新-134

「9831・・・ 9832・・・」
 占い館の一室。
 ダンベルを両手に持って、筋トレに励むウエスターのつぶやきだけが、部屋に響く。サウラーは、相変わらず読書に余念が無い。
 ふいに、壁の一角がぐにゃりと歪んで、ノーザが姿を現した。
「9833! 9834! 9835!」
 露骨に顔をしかめたウエスターの、ダンベルを動かすスピードが一気に上がる。
 サウラーも、ノーザの方を見ようともせず、角砂糖をてんこ盛りにした紅茶を、一口啜った。
「二人とも、今日は冷たいのねぇ。」
 からかうようなノーザの口調に、ウエスターはキッと顔を上げ、丁寧語も忘れて怒鳴った。
「当たり前だ!おかしなソレワターセを作って、勝手なことをしやがって!」
「あら、何のことかしら?」
「とぼけるな!プリキュアになったイースの記憶を奪えるソレワターセなんだろう?それなら、他のプリキュアなんぞに構っていないで、イースからイースの記憶を奪えば、イースはイースとしてちゃんとここに戻って来るだろうが!」
(ふぅん。それで機嫌が悪いというわけね。)
 常日頃から、戦闘では何かとキュアパッションに絡み、時にはラビリンスへ戻れと説得すら試みるウエスター。サウラーは何も言わないが、やはり彼女に対して穏やかならざる感情を持っていることは、見ていればわかる。
「イース、イースって何回言えば気が済むの?あなた、そんなにあの子に戻ってきてほしいのかしら。」
「まあイースのことはともかく、ノーザさん。ずいぶん、不幸のエキスを無駄にしたようですねぇ。」
「くっ・・・!」
 いつも以上に辛辣な口調のサウラーに痛いところを突かれて、ノーザは思わず歯噛みした。

 昨日から、ノーザの予想をはるかに超えるスピードで、ゲージの中身が消費されている。それは、キュアベリーがそれだけ、記憶の封じ込めに抗おうとしていることを意味していた。
(何故?彼女には今、仲間としてのイースの記憶は無いはず・・・。)
 お陰で今日使えるほどには、まだ新しいソレワターセの実が育っていない。でもここで彼女たちを叩かなければ、それこそ不幸の無駄遣いになってしまうだろう。
(そのためには、彼らを上手く利用しなくては・・・)
 ノーザは、いきり立つウエスターと、冷やかにこちらを見据えるサウラーに向かって、大袈裟に肩をすくめて見せた。
「あなたたちには、私の作戦がまだわかっていないようねぇ。お陰でプリキュアたちは今、あの新しい技は使えないはずよ。だから、狙うなら今。あなたたちに、プリキュアを倒させて あ・げ・る。」
「ソレワターセの実も無いのに、どうしろと?」
「あら、忘れちゃったかしら?久しぶりに、ナケワメーケを使うのよ。どうせなら、二人で力を合わせて、ソレワターセにも負けない、今までで最強のナケワメーケを生み出して、プリキュアを倒してちょうだい。」
「最強のナケワメーケだと?」
「そう。まずは不幸のゲージに、もう少し不幸のエキスを足してほしいの。そして、首尾よくプリキュアを倒し、インフィニティを手に入れれば、その時はもう、残った不幸のエキスは使い放題。もう一度あのソレワターセを作りだして、イースを連れ戻すことだって、出来ない相談じゃないわねぇ。」
「本当か!ノーザ・・・さん。」
 さっきとは一転、あっさりと乗り気になるウエスター。
「ふぅん。あなたのお陰で、また不幸を集められるということですか。やれやれ・・・おっと、これは失礼。」
相変わらず痛烈な皮肉を吐きながら、サウラーも立ち上がった。
(ふふふ・・・。所詮こいつらは、イースさえ餌にすれば、食いついてくるのね。単純なものだわ。)
 すっかり余裕を取り戻したノーザは、二人の幹部に向かって、いつものように重々しく言い渡した。
「さぁ、ウエスター君。サウラー君。お行きなさい!全ては、メビウス様のために。」



   蒼の喪失(中編)



