新2-378

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 12月23日 ――― その日、蒼乃美希と山吹祈里の夕食がおでんになったのには、以下の経緯がある。

 前日の12月22日。クリスマスの足音が間近に迫り、街の様子も浮き立つ頃。
 いつものようにカオルちゃんのドーナツカフェへ寄って、ラブやせつなと一緒に会話に華を咲かせてからの帰り道。彼女たちが連れ添って家へ向かう姿を見送り、祈里と二人だけになった時に、ある言葉が美希の口からこぼれた。

「アタシね、海外留学しようかって考えてる」

 この日は比較的穏やかだと思えていた寒さが、強く吹き出した風と共に、急に冬らしさを取り戻した。


 隣に並んで歩いていた祈里の足が数秒ほど止まった。
 美希の背中が先へ進むのを見て、慌てて追いかける。しかし、少し早足で歩き始めた祈里に合わせて、美希も軽やかに歩調を速めてしまう。まるで祈里を優しくからかっているみたいに。
 追いつけない、けれど、決して遠くならない背中。
 モデルの仕事で経験を積んでいる美希は、ただ歩いているだけの姿でさえ洗練されており、それは自然と祈里の瞳を惹き付けた。特に美希の首をゆったり包む明るい青色のマフラーは、冷たく澄み渡った冬空の蒼さを連想させて、とても綺麗に見えた。

 祈里の視線を感じたのか、「ん?」と美希が肩越しに振り返る。
 そういえばブッキーはマフラーしてないなぁ・・・という、そんな軽い気持ちをいだくと共に、上品に歩みをとめ、身体ごと振り向いた。

「はい、今日のブッキーには青が似合う気分♪」

 クスクス笑いながらマフラーを外し、ふわっ、と祈里の首に巻きつける。
 冬の空の色なのに・・・・・・そのマフラーの内側には、蒼乃美希のぬくもりが広がっていて、暖かかった。あと、いい匂いも。


「あっ、駄目だよ、美希ちゃんっ。これだと美希ちゃんが・・・・・・っ」
「いーのいーの。アタシはたいして寒くないから」

 マフラーを返そうとする祈里の手をやんわりと押さえ、おしゃれな巻き方で彼女の首を飾ってやる。直後、「っくしゅん…」と小さなくしゃみ。

「やっぱり寒いじゃない、美希ちゃん」
「だいじょうぶ、これはちょっと油断しただけ。ほら、早く帰ろ」

 祈里が心配そうな表情をこぼしたので、美希があえて元気よく笑ってみせた。またくしゃみをしてしまう前に帰らねばと思いつつ、祈里をうながして歩き出した。

「美希ちゃん、見て」
「んっ?」

 祈里の眼差しを追って、美希もそちらに顔を向けた。 
 道路を挟んだ向こう側の通りに停められたリヤカー式の屋台。そこから流れてくるのは、日本人の心に温かく染み込んでくるようなおでんの匂い。美希も祈里も、体に当たる風の冷たさが和らいだ気がした。
 クリスマスシーズンに合わせているらしく、店主は真っ赤な防寒着の上下に、同色のナイトキャップ。顔の下半分に豊かな白ヒゲをたくわえているが、おそらくこれは付け髭だろう。

 おでんの屋台とサンタクロース。
 和洋折衷という言葉があるが、これはギャップがありすぎる感じがしないでもない。
 美希が祈里の耳もとに顔を寄せ、笑いを含んだ小声で話しかける。

「どうせなら、トナカイに屋台を引かせる所までいってほしかったよね」
「それいいっ。そういうおでん屋さんなら、わたし、毎日通いたい」

 美希の言った光景を脳裏に描いて、祈里が楽しそうに微笑みを洩らした。
 おでんの屋台を眺めて歩いていた二人は ――― しかし、次の瞬間、絶句する。


「おーい、マスター。そろそろ移動するか?」

 おでんの屋台へと届けられた、良く通る太い声。
 それに続いて美希と祈里の視界に入ってきたのは、茶色の全身タイツと、頭部を飾るヘアバンド式の雄々しい双角、そして鼻にくっつけた大きな赤鼻でトナカイを演出した壮健な体躯。

「おっ、ウエスターさん。もう休憩はいいのかい? じゃあ、また頼むわ」
「あいよ」

 トナカイの格好をしたウエスターが力強く屋台を引き、その後ろをのんびりとサンタクロースがついてゆく。少女たちは何もしゃべることが出来ず、それをただ見つめていた。

 これは違う。 ――― 冷静な表情のまま心の中でツッコんでしまう美希。
 硬直しかけていた祈里が、ハッとなってつぶやいた。

「そういえば、さっきせつなちゃんが言ってたよね。ウエスターさん、用事があって、こっちの世界に来てるって」
「でも、もう用事は終わったみたいなこと言ってなかった?」
「むしろ用事が終わったから、ああいう事をしてるんだと思う」

