アットウィキロゴ

新-168

 クローバーフェスティバルの特別ゲスト、トリニティがステージに上がる。ミユキ、ナナ、レイカ。たった三人の登場で会場が別の空間に姿を変える。
 彼女たちの声に、視線に、魔力でもあるかのように。一挙手一投足に神秘の力でもあるかのように。
 全ての観客の意識を独占する。バラバラに楽しんでいた人々が一つに繋がっていく。せつなも、美希も、祈里も――――

 ただ一人――――ラブだけを残して――――


「ラブ――――ラブ――――どうしたの?」


 せつながラブの様子のおかしいのに気付いて声をかける。
 喜びと興奮に包まれる会場において、一人切なく悲しそうな表情を浮かべる。
 拳は固く握り締められ、相当な力が込められていることを示すように両腕が小刻みに震えていた。


「せつな……。大丈夫、なんでもないよ。トリニティのダンス、やっぱり凄いね」
「ええ……そうね」


 せつなはそれ以上は追求せずに、ラブの拳をそっと開いて手を握った。
 それでラブも落ち着いた様子だった。しかし、ステージが進むうちに再び様子がおかしくなる。
 何かをこらえるような表情、せつなの手が痛みを感じるほど強く握られる。もう――――理由を聞くまでも無かった。

 せつなの表情が後悔に歪む。ダンス大会で優勝したクローバーには、本来はプロデビューへの道が開けていたはずだった。
 だが、せつながラビリンスへの帰還を宣言したことでクローバーは本来の姿を失った。残された三人はせつな抜きで続けることを望まなかった。
 美希と祈里もまた、それぞれモデルと獣医の夢を追うことになり、クローバーは解散した。

 ただ一人――――ラブの夢を置き去りにして。


 ……………………………………………………

 …………………………………………

 ………………………………

 ……………………


「今のは――――夢? フフッ、寝ている間に見る記憶の断片も、そういえば夢と言うんだったわね」


 いっそ、夢であったらいいのにと思う。悪夢と呼ばれる類の、ありもしない妄想だったらいいのにと思う。
 でも、全ては本当にあった出来事。夏祭りの思い出の一つ。


「だったら、せつながみんなの幸せを選ぶなら、あたしはせつなの幸せを選ぶ」


 ほんの数時間前の記憶がその夢に重なる。
 “自分の幸せとみんなの幸せ”そのどちらかしか選べないとしたら、せつなは迷わず後者を選ぶと答えた。
 そんなせつなに対してラブは宣言したのだ、そうしたら全員が幸せになれるからって。


「そんなはず――――ないじゃない……」


 ラブ、美希、祈里で倒れるまで練習して、やっと望んだダンス大会。それをイースがメチャクチャにしてしまった。
 それでもラブは平気だって答えた。心配してくれる人がいる幸せを見つけたからって。結果、あれほど夢中になっていたダンスを中断してしまった。

 そしてついに優勝を手にしたのに、直後にせつながラビリンスに旅立ってしまった。結果、クローバーは解散を余儀なくされた。
 それでもラブは自分を省みることもなく、せつなを笑顔で送り出してくれた。


「何が――――どちらかなんて選べない……よ。いつだって自分は後回し、そんなのラブだって同じじゃない」


 出会った時からそうだった。ラブは、自分が欲しかった幸せの素をせつなにプレゼントしてしまった。
 まるで――――始めからせつなのために求めていたかのように。

 いつだってそうだった。ラブは始めからずっと、自分の幸せを諦めてでもせつなの幸せを選んできたのだ。
 そして今回、はっきりと約束してしまった。それはラブの中で揺るがぬ誓いとなるだろう。今後訪れる、あらゆる選択に影響を与えるだろう。


「ラブから、離れるべきなのかもしれない。今ならまだ間に合う。別れてラブが失うものは、せつなという親友だけなのだから」


 決心も固まっていない言葉を口にする。それだけで、出口のない暗闇の中に突き落とされるような気持ちになる。
 構わないと思った。辛くても、苦しくても、ただ耐えるだけでいいなら慣れている。
 いつかまた別れる日が来る。それは承知の上での再会だったのだから。

