(……起きなきゃ…。)
せつなは時計に目をやり、のろのろと身をおこす。
頭が重いのも、体がだるいのも既に当たり前になっている。
疲労と睡眠不足、何より毎日神経を磨り減らし精神的に疲弊しきっていた。
今日も一日、笑顔で過ごさなければいけない。
今のせつなには、それは途方もない苦行に思えた。
あの日以来、祈里から時々来るメール。件名も何もない、『来て』ただそれだけ。
その場で削除する。そして、アカルンで移動する。直接、祈里の部屋へ。
遊びに行くわけじゃない。だから玄関も通らず、お母さんに挨拶もしない。
祈里は相変わらすニコニコと穏やかに微笑んでる。
私は…黙って制服のボタンを外し、下着を脱ぐ。
言われるがままに体を開き、事が済めば、また黙って衣服を整えて部屋を後にする。
(もう嫌、……もう、許して…)
せつなの懇願を祈里は天使のような微笑みで黙殺する。
言葉で、体で、せつなを責め苛む。まるで、せつなを嘲笑うかのように。
『せつなちゃんが悪いんだからね。』
『せつなちゃん、ラブちゃんにもこんなふうにしてるの?』
『ねぇ、教えて。夕べはどんな事したの?』
そして、必ずせつなにこう言わせる。
好きよ…祈里
わたしも、せつなちゃん……そう言って祈里は私を掻き抱く。
祈里は、虚しくないのだろうか。私が好きなのはラブだけなのに。
その言葉を口にする度にラブを裏切っている事を
思い知らされる。
祈里はそれを分かってて、わざと言わせてるんだろうか……。
祈里は私が好きだと言う。
それなのに、なぜ私が苦しくなる事ばかりするんだろう。
そして夜が来る、また、ラブに抱かれる。
この頃ラブは毎晩せつなを求めてくる。それも飽くことなく、何度も。
昨夜も明け方まで眠らせて貰えなかった。
ラブは、何か気付いている。何処までかは分からないけれど。
せつなの体をまさぐりながら、その瞳が時々何かを観察するような光を帯びる。
そう、せつなにラブ以外の痕跡が残っていないかどうか。
愛撫も以前の慈しむような優しさが減った。
まるでせつながどこまで耐えられるか試すように、敏感な部分にわざと
歯や爪を立て、乱暴につねる。
既に達しているせつなの体をお構い無しに休む間もなく弄ぶ。
それでも、せつなはラブを拒めない。
それでも、ラブに触れられるのが嬉しいと感じる。
だって体を重ねていれば、まだ愛されている気がするから。
まだ嫌われていない。まだラブの側にいてもいいんだ、そう思えるから。
「…好き、…ラブ」
眠っているラブに体を擦りよせ、そっと囁く。
今は、ラブの目を見られなくなってしまった。
ラブが好き。ラブだけが好き。そのはずなのに、体は与えられる刺激を無視出来ない。
意志とは関係なく、体は祈里の愛撫に応えてしまう。
指で唇で敏感な部分を責められると、噛み殺す事の出来ない嬌声が漏れる。
ラブじゃないのに……。
自分がとても汚らわしいものに成り下がってしまったような気がする。
ラブだけのものじゃ無くなってしまった。
もう、ラブに愛してもらう資格なんかない。
そう思うのに……。
離れられない。この温もりを失うのが怖い。
そして、ラブがどんな気持ちで自分を抱いているのか…。
ラブは気付いてる。なのに何も言わない。
責めることも、問い質すこともしない。
皆の前では変わらぬ態度。朗らかに笑い掛け、冗談を言う。
そして、二人きりになると黙ってせつなの体を貪る。
せつなには、わからなかった。
ラブの気持ちも。祈里の気持ちも。
(せつなって隠し事出来ないんだな。)
祈里の家で具合が悪くなり、そのまま泊まる事になった翌日。
せつなは傍目にも分かるほど蒼白い生気のない顔で帰ってきた。
お母さん、慌てて着替えさせてベッドに入らせてた。
せつながあんなふうに具合が悪くなるなんて家に来て初めてだったから。
薬は?病院行く?世話をやくお母さんを見て、祈里の家に泊まるって聞いて
何だかモヤモヤしてた自分が恥ずかしくなった。
ちょっと嫌な予感がしてたんだよね。
でも本当に辛そうな顔で横たわってるせつなを見たら、祈里にも申し訳なく思った。
心配して泊めてくれたのに、変なヤキモチ焼いちゃったって。
結局、その時感じた嫌な予感はあたってたんだけど。
その日からせつな、明らかに態度がおかしくなった。
家族皆でいる時や学校で友達とお喋りしてる時のせつなはいつもと変わりなく見える。
でも二人きりになると、あからさまに目も合わせようとしない。
それ以前に極力二人きりにならないようにしてるみたいだ。
そしてそれ以上に、祈里に対する態度が不自然過ぎた。
祈里を見ると表情が固くなる。絶対に隣に座らない。
傍目には普通に話しているようにも見えた。でもそれは祈里が一方的に話し掛け、
せつなが返事をしてるだけだった。
あれでは『祈里と何かありました』と言ってるようなものだ。
その『何か』を考えようとすると、いつも途中で思考が止まる。
だって、どんな道筋を辿っても行き着く場所は一つしかなかったから。
(せつながブッキーと……)
古典的な手段だな…と思いつつ、ラブはせつなのいない隙に携帯に手を伸ばす。
今までは恋人のメールを盗み見る、なんて話は軽蔑してた。
(コソコソせずに話し合えはいいじゃん!)