 次の日の放課後。
 玄関の鍵を開けたラブは、美希と祈里に、家に上がるように促した。二人の後ろから、ただいま、と小さくつぶやいて、せつなが続く。今日はあゆみがパートに出ていて、四人でこんな話をするには、好都合だった。
 ベッドと椅子と座布団を使って、いつものように向かい合う四人。
「ラブ、ブッキー・・・せつな。ごめんなさい。あれから何度も思い出そうとしてみたんだけど・・・」
 ラブに付き添われるようにしてベッドに座った美希は、そう言ってうなだれた。さすがに顔色が悪く、彼女には非常に珍しいことだが、目の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。
「美希ちゃん・・・昨日、眠れなかったんじゃないの?わたしがあんなこと言ったから・・・」
 心配そうに美希の顔を覗き込む祈里の目も、腫れぼったい。
「何言ってるの。ブッキーには感謝してるわよ。アタシだって、せつなのことを思い出したいと思ってるの。それに・・・昨日の夜、気が付いたのよ。アタシたちがドームで戦ったのは、夏の初めだったでしょ。そう思って考えてみると、記憶の中のアタシたち三人の姿が、夏からこっち、何かぼやけてるの。それってやっぱり、そこにせつなも居たことの証拠じゃないかって・・・うっ・・・」
 また頭痛がぶり返したのだろう。美希は眉間に皺を寄せた。
「美希。」
 美希から目の届きにくい、ベッドの陰にひっそりと座り込んでいたせつなは、その言葉を聞いて、静かに顔を上げた。
「ごめんね。私の顔を見たら、また美希が辛い目に遭うと思ったんだけど・・・。でも、美希にどうしても伝えたいことがあって。」
 そう言って、せつなは居住まいを正し、意を決したように、大きくひとつ息を吐き出した。

「ごめんなさい。私がしてきたこと・・・ラブに近づいて、リンクルンを奪おうとしたこと。嘘の占いで、ミユキさんと別れさせようとしたこと。ダンス大会や・・・トリニティのコンサートを・・・滅茶苦茶にしたこと・・・。それだけじゃない。美希と和希君を・・・ナケワメーケで溺れさせようとしたこと・・・」
 口にするだけで、胸が締め付けられる。指先が氷のように冷たくなって震えだし、その震えが、腕へ、肩へ、全身へと伝わって行こうとする。
 それでもせつなは、その震えを抑え込もうとでもするように、手と手をギュッと組み合わせ、自分の過去の行いを自ら暴きたてるように、言葉を紡ぐ。

 このまま居なくなってしまった方がよっぽど楽だ。そうせつなは思う。もう少し前の自分なら、本当に逃げ出していたかもしれない。
 でも今は、四人一緒でなければ、シフォンを守れないことを知っている。美希が、あんな苦しい目に遭いながら、それでも決して諦めずに、仲間としての自分を思い出そうとしてくれている。
 だからどうしても、詫びなければいけない。―――美希の記憶の中にいる自分が、してきたことを。
 そして伝えなくてはならない。―――今の自分の、本当の気持ちを。

 と、握りしめたその手の上に、やわらかな手が重ねられた。
「せつな。」
 驚いて顔を上げたせつなの目に飛び込んできたのは、彼女を包み込むように見つめる、ラブの顔。せつなの決意はわかった、と言うように、彼女の目を覗き込み、ラブはそっと頷いてみせる。そして、固くこわばったせつなの指をほぐすように、やさしくさすりながら、
―――もういいよ、せつな。せつなが本当に伝えたいのは、そのことじゃないよね?
そのあたたかな光を湛えた瞳が、無言で彼女に語りかける。
 身体の震えが、少しずつおさまってくる。肩が自然にカクンと下がって、せつなは自分が、全身にどれだけ力を入れていたのかに気付く。
―――ありがとう、ラブ。
ラブに小さく微笑み返して、せつなは再び口を開いた。

