リンクルンが鳴ってる。
誰よ、こんな時に。
―――――どうせ、ラブだわ。昼間の事、謝ろうっていうんでしょ。
お願い。少しでいいからあたしの事は放っておいて。
今は誰とも話す気力がないのよ。
あたしは暗い部屋の中で、膝を抱え、そこに頭を埋めたまま、その音が止むのを待った。
まるで空洞になってしまったかのようなあたしの心に、その音は痛いくらい響いて、後悔の念と一緒に、延々と廻り続けている。
部屋の隅には、彼女のイメージカラーの、黄色い、香水の入った小ビンが淋しげに転がっていた。
「……ごめんね、ブッキー」
今更謝ったところでどうしようもないんだけれど。
ブッキーにそれを言えなかったことだけが心残りで、呟く。
「なにが、完璧なんだか………」
何も完璧じゃないじゃない。
自分を抑えられず、ブッキーを泣かせてしまった。
彼女を引き止めて、謝る事すら出来なかった。
何より―――彼女を裏切ってしまった。
いつでもあたしを信じてくれていた、彼女を。
「―――あたし、最低……」
自分の手を見つめる。
何も無い、空っぽの手を。
暗い闇の中、リンクルンは、まだ鳴り続けていた。
1
あたしは一人で、クローバータウンの外れにある、神社の境内の裏に座っていた。
誰も知らない、あたしだけの秘密の場所。
子供の頃から、一人になりたい時はここに来る。
嫌な事があったり、悲しい事があったり、完璧じゃない自分を人に―――ブッキーに見せたくない時はいつも。
そんなあたしを見たら、きっと彼女は不安がってしまうから。
だから、一人でここで我慢してきた。
それはとても淋しくて、苦しかったけど。ブッキーに心配させる方がもっと…辛いから。
でも今は―――。
(ブッキーに合わす顔がなくて、ここに逃げ込んでるだけ、よね……)
あの日から―――しばらく皆の前に姿を現わしてはいない。
……幸い、ここ何日かラビリンスの襲撃も無いし。
ミユキさんにも連絡して、少しの間、どうしてもダンスの練習には出られないって告げて。
「……本当に、ご迷惑おかけします……ご厚意で練習見てもらってるのに……」
「気にしないで、とは言わないけど、どうしても踊れるような状況じゃないのなら仕方ないわ。理由は……聞かない方がいいのかしら?」
「………できれば………」
「―――そう」
一瞬だけ沈黙するミユキさん。
こんな身勝手な事言ったら、怒られるだろうってあたしは覚悟してた。
でも。
「……ダンスってね、身体だけじゃなくて精神的なコンディションも、もろに出てしまうものだから…今の美希ちゃんがレッスンに参加したところで、何にもならないって事は分かるのよ。ただ闇雲にやったところで、皆の足を引っ張るだけ……それはこの間の祈里ちゃんの事でも分かってると思うけど」
「…………」
「プロだったとしたなら、それを押し殺す術も持っていなくちゃいけないんだけど……ただ、あなた達はまだデリケートな……女の子だから。今回だけは、特別にって事で許可するわ。」
「……本当に、すいません……」
「でもね、美希ちゃん」
ミユキさんの声が心配そうなものに変わる。
「相談できないならこれ以上何も聞かないけど……絶対にダンスを辞めるなんて言っちゃダメ。いい?」
「………それは……」
「それだけは何があっても許可しないわよ?時には、立ち止まる事も必要だわ。自分を見つめ直す事もそう。―――だけどね、逃げる事だけは許しません。それに、そんなのはあなたらしくないでしょ?」
あたしらしくない、か―――。
ちょっとだけ笑ったような声が受話器から聞こえる。
「……もっとも、それが分からなくなっちゃって、悩んでいるんだろうけど。あたしから見たあなたはね、絶対に困難に背中を向けたりしない、プライドの高い、強い子よ?」
「……あたし、そんなに強くないですよ……」
むしろ逆だ。
あたしは弱くて、卑怯者。
ブッキーにごめんなさいの一言すら言えないまま、逃げ回っている。
「いいえ、自分で気が付いてないだけだわ。―――大事な人の為になら、あなたは誰よりも強くなれる子…。……今はそれを、失いかけてるかもしれないけど」
ハッとした。もしかしてミユキさんは何もかも知っているのだろうかと。
そんなあたしの予想に反し、彼女は続ける。
「―――事情も知らないのに、適当な事言ってたらゴメンね?」
「………いえ…」
「でも忘れないで。あなたがあなたである為に必要なのは、その手の中にあるものに、気付く事よ。本当に大切な思いに、ね」