 ふーん、と美希が納得してうなずく。一瞬あれが用事なのかと思ったが、違うらしい。

「ところでブッキー、毎日通うんだ?」
「え、・・・ええっ!?」
「うそうそ、フフフッ」

 激しく困惑する祈里の反応を楽しんでから、「おでんの匂い、おいしそうだったよね」と笑って歩き出す。祈里も「うんっ」とうなずき、首もとを覆うマフラーにそっと手を当てた。

(あったかい)
 それは、美希が与えてくれた幸せ。
<あったかい>が幸せに繋がるのならば・・・。

「ねえ、美希ちゃん、明日の夕食おでんにしない? ――― わたしたち二人だけで」
「いいよ。じゃあ、せっかくだから、アタシが完璧なおでん作ってあげる」

 この会話以降、彼女たちの口数はめっきり減った。
 しかし、美希の気分の重さも減っていた。
 さっき自分が言おうとして、結局全然話せなかった海外留学の件は、祈里が明日の夕食に持ち越してくれた。

「ありがと、ブッキー」
「・・・マフラー、明日返すね。美希ちゃん」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 昨日、祈里と別れてから書店にダッシュ。おでんに関する本を探しては読みふけり、おいしくするためのコツを脳内にメモ。そのあとは忙しく店を回って、おでんのタネを厳選し、夜からダシ作りと下ごしらえに入った。
 おでん単体では寂しいので、今日の午前中に書店で料理の本を立ち読みして、その他のメニューを選定。ご飯ものや和え物の用意に追われていると、あっというまに夕方になった。

 エプロン姿の美希がキッチンに立ち、祈里到着の時間を計りながら、おでんの仕上げにかかる。湯気を立たせる土鍋の中身をのぞきこんで、

「うん、今日もアタシ、完璧♪」
 と、笑顔になった。きのこご飯も炊き上がっているし、夕食の準備は万端。あとは、美味しそうな匂いをたどって様子を見にきた母親から、おでんを死守するだけだ。

「あら、すっごくおいしそう」
「ママの分は別に用意してあるから、つまみ食いは駄目よ?」
「つまみ食いだなんて、そんなはしたない事しないわよ。ただ、ちょっとだけ味見させてもらえたら・・・」
「駄目」
「でもぉ、何か一つくらいなら・・・ねっ? 美希」
「だーめっ。早くお店に戻って仕事仕事っ」

 蒼乃レミがしなを作って、蜂蜜のような甘い色香を振り撒くが、娘の美希には通用しない。土鍋へ悩ましげな視線を投げかける母があきらめて撤退するまで、武将の威圧感をまとい続ける。

「うー…、次の予約のお客さんがそろそろ来ちゃうから、またあとで美希の気が変わった頃に来るわ」
「その時には、もう食べ終わってるってば」

 店のほうに戻ったレミと入れ替わるように、数分後には祈里が家にやってきた。
 美希は鏡を見て、顔にいかめしさが残っていない事をチェックし、気分を弾ませて玄関まで出迎えにいく。

「こんばんは、美希ちゃん」

 にこやかに挨拶をする祈里の姿に、美希は清らかな雪を連想した。ロング丈の白いコートの裾から覗く両脚が、今日は白いタイツに包まれているからだろうか。
 祈里が持参した手提げの紙袋には、美希に昨日借りた青いマフラーが綺麗に畳まれた状態で収められ、それともう一つ、お礼にと思って買ってきた冬限定のホワイトチョコレートが入っていた。

「くちどけのなめらかさナンバーワンなんだって」
「チョコレートぉ? ・・・あっ、ブッキーがアタシを太らせようと企んでる」
「えーっ、そんなのじゃないよ~っ」

 テーブルに置かれたガスコンロの上に土鍋を乗せ、着火。鍋の底からグツグツと静かに煮える音がのぼってくる。テーブルを挟んで向かいって座る二人が「いただきます」と手を合わせた。

「ほら見てブッキー、この二つの巾着。中身はどっちもお餅。ふふっ、チョコのお返しに両方ともあげる」
「もお、お返しじゃなくて仕返しだよ、それ・・・。しかも逆恨み・・・」
「だいじょうぶ。ブッキーは、ウエストじゃなくてバストに栄養が行く体質みたいだから」