 ひとつだけ心残りがあった。

 夢とは何なのかってこと、それを知りたかった。幸せを導く大切な願い。わかるのは、ただそれだけ。
 せつなの夢。みんなを笑顔と幸せでいっぱいにしたいという想い。これとラブや美希や祈里の夢は果たして同じなのだろうか。


「私の夢はみんなの夢とは違うの? だとしたら、本当の私の夢を見つけられたら、何かが変わるのかしら」


 トゥルル――――トゥルル――――トゥルル――――

 トゥルル――――トゥルル――――

 トゥルル――――


 聞きなれない音に思考が中断される。音の発信源は机の奥からだ。暗闇の中で引き出しの一つが淡い光を放つ。
 “異空間通信機”ラビリンスを発つ前にサウラーから手渡されたもの。携帯電話に偽装されており、距離を無視して異なる空間の通話を可能とする。
 この世界ではオーバーテクノロジーと位置付けられるもの。だから、普段は机にカギを掛けて決して持ち歩くことはない。
 ラビリンスを発って半年足らず、これが初めての通信だった。


「せつなよ。何かあったの?」
「よお、イース。元気か? なんだ、あんまり元気じゃ無さそうだな」

「ウエスター……雑談に付き合う気分じゃないの。そちらで問題でも起きているの?」
「その逆だ、全く何事もなく順調だ。だからもう――――お前が意に沿わない仕事をする必要もなくなった」

「何が言いたいの?」
「楽しそうならこのまま切るつもりだったんだがな。もしそちらで上手くいってないのなら――――」


「――――帰ってこないか?」







 『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。せつなが帰る日(前編)――』







 クローバーコレクションの会場、四つ葉記念ホールに長蛇の列ができる。収容人数二千人の会場を埋め尽くす。
 その舞台裏では、モデルがプロのメイクと打ち合わせしながら最終調整を急ぐ。髪型、化粧、ネイルと衣装とのバランスをギリギリまで突き詰めていく。

 そして、緊張と興奮の高まる中、ついにステージが幕を開く!
 巨大バックモニターに、モデルのプロフィールが契約ブランド名と共に映し出される。
 暗い会場に巨大な十字架が点灯する。“クロスランウェイ”と呼ばれる全長三十メートルにも及ぶモデルの花道だ。
 ダイナミックな音楽が鳴り響く。“ランウェイビート”と呼ばれるバックグランドミュージック。会場の全ての照明が点灯して、煌びやかにコレクションの舞台を彩る。
 観客の大歓声の中、ついにモデルが登場する。ランウェイを颯爽とポージングを決めながら歩いていく。たちまちホールは興奮の渦に包まれた。

 モデルの仕事は大きく三つに分類される。雑誌を扱うスチールモデル。CMやCFなどの映像モデル。そしてファッションショーに出演するショーモデルだ。
 中でもコレクションの舞台は、ファッションフェスタとも呼ばれておりモデルにとって最大の栄誉とされている。人気ファッション誌の専属モデルが、雑誌間の垣根を超えて同じステージに立つのだ。

 そんな今を輝くモデルたちの中に美希の姿もあった。有名ブランド契約のトップモデルとは比ぶべくもないが、コレクションの舞台はいわゆる青田買いを狙うスカウトも多い。
 何より前座に近い扱いとはいえ、中学生でありながらコレクションの舞台に立つのは大変な成功者の証でもあった。

 ついに美希の番が訪れる。緊張はするが初めてではない、大きく息を吸い込んで歩き始める。
 衣装はジュニア誌とタイアップしたリアルクローズ(普段のお洒落着)だ。大人のモデルに劣らぬ長身に、青く、長く、美しい髪が揺れる。
 誇らしげに歩ききって、ランウェイの先端でポージングを決める。会場のどこかにいるはずの親友を軽く目で探しながらウィンクを決め、ターンして戻っていく。
 もちろん最後まで気は抜かない。後姿の披露もまた、モデルの重要な役割なのだから。