「私、ラブのお陰で気付いたの。笑顔がどんなにあたたかくて、素敵なものなのか。家族がいて、みんなで笑っていられることが、どんなに楽しいことなのか。今まで自分が憎んで、壊してきたものなのに、私は何も・・・知ろうとして来なかった。ラブは、それを私に教えてくれたの。その大切さに気付かされて・・・私はそれを、守りたいと思った。」
 そう言って、せつなは少し寂しそうな、でもとても真剣な顔で、美希を見つめた。
「こんな私があなたたちの仲間だなんて、図々しいことだって、わかってるわ。でも、私はあなたたちと・・・ラブと、美希と、ブッキーと一緒に、戦いたいの。私が壊してきてしまったもの、私たちの大切なものを、一緒に守りたいの。それだけは・・・わかって、美希。」

「せつなちゃん・・・」
 祈里は、せつなの言葉を、ただ驚きと共に聞いていた。
 彼女がこんなに心の内を語るのを聞くのは、初めてだった。イースだった頃のことを、せつなはめったに口にすることはなかったから。しかもせつなは、彼女の運命を変えた出来事を・・・イースの寿命が尽きて、キュアパッションとして生まれ変わったことを、一切口にしていない。
 おそらくせつなは、それを語ることによって、また美希を苦しめるのを恐れているのだろう。
 けれど。彼女の言葉はまるで・・・イースのままの自分を、仲間として受け入れてほしい。そう懇願しているように、祈里には聞こえた。

 美希は、じっとせつなの顔を見つめながら、彼女の言葉を聞いた。
 時折、ズキリと頭に痛みが走るのを、せつなに気付かれまいとして、そして、一心に語るせつなの顔から、片時も目を離すまいとして、じっと耳を傾けていた。
 美希の頭の中にある、あの正体を明かしたときの、せつなの姿。その憎しみと哀しみを湛えた瞳と、昨日ラブから聞いた、彼女が選んだ生き方。そして淡々と語られる彼女の告白が、美希の中で、次第にひとつに重なり合い、繋がっていく。
「せつな。アタシ・・・」
 美希がせつなにそう言いかけたとき。
 突然、家がずん、と震え、ドーンという破壊音が、外から聞こえた。

「ナ~ケワメ~ケ~!!」
 家からそう遠くない場所から、そんな雄たけびが聞こえてくる。
「え?なに?」
「ナケワメーケですって!?」
「ソレワターセ、じゃなくて?」
「なんで今更・・・」
 戸惑う彼女たちのもとに、
「みんな!ラビリンスやで!」
 タルトが、クローバーボックスを抱えて飛び込んできた。四人の空気を察して、今まで彼はシフォンを連れて、せつなの部屋に潜んでいたのだ。
 クローバーボックスに映し出されているのは、銀色の細長い板を、すだれのように幾つもつなぎ合わせて四角くしたような姿。そこから手足を生やした、巨大なナケワメーケ。その中央に、黄色と緑色のダイヤが並んで貼り付いているのを見て、せつなは驚きの声を上げた。
「このナケワメーケ・・・ウエスターとサウラーが、一緒に召喚してる!」
「えっ?ひとつのナケワメーケを?」
いぶかしげな三人に、せつなは頷いて、映像の中の二つのダイヤを指さす。
「そんなことって、出来るんだ。」
「私も初めて見たわ。」
 ラビリンスの幹部は、基本的に共闘を好まない。個人の成果の大きさだけが、メビウスに認められる術なのだから、当然のことだ。しかし、彼らがもし力を合わせたとしたら・・・。
 生み出すパワーでは誰にも引けを取らないウエスターと、人の心の隙を突いた巧みな特殊能力を生み出すことに長けているサウラー。その両方の力を兼ね備えているとなると、かなりの強敵に違いない。
「とにかく行こう!このままじゃ、街が・・・」
「オーケー。行くわよ!」
「うん!」
「わかった!」
 四人は、家を飛び出した。