 土鍋から立ち昇る湯気越しに祈里を見つめる瞳には、女としての微かな嫉妬と、少々のいじわるさがにじんでいた。
 祈里がコートの下に着てきた薄手のカシミアのニットセーターだが、しっとりと肌に重なるせいか、上半身の線が柔らかに浮かび上がってしまう。それは発育途中のバストの丸みに関しても然り。

「ええっ、ち・・・ちがうよっ、変なウソ言わないでっ! 美希ちゃんっ!」

 おでんへと伸びかけていた箸を持つ右手が引き戻され、まろやかなカーブで描き出されたふくらみを大慌てで隠した。それを見て明るく笑う美希からプイッと顔をそむけ、怒ったみたいに両目を閉じた。

「わたし、セクハラする人きらい」
「あははっ、ゴメン、謝るから」
「チョコレート二つ買ってくればよかった!」
「あらら、根に持っちゃったか。それよりも、ハイ、ブッキーはあきらめてお餅食べる」

 祈里から小皿を受け取り、それに餅入り巾着を乗せてあげて彼女に返す。

「ううっ、結構大きい。これ一つで何カロリーあるの?」
「気にしない気にしない、もう一個残ってるんだから頑張って、ブッキー♪」

 困りながらも美味しそうに食べ始めた祈里を眺め、美希が懐かしさに浸った。

(たぶん、ああいう顔だったよね)

 ちっちゃい頃、祈里にギュウッとくっつき、強引にほっぺた同士をスリスリした事があった。母親たちが見ている前だったから、祈里は恥ずかしそうに「やめて」と困っていたけれど、彼女の頬のやわらかさが気持ちよくて、結局ずいぶん続けてしまった。

(でも、恥ずかしいだけで ――― 嫌じゃなかったでしょ、ブッキー)

 美希の視線に気付いた祈里が、「どうしたの?」とたずねてきた。

「ちょっとね。昔のかわいいブッキーを思い出してた」
 自分もアツアツのおでんに箸を伸ばしつつ、軽い調子で切り出した。

「それよりも、昨日話しかけた留学の事なんだけど」
 と、大根を小皿に取って、味のたっぷり染み込んだそれを箸で半分に割りながら続ける。

「きっかけはプリキュアかな。アタシ、プリキュアに変身して、みんなと一緒に戦って・・・・・・辛いことや苦しいこともいっぱいあったけど、それ以上にたくさんの大切なモノにめぐり合えた」

 美希が箸の動きを止め、祈里と視線を交わして微笑みあった。
 ラビリンスとの戦いから一年経った今、言葉では語れないほどの大きな絆を彼女たちは共有している。美希・祈里・ラブ・せつな ――― 皆、その絆によって成長という変化を遂げた。

「アタシは、プリキュアのおかげで、みんなと一緒に前に進むことが出来た。けど、まだ終着点じゃない。アタシ、もっと前に進んで・・・・・・変わっていける。だから挑戦したいのっ」

 美希の眼差しが、祈里の瞳を射抜くほど真っ直ぐにぶつけられる。それを受けとめて、祈里が小さくうなずき、次の言葉をうながした。
 美希の胸が、急に重い苦しみを覚えた。緊張によって速まった鼓動のせいだ。それでも視線をそらさずに、はっきりと宣言した。

「アタシは世界でトップのスーパーモデルを目指す。そのために・・・・・・アタシ自身を大きく変えていくために、もっと色んな事と触れ合う必要があるの。今まで自分の知らなかった世界や生き方を体験して、理解して、強く成長していきたい。海外留学は、その第一歩よ」

 ・・・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・。
 言い切った美希がしばらくして、ふう・・・っ、と疲れたような息を吐いた。

「カッコつけすぎちゃったかな?」
「ううん。美希ちゃんはそれぐらいでいいと思う。だって、中途半端な夢で満足しちゃうような美希ちゃんだったら、全然完璧じゃないもん」

 愛くるしい微笑をやわらかに浮かべ、そっと美希の顔から視線をずらす。このまま彼女を見つめていたら、頬がさらに火照ってしまいそうだったから。

「本当に格好良かったよ、美希ちゃん。わたしの胸、なんだかドキドキしてる・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

