3-55

…どうして、彼女なんだろう……。


始めは気が付かなかった。いつも視線の先に彼女がいる。
ふと気が付くと彼女の事ばかり考えている。
どうすれば喜んでもらえるか。どうすればもっと笑顔が見られるか。
どうすれば、もっとわたしを見てもらえるのか……。
ずっと、そんな事ばかり考えている自分が少し不思議だった。

だから必死に理由を考えた。
彼女はこちらの世界を何も知らない。すべてを失い独りきりになってしまった彼女。
仲間なんだから、友達なんだから、心配するのは当たり前。
彼女にはわたし達仲間しかいないんだから。もっともっと仲良くならきゃ。
心配して当然よね?


それはとっても納得の行く理由でわたしをホッとさせる。
何もおかしくないよね?気になって当たり前よね?そうに決まってる。


でも、気付いてしまった。
わたしが彼女を見つめている、それを刺すような視線で
射抜かれている事に。


その瞬間、すべてが分かった。



わたしは初めて人を好きになった。
人を好きになるって不思議。自分が恋してる筈なのに、自分で相手を選べないなんて。
気付く筈がない。相手が同い年の女の子だなんて。
気が付かないから、気持ちが止められない。
だから、自覚した時にはもう手遅れ。


恋の神様はとんでもなく意地悪。
突然、初恋に落としておきながら、その相手は絶対に手に入らない人だなんて。
だって見れば分かる。彼女の眼にはたった一人しか映ってない。


彼女は、せつなちゃんは、ラブちゃんしか見ていない。


恋の神様はとんでもなく残酷。
初恋は実らないって言うから、文句を言うのはお門違いかも知れない。
でも自覚した途端に失恋決定なんて、ちょっとあんまりだと思うの。


そして次に感じたのが、ラブちゃんに対する信じられないくらいの苛立ち。
どうして、そんな目でわたしを見るの?もしかして分かってないの?
せつなちゃんはとっくにラブちゃんのものじゃない。
あんなに近くでせつなちゃん見てる癖に!信じられない!


無性に腹が立った。今までラブちゃんに、いいえ、誰に対してでもこんな
苛立ちを覚えた事なんてなかった。
わたしがどんな欲しくても手に入らないモノをとっくに手に入れてる癖に、
その事に気付きもせず、こちらに嫉妬を向けてくる。
ラブちゃんにこんな面があったなんて。ついでにわたしにも。



ほんの少し、意地悪したくなったの。
ラブちゃんの視線に気付かない振りをする。
わざとせつなちゃんの体に触れ、二人で出掛ける約束を取り付ける。
ラブちゃんには解らない様な本の話をする。
こちらの事を勉強したいって言うせつなちゃんに、色々本を薦めたのはわたし。
元々すごく頭が良いんだろうな。砂が水を吸い込むようにって
こう言う事なんだと思った。
せつなちゃんは勉強熱心で、好奇心旺盛で、今ではわたしの方が
教えて貰う事もあるくらい。


せつなちゃんは馴れ馴れしいくらい親しげなわたしの態度にも、
嬉しそうに可愛い笑顔を向けてくれる。
ふざけて抱き付いたりしても、「なあに、ブッキー?」なんて警戒心の欠片もない。
わたしはその夜、せつなちゃんの甘い香りと感触に一晩中眠れなかったくらいなのに。


せつなちゃんの笑顔に触れる度、どんどん心が削られて行く。
見る度に幸せになれた筈の笑顔が、どんどん苦い痛みを打ち込んでくる。
だって、それは友達だから見せる笑顔。それ以上でも、それ以下でもない。


でも、もし彼女がわたしの気持ちを、いいえ、わたしの中に渦巻く欲望を知れば……
それすらも得られなくなる。


このままじゃ何もかも失ってしまう。大好きな人も、親友も、自分の心さえも。
恋心を隠して友達として側にいる。それが一番だと思ってた。
手に入らない。諦められない。でも失いたくない。
こんなに苦しいなんて知らなかったから。
そしてせつなちゃんを想うのと同じくらい、ラブちゃんの気持ちが痛い。
だって分かるから。ラブちゃんがどんな気持ちでいるか。

