●7月18日(水) 朝 教室
朝の教室に入ると既に半分以上のクラスメイト達が登校していて、
仲の良い友達と向かい合い談笑し、暇を潰していた。
俺が教室に入るとましろ嬢は、眠い目を擦りながら「おはよう~」と可愛らしく挨拶をくれた。
俺も挨拶を返して席に着いた。
彼女の朝の挨拶は登校後の疲れた体を癒してくれる魔法のようだ、
なんて思ったりするほどの良い笑顔。
これを見たいがために、辛くても毎朝早起きして登校してくるクラスメイトもいるかもしれない。
聖がその筆頭と言えなくも無いか。
しかし癒されたとはいえ、暑さで体力を奪われたので、買ってきたジュースをあけて渇きを潤す。
若干ぬるくなってしまっているが、全身にみずみずしさが染み渡り、
体がクールダウンしていくのがわかる。
疲れが抜けるように、自然にため息が漏れた。
【中島】「俺には挨拶無いわけ?」
【俺】「友達ならともかく、必要ないだろう?お前には」
【中島】「ああ、言葉を交わさなくても心で通じ合うってやつか。
そうか……、俺達はもうそんな関係になっていたんだなぁ。
思えば2週間前にお前が転校してきた時から、良い親友になれると……云々」
中島が何か言っているが、今は相手にする気分ではない。
そんなことよりも、一時間目の授業の準備の方が大切だ。
【ましろ】「部活の調子はどう?楽しそうにしてるのを帰りに見かけるけど」
一息ついていると、ましろ嬢が声を掛けてきた。
【聖】「あれだけデレデレしていたんだ、聞かずともわかるだろう」
【俺】「デレデレって……。うん、まあ、色々あったけど部活に入れて良かったよ。
紹介してくれた、ましろちゃんのおかげかな?」
【ましろ】「良かった!」
【聖】「ましろに、一生感謝することをわすれるなよ?」
【俺】「ああ、そうするよ。
足を向けて寝れないから、ましろちゃんの家と部屋とどうやって寝てるか、
後はパジャマはどんなのを着てるのかを教えてくれると有り難いんだが?」
【聖】「……調子にのるなよ?」
【俺】「ごめんなさい」
ましろちゃんは、あははと苦笑いをした。
【聖】「そういえば、あの久々津とかいう子と仲が良いみたいじゃないか。
付き合っているのか?」
【俺】「……はい?」
【中島】「なんだと!?聞き捨てならない話が聞こえたぞ!?」
【ましろ】「へー、そうなんだ~。遊佐君も隅に置けないねー」
俺は慌てて首と手を横に振り、その話を否定した。
【俺】「そんな馬鹿な。付き合うどころか、毎日のように苛められてるよ。
見かけは確かに可愛いけど、中身が黒すぎてなぁ」
【ましろ】「そうなんだー。人は見かけによらないねー」
【聖】「…………ましろ」
ましろ、お前もだ。という聖の心の声が聞こえた気がした。
中島は疑いの目で俺を見ている。
【俺】「な……、なんだよ、そんな目で見て」
【中島】「ふぅ……。付き合っていないにしても、好かれていることは確かじゃねぇか。
よく言うだろう?好きな子を苛めたくなるって」
【聖】「それは男の子の場合じゃないのか……?」
【中島】「あ、そうなの?まあでも、あの子があんなに楽しそうにしているのは、
俺の知りうる限り今まで見たことが無い。
お前が現れてから良く笑っているのを見るようになった。
これはつまり、お前といるのが楽しいからに他ならないだろう?」
俺はうーんっと唸った。
確かに随分懐いてくれていると思うこともあったが……。
ましろちゃんが突然「あっ!」と何か気が付いたかのように声を上げた。
【ましろ】「それじゃ遊佐君達、三角関係になっちゃうね!」
わけのわからないことを言い出した。
【俺】「えっと……、それは何故ですか?」
【ましろ】「だって、遊佐君は武僧先輩の事が好きなんでしょ?