 美希が半分に割った大根の片割れを、さらに箸で半分に分けた。それを口に運ぼうとして上げた箸を、力なく小皿に戻した。

「ブッキー、そっちに行ってもいい?」
「うん」

 祈里の隣の椅子に腰掛け、彼女のほうへ頭を寄せた。不思議な居心地の良さ。祈里のそばはいつも空気が穏やかで、安心感がある。
 美希の唇が、弱々しく言葉を吐いた。

「・・・アタシは、本当はカッコわるい」

 祈里が何も言わず、手を静かに握ってくれた。『そんな事ない』と否定せず、受け入れてくれる優しい気遣いがうれしかった。
 美希の上半身が、隣の少女に寄りかかる。

「実を言うとね、昨日、ラブやせつなも一緒にいる時に話すつもりでいたの。ちゃんと、そう心に決めてたのに・・・・・・全然…話せなかった」

 とめようとしているのに、勝手に息が震えてくる。祈里の手をぎゅっと握り返して、それを心の支えにしながら続ける。

「アタシの海外留学のせいで、四人みんなで作っている大切な時間が壊れて、それがきっかけでアタシ以外の三人もバラバラになっちゃうんじゃないかって・・・・・・考えるだけで怖くて」

 テグスに通され、綺麗な環のカタチで繋がっているピンク・青・黄色・赤、四つのビーズ。しかし、青いビーズを取り出すためにテグスを切ったせいで、その切れ端から全部のビーズがこぼれ落ち、床に散ってしまう。
 ――― それが美希のイメージ。

「ごめん、ブッキー。今のアタシ、本当にカッコ悪くて、全然完璧じゃない」

 そんな事を泣きそうな声で言う美希が、祈里の手をさらに強く握ってきた。まるで迷子になるのを怖がっている子供が、絶対に母親の手を離すまいとしているかのようで、

「美希ちゃん・・・」
 祈里は、手を繋いでいないほうの腕で、美希の身体をしっかりと抱きしめる。

「だいじょうぶだよ。カッコ悪くて、全然完璧じゃない美希ちゃんは、いつだってわたしがこうやって守ってあげるから」
「ブッキー・・・」

 二人の少女が顔を寄せ合い、頬をくっつける。

「美希ちゃん、わたし憶えてるよ。美希ちゃんのほっぺた、スベスベで気持ちよかった」
「ブッキーのほっぺた、昔と変わってない。やわらかくて気持ちいい」

 今日は母親が見ていないから。
 あの時と違って祈里も恥ずかしがらず、大胆に頬ずりをする。
 反対側の頬と頬も、優しくスリスリとこすり合わせる。
「・・・しあわせ」という一言が祈里の口からこぼれた。そして、「アタシも」と美希が答える。
 繋いでいたほうの手を解いて、お互いの背中に回す。
 再び美希が頬を裏返した時、偶然にも彼女の唇につややかなぬくもりがかすった。頬のやわらかさとは別の感触。驚いた二人があわてて顔を離すけれど ――― 。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 一瞬だけ見つめ合って、まぶたを閉じる。
 二人が唇を近づけ、触れさせた。それはキスというには全然物足りなくて、しかし、それでもさっきの単なる偶然とは全く違う、少女たちの意志によるくちづけ。
 目の前の幼なじみを、どれほど大切に思っているかを伝え合うための行為。 

「ごめんね」
 余韻を残して唇を離した美希が、ガスコンロの火を切るため、いったん祈里との抱擁を解いた。グツグツと地獄の釜みたいに煮立ち始めていた土鍋が静かになると、なんだか急に肩の力が抜けてしまって、同時に恥ずかしさがこみ上げてきた。

(・・・・・・しちゃったなぁ、ブッキーと)

 たはは・・・と、ラブみたいな笑い方をした。
 照れくさくなってしまって、どういう表情で彼女と向き合えばいいのか分からず、ちらり、と祈里の顔を盗み見る。そして、「うわっ」と動揺の声を洩らした。

 ぽろ・・・ぽろ・・・・・・ぽろ・・・ぽろ・・・・・・。
 大きく見開かれた瞳を美しく濡らす涙。目尻からあふれ、珠となって頬へとこぼれる。
 真っ白な表情、とでもいうのだろうか。祈里の感情のブレーカーが一時的に落ちてしまったようだ。しかし、美希の顔を認めた途端、色んな気持ちが一気に噴き出してきて、

「美希・・・ちゃん、わたしっ・・・わたしっ・・・・・・」
 と、恥らうように右手で唇を隠し、涙腺を決壊させて泣き始めた。

 祈里にかけてやる気の利いた言葉が、いくつも美希の心に浮かんだ。だが、この時ばかりは、そのどれもが無粋なだけに思えた。
 泣いている祈里に対して、どんな言葉よりも強く今の気持ちを届けるために ――― 。

 口もとを隠す幼なじみの右手をグイッと押し下げ、再び二人の唇を重ねた。
 隣同士に腰かけた少女たちが、呼吸を忘れてしまうぐらいに熱いキスを交わす。
 どちらの両腕も、自然と互いの背中をきつく抱きしめていた。



最終更新:2013年01月05日 23:18