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新-063

 おお、ロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオなの? どうかお父様と縁を切り、ロミオという名をお捨てになって。
 私の敵といっても、それはあなたのお名前だけ。モンタギューの名を捨てても、あなたはあなた。
 モンタギューってなに? 手でもないし足でもないわ。
 顔でもない。人間の身体の中のどの部分でもない。だから――――別のお名前に。
 そのお名前の代わりに、私の全てをお取りになっていただきたいの。


「はぁ~、こんな恋がしてみたいよね、せつな。運命すら超えた永遠の愛の物語。女の子の憧れだよ」
「そうね――――私も憧れるわ。恋愛にじゃなくて、その生き方に」

「ええ~っ? あたしはその反対なんだけどな。ねえせつな、ラストはハッピーエンドに変えちゃおうよ!」
「だめよっ! ――――そんなこと、しちゃいけないわ」







 『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。四つ葉中学文化祭(前編)――』







 涼しげな風が窓から入り込む。静かに迎える朝、最後に蝉の声を聞いたのはいつの日だったろうか。
 高く澄み渡る空を、ひつじ雲がまだらに覆う。
 静寂が心に影を落とす。なぜか物悲しくて、過ぎ去った記憶が思い出される季節。

 そんな感傷に浸っていると、隣の部屋から大きなベルの音が鳴り響いた。
 せつなはクスッと笑う。止めに行ってあげようと思う。幸せな眠りを破るのは、幸せな目覚めであってほしいから。
 ラブならどんな風に感じるだろう? 新しい季節、秋の到来を――――
 食欲の秋、実りの秋、スポーツの秋。こんなところだろうか? そうだ、学びの秋も加えてあげなくては。
 そんな風に考えていたら、ずいぶんと気持ちが明るくなってきた。

 弾む足取りでラブの部屋をノックする。今日から新学期の始まりだ!


 久しぶりのクラスメイトとの語らい。活気に溢れ、和気藹々とした独特の空気。自由奔放で、それでいてどこか一体感があって。
 せつなは、およそ寂しいなどという感覚からかけ離れた教室の雰囲気が大好きだった。


「何になるんだろう? 楽しみだね、せつな」
「楽しみって、ただのホームルームでしょ?」

「そっか、せつなは初めてなんだ。今日はね――――」
「ラブ~! あなたも実行委員でしょ、早く、早く!」


 本来なら退屈な雰囲気の漂う時間割、クラスメイトの瞳が一斉に輝く。
 今年の文化祭は秋口の開催となる。特に三年生はその中心であり、最後の思い出作りの場でもあった。
 一年生はテーマごとのクラス展示。二年生は催し物。ラブの時はお化け屋敷を作った。散々な目にあったらしいけど……。
 花形の三年生は体育館を使ってのステージだ。集団ライブ・映画作成・創作ダンス・演劇など、様々な出し物が提案されていく。

「よし、では多数決の結果により、演劇『ロミオとジュリエット』とする。後は配役だが……」
「先生! 東さんがいいと思います!」
「賛成!」
「賛成!」
「賛成!」


 ラブと共に進行を務める由美が目を輝かせて推薦する。『ロミオとジュリエット』の題目を提案したのも彼女だった。
 学年の中でも群を抜いた美貌を誇るせつなは、クラスの人気者だ。
 容姿だけではない。学力でもスポーツでも、あらゆる面において抜群の能力を誇った。
 それでいて驕らず、誰とでも分け隔てなく接し、親切で世話焼きな一面もあった。
 唯一欠点があるとすれば、清楚な雰囲気が高嶺の花を思わせて、まるで男子を寄せ付けないことだった。
 由美は女子でありながらせつなの大ファンだ。恋に輝くせつなの姿を見たいと思い、ラブと組んで密かに計画していたのだ。


