「まったく~。連休だっていうのに、テレビが壊れちゃうなんてさぁ。」
口をとがらせるラブを、あゆみが呆れた顔でたしなめる。
「ラブったら。折角せっちゃんが帰って来てるっていうのに、テレビ見てるヒマなんか無いでしょう?」
「それはそうだけど・・・せつなに見せたい番組だって、あったのに。」
まだブツブツ文句を言うラブに、せつなはクスリと笑う。
「気持ちは嬉しいけど、私はテレビを見るより、みんなと沢山おしゃべりがしたいわ。」
「そら見なさい。」
得意満面、といったあゆみの声に、せつなも圭太郎も、そしてむくれていたラブも、一緒になって笑った。
こちらの世界のゴールデンウィークに合わせて、せつなは桃園家に帰省している。
ラビリンスに戻って、一年と数カ月。最初の頃は、全くと言っていいほど帰ることはなかったけれど、最近のせつなは、休みの日にはなるべく、ここ四つ葉町の桃園家で過ごすことにしていた。
修理のために、テレビを電器屋さんに持って行ってもらったせいで、何だかリビングが少し広く見える。せっかくだからと、普段は入れないテレビ台の後ろ側に回ってモップを掛けていたせつなは、ふと部屋の隅の柱に目をやって、あれ?と思った。
「お母さん。この柱、ずいぶん傷が付いているのね。」
今までこの角度から見たことがなかったので、気付かなかったのだろう。四角い柱の、こちらを向いている面の右端に、真横に走る何本もの傷が見える。目盛りのよう、と言ったら不均等だけど、下の方から一本ずつ、間隔をあけて付いている。刃物で付けられたものらしいが、もう古いものらしく、傷の表面は、少し黒ずんでいた。
「ああ、これね。」
あゆみがせつなの見ているものに気付いて、懐かしそうに頬を緩める。
「昔はこの柱、お父さん・・・ラブとせっちゃんにとってはおじいちゃんの、仕事部屋の柱でね。子供の日には、毎年この柱で、背くらべをしたの。」
「・・・せいくらべ?」
聞き慣れない単語に小首を傾げるせつなに、あゆみは微笑みながら頷いてみせた。
「そう。子供の日の歌に、そういう歌詞があってね。私は一人っ子だから、正確には、誰かと背を比べたわけじゃないんだけど。」
そう言って、あゆみは柱に背中を付けて立つと、頭の上に、ペタンと掌を置いてみせた。
「こうやって、毎年、柱に身長を刻んでいくの。去年からどれだけ背が伸びたか、まぁ一種の成長記録よね。おじいちゃんの、毎年の楽しみだったわ。」
「へぇ。」
せつなは柱に顔を近づけて、その傷の一本一本をつぶさに眺める。こんなに背が小さな頃があったのか、と思うほど低い位置にも、傷はあった。
“おじいちゃん”――源吉の顔を、せつなは思い出す。
そう、あれは一年半くらい前のこと。ひょんなことから過去の世界に飛ばされてしまったせつなは、わずか一日足らずだったが、彼の仕事場で、一緒のときを過ごしたのだ。
あのときの源吉の、優しい眼差しと穏やかな声を思い起こしながら、せつなは真っ直ぐで滑らかな切り口を、そっと指でなぞった。
「そう言えば、あたしもおじいちゃんに測ってもらったことあったよねぇ・・・あ!確かこっち側のが、あたしのじゃなかったっけ。」
せつなの後ろから顔を覗かせたラブがそう言って、今せつなが触れているのと反対側に付いている傷を指差した。
柱の右端には、せつなやラブの背丈くらいのところまで、十本以上の傷があるのだが、同じ面の左端には、下の方に四本だけ、傷が付けられている。
「そうそう。こっちの一番上のが、ラブが四歳のときの背丈ね。」
あゆみが懐かしそうな目をして、丁度せつなの腰辺りの高さに付けられた傷をなでた。
「ラブも一人っ子だったけど、ラブは、子供の頃の私と背くらべしてたのよね。同じ歳の私の背丈の傷を見て、あたしの方が高い!なぁんて、大喜びしてたわ。」
小さなラブの得意げな顔が容易に想像できて、せつなはフフッと笑う。当のラブは、そうだっけ~、と頭を掻いてから、笑顔でせつなに向き直った。
「ねぇ、せつな。今年の子供の日には、あたしたち二人で背くらべしようよ!」
「え?いいけど、たぶん引き分けじゃないかしら。」
「測ってみなくちゃわからないじゃん。ねぇ、いいでしょ?お母さん。」
「はいはい。きっとおじいちゃんも、ニコニコ笑って見ててくれるわね。」
あゆみはそう言って、自分も嬉しそうに、ニコリと笑った。
☆
数日後にやってきた子供の日には、家族みんなで、ちまきを作った。