「凄い……とても綺麗よ。美希は夢を叶えたのね」
「うん、美希たん超キレイ! とても同じ中学生とは思えないよ。なんだか知らない人みたい」
「美希ちゃんの夢は世界で活躍するトップモデルだから、まだまだ満足はしてないと思うけど」

「でも、大きな一歩を踏み出したのよね。ちょっと寂しいけど、やっぱり嬉しい」
「寂しい? ブッキーが?」

「うん、なんだか美希ちゃんが遠くにいっちゃうような気がして」
「大丈夫だよ、美希たんは美希たんだもの。あたしたちはいつまでも一緒だよね? せつな!」

「えっ……、ええ、そうね――――」


 曖昧な返事しかできなくて、すぐに後悔する。ラブの表情に不安の影が差す。せっかく楽しいステージを見に来ているのに……。
 “周りを笑顔にする”ラブがいつもしていることが、どうして自分にはできないのだろう?

 美希の姿が視界から消える。しかし、その輝きはせつなの脳裏に焼き付いて離れなかった。
 トリニティのダンスと同じだと思った。ラブの目指すダンサーの夢と同じだと思った。自分を輝かせ、その光で周囲を幸せにするもの。それが夢なのだろうか?
 だとしたら、“みんなを笑顔と幸せでいっぱいにしたい”そう願う自分の夢は、本当の夢とは言えないのだろうか?

 華やかで、綺麗で、眩しくて。楽しい時間はあっという間に過ぎる。やがてクローバーコレクションが感動的なフィナーレで幕を閉じる。
 美希はこの後も色々用があるらしく、ラブ、せつな、祈里の三人で帰路に着いた。


「感動したね~! せつな、ブッキー、また来ようね!」
「うん、美希ちゃんの夢はみんなで応援したいもの!」
「………………………………」

「せつな、どうしたの? 楽しくなかった?」
「あっ……。ごめんなさい、ちょっとぼんやりしてて……」
「もしかして熱があるんじゃ?」

「そんなんじゃないの。ねえ、ブッキー。今から動物病院を見学させてもらっていいかしら?」
「うん、帰ってからお手伝いしようと思ってたから構わないけど……」
「あたしも行こうか?」

「ラブは先に帰って夕ご飯の準備をお願い。みんなで押しかけたら迷惑になると思うし」
「わかった、遅くなるなら連絡してね」


 ラブは一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、それ以上聞き返すことはしなかった。祈里もまた何か感じたようだったけど、口にはせずに一緒に帰ろうと言ったきりだった。
 焦り過ぎているのは自覚している。“本当の自分の夢”そんなものがあるのなら、時間が掛かってもいいからゆっくり探そうと思っていた。
 でも、そんなに時間はないのかもしれない。昨夜のラビリンスからの連絡は、早く決断しろという天の啓示なのかもしれない。
 長くこの地に留まり続ければ、別れの時に、より大きな悲しみを残してしまうことになるのだから。







 山吹動物病院。クローバータウンストリートの大通りにあって、外からは毎日のように見ている建物。実際に中に入ったことも何度かあった。
 しかし、まじまじと観察するのは初めてだった。
 診察室だけは壁で区画されているものの、極めて開放的な造りの建物だった。どこからでも見渡せる、そんなコンセプトが感じられた。
 待合室はとても広々としていて、診察がなくても雑談に訪れる人もいる。動物の病院に対する恐怖を和らげるためでもあり、飼い主同士のコミニュケーションの場でもあるらしかった。

 正と尚子に許可をもらって診察室に入れてもらう。
 入ってみて、なぜ診察室だけが厳重に区画されているのかその理由がわかった。
 実に多種多様な動物が入れ替わり診察に訪れるのだ。中には天敵と呼べる関係の動物の組み合わせもあった。これでは視界に入るだけで暴れだすだろう。
 個人で経営している動物病院では、犬と猫しか診ない所も多いと聞く。その二種はもちろん、鳥類、ハムスターのような小動物、蛇やトカゲなどの爬虫類まで診察しているのだ。
 それだけで正と尚子の腕が尋常なものでないことをうかがい知ることができた。