「ナケワメーケ、我らに仕えよ!!」
 クローバータウン・ストリートの一角。街の人々は、突如巻き起こった竜巻の後に現れた、巨大なシャッターの化け物に、悲鳴を上げた。化け物の鋼のような腕が地面に叩きつけられ、コンクリートが見る見るうちに瓦礫と化す。たちまちその場は、上を下への大騒ぎとなった。すると、
「ナケワメ~ケ~!シャット・アウト~!!」
 その声と共に、スラットと呼ばれる細長い板の隙間から、黒く不気味に光るたくさんのプレートが、逃げ惑う人々の中へと飛んでいく。そして今まで一緒にいた、母親と子供、夫と妻、彼と彼女、友人と友人の間に突き刺さり、彼らをそれぞれの大切な人から引き離した。
「うわぁぁん!お母さ~ん!!」
「子供が!私の子供が・・・!」
「おーい!どこだぁ!無事なのかぁ!!」
「みんな~!返事してよぉ!!」

 泣き叫ぶ人々の姿を、ウエスターとサウラーは、ビルの上から見下ろしていた。
「所詮、ひとりでは何も出来ない人間どもだ。聞こえるぞ。人々の嘆きが。不幸の滴り落ちる、その響きが。」
「いいぞ。もっと泣け!もっと喚け!不幸のゲージを、再び満タンにするのだ!」
 高らかに笑う二人の幹部。そこへ、
「はぁっ!」
「とぉっ!」
「えいっ!」
「やぁっ!」
 人々を阻む黒い壁が、気合のこもった掛け声とともに、次々と撃破された。

「プリキュアだ!プリキュアが助けに来てくれた!」
「ありがとう、プリキュア!」
「さぁ、早く逃げて!」
 街の人々にそう叫んだキュアピーチは、仲間たちと並んで、サウラーとウエスターを睨み据えた。
「現れたか、プリキュア。ナケワメーケ、やれっ!」
「ナ~ケワメ~ケ~!ホンジツヘイテン、ジャッタ~!!」
 ウエスターの言葉と共に、長い鋼鉄の腕が振り下ろされる。跳んで回避する彼女たち。
「ダブル・プリキュア・パーンチ!!」
「ダブル・プリキュア・キーック!!」
 ピーチとパッション。ベリーとパイン。それぞれナケワメーケの肩を目がけて、左右からパンチとキックを叩き込む。
 ナケワメーケが、腕をブンと振り回す。そしていとも簡単に、四人を跳ね飛ばした。
「ふん。次は僕の番だね。ナケワメーケ、やれ。」
 サウラーの声に、ナケワメーケの目が、赤い光を帯びる。
「ナケワメ~ケ!シャット・アウト~!!」
 ナケワメーケの体から、黒いプレートが飛び出す。跳び下がって避ける彼女たち。が、ピーチとパッションの間に突き刺さったプレートが、天にそびえる巨大な壁と化す。
 ピーチとパイン、そしてベリーとパッション。プリキュアは、二組に分断された。

「ピーチ!パイン!」
「二人とも、返事をして!」
「ダメだわ。こっちの声が、届いていないのかしら。」
「・・・・・。」
 すぐそこにいるはずなのに、二人の気配すら全く感じられない。不安そうなベリーのつぶやきに、パッションは彼女の後ろに立って目を伏せる。
 戦闘が始まってから、パッションは徹底して、ベリーの視界に入らないように移動しながら戦っていた。変身した自分の姿を目にすれば、ベリーは確実に、また苦痛に襲われる。そう思ってのことだったが、こんな状況になってしまっては、それも難しい。
「ハハハハ・・・!どうした、イース!浮かぬ顔だな。」
 ビルの上から、ウエスターの声が飛ぶ。いつもなら、もうイースじゃない!と即座に叫び返す彼女。だがパッションは、奥歯を噛みしめて、その言葉を必死で飲み込んだ。
(今は少しでも、ベリーを苦しめるような行動は取りたくない・・・。)
 ウエスターとの、そのやり取りはいつものこと。ベリーの記憶に眠っているはずの会話を再現して、彼女を刺激したくはなかった。
「ん?イースであることを認めるのか?ならば、さっさとこちらへ戻ってこい。」
「君はもう、彼女たちの仲間には戻れないよ。君は、ただそこに居るだけで、キュアベリーを苦しめている。それは、君が一番よくわかっているはずだろう?」
「くっ・・・」
 ウエスターとサウラーを睨みつけるだけで、一言も反論できないパッション。そこへ、
「ごちゃごちゃ勝手なこと、言わないでよね。」
 いつの間にそばに来ていたのか、ベリーの凛としたよく響く声が、パッションのすぐ隣から聞こえた。
「あなたたちが何をしようが、パッション・・・っ・・・せつながアタシたちの仲間であることに、変わりは無いわ!」
 ベリーはそう言い放つと、固く握られたパッションの拳をその手で掴み、ウエスターとサウラーに視線を向けたままで言った。
「せつな。あなたの気持ちは、ちゃんと伝わったわ。あなたが仲間だってこと、アタシは信じる。」
「美希・・・。」
 あの時と同じ、あたたかなベリーの手。そのぬくもりに泣き出したくなるのを、パッションは懸命にこらえる。
「ふふふ・・・。どんなに強がりを言おうが、君がキュアパッションのことを思い出せないことに、変わりは無いよ。」
「ナケワメ~ケ!シャーラーーップ!!」
 ナケワメーケから再び飛んでくる、幾つものプレート。しかし今度のそれは銀色に光って、ベリーとパッションの周りを取り囲んだ。
「うっ・・・」
 銀色の壁は鏡となって、パッションの姿を幾重にも映し出す。ベリーは、また頭を激しく締め付けられる感覚に襲われ、とうとう堪え切れずに、その場にうずくまった。
「ベリー!」
「ハハハハ!とどめだ!」
 ベリーの頭上に降ってくる、ナケワメーケの太い腕。
 パッションは、咄嗟にその身を盾にして、ベリーの上に覆いかぶさった。