久々津さん……だっけ?その子が、遊佐君を好きなら、
立派な三角関係の出来上がりだよ!?」
【俺】「えっ、あ……ちょっ、待って!俺が武僧先輩の事が好きだって、いつ言った!?」
【ましろ】「違うの?」
ましろちゃんは上目遣いで、俺の顔を覗き込んでいる。
なんだか、全否定するのが心苦しい。
【聖】「どうなんだ?吐いて楽になったほうが良いぞ?」
聖は面白い遊び道具を見つけたと言わんばかりの顔で、俺を尋問している。
【中島】「巨乳好きなうえに、ロリコンか。最低だな」
【俺】「ちょっ、ちが!」
なんで朝からこんな話になってるんだ。
けど、実際どうなんだろう。俺の気持ちは。
たぶん、好きには違いないんだろうけれど……。
吐いて楽にって言ったって、……三角関係になったら楽になれないじゃないか。
【しのぶ】「それは好きって解釈で良いのかな?遊佐君」
【俺】「うわああ!また湧いた!」
【しのぶ】「人をゴキブリみたいに言わないでほしいねぇ。
で、どうなのよ」
いつものように急に湧いて出た甲賀先輩は、興味津々に聞いてきた。
また知らない間に口に出していたらしい。
それを聞いていた皆はニヤニヤとして様子を窺っている。
【俺】「どう……と言われても――。
武僧先輩の事は勿論好きですよ?
ただ、それは特別な感情から来る物ではなくて、
……たぶん先輩としてとか、そういう好きだと思います」
【ましろ】「たぶん?」
【しのぶ】「クックック。自分でもその気持ちに気が付いていないという事か」
【俺】「そんなんじゃないですよ!からかわないでくださいよ」
甲賀先輩はあっはっはと大きく笑った。
【しのぶ】「からかってるつもりはないさ。
ただ、好きなら好きで良いけど、
あの二人はあたしにとっても大切な子だからね。
悲しませるような事だけはしないで貰いたいなぁ」
【ましろ】「そうだよ、遊佐君。
はっきりしないままって、女の子にとってはとても苦痛なの。
だから、ね?」
甲賀先輩は珍しく真面目な気がしたが、
ましろちゃんはたぶん興味本位だろうなぁ。
んー、どうしたらいいんだろう。
俺が悩み始めた直後、予鈴のチャイムが鳴り響いた。
皆がせっかくこれから楽しくなるのに!がっかりだ!という表情で、大人しく席に戻った。
甲賀先輩はいつの間にやら消えていた。
とりあえず、チャイムに助けられたが、休み時間になったらまた来そうだ。
そして、思ったとおりその日の休み時間は、ましろちゃんと甲賀先輩が俺の席にやってきた。
その都度、適当な理由をつけて逃げ回って過ごす事になった。
●同日 昼 教室
昼休み……、長い休み時間だ。
さて、どう逃げるか……。
【舞】「遊佐先輩~、おいやすかー?」
久々津さん!良いところに!