「待って! 私が演技なんて……。やったことがないわ」
「東さんなら大丈夫よ!」
「せつななら絶対似合うって!」

「じゃあ、相手役はラブがやって。これが条件よ」
「えぇ~! あたしがお芝居とか無理だって! ぜったい、無理!」

「じゃあ、私もやらないわ」
「いいじゃない、ラブで。キスシーンとかあるし、どうせロミオ役も女子をあてるつもりだったんだから」

「確かに桃園なら、ロミオにはピッタリだよな」
「ちょっと! それ、どういう意味よ!」


 ロミオの片想いの相手、ロザラインに由美。その他、配役が次々に割り振られていく。
 役に当たらず、胸を撫で下ろす者。あるいはがっかりする者にも、別の仕事が割り振られる。
 主に男子は大道具や小道具製作に回る。女子は衣装の作成。効果音やBGM、ナレーションなんかも重要な役どころだ。


「後は台本よね。これはわたしとラブでやろうか?」
「そうだね! ラストは変えちゃいたいんだ」

「ラブ、変えるって、何を?」
「このお話はね、最後がとても悲しいの。だからハッピーエンドにしようと思って」

「わかった。私も手伝うわ」
「ホント! ありがとう、東さん」


 放課後の図書室。ラブと由美、そしてせつなは、顔を付き合わせて一冊の文庫を眺める。
 提案はしたものの実際に採用されるとは思ってなかったので、二人とも物語の詳しい知識はなかった。


「呆れた、どんなお話かも知らないで決めちゃったの?」
「だって、代表的な恋愛物だし、大まかな話の流れなら知ってたし」
「ごめんね東さん。素人ばかりの演技になるから、なるべく有名なお話の方がわかりやすいと思ったの」

「これじゃあ台本どころじゃないわね。とにかく一度じっくり読んでからにしましょう」
「本は一冊しかないんだけど……」
「ラブと東さんは同じ家でしょ、借りて帰って。わたしは図書館に寄る予定があるから」


 本格的な台本作りは明日からとして、その日は早く帰って本を読むことにした。

「はぁ~、由美に悪いことしちゃった」
「私たちのために図書館に行くことになったのよね。私が行っても良かったのに」

「そうじゃなくてね、由美って、自分がロミオ役をやりたかったんだ」
「由美が? もっと大人しいタイプだと思ってたわ。実行委員を名乗り出ただけでも驚きなのに」

「せつなとの思い出を作りたくてがんばったんだよ。これが最後の大きな行事になるからって」
「そうだったの……。東さんなんて呼ばれてるから嫌われてるのかと思ってたわ」

「それこそ控えめだからだよ。よく一緒にお昼してるじゃない」
「それは私がラブと一緒にいるからでしょ?」
「ちがうちがう、由美はせつなと一緒に食べたいんだよ」


 今さら配役の変更は効かないだろう。それに、せつなと演じたいと思っているのは由美だけではない。
 せつながラブを指名した時、クラスの男子生徒の間で確かな落胆のため息が零れたのだ。
 だったら、せつなにできる精一杯とは――――


「わかった。ラブ――――この劇を必ず成功させましょう!」
「うん、あたしもがんばる。そして、クラスみんなで幸せゲットだよ」







 桃園家の夕ご飯。ラブはせつなと一緒に劇の主役に抜擢されたことを話す。
 ラブは興奮気味で、せつなは少し恥ずかしそうに俯きながら。


「凄いじゃないか。二人の娘が揃って主役なんて僕も鼻が高いよ」
「楽しみね、ご近所みんな誘って観に行きましょう」

「うん! みんなでいっぱい練習するよ。台本もあたしたちで作るんだ」
「お芝居なんて初めてだけど、できる限りのことをやってみる」

「頑張りなさい、きっと素敵な思い出になるわ。二人にとっても、わたしたちにとっても」


 コンコン

 せつなの部屋をラブがノックする。読み終えた本をラブが持ってきたのだ。
 ウィリアム・シェイクスピア著『ロミオとジュリエット』
 古い装丁、ボロボロとなったページ。きっと、大勢の生徒がこの本を読んで涙したんだろう。
 せつなは大切そうに表紙を開いてページを捲りはじめた。