「キュアキュア、プリップー!」
 突如響き渡る、あどけない叫び声。その声とともに生まれたバリアが、ベリーとパッションを守り、鋼鉄の腕をはね返す。不意に腕の軌道を変えさせられて、ナケワメーケは自分で作りだした銀色の壁を、ことごとく破壊してしまった。
「何っ!?」
「何をしている、ナケワメーケ!」
 ウエスターとサウラーの声に、驚きと焦りがにじむ。だが、彼らの不幸は、それだけでは終わらなかった。
 プリキュアたちを隔てていた黒い壁が、淡い緑色の光を放ったかと思うと、地響きを立てながら、空中に浮かび上がり始めたのだ。そして壁は一直線にビルの屋上へと向かい、今度はウエスターとサウラーの間の障壁に、姿を変えた。
「ベリー!パッション!」
「ピーチ!パイン!」
 再び仲間の姿を見つけて、喜んで駆け寄る地上の少女たち。それに引き換え、屋上の二人は―――。
「おいっ、サウラー!サウラーはどこだっ!」
「ふん。だから二人で一緒に召喚するのはイヤだったんだよ・・・。」
 慌てふためくウエスターと、諦め顔のサウラー。
「ええい、こうなったら仕方が無い。ナケワメーケ!やれっ!」
「僕一人でなんとかするしかないね。ナケワメーケ、やれ。」
すぐに闘志をよみがえらせた二人に、折悪しく同時に命令されたナケワメーケは、
「ク・・・クローズド・・・テイキュウビ・・・ジャッター??」
再び黒いプレートを飛ばしたものの、それが四人に届く前に、その長い腕を振り回して、自ら木っ端微塵にしてしまった。
「シャット・ダウーーン!」

