(……頭…痛い……。)
頭の奥がズキンズキンと疼く。体も鉛のように重く、動かない。
重い瞼を必死の思いで開く。何も見えない。どして?
部屋が暗いのだ、と分かるまで少し時間が掛かった。
目が慣れてくると、見馴れぬ天井と電器。
(…ここは……どこ?)
霞みの掛かった頭で何とか記憶を手繰る。
(あぁ…そうか、私、ブッキーの家に来て…)
部屋に上がり、お喋りして、おやつをご馳走になった。でも、その後の記憶がない。
(なんで、こんなに頭が痛いの…?)
ズキンズキンと音を立てて、不快な痛みが神経を逆撫でする。
起き上がろうと頭を動かすと軽く吐き気がする。
不意に、さっきまで見ていた夢が脳裏によみがえった。
ラブの手と唇が体を這い回る。でも、その感触はいつもと少し違った。
遠慮がちで少し躊躇うような、拙い愛撫。初めて、触れ合う時のような…。
「気がついた?」
ぼんやりとしたせつなの思考は祈里の声によって破られた。
「よく眠ってたね、もう夜よ。」
少し離れた場所で祈里は椅子に腰掛け、微笑みを浮かべている。
「おうちには電話しておいたから。せつなちゃん、具合悪くなっちゃったんで
少し休ませて今夜はうちに泊めますって。」
私、具合悪くなっちゃったの?だから、寝かされてるの?
よく…、覚えてない。でも大丈夫。少し頭が痛いけど、ちゃんと帰れるから…。
急に泊まるなんて迷惑だし。
せつなはまだ働きの鈍い頭で考える。
それに、祈里がすぐ側にいるのにラブとの情事を夢で見てたなんて…。
頭の中を覗かれた訳でもないのに無性に恥ずかしく、そしてなぜか、祈里に対して後ろめたかった。
「電話、ラブちゃんが出てね。迎えに来るって聞かないの。
もう遅いし眠ってるからって言ったら渋々諦めたみたいだけど。」
クスクスと祈里は楽し気に笑っている。
せつなは重い体を何とか引き起こす。
ごめんなさい、迷惑掛けて。大丈夫、帰れるから…。
(………えっ……?)
せつなは自分の体に違和感を覚えた。
シャツのボタンが全部外されてる。それに……
上も、下も、下着を付けていなかった。
(な…に…これ…。)
身動ぎすると胸の先端がシャツに擦れ、思わずゾクリと身が粟立つ。
体が敏感になってる。それに、腿の間のぬるく滑った感覚。
それは、せつなには何度も覚えのある馴染んだ……事後の感覚だった。
さっきの夢。どこか不器用で、不馴れな感触。
遠慮がちに肌を這い、少しもどかしいような拙い愛撫。
クラクラと目眩がする。暗い部屋。痛む頭。体に生々しく残る情事の感触。
そして、部屋にいるのは二人だけ。
何があったのかなんて考えるまでもないはずなのに、目の前にいる祈里と
その行為がどうしても結び付かない。
(……嘘よね。…何かの間違い……)
その考えは虚しくせつなの中を滑り落ちていく。
助けを求めるように、祈里に視線ですがり付こうとする。
祈里はそんなせつなの様子を相変わらす楽し気な、悪戯っぽくさえ見える
微笑みで眺めている。
「せつなちゃんって、すごく可愛い声も出せるのね。いつも大人っぽいから
ちょっと意外。びっくりしちゃった。」
クスクスとからかうように祈里が笑う。それに……
「それに、ラブちゃん一筋かと思ってたけど、案外そうでもないのね。
心と体は別?気持ち良くなれれば結構誰でもいいんじゃないの?」
(何を……言ってるの…?)いつもと変わらぬ優しく甘い笑顔の祈里。けど、その口から出る言葉は…
中身が別人とそっくり入れ代わってしまったのではないのか。
私は、こんな祈里は知らない。
「……ど…して…?」
祈里は立ち上がり、せつなに近づく。
せつなは反射的に逃げようと後ずさる。しかし狭いベッドの上では
すぐ後ろに壁があるだけだった。
キシッと音を立て、祈里がベッドに身を乗り出す。
せつなは壁に背を預けたまま逃げられない。
「だってせつなちゃん、全然気付いてくれないんだもの。」
拗ねた子供のような口調。
「わたし、ずっと見てたのに。せつなちゃんったらラブちゃんに
夢中で他の人なんかまったく眼中になかったでしょ?」
わたしだってせつなちゃんが大好きなのに。息がかかるほどに顔を寄せ、祈里が
囁く。
「安心してね。ラブちゃんには言わないから。
せつなちゃんがラブちゃんを裏切った…なんて、ね?」
心臓が凍り付いた気がした。全身から血の気が引くのが分かる。
せつなの顔色が変わるのを祈里はいかにも楽しいそうに眺める。
壁に縫い付けられたように、体を強張らせているせつなの頬に指を這わせる。
クスクスと笑い声すら立てながら祈里はなおも言い募る。
「せつなちゃん、わたしの手でイッちゃったんだよ。気持ち良さそうに、
可愛い声上げてしがみついてきたの。」
(…やめて、……どして…?)
せつなは壊れた人形のように弱々しく首を振る。いつの間にか
目尻から涙が溢れてくる。
「あぁ、泣かないで。ね。せつなちゃんを困らせたいわけじゃないの。」
ラブちゃんには言わない。もう一度繰り返し祈里は言う。
ラブちゃんと別れてとか、わたしを愛してなんて言うつもりはないの。
だって無理でしょ?そんなの。せつなちゃんはラブちゃんが大好きなんだもの。
ラブちゃんに嫌われるくらいなら、死んだ方がマシなくらい…ね。
だからね、内緒にしててあげるから、時々わたしともこんなふうにして?お願い?
ラブちゃんとは今まで通り仲良くして。バレないように、分かる?
頭が痛い。体が動かない。ただ祈里の囁きだけがせつなの中を支配する。
(ラブを…裏切った…?)
せつなにとってそれは魔法の言葉。ラブに嫌われる、ラブの側に居られなくなる。
それは、せつなにとって恐怖意外の何物でもない。
祈里はせつなの目尻から雫を吸い取り、そのまま口付ける。
そのキスは涙と暗闇の味がした。
最終更新:2009年12月29日 18:53