新-625

 冬の夜空に、チラチラと白い結晶が舞い踊る。
 寒い日にだけ咲くという、氷で創られた天上の花。
 とても小さくて、どこまでも繊細で、ただ一つとして同じ形のない、
 それは――――神様からの贈り物。

 ゆっくりと、でも絶え間なく、朝から降り続けた雪は、やがて辺り一面を銀世界へと変えていく。
 華やかなイルミネーションを、枯れ落ちた葉の代わりに纏った街路樹も、
 カラフルな装飾で彩られた、商店街のお店の数々も、
 無垢なる少女のように、汚れなき美を讃える純白で覆っていく。

 クリスマス・イブの夜。世界中が愛に包まれる夜。
 家族、友人、恋人同士。
 愛する人と過ごす夜。大切にしたい人と出会う夜。
 今夜だけは、奇跡を信じたい。誰もがそう願う、聖なる夜。
 そんなクローバータウンストリートの一角で、二つの小さな命が運命の邂逅を果たした。

 母親に連れられて、楽しそうに歩く女の子。
 肩まで伸ばした柔らかな黒髪。クルクル動く、丸くて大きな瞳。
 素顔がわからないほどに、絶やさない笑顔。幸せであることを証明するかのような、純真な可愛らしさを持つ子だった。
 服装は、赤いチェック柄のダッフルコート。茶色のブーツ。そして、サンタクロースデザインの、白いボンボンのついた赤い帽子。
 まるで、踊るようなステップで歩道を歩き、時々、クルリと回って母親の姿を確認する。
 その度に、少女の帽子や肩に積もった雪が、宝石のように輝きながら飛び散った。

 そう、幸せな者にとっては、雪は美しくて、やわらかで、優しいもの。
 そして、そうでない者にとっては、雪は恐ろしくて、冷たくて、残酷なものだった。

 少女がふと足を止める。
 街路樹の根元に、土の色に溶け込んでうずくまる、茶色い柴犬。
 どこから来たのか、歩き疲れ、力尽きた、生後間もないと思われる小さな子犬だった。

「おかあさん! このこ、いきてる!」
「ほんと、どうしましょう。よりによって、こんな日に……」

「わたし、このこのおせわする!」
「そんなっ、ダメよ! 犬なんて、気安く飼えるものじゃないわ」

「おかあさん、いったでしょ? クリスマスは、かみさまがみてるって」
「それはそうだけど……」

「もし、このこをたすけなかったら、きっと、わたしにサンタさんはこないよ」
「責任を持って、飼えるのね?」

「かうんじゃなくて、かぞくになるの。しんぱいしないで、ずっといっしょよ」

 少女は、汚れた子犬を躊躇わずに抱き上げる。
 新品の洋服に、泥がつくのも厭わずに。大切そうに、そっと頬を近づける。
 母親は、観念してため息を付いた。
 恐らくは捨て犬、飼い主を探すのは至難の業だろう。母子家庭の二人暮らしだ、ペットくらい居てもいいかもしれない。

「その代わり、今夜の外食は中止よ。その子を連れて行けないでしょ」
「うん! わたし、おりょうりのおてつだいするね」

「それじゃ返って時間かかっちゃうわよ。それより、その子をお風呂に入れてあげなきゃね」
「まかせて!」

 あれほど楽しみにしていた、ファミリーレストランの外食。それが台無しになったにも関わらず、少女は先程より更に明るい表情で笑う。
 しかし、足取りは打って代わって静かだった。なるべく揺らさないように、子犬を脅えさせないように歩いた。
 言葉が通じると信じているかのように、優しい声で語りかける。

「あなたのなまえ、おもいついちゃった。まっかなおはなのトナカイさんしってる?
 ルドルフっていうんだって。あなたのおはなもあかいから、ルルちゃん!
 こんやはクリスマスイブだから、わたしはサンタさんからプレゼントをもらうの。
 でも、ルルちゃんはもらえないよね? くつしたなんてはけないもんね。だから、わたしがプレゼントしてあげる。
 かわいいくびわと、なんだっけ? ルルちゃんのおへや。『サークルでしょ』そうそう、それ! サンタさんへのおてがみ、かきなおさなきゃ」