 診察は正が行うが、治療は尚子が受け持つことも多い。その時は祈里が助手に入る。ただの手伝いではない。正の診察の前に、簡単な病気なら見抜いてしまうのだ。
 祈里もまた、着実に夢に向って手を伸ばしている。そう感じられた。
 彼らに共通して言えることは、情熱的で瞳が輝いていることだった。普段はそうは感じないけど、何かに夢中になっている時のラブの目と同じだと思った。
 美希のモデルのような美しさではないけれど、そんな姿もまたキレイだと感じた。やはり活き活きと輝いて見えた。

 残りの診察時間もあと僅か、このまま何事も無く一日を終えるかと思われた。そんな時、割れんばかりの大型犬の唸り吠える声が病院中に響き渡る。
 急患の大型のシェパード犬だった。苦痛によって神経を尖らせていて、脅えて攻撃的になっているらしい。
 前の病院の処置が悪くて病院不審になっており、なんとか逃げ出そうと牙をむいて暴れる。手の開いている祈里が押さえようと近づく。


「大丈夫よ、すぐに痛いのは収まるからじっとして」

「駄目だ! 祈里、離れなさい!」
「無理しちゃダメ、すぐに行くから!」


 怖がる他の飼い主とペットのために、まずはなだめようと祈里が首輪を取る。しかし力が圧倒的に違う。たちまち振り払われて転倒する。
 事故はその後に起こった。暴れた拍子に、緩んでいたマウスリングが外れてしまう。鳴き声が出た時点で予想されたこと。恐怖によって正気を失った猛犬の牙が祈里に襲いかかった!


「きゃああ!」
「ブッキー!!」


 正が駆けつけるよりも、一足早くせつなが割り込む。拳をねじ込むようにして牙の軌道をそらす。
 その後、偶然顎の下の皮を掴んだのが良かったらしい、噛むことのできなくなった犬は逃げ出そうとがむしゃらに暴れる。
 しかし、せつなの拘束は外せない。次の瞬間にはあっさりと正に押さえ付けられてしまった。


「ありがとう、せつなちゃん」
「助かったよ、二人とも怪我はないか?」
「平気です。私こそ怪我をさせてないといいけど……」


 その後は簡単だった。スタスタと近寄ってきた尚子が無造作に包帯で犬の口を縛ってしまう。
 瞬く間に鎮静剤と痛み止めを打たれた犬は、それまでの暴れっぷりが信じられないほど従順に診察に従った。
 もう下がって休みなさいという正と尚子の勧めに従って、祈里とせつなは部屋に戻った。
 その時に、祈里が一瞬見せた悔しそうな表情が印象に残った。“悔しい”それは普段の祈里のイメージからは、あまりにも似つかわしくない感情だったから。


「ごめんなさい、ブッキー。私、あの犬を殴っちゃった……」
「あのくらい大丈夫だと思う。凄く強い犬種だし、ちゃんと手加減していたみたいだもの」

「飼い主さんも謝ってたしね。それより、今日は本当にどうしたの?」
「………………………………」


 せつなはポツポツと話し出す。クローバーフェスティバルで見せた、ラブの悔しそうな表情が忘れられないと。美希のモデルに賭ける想いからも、ラブと同じものを感じるって。
 魅了されて、夢中になって、情熱をたぎらせる。自らを輝かせて、その光で周囲を幸せにする。それが夢なんだとしたら、自分の願いは何なんだろうって。
 みんなを笑顔と幸せでいっぱいにしたい。そんな願いは、果たして夢と言えるのだろうかって。


「ブッキーの夢は獣医。動物たちの病気を癒して幸せに導くお仕事。だったら、その夢は私の夢と似ているはずよね?」
「――――違うよ……。わたしの夢と、せつなちゃんの夢は同じじゃないと思う」

「どうして!? 動物に幸せになってほしいから獣医になりたいんでしょ? 自分が輝きたいわけじゃないのよね?」
「わたしもラブちゃんや美希ちゃんと同じ。自分が輝きたいんだと思う」