……あ、待てよ。今日に限ってはこのままお昼に呼ばれるのは色々まずいのでは。
どうすれば、どうすれば……。
必死に考えていると、袖がグイグイと引っ張られた。
振り向くと久々津さんが「なんや、いるなら返事くらいしてや」と俺を見ていた。
そして、俺の答えを聞くことも無く手を取り、
小柄な体には似つかわしくない力で俺を引きずって教室から連れ出した。
そして、そのままいつもの場所でお弁当を口にしている自分がいた。
【舞】「遊佐先輩、どないしたん?なんかぼーっとしてはる」
【俺】「んっ、いや。ちょっと考え事してただけだよ」
【舞】「遊佐先輩が考え事?……どうせ、みぃ姉のむぐっ!」
久々津さんが何を言おうとしていたか察知した俺は、口を塞いで黙らせた。
それが、かえって図星であるかのように思われ、久々津さんは冷たい目で俺を見つめた。
【都】「ふぇ?あたしがどうかしたん?」
【龍子】「ふふっ。相変わらず仲が良いな、君達二人は」
俺はあははと苦笑いするしかなかった。
久々津さんは俺の手をどけると「みぃ姉だけじゃなくて、村崎先輩のも」と言い掛け、
再び口を塞いで黙らせた。油断した瞬間これだ。
中島が言うには、久々津さんは俺が好きという話だが今一つ信じられない。
俺は深くため息をついた。
【龍子】「あはは!まあ、君も男の子だからな。理解はしてあげるつもりだが、
あまりジロジロと見られるほうは堪ったものではない。
少しくらいなら大目に見るが、舞に噛み付かれぬようにな?」
【俺】「いや、その……。はは……」
【舞】「村崎先輩は人が良すぎどす!こういう輩には天誅を!」
久々津さんがほっぺたを両手で抓ってグイグイと引っ張る。
それを見て村崎先輩と武僧先輩は笑っていた。
仲睦まじく見えるのかもしれないが、本気で抓ってるからむちゃくちゃ痛い。
暫くして、やっと解放されたひりひりする頬をさすりながら中断されていた食事を再開した。
武僧先輩が作ってくれたお弁当は、その痛みを和らげてくれるほど美味しかった。
村崎先輩が武僧先輩の胸をじっと見ている。
そして、「胸といえば……。都、また大きくなったんじゃないか?」と言った。
俺と武僧先輩は同時にむせた。
折角話を終わらせたつもりだったのに蒸し返すなんて、
村崎先輩も結構腹黒い人なのか……!?
【都】「な、何言っとんのや、急に!」
武僧先輩は顔を真っ赤にしながら胸元を両手で隠す。
しかし……、これが男の性なのか、村崎先輩の一言で
無意識に武僧先輩の胸へ視線を動かしてしまっている。
見ないように意識して視線を逸らそうとするも、チラチラと目が行ってしまうのだ。
そんな煩悩と戦っている俺の姿を見て、久々津さんはクスクスと笑っていた。
【龍子】「その反応は正解か。
いや、最近道着が新しくなったように感じてな。
背丈はあまり変わっていないから、胸がきつくなったのかと思ったんだよ」
そう言って村崎先輩は「ふふっ」と笑う。
【都】「そんなんちゃうねん!大きさは……、そんな変わっとらん……。
って、ちゃうねん!道着がボロボロになっとったからや!」
全力で否定するも、恥ずかしさのあまり頭から湯気が立ち上っていた。
薄っすら涙も浮かべている。
意外とコンプレックスに感じているのかもしれない。
俺の様にジロジロと見られるのが嫌なのかもしれない……。
少し罪悪感みたいなものを感じ、少し反省することにした。
ああ。しかし、道着か……。
【舞】「また妄想?」
【俺】「違う」
これ以上武僧先輩を困らせたくは無いので、ここはびしっと否定した。
【俺】「道着ってどこで買えるのかなって」
【舞】「……道着どすか?」
要領を得ない久々津さんは首をかしげた。
【俺】「ああ、ごめんね。二人は道着なのに、俺だけ
体操服のままで良いのかなぁってさ」
【舞】「なるほど。けど、ええんちゃいます?
