸で、聖が小さな嗚咽を漏らす。

遊佐「好きなだけ泣け。俺はここに居るからさ」
聖「……ぐすっ……ありが……と……」

…………。
……。

どれくらい経っただろうか?
聖は泣き疲れたのか、今は眠っている。
俺は、一人でぼんやりしていた。
聖があんなに追い詰められるなんてな。
以前聞かれたとき、答えなくて良かった。
しかし、杏はなぜ――。

ピリリリリリ。ピリリリリリ。

電話の着信音で、思考が遮られた。
ましろちゃんからだろうか?

遊佐「もしもし」
ましろ「もしもし、柊ですけど」
遊佐「あ、ましろちゃん?」
ましろ「うん。こっちは落ち着いたよ」
遊佐「あ、大丈夫だった?」
ましろ「まあ、ね」
遊佐「ごめんね。手間かけて」
ましろ「いいのいいの。それより……」
遊佐「何?」
ましろ「杏ちゃんに代わるけど、怒ったりしないでね」
遊佐「もちろん。俺は紳士だからね」
ましろ「真摯な対応を期待するよ」

誰が上手いことを(ry

ましろ「じゃ、代わるね」
遊佐「分かった」

……電話の向こうで何か聞こえるけど、内容まではさっぱり。

杏「……もしもし」
遊佐「おう杏。大丈夫か?」
杏「……ええ」
遊佐「こっちも大変だったぞ、聖が大泣きしてな」
杏「……そう」
遊佐「で、どうした?」
杏「…………」
遊佐「…………」
杏「……怒らないのね」
遊佐「ま、さっき怒るなって言われたしね」
杏「私の……私のした事は……」
遊佐「嘘を言ったわけじゃないんだろ?」
杏「……ええ」
遊佐「長い間すれ違ってたんだ。本心で話せば、衝突もするさ」
杏「でも……でも……私は……」
遊佐「まったく、聖とそっくりだな。自分で抱え込みたがるところ」
杏「……そう……かしら……」
遊佐「ま、俺でよければ話くらいは聞くけど」
杏「そう……ね……」
遊佐「で、どうしたんだ?」
杏「……私は……嫉妬したのよ」
遊佐「嫉妬って?」
杏「それは……ましろ、それやめて」

受話器の向こうでましろちゃんが何かしてるらしい。
遠くからぶーいんぐが出てるようだ。
何が起きているのか地味に気になるところだが、空気を読んで黙っておこう。

杏「……私は……多分……」
遊佐「多分?」
杏「……好きだったのよ」
遊佐「何を?」
杏「……あなたを」
遊佐「……え?」
杏「…………」

えーっと。
杏が俺の事を好き?
聞き間違いじゃない……よな?

遊佐「えっと、俺は……」
杏「答えなくていい」
遊佐「そ、そうか」

珍しくピシッと言われて少し動揺してしまう。

杏「……それで嫉妬して……まあ、そんな感じ……」
遊佐「えらく曖昧なんだけど……」
杏「……ま、ましろ……もういいでしょ?」

遠くからつまんなーいって聞こえるけどスルーしておこう……。

杏「ましろに代わるから」
遊佐「あ、うん」
ましろ「はい。お電話代わりました」
遊佐「すばやいね」
ましろ「杏ちゃんは、今恥ずかしさで死にそうになってるよ?」
遊佐「な、なるほど」
ましろ「で、一応聞いておくけど」
遊佐「何?」
ましろ「告白の返事は?」
遊佐「あ、ああ」
ましろ「どうする?」
遊佐「やっぱり直接答えたほうがいいかなと思うんだけど……」
ましろ「ちょっとまってね」
遊佐「あ、うん」