あたしは自分の手を見つめた。
空っぽの、手を。
「……年上ぶった、身勝手なアドバイスだとでも思っておいてくれればいいわ。じゃあ、練習場で待っているから。―――いつでも戻ってきてね?」
そう言って、ミユキさんは電話を切った。
大切な思い―――か。
だけど、この手の中には何も有りはしない。
悲しい気持ちで、あたしは手を握り締めた。
2
子供の頃から、この手の中にはいつもブッキーの手があった。
ただ友達同士で手をつなぐって事だけじゃなく、慰めたり、励ましたりする時、彼女の手を握ってきて。
それが当たり前だと思ってて、向こうもそう思っててくれてるって勘違いしてたけど。
―――でも。
あたしの手なんかブッキーは求めてなかった。
彼女が求めていたのは―――せつなの手。
あたしの手はいつだって空っぽだったんだ。
それが分かって、あたしは―――。
「―――あたしらしくない―――。」
同じ事、ミユキさんにも言われたっけ。
―――ブッキーを、傷付けるなんて。
あの日。
最初は、なんの邪心も無く、ただブッキーと二人になりたいって思っただけだった。
彼女が……ラブ達の突然の―――キスに衝撃を受けてるのは確かだったし。
そんな彼女を一人にさせるのは辛くて、あたしは彼女を家に誘った。
「新しい香水作ったんだけど、感想くれない?…ちょっと自信作なの」
本当は失敗作もいいところだったんだけどね。
ブッキーにプレゼントしようと思って作ったのに、出来上がってみれば、ただ単に彼女へのあたしの気持ちが先走ってしまった、とても……悲しい物になってしまっていて。
でもブッキーがその誘いに応じてくれた時は、失敗作でも使い道はあるのね、なんて思ってた。
今にして思えば、それが間違いの元だったんだわ。
あたしの部屋で、彼女にそれをつけてあげた時、あたしは―――おかしくなった。
その香りを吹き付けるときに、あたし自身が嗅いでしまったから。
彼女への想いを詰め込んだ、切ない香りを。
「……変わった香り……。美希ちゃん、これ何か効果とかあるの?」
不思議そうな顔であたしを見るブッキー。
あたしは……目を逸らす事が出来なかった。
澄んだ琥珀色の瞳。愛らしく小さな鼻。そして、魅惑的な…唇。
頭の中に、夕方見たラブとせつなのキスシーンがフラッシュバックする。
「効果……は特に無いと思うわ。ただテーマを決めて作っただけだし……」
「テーマ?」
テーマはね、あなたなのよ。ブッキー。
その言葉を口にする代わりに、あたしはブッキーをベッドに押し倒していた。
ブッキーはあたしの突然の行動に驚いたのか、目を大きく開いたままで。
そしてあたしは彼女の唇を―――――。
どれくらい経ったんだろう。
頬に何か濡れたものを感じて、我に返った。
ブッキーが、泣いていた。
あたしはそこで、初めて自分の犯した過ちの大きさに気が付いた。
彼女を不安がらせるどころか、泣かせてしまった事に。
今までのあたし達の関係を、壊してしまった事に。
(違うのブッキー……あたしは、あたしはただあなたが……)
言葉が、出なかった。
―――自分から壊してしまったものを、どう取り繕う気なの?
―――人に取られるのが怖くて、自分だけのものにしたくて、こんな事をしたっていうの?
―――今更ブッキーの事が好きだなんて、言えるの?
渇いたような自嘲の笑みだけが浮かぶ。
「その香水ね、良かったらあげるわ。元々その為に作ったものだから。……せつなにプレゼントあげたのに、ブッキーは何も貰ってないでしょ。……だから、あたしからの、プレゼント」
何の反応も無いブッキーに、あたしがかけられたのはそんな言葉だけだった。
「―――『片思い』がテーマなのよ。それ」
言い訳なんか何ひとつ出来はしないのだけれど。
ただ、気が付いて欲しくて。あたしの想いを知って欲しくて。
祈るような気持ちで、あたしはそう言った。
ブッキーは、何も答えずに部屋から出て行った。
あたしは彼女を引き止めたかった。 でも―――。
―――あたしに、そんな資格があるの―――?
この手を伸ばす事は、出来なかった。
この空っぽの手に出来る事は、ただ暗い部屋の中で自分の膝を抱えることだけ―――。
ガサッ、という草をかき分ける音であたしの思考は中断した。
なに?ここに誰か来る事なんて今まで無かったのに。
気のせいかな、と思うけど、明らかにその音は徐々に近付いてくるみたいで。
野良犬とかかしら……それともここの神主さんとか……?
ま、まさか変質者とかだったらどうしよう!?