いつも元気いっぱいで天真爛漫なラブちゃん。引っ込み思案なわたしには
ラブちゃんは憧れだった。
太陽の様な笑顔はいつも眩しくて、どんな時でも周りを明るく照らしてくれる。
ラブちゃんが大丈夫って言えば、どんな事でも大丈夫。
ラブちゃんが頑張ろうって言えば、辛くても踏ん張れる。
ラブちゃんはいつも自分の事は後回し。人の為に笑って泣いて。
周りの人の笑顔が自分の幸せ。
そのラブちゃんが、初めて身勝手なまでの独占欲を見せて執着している。


『あたしのなんだから!』『誰にも渡さないから!』

その瞳が、そう叫んでる。
物心つく前から一緒にいたんだから、分かる。
あんなふうに、ラブちゃんが我が儘とも言える欲望を剥き出しにするなんて、
もうこの先ないんじゃないかな。
一生に一度の我が儘を、血を吐くような思いで叫んでる。

『お願いブッキー、…諦めて。』


少し前まではいくらでも涙が出た。
せつなちゃんとの何気ないやり取りが嬉しくて。
叶わない想いが辛くて。
ラブちゃんの視線が痛くて。
親友にそんな思いをさせている事が恐くて。
自分のどろどろした心が穢い物に思えて。
でも、今は何を思っても涙は出ない。
どんなに胸が締め付けられても、心が悲鳴をあげても、
出てくるのは焼け付くような溜め息ばかり。



わたしは、決めた。壊れてしまうのを恐れて自分を磨り減らすより……

自分で、いえ、せつなちゃんに終わらせてもらおう。
せつなちゃんがラブちゃんを裏切る事は、あり得ない。
だから、告白して、叶う筈のない頼み事をして、
……思い切り、振ってもらえばいい。


せつなちゃんは、ショック受けちゃうかな。泣いちゃうかな。
でも、いいよね?せつなちゃんにはラブちゃんがいるから。
きっとラブちゃんが慰めてくれる。


「せつなちゃんが、好きなの……友達としてじゃなく……。」



そう言った瞬間、今すぐ世界が崩壊しても構わない。本気でそう思ってしまった。
魂が抜けて行くのが見えるみたい。それくらい全身の気力を振り絞った。
言わなきゃ良かった。でも言わないと、わたしがどうにかなっちゃいそうで。
いやいや、もうとっくにどうにかなってるのかも。


でないと、できるはずがない。女の子同士で、しかも親友の恋人に告白なんて……。


せつなちゃんは新しいプリキュアの仲間。新しいクローバーのメンバー。
そして親友の、…ラブちゃんの大事な大事な人。


散々悩んで、決死の覚悟で臨んだのに、言葉が口から離れた瞬間から
後悔で身が縮み上がる。

せつなちゃんの顔が見られない。その顔にどんな表情が浮かんでいるのか、
恐くて 確認出来ない。

暫くたっても何も言わないせつなちゃんに、恐る恐る、顔を上げる。
その時彼女の顔に浮かんでいたのは、驚きでも、軽蔑でも、嫌悪でも、哀しみでもなく…
わたしが怖れていた、どんな否定的な表情でもなかった。

ただただ、恐ろしいほどに真剣な、真摯な顔。こちらが怯みそうなほどに。


「それで、ブッキー。あなたはどうしたいの?」
その言葉には揶揄するような響きも、こちらへの侮蔑も感じられない。
ひたすら誠実に、相手の気持ちに向き合おうとする真っ直ぐな視線。

「私は、あなたの気持ちには応えられない。…それは、わかってるんでしょう?」


せつなちゃんの視線に射竦められる。
もっと動揺されると思ってた。驚いて、おろおろして、
もしかしたら泣いてしまうんじゃないかって。
けど、目の前にいるせつなちゃんには、そんな弱さは微塵も感じられない。
どんなものからも絶対に逃げ出さない、毅然とした姿がそこにあった。


「ラブちゃんが……好きなのよね…。」
そう言うと、せつなちゃんの眼がふっと柔らかくなった。
「分かってるの……わたしなんか入り込む隙間はないって…、でもね、でも…」

「ありがとう。」
「…!?」
「ありがとう。私を好きって言ってくれて。」

穏やかに、微笑みさえ浮かべて彼女は言う。

「ブッキーが、好きになってくれて……私は嬉しいわ。」
「……せつなちゃん…。」
多分、わたしは呆然としてたんだと思う。だってあまりにも予想外な言葉だったから。
悲しい顔で拒否される。ブッキーは大切な友達だと諭される。
このどちらかしかないと思ってた。
間違っても、『ありがとう』や『嬉しい』なんてどんな形でも言われるなんて
想像の埒外だ。