受話器の向こうから、再び何かの会話が漏れ聞こえる。
やっぱり内容は分からないけど。

ましろ「恥ずかしいから無理。だって」
遊佐「あらら」
ましろ「というわけで伝言するから」
遊佐「分かった」

さて、どう答えようか。
杏は、確かにいいやつだし、美人だと思う。
聖も杏も、そんなところ似なくてもいいじゃないか。
俺は……。

遊佐「俺は、聖のことが好きだ」
ましろ「……ん」
遊佐「一番大切に思っている。だから――」
ましろ「分かった」
ましろ「純情なんだねぇ」
遊佐「おばちゃんみたいな言い方はよしてくれ」
ましろ「はいはい。あ、それと伝言」
遊佐「何?」
ましろ「杏ちゃんが、聖ちゃんにごめんって」
遊佐「分かった。伝えておく」
ましろ「そっちからは何かある?」
遊佐「聖に直接言わせるさ」
ましろ「うん。分かった」
遊佐「じゃ、そんなところかな?」
ましろ「質問あれば受け付けるよ」
遊佐「あ、じゃあ杏側の話って何だった?」
ましろ「まあ、簡単に言えば、遊佐君取られた嫉妬で、たまたま会って全部ぶっちゃけちゃったという話」
遊佐「凄く簡潔な答えありがとう
ましろ「どういたしまして、んで、他にあるかな?」
遊佐「んー」

特に思いつかないな。

遊佐「じゃあ、ましろちゃんのスリーサイズについて」
ましろ「残念ながら禁則事項だよ」
遊佐「やっぱり?」
ましろ「そっちも落ち着いてるみたいだね」
遊佐「まあ、ね」
ましろ「明日にでも詳しく教えてね」
遊佐「うん」
ましろ「じゃ、またね」
遊佐「うん。ありがとう」
ましろ「どういたしまして」

電話を切った後、少しさっぱりした気分になった。
杏はやっぱりいいやつだ。
時間はかかるかもしれないけど、聖と仲直りも出来るだろう。

聖「どうした?」
遊佐「あ、聖。おきてたのか」
聖「さっき、な」
遊佐「まあ、服が乾くまでゆっくりしていけ」
聖「すまない」
遊佐「気にするな。ああ、それと」
聖「ん?」
遊佐「杏がごめんってさ」
聖「……そうか……」
遊佐「意外と仲直りできそうじゃないか?」
聖「……そうだな」
遊佐「ま、落ち着いたら考えてみたら良いんじゃないか?」
聖「そうする……」
遊佐「帰りたくないなら泊まってくれても構わないし」
聖「…………」
遊佐「冗談だ」
聖「いや、出来れば……泊めてくれないか?」
遊佐「おいおい……」
聖「まだ、家に……戻りたくないんだ」
遊佐「…………」
聖「……ダメか?」
遊佐「……しょうがないな」
聖「すまない」
遊佐「気にするな。連絡はしろよ?」
聖「ああ、電話借りるぞ」
遊佐「おう」
聖「…………あ、もしもし、うん――」

さて、すると夕飯どうすっかな。
買い置きのレトルトしかねえな。
まあそれでいいか。
今は聖に包丁持たせたくないし。

…………。
……。

レトルトカレーで遅い夕食を済ませ、部屋でゴロゴロする俺たち。

聖「なあ」
遊佐「ん?」
聖「いつもああいう食事なのか?」
遊佐「まあ、割と多いかな」
聖「そうか……」
遊佐「栄養偏るとか言う?」
聖「言ったところでやめないだろ?」
遊佐「さすが分かってるな」
聖「まあ、心配ではあるが」
遊佐「じゃ、毎食聖が作ってくれよ」
聖「え?」
遊佐「ダメか?」
聖「いや、その……ダメなわけではないが……」
遊佐「じゃ、たまに頼む」
聖「あ、うん。たまになら……」
遊佐「お、期待してるぜ」
聖「あ、ああ……」

恥ずかしそうにもじもじする聖。

聖「さっきも思ったんだが」
遊佐「ん?」
聖「部屋。意外と片付いてるんだな」
遊佐「たまたまだよ。たまたま」
聖「そうなのか?」
遊佐「いつもはもっと汚いさ」
聖「……そうなのか」
遊佐「いや、そんな納得しないで欲しいんだが」
聖「あ、すまん」
遊佐「やれやれ……」
聖「ところで」
遊佐「ん?」
聖「やっぱりえっちな本とかは隠してあるのか?」
遊佐「い、いきなりなにを?」
聖「いや、皆持っていると、ましろが」