「せつなおはよう!」
「おはよう、ラブ」

「どうしたの? せつな、なんだか目が赤いよ」
「昨日、遅くまで本を読んでいたから……」

「何度も読んだの? あたしでも二時間はかからなかったんだけど」
「そうね、もう全部暗記しちゃったわ」

「暗記って……」

 文化祭まで後一ヶ月足らず。台本が完成してから本格的な準備がはじまる。
 ラブ、由美、せつなは放課後に図書室で待ち合わせた。


「あたしね、やっぱりこのままじゃ悲しすぎると思うの。パッピーエンドに変えちゃおうよ!」
「そうね、じゃあジュリエットの計画を成功させて駆け落ちさせちゃおうか?」

「――――待って! ダメよ、そんなことしちゃいけないわ!」

「せつな、これは劇だからアレンジしてもいいんだよ。隣のクラスなんて一寸法師が桃太郎と一緒に鬼退治するらしいし」
「クスッ、それは楽しそうね」
「そうじゃないの。このお話は、そんな風に軽く扱ってはいけないわ!」

「せつな……」
「わかった、原作のままでやりましょう。それでいいわね? ラブ」

「うん、せつながどうしてもって言うなら反対はしないよ」
「ごめんなさい。由美もありがとう」
「それじゃ始めよっか。今日、明日くらいで目処をつけて練習に入りたいもの」


 タイトルと登場人物、上演時間を記入。時間帯ごとに場面を分けて物語の流れを決める。
 重要シーンの選択からして大変だった。小説全てを再現していてはいくら時間があっても足りない。
 ナレーションや、舞台の入れ替え、殺陣に使う時間も計算しなければならない。その上で登場人物ごとにセリフを落とし込んでいく。


「どうしよう……。こんなに大変だとは思わなかったわ。間に合うかな?」
「あたしも簡単に考えてたよ……。時間を決めてやるのって難しいんだね」
「私にやらせて! 家に帰って続きを考えてみる。それを見てもらうから」

「無理しないでね、東さん」
「あたしもせつなを手伝うよ!」
「期待してないわよ。どうせ寝ちゃうんでしょ」


 せつなは家に帰ってから、すぐに部屋に閉じこもって台本に取りかかった。
 食事の時に一度降りてきたきりで、食後のお茶も断って二階に上がっていった。
 ラブとあゆみと圭太郎が残される。団欒の時間をとても大切にするせつなにしては、大変珍しいことだった。


「せっちゃんどうしたのかしら? 食事もそこそこで部屋に戻っちゃうなんて」
「せつなは、文化祭の劇の台本を作ってるの」

「そうだったの。で、ラブの浮かない表情の原因は何かしら?」
「たはは、やっぱりバレちゃうか。あたしは劇をハッピーエンドにしたかったの。だけど、せつなが……」
「せっちゃんは真面目だからなあ……。原作者の気持ちを大切にしたかったのかもしれないな」

「でも、たとえお芝居でも最後は幸せをゲットしたいよ。なんで悲劇なんてあるのかな?」
「どうしてかなあ……。悲劇の方が心に残るのは確かだと思うが」

「ねえラブ。悲しい結末に終わったとしても、その感動は忘れられない記憶として幸せの一部になるんじゃないかしら」
「わかってる。でもせつなにとって最初で最後の文化祭だから、なるべく楽しい思い出にしてあげたかったの」

「僕は演劇にも文学にも明るくはないが、せっちゃんの真剣な気持ちは伝わってくる。きっと良い思い出になるさ」
「うん、そうだよね。ありがとう、おとうさん、おかあさん」

 その日の夜遅くまでせつなの部屋には電気が付いていた。壁越しに、セリフを音読する声や立ち回りの足音なんかも聞こえてくる。
 セリフにかかる時間と、セリフとセリフの間。立ち回りの実際の所要時間を計っているのだろう。
 手伝いに行こうかと思ったけど、止めることにした。返って邪魔になるような気がしたからだ。
 結局せつなは何時に寝たのか、途中で眠ってしまったラブには知ることができなかった。







