新-415

 とある日の放課後の、クローバータウンの通学路。
 アスファルトに静かに響くローファーの靴音とともに、爽やかな秋風の中をひとりの少女が歩いていた。肩にかかる艶やかな黒髪と、柔らかな眼差し。穏やかな表情からは、今の彼女の心情が透けて見えるよう。
 色づき始めた並木道がやけに眩しく映るから、いつもよりゆっくりと歩いては、次々と目に飛び込んでくる秋の風景を楽しんでいた、そんな時。
 ふと、どこからともなく甘い薫りの風が流れて、彼女の鼻孔をくすぐって、消えた。
 匂いに気づいた少女は、脚を止めて周りを見渡してみる。

「この匂いは……?」

 匂いの元を探り当てようとした矢先、後ろから少女を呼ぶ声がした。

「せつなちゃん!」
「あ、ブッキー」

 ブッキーと呼ばれた少女・山吹祈里が、数メートル先にいた黒髪の少女・東せつなに追いつき、隣に並ぶ。
 ふんわりとした柔らかな栗色の髪。優しい顔立ちと、丸みを帯びた身体つき。その背丈はせつなより少しだけ小さく、見る者に可憐な印象を与える。いつも付けているトレードマークの緑色のリボンが、今日もよく似合っていた。

「偶然ね。今帰り?」
「そうよ。ブッキーもでしょ?」
「うん。ふふっ。なんか嬉しいな」
「何が嬉しいの?」
「だって、約束もしてないのにせつなちゃんに会えたんだもん」
「あ……ありがとう」
「どういたしまして」

 躊躇することなく放たれる祈里の言葉に、せつなは顔を赤らめた。そんな彼女の反応を、祈里は楽しそうに眺めた。

「あ、ちょうど良かったわ。今ね、ブッキーに教えてほしいことがあって」
「わたし? いいわよ。わたしでお役に立つなら何なりと」
「あ、ほらまた、この匂い……。どこから来てるのかしら?」

 せつなが不思議そうに辺りを見渡す。

「そっか。この匂いのこと知りたいのね。せつなちゃん、こっち」

 祈里は、そんなせつなの手を引っ張って、少し離れた木立まで連れて行った。
 そこには、オレンジ色の小花を一面に咲かせている木が、真っ直ぐにすっくと伸びていた。

「あ……さっきよりも香りがうんと強くなったわ。この花からしてるのね」
「金木犀、よ」
「キンモクセイっていうの……いい香り。見た感じも可愛いけど、名前も可愛いのね」
「わたしも大好きなんだ。秋にしか咲かないの」
「なんだか、この花……ブッキーに似てるわね」
「え? わたし? どんなところが?」
「色もそうだけど、ちっちゃくて、可愛くて、いい匂いのするところが」

 せつなの言葉が、祈里の頬をほんのり紅く染めた。

「せつなちゃん、それ、褒めてる?」
「もちろんよ」
「に、匂いは、美希ちゃんにもらったアロマをいつも付けてるからだし、ち、ちっちゃいのは……生まれつきだし……」
「可愛いのは?」
「し、知らないっ」
「ごめんなさい。ブッキー、怒らないで」

 ちょっとだけむくれたふり。恥ずかくて、嬉しくて、やっぱり恥ずかしくて。
 心配そうに覗き込んでくるせつなの視線は、かえって祈里の羞恥心を助長させていくようだった。

「ねえ、ブッキーったら」
「……怒ってないよ」
「ホントに?」
「うん。恥ずかしかっただけ」
「良かった」

 にこっとはにかむせつなの笑顔。見つめながら祈里は思う。ああ、わたし、この顔に弱いなあ。

「けど、ブッキーのおかげで匂いの正体がわかって、何だかすっきりしたわ。ありがとう」
「どういたしまして。わたしも褒めてもらえちゃったし、得しちゃった。――――ところで、今日はラブちゃんは?」
「ああ、ラブなら……」
「補習?」

 祈里が継いだ言葉に、せつなは声を立てて笑った。それはまさに、せつなの言おうとした言葉だったから。

「よくわかるのね」
「そりゃあ、幼なじみだもん」
「幼なじみ、か……。何かいいわね、そういうの」
「けどわたし、せつなちゃんのことだってよくわかるよ」
「あら、私は幼なじみじゃないわよ?」
「幼なじみじゃなくても、親友、でしょ?」

 祈里は、隣に立つせつなの腕を取り、優しく組んだ。

「親、友……?」
「そうよ、親友。とっても仲のいい友達のことよ。幼なじみにだって、負けないくらい仲良しなんだから!」
「私とブッキーは……親友?」
「もちろん!」

 真っ直ぐに見つめる祈里の瞳の力強さに、せつなはほんの少し気圧される。
 そんなせつなの指に、安心させるように自らの指を優しく絡めて、祈里は言った。

「幼なじみもいいけど、親友だってなかなかいいと思わない?」
「親友、か……。いいわね、それも」
「うん。いいよね、すごーく」
「うん。すごーく」

 ふたりは顔を見合わせて、ふふっと笑う。そんなふたりの鼻先を、金木犀の香りを乗せた柔らかな風が撫でていく。

「せつなちゃん、今、カオルちゃんのドーナツ食べたいんでしょ?」
「ど、どうしてわかるの?!」
「だって、親友だもん」

 余りにも近づき過ぎて、せつなのお腹の虫の鳴き声が聞こえてしまったことは、祈里の心の中にそっとしまわれた。

「行こ?今日はわたしがおごるね」
「悪いわよ」
「いいの。だって記念日だもん」
「何の記念日?」
「親友記念日」

 秋風の中を、腕を絡めたふたりの少女が歩き出す。
 今日の学校での出来事や、昨日の夕食のメニュー。何でもないことを話しながら、せつなは心に誓う。このひと時の幸せをしっかりと胸に焼き付けておこうと。
 ずっと後になってもくっきりと思い出せるように。大好きな親友との時間を、決して忘れないように。



新-481
最終更新:2011年10月21日 23:32