「…せつなちゃん、ワケ、分かんないよ。…わたし、振られたんだよね…?」
「そう…かしら。正直な気持ちなんだけど…。ブッキーは大切な人だから。」
「友達として…でしょ?」
「……うーん。ちょっと、ちがうかな。」
じゃあ、何なの?私の戸惑いが伝わったのか、せつなちゃんもちょっと
考え込むような顔をする。

「……水……かな……。」
「…水……?」

そう、と彼女は頷く。
水がなければ人は生きていけないでしょ?
いくら太陽が照らしても水がなければどんな生き物も死んでしまう。
だから、あなたは私にとっては水なの。

そう言ってわたしを見つめるせつなちゃん。正直よくわからない。
はぐらかされてるような気もしなくはない。
でも彼女は大真面目な顔で。
その顔を見てたら何だか少し可笑しくなってきた。
まさかこの場面で笑える自分がいるとは思いもしなくて…。


「じゃあ、わたしがいないとせつなちゃんは死んじゃうの?」
「死んじゃうかも知れないわね。」
「わたしが水ならラブちゃんは太陽?」

そう聞くとせつなちゃんは嬉しそうに、にっこり笑う。
その笑顔があんまり可愛くて、ちょっぴり意地悪な質問をしてみる。
「じゃあ、太陽が無くなったら?」
水がなければ死んでしまう。それなら太陽が無くなればどうなるの?


「…あのね、世界が滅ぶの。」


相変わらず大真面目にせつなちゃんは答える。
死んでしまうのと、世界が滅ぶの、どう違うのか。
同じように思う。でも全然違う気もする。
分かるのは、せつなちゃんにとっては全然別物だって言う事。


「その時は…せつなちゃん、どうするの?」
「どうもしないわよ。世界が滅ぶんだもの。それで、おしまい。」

さらっと言ってるけど、内容はとんでもないよ。せつなちゃん。
でも、何となくわかった。せつなちゃんのすべてはラブちゃんがいることで始まってる。
だから太陽が無くなり、世界が滅んでしまえば、死すら意味がなくなる。
辛い事も悲しい事も、恐怖さえもどうでもいいこと。
でも、言ってる事はのめり込み過ぎで怖くなるくらいの筈なのに、
思わず口に出てしまった言葉は…


「……いいなぁ、ラブちゃん。」

そう思ってしまった。羨ましいって。
こんなにも誰かに想われるってどんな気持ちなんだろう?


「そう?ちょっと気持ち悪くない?入れ込み過ぎでしょ?」
「…それ、ものすごいノロケてるよ。せつなちゃん。」

ラブは大変だと思うわよ、なんて相変わらずせつなちゃんは真面目顔のままで
うんうんと頷いている。


「そっかあ…」

そっか、そうなんだよね。始めから分かってたのに。
わたしが好きになったのは、ラブちゃんが大好きなせつなちゃん。
もし、ラブちゃんではなくわたしを選ぶようなら…それはわたしが好きになったせつなちゃんじゃないのかも知れない。


(でも、水だって相当大事よね。なんせ、無いと絶対に死んじゃうんだし。)
例えそれが、太陽があってこそのものだったとしても。
わたしは彼女の世界になくてはならないものなんだもの。


「私ね、欲張りになることにしたの。大事なものは一つもなくしたくない。
だから……だから、ブッキーにも側にいて欲しい。ずっと…今までみたいに。」
「…わたしが、側にいるのが辛いって言っても?」
「そう!」
「わたしが泣いても?」
「そう!」
「勝手ね。せつなちゃん。」
「何とでも言って!」


せつなちゃんは少し怒ったような顔をして……、あぁ、分かっちゃった。
ずっと泣きたいの堪えてるんだ。


わたしは俯いて肩を震わせてしまった。どうしよう、堪えられないかも…
あぁっ、せつなちゃんが泣きそう!まずい!


…ぷっ…クスクス!