 放課後、外せない用事や部活がある者を除いたクラスメイトが集った。
 ラブと由美が、しっかりとした作りの冊子を配っていく。
 その台本は三十ページにも及び、セリフだけじゃなく、役者の立ち位置や振舞い方までもが詳細に書き込まれていた。
 また、ナレーションの文面、照明や音響の指示、舞台の入れ替えのタイミングまでフォローされていた。


「実は、台本はほとんど東さんが一人で作ってくれたの」
「初めてで、上手くできてるか自信がないの。やっていく中で不都合なところは直していくわ」
「それじゃあ、さっそく練習いってみようよ!」
『お~~!!』


 花の都のヴェローナに、勢威を振るう二つの名門。モンタギューとキャピュレット。
 古き恨みが今もまた、人々の手を血に染める。
 かかる仇より生まれたる、不幸な星の恋人よ。
 両家に絡む宿怨に、呪われたる運命か。
 憐れに果てる若者よ。愛児の非業に迷い冷め、互いの手と手は繋がれる。

 宿世つたなき恋の果て、仔細をこれより語りましょう。
 ロミオとジュリエットの儚き恋の物語、これより、はじまり! はじまり~!


「おお、わが友ベンヴォーリオ。僕は恋に落ちている。相手は美人だ、この上もないほどに!
 しかし、処女神ダイアナの加護があり、どんな誘いも受け入れてもらえない。ゆえに僕はもう、生ける屍も同然なのだ」
「ロザラインか、彼女のことは忘れるんだ。恋から冷める妙薬を授けよう。キャピュレット家で開催される宴に参加するのだ。
 仮面舞踏会ならモンタギューが混じっても平気だろう。そこで彼女をある女性と比べるがいい。白鳥と思っていた人は、実は家鴨だったと気付くだろう」
「行ってやろうじゃないか、ベンヴォーリオ。ただし、そんな挑発に乗せられたわけじゃない。麗しきロザラインの美貌を目にするためにさ」


 ロミオ役のラブが、ロザラインに片想いして愛の言葉を詠う。ことごとく相手にされず、悲しみに暮れる。
 ロミオの友人、ベンヴォーリオ役の子との語らい。彼の計らいで出席することになった、宿敵キャピュレット家の仮面舞踏会。
 ロミオの運命の恋人、ジュリエットとの出会いの場であった。


「ストップ! ラブ、いくらなんでも棒読みしすぎよ。ロミオの情熱を表現するシーンなんだから」
「そうは言っても難しいよ、由美。セリフ長すぎだし……」
「これでもずいぶん短くしたのよ。原文はこの数倍あるんだから」

「読み方以前につかえないようにしないとな。桃園はセリフを全部覚えるのが先だよな」
「それこそ無理だって! あたしのセリフ集めただけで何ページになると思ってるのよ~」
「まあ、次の場面いってみましょう」


 キャピュレットが一大宴会を催す。ヴェローナでも評判の美人はみな出席し、モンタギュー家の者でさえなければ誰でも歓迎された。
 そう、モンタギュー家の者でさえなければ……。

「おお! 姫よ、あなたのお名前をどうか教えてください。天上の光よ! 至高の宝石よ!
 日々の営みには麗しすぎて、この世のものたるにはあまりにも貴い。
 艶やかに咲き誇る花々も、幻想の世界に住まう妖精も、彼女の前には道端の石ころに等しい。
 僕の愚かさのなんたることか! 今ようやく本当の恋を知ったのだ。なぜなら、真の美しさを目にするのは今宵が初めてなのだから」