先輩はまだ本格的に始めとらへんのやから」
それもそうか……。必要になったら買えば……。
と思いかけたとき、武僧先輩が乗り出し指を振った。
【都】「それはちゃうで、舞。
着るだけで命中がアップするんやで?防御力もばっちりやー!」
【龍子】「……都が何言っているのかわからぬが、
我々もユニフォームを着ると気は引き締まるものだ。
形から入る事も精神面では重要な働きをする。
遊佐君がこれからも空手部で頑張って行くつもりなら、
その覚悟の証として買うのも良いだろう」
村崎先輩は俺にニコリと微笑みかけた。
【俺】「……なるほど。じゃあ、買ってみようかな。
良かったら店とか教えてくれませんか?」
【都】「ほなら、放課後案内したる~。
今日は水曜やから、部活も休みやし」
【俺】「そういえば、部活の活動日聞いてませんでした……」
【龍子】「なんだ、そんなことも教えてなかったのか」
【都】「にゃはは!すっかり忘れとったわぁ。
月・火・木・金の週四日が空手部の活動日やでぇ。
改めてよろしゅうなぁー?」
【俺】「了解しました!こちらこそ、改めてよろしくお願いします!」
放課後、道着を買いに行く事になった。
午後の授業中、道着の値段を聞きそびれていたことに気が付いた。
そして、休み時間に武僧先輩に聞きに行くと「5千円もあれば良いのが買えるでー」と、
今の所持金では買えない事がわかり、放課後一度帰ってから改めて案内してもらう事になった。
●同日 放課後 教室
今日の授業が終わった。
早く帰ってお金を取ってこなければ。
俺は誰よりも早く帰りの支度をした。
【しのぶ】「見たぞ聞いたぞ、今日は都とデートか」
甲賀先輩は満面の笑みでこちらを見ている。
さっき先輩の教室行ったときか……、油断した。
【ましろ】「意外と行動が早いんだね、遊佐君。
でもその意気だよ!」
【俺】「いやいや、そんなんじゃないから」
待ち合わせ場所はこの間の公園。待たせるわけには行かないから、急いで帰らねば。
俺は聞きたいことが山ほどありそうな顔をしたましろちゃん達から、
逃げるようにして教室を後にした。
そして家からお金を取ってきて公園へ――
公園に着くと武僧先輩の姿は見つからなかった。
それどころか、この暑さの所為ため公園に人の気配すらない。
ちょっと早く着き過ぎたか?
【俺】「日陰で一息つくか……」
近くの自販機でさっぱり系のスポーツ飲料を買い、屋根付きのベンチに座り蓋を開けた。
空を見上げると放課後とはいえ日は高く、青空が広がり清々しい色を映し出している。
これでもう少し暑さが治まっていればといつも思う。
【都】「ごめん、待たせてもうた!」
【俺】「いえ、自分もさっき着いたばかりなので、待ってませんよ」
申し訳なさそうに手を合わせ「堪忍な」と謝るので、
全然気にしていないことを伝えると、すぐに笑顔に戻った。
【都】「ほなら、さっそく行こか?」
【俺】「はい、よろしくお願いします」
●同日 放課後 街
駅前にある比較的大きな店のある一角を俺達は歩いていた。
この街の住宅街には大きな店があまりないため、
殆どの住人は買い物といえば、この駅前くらいしかなかった。
不便といえば不便ではあるのだが、ゲームセンターやカラオケなどの娯楽施設も集まっているため、
学校帰りの学生も大勢見かけ、この辺り一帯は都会にも似た賑わいを放ち、
わざわざ都市部まで電車を使って出かける必要が無いのは救いだろう。
俺達はその賑わっている中心街より少しそれた所にある商店街に入っていた。
中心街ほどではないが、ここも地元の人間で溢れ、それなりの活気が満たしている。
案内されるがままに付いて行くと、少し古ぼけた武道具屋が姿を現し、
古ぼけた看板には尾久日武具店と書いてあった。
剣道、柔道、空手、弓道等の必需品が揃っている店のようだ。
【都】「着いたでぇ~。うちがお世話になっとるお店や」
【俺】「家がお世話になってる?……ああ、お家は道場でしたね」
【都】「せやで~。ここは爺ちゃんの友達がやっとるんや。
うちの道場にも時々遊びに来る」
武僧先輩は建てつけの悪い戸をガッガッ!と開ける。
そして店に入るや否や「おじちゃん!店の戸、直した方がええって言うたやん!」と大声で言った。
すると店の置くから大柄のご老人が姿を現し、ガハハ!と笑って出てきた。
【尾久日】「こぎゃんとこ来る客ば、みな戸が開かんことくらい知っちょる!