「本当にいいの? ヌイグルミ、欲しかったんでしょ?」
「いま、いちばんほしいのは、ルルちゃんのものだもん」

 そう言われても、もうヌイグルミは買ってある。今月は生活費を切り詰めなきゃ、と母親は再びため息を付いた。






『クリスマスに愛を込めて(前編)』






 四つ葉町公園の中央広場。カオルちゃんのドーナツハウスに、ダンスユニット“クローバー”のメンバーが集まる。
 それぞれ四色のジャージの上に、ジャンパーを羽織っただけの格好。それもお馴染みの姿だった。

「ふぅ~、これで年内のレッスンは終わりだね!」
「ミユキさんコーチのレッスンはでしょ? 自主練はまだまだやるわよ」

「たはは、やっぱりそう?」
「美希ちゃん、張り切ってるね」
「私は、楽しいから毎日でも平気よ」

「は~い、お待たせ! カオルちゃん特製、クリスマススペシャルだよん」
「わぁ~! ドーナツっていうか、まるでホテルで出てくるケーキみたい」
「ラブちゃん、ホテルでケーキ食べたことあるの?」

「ないけど、なんとなく……」
「もう、いい加減ね」
「でも、本当に綺麗。ドーナツがクリスマスリースになってるのね」
「お皿と一体化してて、持ち帰りはできそうにないね」
「すご~い、ほんとにきれい」

 クリスマスを一週間後に控え、街のあちこちでその準備が行われている。
 商店街はクリスマス商品一色で、街路樹や一部のお店には、華やかなイルミネーションが施された。
 カオルちゃんのお店も、期間限定商品を用意した。ドーナツの形をクリスマスリースに見立てて、生クリームやフルーツで飾り付けたのだ。

「あれ? なんか一人多いような……」
「あっ、いきなりごめんなさい」

 ラブ、せつな、美希、祈里の四人の後ろから、覗き込むようにして一人の少女がテーブルの上を見つめていた。
 大きな瞳が印象的な可愛い子。赤いジャンパーに黒いレギンス。背丈は祈里より少し低く、セミロングの髪をポニーテールにまとめている。
 ラブに指摘されて、不用意に発言したことに気が付き、口元に手を当てて顔を赤らめた。
 挨拶と謝罪を兼ねて、ペコリと頭を下げる。
 他人のテーブルの料理を覗き込んで、感想まで口にする。確かに誉められた行為ではなかった。

「あなたは、だあれ?」
「あっ、あのっ、わたしは――――です。四つ葉小学校に通っています」
「ドーナツ好きなの? よかったら食べていかない? あたしのあげる」

「あっ、いえっ! わたしはドーナツというか、クリスマスが大好きなだけで……」
「まあ、そう言わずに。そちらのお嬢ちゃんと、ワンちゃんもどうぞ。いや~おじさんって甲斐性あるよね、グハッ」
「ワンッ! ワンッ!」

「ありがとう、ルルもお礼を言ってます」

 いつの間に用意したのか、カオルちゃんが追加でドーナツを運んでくる。片方は、ペット用のフードボウルに入っていた。
 嬉しそうにドーナツを口に運びながら、少女は自分のことを話した。
 今日はたまたま、お散歩のコースを変えて遠出したこと。ルルと呼ばれる犬が、ドーナツの香りに引き寄せられて、ここまで来てしまったこと。
 テーブルに乗っていたドーナツに目を奪われて、今度は少女がフラフラと近寄ってしまったこと。
 改めて「ごめんなさい」と謝って、恥じらうように微笑んだ。

「わたし、クリスマスって大好きなの。ルルとも、三年前のイブの夜に出会ったのよ」
「そっか、じゃあ一週間後が楽しみだね」

「今年は、ダメなんだって……」

 弾けるような笑みを浮かべた少女の表情が、一瞬だけ翳る。
 口にするべきか迷っている様子で、四人で顔を見合わせてから、ラブが続きを促した。

「何がダメなの?」

「今年はお母さんのお仕事が忙しくて、どうしても帰れないんだって」
「そっか。でも、クリスマスの楽しみはそれだけじゃないよ。サンタさんがやってくるじゃない!」

「あはっ、わたしももう五年生だから、さすがにサンタさんは信じてないの」
「あたし……、中学一年生になるまで信じてた……」
「ラブ、それはちょっと……」
「ラブちゃんらしいかも」
「でも、サンタクロースのお話って素敵ね。私も信じてみたかった」