 ロミオはジュリエットの姿を遠目で見ただけで激しい恋に落ちる。ロザラインへの片想いも、その瞬間から遠い過去の思い出となった。
 浮気性と責めるなかれ。それまでの彼は、ジュリエットの存在を知らないままに生きてきたのだから。
 身元を隠した仮面舞踏会。こっそり楽しむはずが、ジュリエットの美しさに魅せられて思わず声を発してしまう。
 正体を見抜いたキャピュレット家のティボルトは剣を抜く。ロミオに襲いかかる矢先に老卿が止めに入る。この家の中での流血は許さぬと。
 その様子を見ていたジュリエットもまた、一目で恋に落ちる。


「あそこに居たのは誰? どうかお名前を教えてください。あなたにもし奥様がおありなら、私はこのまま墓場に向かいましょう。
 ロミオ! ロミオ様と仰いますの? なんてことでしょう! たった一つの私の愛が、たった一つの私の憎しみから生まれるなんて」


 ジュリエット演じるせつなが登場した瞬間、舞台の雰囲気が一変する。
 自然と周囲の視線がせつなに集まる。
 せつなの身にまとう空気が変わる。漂う高貴なるオーラ。制服を着ているのに、まるでドレスを纏っているように見える。

 それまではラブの失敗だらけで、演劇は喜劇の様子を擁していた。その気の緩みが一新される。
 クラスメイト全員の表情が引き締まる。これは――――真剣勝負の舞台なのだと。


「待って! 東さん、ラブ。悪いけど、わがままを言わせて欲しいの。みんなも聞いて!
 配役を変更したいの。このままではバランスが取れない。女の子が男の子を演じるのはずっと難しいんだって気が付いたの。
 東さんをロミオに、ラブをジュリエットに変更してやり直しましょう!」

「由美っ!」
「私は――――どちらでも構わないわ」


 クラスメイトの一部から非難の声が上がる。せつなの美しいドレス姿を楽しみにしていた男子は多かった。
 由美だって、そうだったはずなのに。
 だけど、結局は彼女の熱意に押されて全員が承諾した。ロミオの美貌は、とてもではないがクラスの男子には荷が重い。
 そして、ロミオは武人としての強さを秘めている人物だ。激しい殺陣も演じなければならない。運動の苦手なラブには厳しかった。
 せつなが本気で演じると決めた瞬間から、これはただのクラスの演劇ではなくなっていたのだ。

 舞台の作りも見直された。陳腐なセットでは、返って真剣な演技の雰囲気を打ち壊してしまう。
 極力、大道具は使わないことになった。その分、照明と音楽に力を入れて演出する。
 舞台はなるべく暗く、登場人物にスポットをあてて存在感を高める。
 衣装や小道具も、よりリアリティのあるものを用意することになった。
 おもちゃ丸出しの剣や、安物の布切れをくっつけただけの即席のドレスでは不十分なのだ。


「わかった。カツラや衣装、小道具に関しては心当たりがあるの。あたしに任せて」
「その前にラブはセリフを覚えないとね。ジュリエットもロミオと並んで多いのよ」

「それを言わないで……」


 他にも一部配役が変更された。ロミオと剣戟を演じることになる、キャピュレット家のティボルト役と青年貴族のパリス役だ。
 どちらも剣道部員と空手部員の有段者が務めることになった。
 練習を進めていくうちにわかったのだが、普通の男子ではせつなの動きに付いていけない。
 剣道も空手も、西洋の剣術とは直接関係ない。それでも立ち姿、体裁きの鋭さ、ハンドスピードの違いは明確だった。
 目的はリアリティを与えること。どうせ演技は全員が初体験だ。ならばと、殺陣の立ち回りを重視したのだ。

 練習開始初日にして大きな変更を迫られることになった。
 それでも収穫のある一日だった。クラスメイト全員が一丸となって、本物を目指した劇の成功を誓ったのだ。







 普段より遅めの夕ご飯。今夜はせつなもゆっくりと頂いた。
 ラブの食事当番の日だったのだが、二人とも練習が長引いて帰りが遅くなってしまったからだ。
 文化祭の主役に抜擢されてから、桃園家の賑やかな食卓は更に明るくなった。話のネタが尽きないのだ。