「ピーチ、今よ!」
 パインの声に、ピーチは右手を上げかけ・・・思いとどまった。
 何とか立ち上がったものの、苦しそうに肩で息をしているベリー。ベリーを助け起こした後、すぐに彼女から最も遠い位置へ、立ち位置を変えたパッション。この状況で、もしもグランド・フィナーレが失敗するようなことがあったら・・・二人とも、立ち直れないかもしれない。
「みんな!キュアスティックで行くよっ!」
 ピーチの声に、それぞれのリンクルンから、四体のピックルンが姿を現す。くるくると回りながら秘密の鍵へと姿を変えた相棒たち。それを使って、少女たちはリンクルンの扉を開き、ホイールを回す。
「届け!愛のメロディ。キュアスティック・ピーチロッド!」
「響け!希望のリズム。キュアスティック・ベリーソード!」
「癒せ!祈りのハーモニー。キュアスティック・パインフルート!」
「歌え!幸せのラプソディ。パッションハープ!」
 それぞれの手に握られたアイテムに、少女たちは思いを込める。
「吹き荒れよ、幸せの嵐!」
「悪いの悪いの、飛んで行け!」
 そして、少女たちの思いが燦然と輝き、力となって解き放たれる。
「プリキュア!ヒーリング・プレア・・・」
「プリキュア!エスポワール・シャワー・・・」
「プリキュア!ラブ・サンシャイン・・・」
「フレーッシュ!!!」
「プリキュア!ハピネス・ハリケーーン!」
 桃色、青色、黄色の光弾。そして赤いハート型の光の渦が、ナケワメーケを包み込む。
 少女たちの気合と共に、輝きを増す光。だが。
「ナ、ケ、ワ、メー、ケェェ!」
 光の中で、必死の抵抗を続けるナケワメーケ。
 キュアスティックを握りしめる、少女たちの手に力がこもる。が、ナケワメーケは、抵抗を止めない。
「いいぞ!そのまま蹴散らせ!!」
 ナケワメーケに、ウエスターの檄が飛ぶ。
「うっ・・・このままじゃ・・・」
「浄化・・・できない?」
「くっ・・・」
 その時、ピーチが空いている左手を、隣に立つパッションの背中にまわした。
「みんな!お互いを支え合って。あたしたちの思いを、ひとつにするよっ!」
「うん!!」
 パインが、左手をピーチの背中にまわす。そしてベリーが、左手をパインの肩にまわす。
 手から、肩から、背中から、仲間たちの思いが伝わってくる。その思いが力となって、キュアスティックへと流れ込んでいく。
「はぁ~~~~!!!!」
「シュワシュワ~。」
 ついに、ナケワメーケが断末魔の叫びを上げた。
 二つのダイヤは煙のように消え失せ、その後には、定休日でシャッターを下ろした小さな電器店が、その姿を現した。

「ええい、イース!今度は必ず、連れ戻してやる!」
「まぁいい。不幸のゲージは、もう元に戻っただろう。次はソレワターセでお相手するよ。」
 ウエスターとサウラーは、捨て台詞を残して、ビルの屋上から消えた。



「みんな~。無事やったかぁ?」
 シフォンを背中に乗せた、タルトが駆けてくる。
「うん。何とか。」
「シフォンのお陰で助かったわ。ありがとう。」
「キュア~!」
 パッションの言葉に、嬉しそうにはしゃぐシフォン。すると、放心したようにそれを見ていたベリーが、やがて両手で顔を覆い、泣き出した。
「美希たん?」
「ごめん・・・。みんな、ごめんなさい。アタシのせいで、みんなに迷惑かけて・・・。せつなを、危険な目に遭わせて・・・。それなのに、アタシはまだ、記憶を取り戻せない・・・。」
「私は大丈夫よ。それに、そんなの美希のせいじゃないわ。」
「美希たん。あんまり自分を責めちゃダメだって。」
「そうよ美希ちゃん。泣かないでよ。」
 仲間たちの優しい言葉に、ベリーはその長く細い指で涙をぬぐい、キッと瞳に力を入れた。
「アタシ、力づくでも思い出してみせるわ!」
「力づくって・・・」
「大丈夫。今までだって、何かが浮かびかけてはいるんだもの。痛みにさえ負けなければ、きっと思い出せるわ。」
「無茶よ、美希ちゃん!」
 パインが止めるのも聞かず、ベリーは決死の表情で、その場に呆然と立ち尽くしているパッションを見つめた。
「せつな・・・っ・・・あなたとの記憶・・・絶対に・・・取り戻す!」
 パッションを見つめるベリーの瞳が、鋭さを増した。が、それもつかの間。みるみるうちに、その顔が苦痛にゆがむ。
「美希たん、もうやめようよ。」
「まだよ!まだ、このくらい・・・」
 そう言いながらも、足がガタガタと震えだし、ベリーは膝をついた。
「美希!」
 思わずパッションが駆け寄る。その手を、ベリーは痛いくらいの強さで掴み、なおもパッションの顔を見つめ続ける。
「何か・・・思い出せそうなのよ。何か・・・何か・・・ううっ!」
 ベリーの額から脂汗が噴き出し、地面にぽたり、ぽたりと落ち始めた。