「えっ? お姉ちゃんは信じたことないの?」
「私は、そんな風習がないくらい遠いところから来たのよ」

 そう言って、せつなは寂しそうに笑う。
 現在と、未来があるだけ幸せ。そうは思っていても、やはり、過ぎ去った幼き日々は取り戻せない。
 そんなせつなの様子を、少女は不思議そうに、でも、心配そうに見つめる。

「そうだ! よかったら、あたしたちのパーティーに来ない?」
「そうね、一緒に楽しみましょう」
「えっ、でも……」
「大丈夫よ。お母さんには、アタシたちから連絡しておいてあげる」
「やろうよ、ねっ?」

「うん!」
「ワンッ! ワンッ!」

 とっくにドーナツを食べ終えて、ひたすらボウルを舐め続けていたルルが、吠えながらテーブルの周りを駆け回る。
 楽しい空気を感じ取ったのだろう。みんなの表情に、再び笑顔が花開く。

「決まりだね! クリスマスパーティーで、みんなで幸せゲットだよ」
「私も料理と飾りつけ、精一杯頑張るわ」
「素敵な一日になるって、わたし、信じてる」
「完璧なアタシとしては、送り迎えをしようかしら」
「いえ、大丈夫です! そこまでしてもらうと悪いから、暗くなる帰りだけお願いします」

「しっかりしてるわね~」
「そこで、どうしてあたしを見るのよ~」

 新しいお友達の歓迎会と称して、その後もしばらくドーナツパーティーは続いた。






 クリスマスイブの夕暮れ。クローバータウンの街並みが、聖夜を祝う灯火で美しく彩られる。
 誰もが待ち望む、素敵な夜の幕開けだ。
 その中にあって、一際楽しそうな声が、一軒の家の中から聞こえてくる。

 優しい肌色の壁に、ピンクの屋根。温かみのある、赤い色のひさし。
 柵に添って張り巡らされたイルミネーションは、サンタクロースとトナカイの模様を描く。
 手入れの行き届いたガーデンには、植え込みの木をモールとボールで飾った、大きなツリーが飾られている。
 入り口のドアには、手作りのデコレーションリース。クリスマス装飾の数々が、道行く人を楽しませ、訪れる客を歓迎する。

「おかあさん、ローストチキンが焼けたよ」
「はいはい、ちょっと待っててね」
「ラブ、オードブルの盛り付けはこれでいいのかしら?」

「美希ちゃん、お部屋のオーナメントはこんなものかな?」
「そうね、ちょっと貸してみて。どうせなら、うんと派手にしちゃいましょう」

「外の飾りつけは終わったぞ~」
「いや~、見事なものになりましたね、圭太郎さん」
「正さん、手伝ってもらってすみません。それにレミさんも、色々お借りしちゃって」
「いいのよ~、今日は初めてのお客さんも来るんでしょ。張り切る気持ちわかるわ~」

 桃園家は、お祭り好きなラブの影響で、クリスマスグッズも充実している。その上で、蒼乃家と山吹家からも色々借りて、かつてない盛大なパーティーを目指していた。
 せつなにとって初めてのクリスマスパーティであることに加え、この前知り合った少女も招待していたからだ。

 二つ繋ぎ合せたテーブルには、鶏の丸焼きを始めとする料理の数々が、次々に盛り付けられていく。ラブ手製のクリスマスケーキも、もうじき飾り付けが終わる。
 コップは、クリスマスデザインのグラスを選んだ。フォークとスプーンは紙ナプキンで綺麗に巻いて、柄に可愛らしいリボンを付けた。
 部屋にはクリスマスソングが流れ、棚の上にはたくさんのプレゼントが積み上げられている。
 パーティーの準備が完了するまで、もう一息。

「それにしても、あの子遅いね。何かあったのかな?」
「私が迎えに行ってくるわ」

「僕が行こうかい?」
「一人で平気よ。大人が一緒だと驚かせちゃうだろうし」

「じゃあ、あたしが付いてくよ!」
「ラブは残ってて。私はパーティーの準備なんてわからないし、ラブが居てくれた方がいい」
「わたしならいいかな?」
「アタシが行ってもいいわよ」