「おとうさん、お願い! この通り!」
「おいおい、普段はカツラなんて嫌がるのにどうしたんだい?」

「お芝居に必要なの。学校の備品じゃ物足りなくて……」
「わかった。他ならぬラブとせっちゃんの頼みだ、会社にかけあってみよう」

「ラブ、衣装や小道具も心当たりがあるとか言ってたけど、大丈夫なの?」
「うん、そっちはミユキさんに頼んでみるよ。昨年の文化祭でも色々借りたんだ」


 やがてお話は練習でのできごとに移っていく。主役を交代したこと。せつなの演技が凄かったこと。
 クラスのムードがこれまでにないくらい盛り上がっていること。


「ラブがジュリエットか~。女の子の役なんてできるのかい?」
「ひど~い! あたしは正真正銘の女の子だってば!」

「冗談だよ。ラブは華やかな子だからな、お姫様にはぴったりかもしれないな」
「わたしに似なくて良かったわね。物怖じだけはしない子だもの」
「だけって……」

「でも三年生なんだから、そっちにかまけて勉強がおろそかにならないようにね」
「はぁ~い。そうだ、台本も覚えなくっちゃ……」
「大丈夫よ、勉強もセリフの稽古も付き合うから」

「たはは、お手柔らかにね、せつな」


 数日後、ラブとせつなで持ち込んだ大量の荷物を教室で広げる。
 貴族を思わせる豪華な衣装。気品溢れるブロンドのファッションウィッグ。
 本物の宝石かと見間違うほどのイミテーションの数々。その中でも一際輝きを放つのが――――
 どう見ても真剣にしか見えない光沢を放つ模造刀。古来より護身と決闘に使われてきた、レイピアと呼ばれる刺突用の片手剣だ。


「カッコいいな、コレ! 本物みたいなのに軽いし!」
「ちょっと、遊び半分で扱わないで! 刃が無いといっても、当たったら怪我くらいはするんだから」

「東さんに向けるんだってことは忘れないでね」
「私なら平気よ。命のやり取りの再現を、おもちゃでやりたくはなかったから」

 さっそく練習が再開される。昨日の続きの決闘のシーンからだ。たちまち激しい剣戟のシーンが展開されていく。
 本当に斬りあっているわけではない。どの角度で、どんな手順で斬りつけるのか、その全てに約束がある。
 まるでダンスのように、決められた動きを演じるのが殺陣だ。
 それでも、せつなの攻撃には殺気があった。格闘技経験のある男子はそれを敏感に感じ取る。
 せつなは自ら刃を引き付けて、攻撃をぎりぎりで回避する。そして相手に繰り出す攻撃も、ぎりぎりで身体を外すのだ。
 女子は悲鳴をあげ、男子は手に汗を握った。戦いの凄みは凄惨という言葉に置き換えられ、決闘の痛々しさを見る者に伝える。


「東さん、すごい……」
「すごいね。うん、凄すぎるよ。せつな、どうしちゃったんだろう?」

「どうかしたの? ラブ」
「家や教室じゃいつも通りなんだけど、お芝居をしてる時のせつなは、なんだか別の人みたいに思えて……」

「ロミオになりきってるってこと?」
「それもあるだろうけど、そうじゃなくて――――」


 精一杯頑張るのはせつなの生き方だ。何に取組んでも、全力で挑んでことごとく成功させてきた。
 だけど、今回は違う気がする。なんだか生き急いでいるような、無理をしているような、悲鳴を上げているような……。
 これではまるで――――ラブだけが知るかつての彼女のようだった。
 ラブの心に不安の影がよぎる。


(そもそも、せつなはどうしてシナリオを変えることを拒んだんだろう……)


 ラブの不安を肯定するかのように、通し稽古は悲劇の終盤へと向かっていった。



新-080
最終更新:2011年06月18日 02:28