3-595

この部屋は時間が止まっている。秒針すら動かない気がする。


頭の上で祈里の息遣いが荒くなる。せつなは舌の動きを速める。
祈里が甲高い声を上げ体を跳ねさせると、蜜がせつなの唇の端から溢れ、流れた。


「次は、せつなちゃんの番ね。」
祈里は自分の愛液で汚れたせつなの唇を指で拭うと、そのまま乳房に手を伸ばした。


「…ねえ、好きって言って?」
いつもなら、虚ろな瞳で心の籠らない台詞を繰り返すせつな。
しかし、せつなは祈里の手首を掴み、自分の胸を弄ぶ指を引き剥がした。


「……もう、止めましょう…」


せつなは顔を上げ、祈里の眼を真っ直ぐに見つめた。
あの日以来、せつなはラブの眼も祈里の眼も見られなくなっていた。
ラブに対しては後ろめたくて。祈里に対しては……


見たく、なかったのだ。
親友だと思っていた少女が、自分の体を恣になぶっている。
その顔にどんな表情が浮かんでいるのか。
そんなものは、見たくなかった。



情事の最中の祈里をはっきり見るのは、これが初めてだ。
上気した頬に、熱っぽく潤んだ瞳。でも、その顔は相も変わらず
聖女のように清らかで……
とても同い年の少女に自分の秘所を舌で奉仕させ、達したばかりなどと思えない。

「……ふぅん、ラブちゃんに…」
バレてもいいんだ。そう続けようとすると……


「…ラブに、話すわ。」
祈里は少し目を見開き、探るように問う。


「なんて?祈里に騙されて強姦されました…って? わたしの事、悪者にするんだ。」
あんなに感じて、何度もイッた癖に。そのあとも、ずっとラブちゃんを
裏切り続けた癖に。

祈里の言葉はいつも、一番せつなが言われたくない事を正確に突いてくる。
いつもなら、ここで項を垂れ、また人形のように祈里のおもちゃになるはずだった。


「そんなことは……、言わないわ。」
だってラブが哀しむもの。
恋人に裏切られ、しかもそれは親友が罠にかけたから。
そんな事を知ればラブはどんなにか傷付くだろう。


ラブ……その名前を聞いた途端、柔らかな微笑みを浮かべる祈里の瞳に
すっと氷の膜が張るように醒めた光が宿る。

「じゃあ、なんて?どちらかが無理矢理手を出さないと、
こんな事にはならないでしょ?
誘惑されて、ついフラフラと?」
こんな時までラブの事しか頭にないせつなに祈里は苛立つ。
どうすれば、もっとせつなを追い詰められるのか…


「…じゃあ、わたし、せつなちゃんに誘惑されたって言っちゃおうかな?
ラブちゃん、どっちを信じるかな。幼馴染みで親友のわたしと、
出会ってまだ一年と経ってない、しかも最初はラブちゃんを騙して
近づいたせつなちゃんと。」
それは、せつなだろう。と祈里には分かっている。
せつながどれだけラブを愛しているかは誰が見たって明らかなんだから。
事実なんて、どうでもいい。ただせつなの心を揺さぶる事が出来ればいいのだ。

「……ラブは、気付いてるわ。」
せつなは臆せず祈里を見つめ返す。
……知ってる。祈里もとうに気付いていた。ラブが、サインを送ってきたから。

最初は左乳房の脇にあった。
次は右乳房の下に。そして内腿の付け根、足を広げなければ見えない場所に。
花弁のような、赤い痣。
普段は見えない、けれど、その体を愛でようとするものには、嫌でも目に付く場所に。
『これはあたしのモノ』、所有権を主張する、印。


それは、日を追うごとに増えていった。
祈里がせつなを抱いた、その翌日でも。
せつなが自分に体を開いたその日まで、夜はラブを受け入れている。
その事実は祈里をこれでもかと、打ちのめした。
祈里との情事があった日くらいは、気まずくてラブを寄せ付けられないのではないか。
そう、思ってたから。
だから、せつなをますます言葉でいたぶる。


『せつなちゃん、エッチね。一日に一人じゃ満足出来ないの?』
『淫乱って、せつなちゃんみたいな子の事いうのね。』
『本当は、まだ足りないんじゃないの?欲しいって言ってごらん。』


「ずいぶん自信、あるのね。許してもらえると思ってるの?
言い訳なんて出来ないと思うよ。」
いっそ、心配そうにすら聞こえる声で祈里は言う。
無駄に、傷付くだけよ……。


「……許してもらえなくても、いい。軽蔑されたって……」
せつなの声が震える。
「このまま、嘘を続けるよりは、いいもの。」


泣くのかな?そう思った。
でも涙はせつなの瞼の淵にとどまり、目をそらすことなく見つめている。


「……側にいるって決めたの。」



「どうやって?」
意地悪く、祈里は続ける。
「ラブちゃんが、顔も見たくないって言ったら?出ていって欲しいって。
せつなちゃん、あの家追い出されたら行くとこなんてないのよ?」


「惨めよね、せつなちゃん。泣いてすがるの?『捨てないで』って。
恥ずかしくない?」



「……惨めなんかじゃないわ。」
せつなの瞼から塞き止められなくなった涙が溢れる。

「恥ずかしくなんて、ないもの。祈里は、違うの?」
泣いて、すがって、それで好きな人の側にいられるなら、いくらでもそうする。
他に欲しいモノなんてないのだから。
どう思われたって構わない。
ラブがどう思おうと、好きなのはラブだけだから。



「…祈里のことは、好きよ。でも、ラブより好きになれる人なんていないの。」


祈里の神経がささくれ立つ。好き?馬鹿にしてるの?

「……ここまで来て、取り繕う事ないのに。」
これ以上嫌いになりたくない。せめてそう言えばいいのに。
嫌いなんて言ったら、わたしが傷付くとでも思ってるのかしら?今さら?


「そこまで、いい子ぶらなくてもいいのに。自分が何されてきたか分かってる?」
殺したいほど憎まれても仕方ない。その自覚はあるもの。



「………本当よ。不思議だけど。」
酷い、と何度も思った。
それでも、祈里を憎む気持ちは湧いてこない。
ただ悲しかった。祈里の気持ちが。



「………嘘つき。……わたしのこと、考えたことなんてないくせに。」



「もう……、ここにはこないわ。」
祈里の呟きには答えず、せつなは鈍い動きでボロボロの体を引き摺るように、
のろのろと身支度をする。
いつもの光景。
違うのは、目をそらしているのが、せつなではなく祈里だと言う事。


赤い光に包まれて、せつなの気配が消える。


薄暗い部屋に取り残された祈里に、もう微笑みは浮かんでいなかった。

3-644へ続く
最終更新:2009年12月29日 18:40