4-33

せつなに、会いたい。


あたしは美希の家から全速力で走って帰った。さすがに心臓がバクバク言ってる。
気づけば、もうとっぷり日が暮れて月が顔出している。
お母さんにお小言くらうだろうな。


玄関にせつなのローファーがきちんと揃えて置いてある。
よかった、帰ってるんだ。

「お帰りなさい。ラブ、遅いわよ。」
お母さんがちょっと怖い顔をする。
「ゴメンナサイ。美希たんとお喋りしてたら遅くなっちゃって。」
あまり遅くまでお邪魔しないのよ、と軽くお小言。そんなに怒ってないみたい。それより……


せつなは?そう聞く前にお母さんが口を開く。
「せつなちゃん、また具合悪くて寝てるから静かにね。」
すごい熱なのよ、と、お母さんは心配そうに溜め息をつく。
「まったく、ラブと言いせつなちゃんと言い、どうして倒れるまで無理
するのかしら。」
病院に連れて行こうとしたみたいだが、せつなは寝てれば平気だから、と
頑なに拒んでいるみたいだ。
お母さんの事だ、明日も熱が下がらなければ有無を言わさず引き摺って
連れてかれるだろうけど。


せつなの部屋の前に立つ。ノック一つになんでこんなに勇気がいるんだか。
(あたし、今日こんなんばっか…)


コンコン……。
返事なし。そっとドアを開けて音を立てないように、ベッドに近づく。
せつなは浅い呼吸を繰り返している。寝苦しいのかも知れない。
額に触れると、火のように熱い。それに、何だか痩せた。


昨夜の、抱き締めたせつなの体の熱さを思い出した。
昨日も、その前もきっとずっと熱があったんだ。
考えてみれば、放課後に祈里と会い、夜もあたしがろくに眠らせない。
それにも係わらず、家でも学校でも変わらぬ笑顔で過ごしてたんだから、
ものすごい精神力だ。ストレスだって半端じゃなかっただろうに。


「……ごめんね。」
あたし、せつなが苦しんでるの分かっていながら知らん顔してた。
自分が傷付くのが怖くて、せつなを無視してた。
せつなはあたしが好き。そう信じてたはずなのに。
自分が一番辛いと思ってたよ。


少し汗ばんだ額にかかる髪をはらうと、せつなが軽く呻いて寝返りを打った。


「……ラブ…?」


せつなの瞼がゆっくりと開く。少し、ぼんやりしてダルそう……
「…ごめん、起こしちゃった?」


あれ?………何だろう、この感じ。


(ああ……、そっか。)


せつな、あたしの目を見てる。
弱々しい、力のない目。だけど、真っ直ぐに見つめてくれてる。
せつなの瞳に映った自分を見るのは、どれくらいぶりだったっけ。


「熱、どれくらいあるの?」
「………さっきは、38.8度だった。」
そんなにあるんだ。お母さんが心配するはずだ。
あたしはベッドの横に座り、寝ているせつなに視線の高さを合わせる。


「……ゆっくり、寝てなきゃね。」
せつなの髪を撫で、熱を確かめるように額や頬、首筋に触れる。
なるべく優しく。少し前まで、当たり前にしてたように。


少し戸惑った様子のせつな。
そうだよね、あたしだってこの頃せつなの顔マトモに見てなかったんだから。
それに……
こんなふうに、ただ何もせずに触れるだけって言うのも。
マジであたしがせつなに手を伸ばすのって、ベッドに押し倒す時だけだったな、
なんて……。せつなも倒れるはずだよ。


「お腹とか、空いてない?」
「………さっき、お母さんがリンゴ持ってきてくれた……」
擦りおろしたやつ、と少しせつなが笑う。
やっぱりちょっと戸惑ったような表情。
それでも、目はそらさない。


何となくそのまま見つめ合っていたい気分だった。
あたしはせつなの髪を指に絡めたり、頬や顎に触れる。
こんなにちゃんとせつなの顔を見るのは本当に久しぶりだ。



(……痩せちゃったな。)



改めてそう思う。顔色も熱が高いのに何だか蒼白い。
本当に、具合が悪そうだ。


せつなは物言いたげに何度か唇を開きかけ、また躊躇うようにつぐむ。
瞳が揺れて、伏せてしまいたいのを必死に堪えているように潤む。



「……あのね、……ラブ……」
震える声が懸命に言葉を紡ぎ始める。



「………私、……話さないと、…いけないことが、あるの……」
髪を撫でていたあたしの手を、せつなの火照った手が握る。



「………私…ね……」


握る手に力がこもり、じっとそらす事のなかった眼差しが、とうとう伏せられる。



せつなは握ったあたしの手を自分の額に押し当て、ぎゅっと目を閉じる。
まるで、神に跪き懺悔する罪人のように。
……ただひたすら、許しを乞うように。



「……せつな。」
もう片方の手で、また髪をすくように触れる。
どう言えば、伝わるか。怯えなくていいと。
分かっているから、恐がらないで……と。



深呼吸する。とても大事な事を言うために。
どうか、ちゃんと伝えられますように………



「あのね……、せつな。あたし、せつなが話したい事なら。何でも聞く。」
なるべく、優しく。出来るかぎり、心に触れられるように。



「…でも………ね、」


「せつなが、話したくない事は、言わなくてもいいんだよ?」
握られていた手の力が少しだけ弛み、意味を問うような視線を送ってくる。
きつく瞳を閉じられていた間に滲んだ涙が長い睫毛を濡らしていた。



「あたしね、せつなが大好きだから……。」
せつなの瞳が大きく見開かれる。



「せつなが、側にいてくれれば……それでいいんだ。」



せつなが大きく、溜め息のような息をつく。
瞬きするたびにポロポロと雫がこぼれ、枕を湿らせる。
綺麗な子は泣き顔も綺麗なんだなぁ……なんて。思わず関係ないこと考える。

あたしなんか、いつも瞼は腫れるわハナミズ出そうになるわで悲惨なのに。




「………たし、も…好き。」消え入りそうな、せつなの声。


「……ラブだけが……好き。」


だから、まだ、側にいさせてくれる?



どうして、こんなに好きなんだろう。
こんなに大好きなはずなのに………
どうして、こんなに泣かせちゃうんだろう。



「……そっか。両想いだね。あたしたち。」
あたしは、明るい笑顔で、軽く言った。つもり。
せつな、笑ってくれないかな?


「うん………。」


ダメだ……。まだ泣いてる。
泣き顔も可愛いけど、また笑顔が見たいよ………って。すぐには無理だよね。



「着替えて、下、行かなきゃ。」
立ち上がろうとすると、少しせつなの手に力が入る。

「お母さんにね、念押されてるの。せつなが疲れるからあんまり話し込むなって。」
あたしはもう一度座り直し、せつなに微笑みかける。
「また、後で来るからね。」


「…本当に?」
「うん…、なるべく早く来るから。」



あたしの方から軽く手を握り直し、ゆっくり放す。
もう一度立ち上がろうとして、……ちょっと、迷ったけど、
せつなの唇に小さくキスした。


一瞬、触れるだけの軽いキス。
せつなの唇は熱のせいか渇いていて、少し震えていた。
あぁ、また泣いちゃったよ。



「後で、来るからね。」
もう一度繰り返し、あたしは部屋を出る。



ドアを閉める前、せつながベッドの上で胎児のように体を丸めているのが
見えた。


4-405へ続く
最終更新:2009年12月29日 18:24