柱の傷を見つけた日に、背くらべの話から、あゆみの子供の頃の話になった。そして、子供の日には、源吉が毎年ちまきを食べるのを楽しみにしていたと聞いて、せつなが作ってみたいと言い出したのだ。
竹の葉を三角に折り曲げてジョウゴのような形にしたら、中にもち米と具を入れて、それに葉の残りの部分をかぶせて巻いていくのだが・・・。
「う~ん・・・出来た・・・かな?」
「ラブったら、詰め過ぎよ。それじゃご飯がこぼれちゃうじゃない。」
まん丸に膨れ上がったラブの竹の葉を見て、せつなが苦笑する。
「たはは~、難しいよぉ。」
「せっちゃんは上手ね。あとはタコ糸で結べば、出来上がりよ。」
「フフ。料理のことでラブに勝てるなんて、初めてね。」
「もぉ~、せつなぁ!」
意外にも器用だったのが、圭太郎だった。美しい三角形を作るのにこだわりながら、せっせと包み上げていく。結局、ラブは最後まで四苦八苦していたけれど、四人がかりで包んだので、全てのもち米と具がなくなるのにそう時間はかからなかった。あとはセイロで蒸せば、ちまきの完成だ。
「蒸してる間に、ラブとせっちゃんは背くらべをしたらどうだい?」
圭太郎がそう言いながら、青いエプロンを外す。
「そうね。歌では“ちまき食べ食べ”って歌ってるけど、食べながらより、今の方がいいわよね。」
セイロの加減を見ながら、あゆみが微笑んだ。
「そうしようか、せつな。じゃあお父さん、測って~。」
「よぉし、ちょっと待ってるんだぞ。」
そう言って、一旦自分の部屋に戻った圭太郎が持って来たものを見て、せつなは思わず息をのんだ。
竹製の大きな物差しと一緒に、圭太郎の手に握られていたもの。それは、いかにも使い込まれた様子の小刀だった。同じものだと言う自信は無いけれど、せつなが過去の世界で、源吉の手伝いをしたときに使った小刀と、同じ形のものだ。
せつなの視線に気付いた圭太郎が、小刀の鞘を取ってみせる。
「ずいぶん年代物だろう?これ、お義父さんが使っていたものなんだ。形見に、僕が貰ってね。やっぱり背くらべのときは、これを使わなくっちゃあ。」
圭太郎はそう言って、ラブとせつなを柱の前に連れていく。
まずはラブが柱を背にして立つと、圭太郎は物差しを頭の上に当てて位置を決めてから、ラブをどかせて、その位置に小刀で傷を付けた。
「お義父さん。ラブは四歳のときと比べて、こ~んなに大きくなりましたよ。」
「お父さんってば。そんなちっちゃい頃と比べたら、当り前でしょ~。」
口では憎まれ口を叩きながら、ラブは少し恥ずかしそうな、そして何だか嬉しそうな目をしている。
「あはは、そうだな~。じゃあ、次はせっちゃんだよ。」
柱に背中を付けて、真っ直ぐ前を向いて立つ。同じようにして身長を測ったことはあるけれど、家族の前で、こんな風に真面目な顔で直立するのは、何だか少し恥ずかしい。
「・・・はい、いいぞ。お義父さん、せっちゃんも、この二年で大きくなりましたよ。これからも、見ていて下さいね。」
柱の一面の、右端にある古い傷と、左端にある新しい傷。そして真ん中に、それらと並んでもうひとつ、圭太郎が新しい傷を丁寧に刻むのを、せつなは胸を熱くしながら、じっと見つめる。
――悩んで、苦しんで、それでも前へ進もうとあがくのが、まっとうに生きてくってことだ。
あのときの源吉の声が、聞こえたような気がした。
私も少しは、前へ進めているんだろうか。いつだって今のことに精一杯なのはあの頃と同じで、振り返る余裕なんて、とても無い。
でも、こうやって私を見守ってくれる人たちがいる。ラブやお母さんの小さい頃と同じように、今の私をここに刻むことで、その先を見つめてくれる家族がいる。
そして、その家族の後ろに、源吉のあたたかな眼差しが、せつなには確かに感じられた。
「う~ん、やっぱり引き分けかなぁ。いや、ほんの少~し、あたしの方が・・・」
「何言ってるの。引き分けよ。」
キッパリと言い放つせつなに、ラブが、え~っ、と声を上げたとき、
「みんな~、ちまきが蒸し上がったわよ~。」
あゆみの声と一緒に、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「はーい。」
せつなはラブと声を揃えて返事をすると、湯気の立つ台所へと、いそいそと足を向けた。
~終~
最終更新:2012年05月06日 22:36