こっそり覗くなんて相手を信頼してない証拠。そんなだから不安になるんだよ!
実際に友達との恋愛話のなかでそんな事を言ったような気もする。
それが、実際はどうだ。自分を嘲笑いたくなる。
(………ビンゴぉ!ってやつ?)
几帳面なせつならしく、メールはきちんと名前別にフォルダに振り分けられている。
ラブ、美希、他にも学校の友達や家族。どれも他愛ない雑談や連絡事項。
そして、祈里。直接的なメールは何もない。
むしろ、不自然な程に何もないのだ。
メールはあの日を境に今日までぷっつりと途絶えている。
恐らくせつなが帰った直後に送られたであろう、
『昨日はありがとう。またね。』
これも、少しおかしい。せつなは体調を崩してたはずなのに、それを気遣う
様子は微塵も見られない。着信、発信もゼロ。
そして、今日の午後に一件だけ。
『来て』
ただ、それだけ。
ドクン…と心臓が脈打つ。メールの来た時間。せつなはその直後にいなくなってる。
そして、まだ帰らない。
せつなは今、祈里といる。予感ではなく確信。心に冷たい水が染み込んでくる。
祈里がいつもせつなを見てた事は分かってた。憧れるような、熱っぽい視線。
あたしに対しては嫉妬と羨望の混じった視線。
あたしは…祈里に優越感を抱いていたのかもしれない。
(仕方ないじゃない。せつなは、あたしが好きなんだもん。)
せつなは今までに会ったどんな子とも違う。そんなせつなに甘い憧れを
抱くのも仕方ない。
いずれ時間が解決してくれる。だってせつなだって祈里が大好きなんだから。
ただし、友達として。
せつなは今何してるの?今まで、あたしといない時間何してたの?
焦燥感に身が焼かれる。今すぐせつなを問い詰めたい衝動に駆られる。
けど、実際にせつなを目の前にしたら、何も言えないだろう。
せつなが、あたしの目を見られないように。
あたしはせつなに何も言わない。せつなもあたしに何も言わない。
ただ、体を重ねる。焦燥感を忘れようとするかのように。
せつなは何も言わない。拒む事も、抵抗もしない。あたしが何をしても。
時々、せつなは物言いたげな視線をよこす。
でも視線が絡む直前、自分から目をそらす。
たぶん、せつなはあたしからの言葉を待ってる。
『何があったの?』
そう聞けばせつなは話してくれるだろう。せつなは、あたしに嘘はつけない。
組み敷いたせつなの体が熱い。この熱だけが心を引っ掻く焦燥感を忘れさせてくれる。
まだ大丈夫。せつなはあたしを求めてくれてる。
まだ、愛してくれてる。そう思えるから、何度も何度もせつなを求める。
時間が深夜を過ぎても。せつなの体が、とうに限界を迎えてるのが分かってても。
うとうとと微睡みながら、せつながあたしの髪を撫でているのを感じた。
この上なく大切なものに触れてるような、愛しむような優しい指。
こんなふうに、せつなからあたしに触れて来るのは久しぶりのはず。
意識ははっきりしてきたけど、目が開けられない。起きてる事が分かったら、
もう撫でて貰えない気がして。
「…好き、…ラブ…」
吐息のような囁く声。でもはっきりと耳に届いた。
あたしを起こさないようにか、そっと身を寄せぴったりとくっついてくる。
以前と変わらぬ優しい温もり。
(ホントに…?…せつな)
好き、確かに彼女はそう言った。
涙が出そうになる。
(信じても、いいよね……?)
せつなはあたしが好き。あたしだけが好き。
あたしがせつなを好きなのと同じように。
ちゃんと、信じよう。逃げるのはやめよう。信じなきゃ、ダメだ。
(あたしは、覚悟を決めなきゃならない。)
せつなの寝息を感じながら、そう、思った。
最終更新:2009年09月21日 22:23