 パッションの・・・せつなの瞳が、哀しみの色を濃くする。脳裏によみがえるのは、あのナキサケーベのカードに与えられた、途方もない激痛。意識をも消耗させ、心身を奈落の底へと突き落とす、巨大な負の力。
 がむしゃらに痛みに耐えようとして、苦痛に飲みこまれていったかつての自分の姿が、目の前のベリーの・・・美希の姿に重なりあう。
「もうやめて!!やめて、美希!!もう・・・もういいっ!!」
 パッションは悲痛な叫びを上げ、ベリーの体をかき抱いた。
「このままじゃ、美希が・・・美希が壊れちゃう。お願いだから・・・お願いだから、もうやめて!!」
「せつな・・・」
 ベリーの瞳が、力無く揺れる。そして、彼女はパッションの腕の中で、ゆっくりと意識を失った。



 その夜。
 美希は自宅で、母のレミと向かい合って夕食をとっていた。
 あれからしばらくして気が付いた時、彼女は美希の姿で、ラブのベッドに寝かされていた。そして目を覚ました彼女を迎えたのは、揃って泣きそうな顔をした、三人の仲間たちだった。
 気が付いて良かった!と抱きついてくるラブ。気分はどう?もうどこも痛くないの?と矢継ぎ早に質問してくる祈里。そしてせつなは、もうあんなことしないで、と震える声で言うと、遠慮がちに、そっと微笑んだ。
 せつなが仲間であるということは、今や美希にとっても、疑いようの無い事実になっていた。でも、どうしても夏以降の彼女を思い出すことが出来ない。仲間であると確信しただけに、それは重い痛みとなって、美希にのしかかっていた。

「美希ちゃん、全然食べてないじゃないの。どこか具合でも悪いの?」
 いつものように賑やかに世間話をしていたレミが、心配そうに美希の顔を覗き込む。自分とよく似たその蒼い瞳に、美希は言葉を選びながら、こう問いかけた。
「ねぇママ。もしも、よ。大切な友達との、大切な時間を、永遠に失ってしまったら・・・。その子とはもう、友達に戻れないのかな。」
「美希ちゃん。あなた、誰かとお別れすることになったの?誰か大事な人が、遠くに行っちゃうの?」
「い、いやぁ、そんなんじゃないの。もしも、の話よ。」
 慌てる娘に、レミは小さく微笑む。
「ママも昔、美希ちゃんと同じように、思ったことがあるわ。」
「それって・・・パパのこと?」
 美希がほんの一瞬、躊躇して発した問いに、レミは笑って首を振った。
「ううん。パパとは、お互いに納得して、ああなったんだもの。あなたは覚えていないかもしれないけど、ほら・・・パパとお別れしてから、しばらく和希に会えないことがあったでしょう?」
「ああ。パパの仕事の都合で、和希も一緒に、海外に行ってたのよね。」
「そう。久しぶりに会ったら、和希、大きくなってて・・・。でもあの後、会いに行っても、和希ったら全く口をきいてくれなくてね。おもちゃを持って行っても、そのままゴミ箱に捨てられたりもしたわ。」
 あの和希が?と美希は驚いて、弟の姿を思い浮かべる。美希といるときの和希は、姉思いの、いつも穏やかな少年だ。
「和希、小さい頃から、体が弱かったでしょ?だから、人一倍お母さん子だったのよ。それなのに、ママと別れて、パパと暮らさなきゃいけなくなったから、そりゃあ寂しかったのよね・・・。だから、ママを恨むことで、寂しさを我慢してたんだと思うわ。」
 レミの顔に、ちらりと後悔の影がよぎる。
「それで、和希とは・・・どうやって?」
「そうねぇ・・・。過去のことはもう、考えても仕方ないでしょ?だから、今の和希を知ろうと思ったの。パパにも責任があるんだから、無理矢理協力させちゃった。和希の好きなものとか、興味を持っていることとか、色々教えてもらったわ。それでちょっとずつだけど、ママの話も聞いてもらったの。そうやって少しずつ、お互いのことを知っていったのね。」
 レミはそう言って、昔アイドルとして活躍していた頃と変わらない、その潤んだような瞳を、愛娘に向ける。
「ねぇ美希。人ってね、どんなに大切な人でも、傷付けてしまうことはあるの。その人との大切な時間を、失ってしまったと思うことだって、あるわ。でもね。いつからでも、また新しい関係を作っていけるのも、人なのよ。ママなんか、今じゃ和希と、とっても仲良しでしょ?なんたって、和希が大きくなったら、ママをお嫁さんにしてもらうんだもの。」
 いつもの冗談を言って、いたずらっぽくウィンクするレミ。
(ママったら、相変わらずちょっとズレてるんだけど・・・。でも、この場合は仕方ないわよね。本当のことは、アタシも話せないし。)
 心の中でそうつぶやきながら、美希は、今日自分を必死で止めてくれた、キュアパッションの・・・せつなの顔を思い出す。
 思い浮かんだのが変身した彼女の姿でも、今は不思議と、頭痛は起こらなかった。それは美希の中に今日刻まれた、新しい記憶だからなのだろう。
 それなら、これからも彼女との記憶を、紡いでいけるかもしれない。
 仲間になってから今までの彼女のことを、思い出せないのは苦しい。でも、自分にはその空白を埋めてくれる、二人の仲間がいる。その上に、せつなとの新しい思い出を作っていこう。
 美希はそう思いながら、今日初めての心からの笑顔を、母へと向けた。