「美希は残って、飾り付けの仕上げをお願い。それじゃブッキー、行きましょう」

 少女の自宅は確認してある。徒歩で二十分ほどの距離にある、大きなマンションだ。
 行き違いになるといけないから、日が沈む前に迎えに行きたかった。二人は道を急いだ。






 そのマンションのキッチンルームで、少女が忙しそうに動く。IH調理台を使って、母親の夕ご飯の支度をしていたのだ。
 メニューは、コンソメ風の野菜スープと、クリームスパゲティ。そして、鶏のモモの照り焼きだ。
 本当はから揚げの方が好きなのだが、揚げ物は危ないので許されていなかった。
 どうにか盛り付けまで終えて、サランラップで封をした。

「ワンッ! ワンッ!」
「だめよ、ルル。大きな声を出すと追い出されちゃうんだから」

「ワン……」
「はいはい、わかってるって。約束の時間に遅れちゃったね」

 ある時期を境に母親の仕事が変わり、帰りが遅くなった。それが経済的な理由であることが、何となくわかる年頃にもなっていた。
 少女は飼い犬の世話を一手に引き受けて、家事もいくらか受け持つことで力になろうとした。
 お弁当持参の日も自分で用意したし、参観日だって来てもらえなくても我慢した。
 遅くなる日は夕ご飯だって作って待ってたし、買い物だってちゃんとこなすようになった。

 でも、クリスマスだけは……。少女が楽しみにしているこの日だけは、一緒に過ごしたい。
 そんな願いも、ここ数年は叶わなくなっていた。

 外出着に着替えつつ、部屋の小さなクリスマスツリーに目を移す。これだけが、この家でクリスマスの装飾と呼べるものだった。
 クリスマスプレゼントは毎年もらえているが、もうサンタさんに手紙を書くことはなくなった。
 最後に書いたのは、三年生の時だった。
 母親の帰りが遅くなって、先に一人で寝てしまった。目が覚めた時、母親は隣で眠ってしまってて、サンタさんにお願いした赤い靴を抱えていたのだ。

「クゥーン、クゥーン」
「平気よ、ルル。サンタさんはいなくても、わたしはクリスマスが大好き」

「クゥーン」
「平気だったら。ほら、ルルがいるし、プレゼントだってもらえる。街もこんなに楽しそうなんだもの」

『お友達の家に、パーティーに呼ばれたので行ってきます。帰りは送ってもらうから心配しないで。もし先に帰ったら、ご飯作っておいたから食べてね』

 メモ帳にメッセージを残して、少女は家を出る。買い物に手間取ってしまい、食事の準備が思っていた以上に遅くなってしまった。
 クリスマスのお店は、どこも混雑する。それを計算に入れてなかったのが失敗だった。

「さっ、ルル、急ごう! きっとみんな待ってるし、暗くなったら怖いもんね」
「ワンッ! ワンッ!」

 はっ、はっ、はっ、はっ、はっ。
 少女は、馴染んだ道をひたすらに走る。目的の家の付近はよく知っていた。
 この大通りを抜ければ、クローバータウンストリートだ。そこで、優しいお姉さんたちが待っている。
 ルルの時もそうだった。やっぱり、クリスマスには素敵な出会いがあるんだって思えて、それが何より嬉しかった。

 しかし、こんな時ほど赤信号によく捉まる。
 みんなを待たせている心配。暗くなる不安。何より、早く着きたいって気持ちが焦りを呼ぶ。
 青信号に変わった途端に、少女は勢いよく飛び出した。

 突然、視界がスローモーションに切り替わる。まるで、録画した番組を低速再生しているかのように。
 キキキィ――――とタイヤが軋む音が聞こえる。
 大きな車が、ゆっくりと目の前に迫る。
 逃げなきゃ! と思うものの、何故か身体は言うことを聞いてくれなかった。

 そこで少女は目を閉じた。全てを諦めて、来るべき衝撃に備えた。
 ドンッ! と鈍い音が響く。しかし、痛みは感じなかった。
 気が付くと、目前に迫っていた車の姿はどこにも見えず、少女は道の真ん中でヘタリと座り込んだ。
 すぐ側に、ルルが倒れていた。

「どうして?」

 そっと手を伸ばすと、何か温かいものに触れた。ヌルっとする黒い液体、その正体に少女は気が付いて……。

「いや……。いやあぁぁ――――!!」

 夢なら覚めて欲しい。そう願うかのように、悪夢を振り払うかのように、少女は声の限りに絶叫した。



新-644
最終更新:2011年12月23日 00:05