その夜、ラブは、本当に大急ぎで夕飯とお風呂を済ませて来てくれたみたいだ。
まだ髪が少し湿ってる。
ベッドに潜り込み、私に手を伸ばして来る。
反射的に、少し身を引いてしまった。
「今日は、何もしないよ…。」
ラブは少し苦笑しながら私を胸に抱き込み、宥めるように背中をさすってくれる。
額に唇を寄せ、指が優しく髪を梳き、頬や肩を滑っていく。
胸いっぱいにラブの匂いを吸い込む。溜め息が漏れ、また涙が出そうになる。
あんまり泣いてばかりだと、ラブが困るのに。
きっと私は、ずっと、こんなふうにしてもらいたかったんだ。
ただ、優しく抱き締め、撫でてもらう。
何もかも包み込まれる、温かく、幸せな時間。
あの日、祈里との関係が始まってしまった日。
私が正直に話せば、ラブはこんなふうに抱き締めてくれたんだろうか。
ラブの胸に顔を埋めながら、私はポツポツと今までの事を話す。
いざ言葉を紡ぎ出すと、話せる事はそんなに多くない、と言うことに気づく。
ある切っ掛けで祈里と体の関係になってしまった事。
それ以降もずるずると会い続けていた事。
もう会わないと決めて、今日、そう祈里に告げた事。
それだけ。
恐らく、ラブが一番知りたいであろう『切っ掛け』、については、
話そうとすると舌が強張ってしまう。
隠したい訳ではない。
ただ………、どう言っていいかわからない。
事実をそのまま話す。それが一番いいのだろう。
でもそうすると、どうしても祈里を責めるような言い方になってしまう気がするのだ。
「無理しなくていいよ……。」
私が言葉に詰まる度、ラブはそう言ってくれる。
ひょっとしたらラブも聞きたくないのかも知れない。
そんな都合の良い思いが頭を掠める。
さっきのラブの言葉も相まって、ますます私の口は重くなる。
『せつなが言いたくない事は、言わなくていいんだよ。』
こんな事になってまで、ラブに甘えている。すべて話そう、そう決心したのに。
抱き締められ、胸の中で甘やかしてくれるラブにすがりついている。
「……困ったコだね、せつなは…。」
不意に、ぎゅっと私を抱いていたラブの腕に力がこもる。
「あのね、せつな。他所で辛い事があったらね、
ただ泣きながら帰ってくればいいの。」
そしたら抱っこして慰めてあげるんだから。
そう言って、ラブはますます力を入れてくる。
まるで、私を自分の中に包み込んでしまおうとするように。
まるで子供をたしなめるような口調のラブに、私は少し苦笑したくなる。
「……なんだか私、小さな子供みたいね……。」
「小さいコだよ!夏に生まれ変わったばっかなんだから。」
赤ちゃんみたいなもの!ラブはそう言い切って私の髪をクシャクシャに掻き回す。
まぁ、確かにこちらの常識は知らないし、人付き合いも下手だし……
でも、ハッキリそう言われてしまうと……
「うん、何か分かった。これが足りなかったんだよ!あたし達には!」
ラブは唐突とも思える言葉で私の物思いを遮る。
何が?と問う間もなく……
ぎゅう…とまたラブが抱き締めてくる。
「……気持ち良い?」
戸惑いながらも、私は素直に頷く。
「他には?」
温かい。良い匂い。安心する。
私は思い付くままに言葉を並べる。それから……
「……ラブが、大好き……。」
「うん!あたしもー!」
にゃはは、といつもの笑い声を上げ、ラブがぐりぐりと頬擦りしてくる。
「せつなにはね、抱っこが足りなかったんだよ。」
「………抱っこ…?」
「そう!」
ラブが私の頬を両手で挟んで見詰めてくる。
「だから、あたしはせつなに信じてもらえなかったんだよ……。」
意味が、分からない。
ラブは何を言ってるの?