「獣医……なのに?」
「そうよ」


 興奮して立ち上がったせつなに、祈里は座るように促す。自分も一口だけ紅茶を飲んでから話し出した。
 昔、まだせつなが仲間ではなかった頃、シフォンが突然苦しみだしたことがあった。祈里は看病を買って出たものの、シフォンの病気が何なのかすら突き止められなかった。
 懸命に医学書を捲ったものの何もわからず、ただ成す術もなくシフォンが苦しむのを見ているしかなかった。ちゃんとした獣医がその場に居たら、きっと助けてあげられたはずなのに。
 結局、原因はただの便秘だった。でも、もしも正が一緒に居てシフォンを治療してくれたとしても、祈里の心は完全には晴れなかっただろう。
 祈里は、自分の手でシフォンを治してあげたかったのだから。


「―――――自分の……手で?」
「そう、さっきのも同じよ。わたしではあの子を助けてあげることができなかった。それが悔しいって思ったの」

「せつなちゃんはどうなの? 自分の手でラビリンスを幸せにしたいの? それとも結果が同じなら、自分はそこに居なくてもいいの?」
「私は―――――自分のことなんて考えたこともなかったわ……」

「だったら、少なくともわたしの夢とせつなちゃんの夢は違うと思う」


 打ちのめされた気分だった。その後、祈里と何を話したのかすら覚えていない。四人の中で唯一、祈里の夢だけは自分と似ていると思っていた。
 だから、彼女に聞けば何かがつかめると期待していた。でも、結局は全否定。祈里の幸せもまた、ラブや美希と同じもの。
 自らを輝かせること。自らの望みを叶えること。夢とは、自分の幸せを追求することなんだろうか?


(だとしたら、私がラビリンスでやってきたことは何だったと言うの?)







 桃園家の夕ご飯、本日の料理当番はラブだ。メニューは当然のように特製ハンバーグ。
 普段以上に豪華な盛り付けは、美希のお祝いだから。得意そうに今日のファッションショーの様子を話す。まるで、自分の活躍であるかのように――――
 ラブは他人の幸せを、自分の幸せと同じくらいに喜ぶことができる。だから、ラブの周りにはいつも幸せが溢れている。

 チクリと胸が痛む。かつての自分に、同じことができたなら……。
 今なら、できると思う。それ以上のことだって。当然だと思う。これ以上、何も望むものがないくらい幸せなんだから。
 ラブが幸せなのとは全く意味が違う。本来なら、得られるはずのない幸せを手にしたのだから。

 イースはどうだったろう? 他人の幸せが羨ましくて、笑顔を見るのが辛くて、笑い声が耳に痛くて。
 目を閉じて、耳を塞いで、力の限り暴力を振るった。
 任務だった。使命感もあった。でも、自分だけは誤魔化せない。


(私は――――ラブが、幸せそうな人たちが、うらやましかったんだ……)


 ラブは自分の幸せを求めながらも、他人の幸せも心から望み、喜ぶことができる。たとえ、その幸せが自分には手の届かないものであっても。
 せつなは、イースは違う。自分の幸せを諦めることによって、他人の幸せを喜べるようになった。
 始めから、自分の幸せよりも他人の幸せを選んでいる。それを前提にすることで自分が生きることを許している。

 それでも不幸にはならなかった。自ら手を伸ばさなくても、幸せは向うの方からやってくる。
 まるで、絶え間なく押し寄せて止むことのない波のように。
 ラブにあってせつなに無いもの。それは自分の幸せの有無ではない。

(私とラブの一番大きな違い。それは、自分の幸せを心から望んでいること。それが夢なのだとしたら……)


「せつな? せつな? どうしたの、大丈夫?」
「具合が悪いの? せっちゃん。さっきから何も食べてないじゃない」
「何かあったのか?」

「あっ……。ううん、なんでもないの。心配かけてごめんなさい」


“心配してくれる人がいる。それって凄く幸せなことだと思うの”

 かつて、コンサート会場でせつなが倒れた時、医務室でラブが話してくれたことを思い出す。本当に、そうだと思う。
 でも、心配してる人にとって、心配することは幸せなことなんだろうか?