ましろちゃんめ。

遊佐「ま、まあ、探せば一冊や二冊あるんじゃないか?」
聖「そうなのか……」
遊佐「た、多分な?」
聖「…………」
遊佐「だ、大丈夫。いきなり襲い掛かるような度胸はないし」

襲い掛かったら返り討ちにあいそうだし。

聖「ああ、遊佐を信じる」
遊佐「そうしてくれ」
聖「ん? もうこんな時間か」
遊佐「ああ、そろそろ寝るか」
聖「そうだな。どこで寝たらいいだろうか?」
遊佐「聖はベッドでいいぞ」
聖「遊佐は?」
遊佐「毛布一枚あれば大丈夫だろ」
聖「いや、それなら無理を言った私が廊下で」
遊佐「いやいや、女の子を廊下で寝かせて自分はベッドで、なんて出来ないって」
聖「いや、しかしだな」
遊佐「ほら、寝ろ寝ろ」
聖「そ、そうだ。なら一緒に寝ればいいじゃないか」
遊佐「お前……自分が何言ってるか分かってるか?」
聖「い、いや、寝るだけ。寝るだけだ」
遊佐「やっぱ分かってなかっただろ?」
聖「家主が廊下で寝ているのに、ベッドで落ち着くなんて出来ないし」
遊佐「気にするなよ」
聖「ダメだ。どうしても廊下で寝るなら、私も床で寝るぞ」
遊佐「んな無茶な」
聖「ダメったらダメだ」
遊佐「……はぁ、しょうがないなぁ」

早めに眠りについてしまえば大丈夫だよな?
主に俺の理性が。

…………
……

眠れん。
まあ、予想は出来てたけどな。
聖が寝付いたら廊下に出ようと思ってたけど。
手を繋いでるからでれんし。

聖「遊佐。起きてるか?」
遊佐「何だ?」

というかまだ起きてたのか。

聖「すまないな。ワガママを言って」
遊佐「気にするな」
聖「正直言えば……」
遊佐「ん?」
聖「一人で眠れる自信が無かったんだ」
遊佐「何なら抱き枕にでもなろうか?」
聖「それは遠慮しておく」
遊佐「残念」
聖「誰かの体温を感じながら眠るって幸せな気分になれるな」
遊佐「俺は自制心との戦いで精一杯だぞ」
聖「ふふっ、すまないな」
遊佐「今日は謝ってばかりだな」
聖「そう……だな……」
遊佐「そんなに効いたのか?」
聖「……ああ、かなり」
遊佐「そうか……」
聖「つくづく自分が鈍感だと思ったよ」
聖「いつもいつも、分かってるつもりで空回りだった」
聖「杏は……今、どうしてるだろうか……」
遊佐「ましろちゃんが保護したから、大丈夫だと思うよ」
聖「……そっか……」
遊佐「ん?」
聖「つくづく私は……」
遊佐「だから、一人で守ろうとするなってば」
聖「え?」
遊佐「協力し合っていけばいいじゃないか」
遊佐「みんな違う人間なんだし、出来る事も色々だろ?」
遊佐「持ちつ持たれつ、補い合っていくもんさ」
聖「……そう……だな」
遊佐「聖は、聖にしか出来ないことで、杏を応援してあげればいいじゃないか」
聖「……ありがとう」
遊佐「俺が出来る事があれば手伝うから、ゆっくり頑張ればいい」
聖「ありがとう……」
遊佐「恋人なんだし、そのくらいはな」
聖「ふふっ。なんだか凄くほっとした」
遊佐「それは何より」
聖「ほんとに……ありがとう……」
遊佐「どういたしまして」

しばらくして、静かな寝息が聞こえてきた。
手伝うとか言ったけど、後は二人の問題だ。
大丈夫……だと思う。
すれ違ってたけど、やっぱり仲のいい姉妹なんだ。
だから、大丈夫。
聖の穏やか寝顔を眺めながら、いつしか俺も眠りについていた。
最終更新:2008年11月10日 06:47