 ラブは浮かない顔をして、自分の部屋で、机に頬杖をついていた。
 机の上には、開かれた教科書とノート。でもノートのページは真っ白で、まだ何も書き込まれてはいない。
(グランド・フィナーレ・・・やっぱり、やった方が良かったのかな。)
 美希の涙を思い出して、ほぉっとため息をつく。美希とせつなの二人のためを思っての選択だったが、それが逆に、美希を傷付けてしまったのかもしれない。
 それに・・・。
 せつなの告白が、ラブは気になっていた。
 イースだった頃にしてきたことを、改めて美希に謝ったせつな。そして、今の自分の気持ちを、まっすぐに語ったせつな。でも、その彼女の言葉が、キュアパッションになってから今までの、美希との時間を諦めようとしている言葉のように、ラブには聞こえたのだ。
 せつなの気持ちは、よくわかる。プリキュアになってからの自分との記憶が美希を苦しめるのならば、それに触れさせたくないと考えるのは、当然だろう。しかも、それに真っ向から抗おうとした美希が、あんなに苦しんでそれを果たせなかったのだから、尚更だ。
(でも・・・。)
 ラブはギュッと鉛筆を握りしめて、真っ白なノートの上っ面を、穴があくほど見つめる。
(本当に、それでいいのかな。)
 美希とせつなが、お互いに少しずつ歩み寄りながら、築いてきた二人の絆。それが不器用で、遅々とした歩みだったからこそ、ラブはそれを愛おしく思っている。その絆を・・・本当に無かったことにしていいのか。
(やっぱり、諦めることなんて出来ないよね・・・。)
 でも、だったらどうすれば、その絆を取り戻すことができるのか。

(そもそも、あたしたちの繋がりって、記憶の中だけのものなのかな。過去は、思い出の中にしか、無いものなのかな。)
 ふとそう考えたとき。ラブの脳裏に、以前、大切な人に言われた言葉が、鮮明に浮かび上がってきた。
(そうだ!そうだよ。あたしたちの絆は、思い出の中だけにあるんじゃない!)
 ラブの瞳が、輝きを取り戻す。そのまま椅子が倒れるかのような勢いで立ち上がると、せつなの部屋のドアを、勢い込んでノックした。
「ラブ?どうかしたの?」
「せつな!明日の放課後、時間あるよね?」
 ラブの真剣な眼差しに、せつなも、彼女が何か大事なことをしようとしているのだと知る。それが何かまでは、まだわからなかったけれど・・・。
 窓の外には、冴え冴えとした月が、ラブの決意を見守るかのように、中空高く、輝いていた。

~中編・終~


新-155
最終更新:2011年07月10日 11:06