(ラブは、私と出会ってから悲しい顔をすることが多くなった。そんな気がするから――――)







 まだ薄暗い、早朝の四つ葉公園。かつて、クローバーの一員として毎日のように練習に明け暮れた場所。
 せつなはダンシングポッドを設置して、静かに演奏の開始を待つ。
 着ている服は学校で使っているジャージ。クローバーのユニフォームは、四人で踊る時しか使ってはいけないような気がした。

 音楽が始まる、ダンス大会で優勝した時の曲を選択した。長いブランクがあるにもかかわらず、旋律に合わせて自然と身体が動き出す。
 目を閉じると、今でも四人で踊っているような気持ちになる。だから――――しっかりと目を開いて踊ることにした。

 本当なら、ラブを誘っても良かったはずだった。ダンスの夢が諦めきれず、今でも時々一人で練習しているのも知っている。
 そして――――一人で本格的にダンスを再開する気にもならず、すぐに切り上げてしまうのも知っていた。


(ラブと一緒に踊れば楽しいに決まってる。でも、それじゃダメ。夢が自分の幸せを求める気持ちから生まれるのなら、一人で踊っても何かを感じ取れるはず)


 “自分の本当の夢”それは何だろうと、ずっと考えてきた。でも、どうしても見つけることができなかった。
 最後の望みをかけて、もう一度ダンスを踊ってみようと思った。かつてただ一つ、一途に、懸命に打ち込んだものだったから。

 あの時と変わらない曲。変わらない振り付け。身体は動く。なのに――――まるで心が弾まない。
 こんなに、味気ないものだったんだろか?

 あんなに――――楽しかったのに。
 自分はダンスが好きだったんだろうか? それとも、みんなと一緒にやれるなら何でも良かったんだろうか?

 肩を落として帰る支度をする。もうみんな起き出してくる時間だ。黙って出てきたこともあり、これ以上心配はかけたくなかった。
 少し歩いてすぐに足を止める。カオルちゃんのドーナツ屋さんの近くで、見知った三人の姿を見つけた。ラブと美希が何かを言い争っているようだった。


「この先にせつなは居るんだよね? 美希たん、通して!」
「せつなは今、自分の幸せを探そうとしているの。お願い、ラブ。せつなをそっとしておいてあげて」

「そっとなんてしておけないよ! せつな、ずっと様子が変だったもの。まるで迷子みたいに、悲しそうな顔をしていたもの」
「本当に、迷子なのかもしれないわ。本当の自分を探して、本当の自分の幸せを探して、迷っているのかもしれない」

「だったら、なおさら一人になんてしておけないじゃない」
「それで、行ってどうするの? これが幸せだって、これが夢だって教えてあげるの? そんなものに、唯一絶対の正解なんてないのよ!」


 美希が通せんぼするように立ちはだかり、厳しい目でラブを見つめる。ただ、せつなをそっとしておきたいだけではない。ラブに伝えたいことがあるのは明らかだった。
 クローバーの解散はせつな一人の脱退が原因ではない。それをきっかけに、美希がモデルの夢を本格的に追い始めたからだった。
 せつなが帰ってきてからというもの、その様子に一番気を使っていたのも美希だった。


「押し付けてるっていうの? あたしが……せつなに?」
「ゴメン、言い過ぎたわ。だけどもう見ていられないの。あの子、全然、自分のために生きてないじゃない。本当のせつなは、一体どこに居るの?」

「本当のせつな……。その幸せ? せつなは、今、幸せだって言ったよ。確かに言ったもの……」
「それはラブの幸せじゃないの? ラブとせつなは違う人なのよ。せつなにはせつなの人生があって、幸せがあって、夢があるはずよ」

「そんなのわかってる。だけど、あたしはせつなが……」
「ラブ、あなたもよ。ダンスの夢はどうするつもりなの? せつなが帰ってきてから、ミユキさんのレッスンまで断ったそうじゃない!」
「言いすぎよ美希ちゃん! わたし――――そんなこと頼んでない!」


 それまで様子を見守っていた祈里が割って入る。先日、家に来た時のせつなの様子がいつもと違っていたので、美希に相談したのだった。
 フラフラとせつなが歩み寄り、三人は言葉を失う。そこでようやく、せつなに話を聞かれていたことに気が付く。