だけん、急に直しょったら、みなビックリしよっばい?」
【都】「面倒なだけちゃうん……?」
武僧先輩がそう答えると、大柄のご老人はガハハ!と笑って誤魔化した。
図星らしい。
そのやりとりをそっと見守っていると、大柄のご老人が「そっちの坊主はなんじゃ」と
覗き込むようにして俺を見た。
なんとなく威圧されているような気がしないでもない。
気圧されながらも名乗ると、大柄なご老人は「わしは尾久日。ここん店主たい」と答えた。
【都】「空手部の新入部員やで~。そんで道着が欲しいんやけど……」
【尾久日】「なん、都ちゃんば彼氏じゃなかね」
【都】「な、ななななな何言っとっちょ!そぎゃん仲じゃなかたい!」
全力で否定されたが、その慌てようが脈有りみたいで少し恥ずかしい。
慌てすぎて、方言移ってるし。
尾久日さんはニヤニヤしながら「ほぉ~」と疑いの目を武僧先輩に向けていた。
【都】「そんな事より、遊佐君の道着見立ててやってや~!」
【尾久日】「ガハハ!わかっとっちょ、わかっとっちょよ?
あたの爺さんにゃ黙っとくけん。しっかりやっとよ?」
武僧先輩はにゃあにゃあ!と言葉にならない叫びを上げている。
尾久日さんはそんな先輩を無視して俺に近づいてきた。
【俺】「あの、よろしくお願いします。
自分、空手は初めてなのでわからない事だらけで……」
尾久日さんは黙って一度頷き、自分の体を使い図り始めた。
【尾久日】「うむ。まかせときんしゃい。
お前さん、1年生か」
【俺】「いえ、2年です。この夏に転校してきました」
【尾久日】「ふむ。華奢だけん、1年坊主ばおもっとったわい。
ま、5号で良かね。ちょい待っちょれ」
【俺】「はい、
ありがとうございます」
尾久日さんは俺にあった道着を探しに店の奥に戻った。
【都】「にゃはは!そんな緊張せんでええで~?
見た目は怖いけど、良い人やから安心しぃ」
【俺】「……あはは。なんか気迫に圧されちゃって。
尾久日さんも、やっぱり強いんですか?」
【都】「うむ、めっちゃ強いで~。あたしよりもずっと強い。
爺ちゃんと同じくらいか、それ以上や」
【俺】「先輩よりもずっと……」
【都】「あたしなんか、まだまだや。
せやから、一緒に頑張ろうな!」
武僧先輩は満面の笑みを浮かべた。
【尾久日】「ガハハ!若いっちゃよかのぉ!
ほれ、こん道着ば来てみ」
俺は渡された道着に袖を通してみた。
少々ぶかぶかだったが、丈はぴったりのようだ。
【尾久日】「だぼだぼばってん、丁度良か。
肉ば付いたら見栄えも良くなるたい。
頑張りんしゃい」
【俺】「あはは……、頑張ります」
その道着を三千円ほどで購入し、俺達は店を後にした。
●同日 夕方 公園
俺と武僧先輩は公園のベンチに座り、ジュースを飲みながら一息ついていた。
夕方になり日が傾いてきた所為か、昼間に比べれば大分過ごしやすい。
【都】「ええ道着が手に入って良かったなぁ」
【俺】「ちょっとぶかぶかですけどね」
尾久日さんに華奢と言われたのを思い出して苦笑いをした。
袋から道着を覗かせる。
真新しい道着の匂いが香った。
手にすると少しごわごわとしていて硬かった。
【都】「にゃはは!着てればすぐしっくりくるようなるで。
けど、気をつけねばならんことがある!」
武僧先輩は急に険しい顔で迫った。
俺は一般人には知りえない重要な取り扱いがあるものと、緊張して言葉を待つが……、
【俺】「……そ、それは?」
【都】「臭いや!」
【俺】「に、におい?」
【都】「せやー、臭いや。汗ぎょうさん吸った道着の臭いは強烈やでー?