良かった、笑えた!せつなちゃん、ほっとしてる。


「…もうっ、ブッキーったら…。」
「クスクス…っごめん、だってせつなちゃん、何だかラブちゃんに似てきたんだもの。」


せつなちゃんは小さな子供みたいにほっぺを膨らませて赤くなってる。
可愛いなぁ、もう。やっぱり大好き。
だからもう、いいや…。


「うん、いいよ。」
「……??」
「側にいてあげる。」
「……ホントに…?」
「うん、わたし達は親友。そうよね。」
「……いいの?」
「ダメって言ったら諦めるの?」
「絶対にイヤ!」


そこは即答なのね。あらら、何だかせつなちゃんふにゃふにゃになってる。
実は物凄く力入ってたんだろうな。わたしもだけど。
言っちゃおうかな。でも言ったら、またせつなちゃん困っちゃうかな。
でも、これだけは最初から決めてたんだし…。


「あのね、それでね…一つだけ、お願い聞いてくれないかな。」
最後にこれだけ。これでこの恋は絶対におしまいにするから。お願い。
ずっとずっと、してみたかった事なの。絶対にせつなちゃんでなきゃ、嫌なの。だから、お願いします。


「キス……したいな。」


言っちゃった……。
ああ、また顔上げられなくなってきた。なんでこんなにうじうじしてるんだろう。
もっと潔くなりたいのに。

「…わかったわ。」
「?!!!」
「私から、させてくれる?」


俯いたわたしの顔をせつなちゃんがそっと両手で挟む。
小さな手。細い指。
せつなちゃんの気配が近づいてくる。
わたしは目を閉じてゆっくり顔を上げる。
ふわり…と、前髪がはらわれ、額に柔らかい感触。
違う…、思わず目を開け、そう言おうとする…


すぐ目の前にせつなちゃんの顔。ドキッとした。なんて綺麗なんだろう。
わたしの好きな人は、本当に本当に綺麗な人。

黙って…そう言うように、せつなちゃんは微笑んで唇に人差し指を立てる。
もう一度、額に。次に閉じた瞼に。頬に。
触れた場所からせつなちゃんがふわふわ染み込んでくる。
渇いた胸の奥から温もりが泉のように溢れ、指先まで潤していく。
そして、最後に唇の両端に口付けたのち、唇同士が重なるように押し付けられる。
更にゆっくり、角度を変えて何度も重なって…唇が離れて行く。
全身でせつなちゃんの息遣いを感じる。
思わず、ほぅ…と息が漏れる。


その時、僅かに開いたわたしの唇にもう一度強く唇が押し当てられ、
唇よりも更に柔らかく熱いものが滑り込んでくる。
それはわたしの口の中を戯れるようになぞり、ほんの一瞬、舌先を絡め取っていった。


甘美、と言うのはこういう感覚なのだろう。
痺れるように甘く、震えるくらいに切ない感触。


「さようなら、祈里。」


吐息のような彼女の声が耳朶をくすぐり、全身を包んでいた柔らかな気配が
遠ざかっていく。


(ありがとう。)そう言おうと思ってたのに。
声が出ない。体が動かない。呼吸すら忘れてしまったかのよう。
少しでも長く、彼女のすべてを刻み付けておきたくて。

いつしか、全身を満たしていた潤いが瞼から零れ、頬を濡らしている。
もう、一生泣く事なんかないんじゃないかと思ってたのに。


どれくらい経ったのだろう。
漸く息をつき、目を開けるともうそこにせつなちゃんの姿はなかった。
夢だったの…?そんな気さえするくらい体も頭もクラクラしてる。
視線の先に、トレイに乗ったままの汗をかいたグラスが二つ。
確かに彼女はここにいた。

大きく深呼吸して…
「悪く…ないと…思うのよね。」
声に出してそう呟いてみる。
初恋の終わり方としては、悪くないんじゃないかって気がするの。
好きで好きで、どうにかなってしまうんじゃないかって思うくらい
好きな人に決死の覚悟で告白して。振られて。
でも最後に大好きな人は震えるくらい甘い、恋人同士のキスをくれた。


初恋は実らないって言う。でも、そうじゃなかった。
わたしの初恋は実らなかったんじゃない。ただ終わっただけ。
だって、あの瞬間だけ、あの人は確かにわたしの恋人になってくれたんだから。

恋の神様はそんなに残酷じゃない。
こんな初恋をくれたんだから。それに……
わたしはきっとまた、誰かを好きになれる。今度は、わたしだけを見てくれる人を。
ラブちゃんとせつなちゃんみたいに、お互いでなきゃダメって人に。


わたしは大丈夫。
明日から、また笑顔になれるはず。
それに、わたしは、きっともっと素敵な恋に巡り会える。
そう、わたし信じてる。



3-126はおまけだよ。読んでみてね
最終更新:2009年12月27日 11:56