「私がラブの、幸せを妨げている? ラブの夢の足を引っ張っている?」

「せつなっ!」
「違うの、せつなちゃん!」
「待って! せつなっ!!」


 せつなが呆然とした表情でその言葉を繰り返す。やがてその意味が本当に理解できたのか、それを否定するかのように数回首を振る。
 無理に作ろうとした笑顔が哀しみに歪む。数歩後ずさって、そのまま背を向けて走り去った。







 どこを通って、どれだけ走ってきたんだろうか? 場所なんてどうでも良かった。
 ただ――――今のことを考えるのが怖くて、無心に走り続けた。

 気が付くと目の前は一面の緑。花の枯れた、葉っぱだけのクローバーの丘。無意識に人目を避けて、この場所を選んだのだろう。
 限界まで酷使した身体を投げ出す。このままクローバーの葉っぱの一枚になれたら……。そんな風に考えてしまう。


「せつなが帰ってきてから、ミユキさんのレッスンまで断ったそうじゃない!」


 ユニット“クローバー”の解散後、目標を失っていたラブにミユキは進んでコーチを買って出た。以前より、ずっと少ない頻度ではあったけれど。
 ラブはどこにも所属することを望まず、たった一人で、時々コーチを受けながらレッスンを続けてきた。


(どうして、気が付かなかったんだろう? 夏に数回、レッスンを受けていたのは見ていたはずなのに)


 トリニティの活動が忙しくなったんだろうと勝手に決め付けていた。ラブはきっと、せつなを気遣ってレッスンを辞退したんだろう。
 ダンサーの夢を一緒に追いかけられなくなったから。二人で過ごす時間を、大切にしたかったから……。

 わかっていたことだった。ラブは始めからずっと、自分の幸せを諦めてでもせつなの幸せを選んできたのだ。


(何が、今ならまだ間に合うよ……。とっくに――――手遅れなんじゃない……)


 そうまでして、ラブが守ろうとしたせつなの幸せって何だろう? 何のために、自分はこの街に帰ってきたんだろう?


「本当のせつなは、一体どこに居るの? せつなにはせつなの人生があって、幸せがあって、夢があるはずよ」


 美希の言葉が思い出される。本当の自分って何だろうと思う。
 イースとはもうお別れした。この姿が、今の自分。本当の――――自分のはずだった。


「私の幸せって何だろう。ラブと出会って、手にした幸せって何だろう?」


 桃園圭太郎とあゆみの娘であること。蒼乃美希と山吹祈里の親友であること。クローバーの一人であること。
 トリニティのリーダー、知念ミユキにダンスを教わったこと。四つ葉中学に通う生徒であること。
 クローバータウンストリートの住人と仲良くなれたこと。

 愛して、心配してくれる人々に囲まれて、笑顔で暮らせる毎日があること。


「それが――――私の幸せ? 私の――――?」


 ゾッとするような恐怖に襲われる。自分の信じていたものが、自分の立っている世界そのものが、音を立てて崩れていく。


「何を……言っているの? それはラブの幸せじゃない! どれも、これも、全て――――ラブが持っていて、私にはなかったもの。
 だから――――うらやましいと、思ったもの。そう――――ラブに伝えたもの……」


 ハラハラと涙がせつなの頬を伝う。


「無かったんだ……。始めから、東せつなの幸せなんて――――」


「やっと、わかった……。私がうらやましいなんて言ったから、だからラブは――――
 私がドーナツを半分コしたみたいに、ラブは自分が持っている幸せを全部、惜しみなく私に半分くれたんだ……」


「何が――――自分の夢を探したいよ。何が――――みんなを笑顔と幸せで満たしたいよ」


 自分の幸せ一つ見つけられない者が、夢を叶えるなんてできるはずがない。まして、他人を幸せにするなんて……。

 冷たい地面と秋風が、せつなから体温を奪っていく。気にもならなかった。心はもっと冷え切っているのだから。
 涙は流れるに任せた。借り物だらけの感情の中で、悲しみだけが唯一、自分のものと信じられる心の働きだったのだから――――



新-211
最終更新:2011年07月30日 23:30