男の子はあまり気にせーへんけど、
清潔にしとかんとすぐカビてまうから洗濯はこまめにしとき?」
何を言うかと思ったら……。
普通の答えに緊張していた体から力が抜け、苦笑いしか出来なかった。
しかし、意外と重要な事かもしれん。心に留めておこう。
【俺】「ははは……気をつけます」
暫く沈黙が流れる。
何故だか会話が続かない。
今朝の話をなんとなく意識してしまっている所為か、どうにも緊張が抜けないのだ。
まして二人きりだ。さらに強く意識してしまう。
武僧先輩は特に気にする様子もなく、静かに空を見上げている。
一緒に見上げると夕焼け空がぬくもりを感じるような、そんな朱色で染まっていた。
見事な染まり具合に魅せられて、ただぼーっと見つめていた。
少し強めの風が吹いた。
近くにある噴水の水を通り抜けた風は冷たい湿気を帯びていて、
ぼーっとしていた俺を我に返させた。
武僧先輩も夕焼けに見惚れていたようで、
風に当てられ俺に続いて我に返った。
そして、静かに話し始めた。
【都】「あんなぁ、昔は空手部も活気があったんやで?
今も遊佐君入れて三人しかおらんけどな。
舞は体調の事もあるし、家の事もあるから来れへん日も多い……。
せやから遊佐君が来る前は、一人でやってるようなもんやった。
けど、遊佐君が来てから舞も元気に楽しそうにしとるし、
また活気が戻って来たような気がするんねん。
だから、遊佐君には感謝しとるんよ?」
そう言って武僧先輩は優しく微笑みかけた。
俺は感謝されるような事はしていない、自分の意思で部活に入ったことを告げると、
武僧先輩は一言「ありがとう」と嬉しそうに言った。
実はこの時、俺はほかの事を考えていた。
昔は活気があったと聞いたときに思い出したあの事。
空手部で起きた事故、そして傀儡。
気になる二つのキーワードが俺の頭の中で引っ掛かり、
武僧先輩が今話していた内容に関わりがあるんじゃないかと勘ぐってしまう。
けれど、先輩の笑顔を見ていると、気になってもそんな野暮な事とても聞けない。
昔の空手部については何も知らないし、それで良い気もする。
今は今だ。
三人で仲良く空手部を盛り上げていけば良いさ。
【都】「……どないしたん?なんかぼーっとしとる」
気が付くと武僧先輩が俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。
俺は首を振り「大丈夫です。ちょっと考え事してただけですよ」と言うと、
はっとして両腕で胸を隠すような仕草をした。
【俺】「ちょ!違います!違いますよ!」
先輩は疑いの目を向けてじっとり見つめている。
そして、にゃははと笑い出し「冗談やで~」と俺をからかった。
【都】「舞が言うてたで?遊佐先輩、みぃ姉の胸ばかりみてるって」
【俺】「えっ、あっ、いや……そのぉ……え~と」
【都】「最近はリューちゃんも気になっとるとも言ってたでー?
リューちゃんはええ乳しとるがな。気持ちはわかる、うんうん」
【俺】「あはははは……、ごめんなさい。つい……」
武僧先輩はケタケタと笑い出した。
【都】「ほんまにからかいがいがあるわぁ。
舞が気に入るのも分かる気がする。
これからも、舞と仲良くしたってや?」
【俺】「なんとなく苛められてるだけな、気がしないでもないです……」
時刻はいつの間にか6時を廻り、
武僧先輩は夕飯の支度せなー!と急いで帰っていった。
走り去る武僧先輩に、今日はありがとう御座いましたー!というと手を振って答えてくれた。
俺も帰ろう。
●同日 夜 自宅自室
早速、買ってきた道着を着てみる。
そして、鏡の前に立って正拳突きなんぞをやってみる。
どこからどうみても、空手初心者です。
しかし、今までよりは空手やってるね!みたいな雰囲気が出ていて、
村崎先輩が言っていたように少し気が引き締まるような気分になった。
なんとなく強くなった気がして、調子に乗って回し蹴りなんかをやってみるが、
準備運動もせず無理をしたため足を攣ってのた打ち回った。
でも、明日からの部活がもっと楽しみに感じた。
形から入るというのも、なかなか重要な意味を持ってるなと感心して眠りに付いた。
最終更新:2009年05月16日 01:42