私そんな事、考えた事もない。
私がラブを信じない、そんなの想像すら出来ないくらいなのに。
慌て反論しようとする私の唇をラブが人差し指で押さえる。
「あたしは、せつなを安心させてあげられてなかったもんね。」
本当に、ラブは何を言ってるの?
私がラブを信じてない?安心してない?どうして?
愛情も、安心も溢れるくらいもらってる。
現に今だって、こうして抱き締めてもらってる。
裏切りの言い訳一つ、まともに出来ない。
ラブの優しさに甘えて、罪の告白すら中途半端にしか出来ない。
臆病で脆弱で、傷付けたラブに甘える事しか出来ない私なのに。
「せつな、怖かったんでしょ?あたしに嫌われるかも……って。」
だから、何も言えなかったんだよね?
「傷付いてるせつなを見て、あたしが嫌ったりすると思った?」
それが、どんな原因でも。
「いーっぱい抱っこされて、愛されてる自信のある子はね、外で泣かされて
帰って来てもね、また抱き締めてもらえばすぐに泣き止めるんだよ。」
だから、あたしはせつなの心をもっと抱き締めてあげなきゃいけなかったんだよ。
「ごめんね、せつな。」
ラブが見つめる。胸の奥がきゅっと苦しくなる。
どうしてラブが謝るの?ラブは何も悪くないのに。
それなのに、私は、もっと愛してもらえるの?どして?
どうして、ラブはこんなに私なんかを大事にしてくれるんだろう。
「せつなは、もっと欲張りになってもいいくらいなんだよ?」
ちっちゃい子がママに抱っこせがんだって誰も笑わないでしょ?
もっともっと我が儘言ってもいいんだよ。
ラブはあくまでも私を小さな子供として話を進めようとする。
私は悪くない……。そう言ってくれてる。
小さな子供が些細な失敗を隠す為に、見え見えの嘘をつく。
その嘘を誤魔化す為にまた嘘を重ねる。
でも結局、小さな子供はそんな自分に耐えきれなくて、最後は泣いて
お母さんに謝る事になる。
だって、お母さんはいつだって許してくれるから……。
「ラブは……私のお母さんなの?」
「まっさかぁ!あたし達はラブラブの恋人同士でしょー?」
「だから抱っこ以外も色々しちゃうんだもん。」
ラブは私を抱き締めたまま、チュッと唇をついばんでくる。
「………んっ……」
優しく柔らかな感触に、思わず甘えた吐息が漏れる。
「コラコラ、そんな声出さないの。……続き、したくなっちゃうでしょ……?」
「………しても、いいのに……。」
ラブは困った顔してる。ホントに私は構わないのに……。
ラブさえ嫌じゃなければ……。
「あのねぇ、今までがおかしかったの。具合の悪いせつなに色々してた
あたしは、すごーく悪い子だったの。だから今、反省中。
せつなが元気になるまで我慢しなくちゃダメなの!」
間違ったり、失敗するのは仕方ない事。
それに気付いたら、反省して、やり直す。
それしかないよね?
「今せつなに必要なのは、ラブさんの愛情たっぷりの抱っこ!
それに、たくさん眠る事だよ。」
ラブの優しい声。温かい手。柔らかく、包んでくれるぬくもり。
「……はい…。」
「うん、いいお返事です。」
幸せだ……と感じる。
もう二度と戻れない。そう思っていた場所は、以前よりも優しい場所になって
私を迎えてくれた。
まるで羊水にくるまれた胎児のように、安らかな微睡みに誘われる。
うつらうつらと暖かい闇に意識を持って行かれそうになる中、
一人の面影がちらつく。
(………祈里…………)
彼女はまだ、冷たい闇で一人うずくまっているのだろうか。
どうすれば、彼女にも安らかな微睡みが訪れるのか……。
ラブのぬくもりに包まれて、せつなは長く忘れていた深い眠りの中に漂っていった。
最終更新:2009年12月29日 18:09