「だ、誰っ!?」
少し強張った声で、あたしは見えない誰かに問い掛ける。
その声に答えるかのように草むらの中から姿を現わしたのは―――。
「……やっぱり、ここにいたんだね。探したんだから」
そう言って、彼女は少しだけ笑った。
3
「皆心配してるよ。家に行ってもいないし、リンクルンには出ないし。―――タルトなんかね、美希たんは
ラビリンスに攫われたんやないやろかーって大騒ぎ。ホントカンベンしてよね」
彼女は――桃園ラブはそう言うとあたしの隣に腰を下ろした。
あたしは―――驚き過ぎて言葉も無い。
「せつなとブッキーも美希たん探してるとこ。なんなら見つかったよーって今連絡してもいいんだけど……どうする?」
ラブはへへへ~と笑いながらあたしの顔を覗き込む。
「……ま、ここにいるって事は他の人には会いたくないって事なんだろうし~。そしたら美希たん困っちゃうかな?」
「―――なんで……?」
やっとの事で声を搾り出すあたし。
「なんでラブがここにいるのよ!!」
「それ全部あたしの台詞なんだけどな~。美希たん」
ラブは軽く肩をすくめる。
「あのね、常々お忘れのようですけど、あたしだって幼馴染みなワケ。美希たんやブッキーの事をずーっと見てきてたんだから。……美希たんに何か嫌な事なんかがあった時、姿を隠すのをこっそりつけたりとかした事もあったり…ね?」
「……そんな事……知らなかったわよ・……」
「だろうね~。美希たん人の心配ばっかりするくせに、自分が心配されてるなんて思わないんだからさ~」
おどけた様に大きく溜息をつくラブ。
「人の心配、っていうか、たった一人の心配、か。……たまにはあたしにも目を向けて欲しかったけど」
「な、何よそれ」
「別に~。ただ、もしかしたら美希たんもあの頃のあたしと同じなのかなって思っただけ。自分を見てくれないって、辛いでしょ?……好きな人が、さ」
何を言って…るの?
ラブは、あたしのブッキーへの想いを知ってるっていう事?
「で、姿を隠してみた?見て欲しくて?―――あー、それともなんか突っ走っちゃった?」
「ちょっとラブ―――――」
「そういえばブッキーの様子もおかしかったモンね~。やっちゃったか~。あ~あ、あれだけ日頃から完璧完璧言ってるくせになにやってんだか……」
ラブはやれやれ、と首を振る。
「……らしくないな~」
「―――何でも分かってるような事言わないでよッ!!」
ラブの言い方に―――違う、図星を指された事に苛立って、あたしは声を荒げた。
そんなあたしを、涼やかな視線で受け止めると、ラブは言った。
「何でも分かってるよ?―――美希たんの事なら、昔から何でも。きっと、何も分かってないのは美希たんの方」
「―――どういう事よ、それ?」
「ほら、ね。何も分かってくれてなかった」
ほんの少し、淋しそうな表情がラブに浮かぶ。
「……まあいいけどね。どうするの?ずっとここにいるワケにもいかないっしょ?ミユキさんから話は聞いたけど。プリキュアまで無期休業とか言い出しちゃう気?」
「それは―――」
「町を歩く時だってさ、コソコソ隠れて移動するつもり?ブッキーに会わないようにって祈りながら?」
「……」
「―――あんまりがっかりさせないでよ、美希たん」
言葉に詰まったあたしに、容赦なく彼女は言葉を投げつけた。
「そんな美希たんなんて、あたし―――ううん、皆見たくないよ?皆が見たいのは、何があっても、真っ直ぐ立ってようとする、美希たんだと思う。……例えそれが、たった一人の、ブッキーの為だとしても―――ね」
「………でもあたしは……そのブッキーを……傷付けたのよ……」
初めて、人に本音が言えた。
相手がラブだっていうのが何か癪だけど。
でも、こんな事は今までで無かった事だった。
いつも、そんな気持ちは一人で耐えてきたから。
「……そんなあたしが……ブッキーの前に出られるワケ、無いじゃない……」
「―――どうして?」
不思議そうに、ラブは聞き返してきた。
「会いたいなら会えばいいし、謝りたいなら謝ればいいし―――好きなら……好きって言えばいいじゃない?」
「……」
「あのお姫様は鈍感で、欲張りだけど、冷たいコじゃないよ?振り向いてくれるかは分からないけど、許してくれないって事はないと思うな……現に今だって、美希たんのこと探し回ってるし」
「でも……」
「はあ~。こっちのお姫様は勇敢なクセに臆病者で、困ったもんだわ」
「……キス、しちゃったのよ。ブッキーと」
一瞬、ラブの表情が曇ったような気がしたのは、あたしの気のせいだったろうか。
「……やっぱりやっちゃったワケ、ね」
「―――無理矢理、よ。それを…ブッキーが許してくれると…思う?」
ラブの顔を見る。
途端に、あたしの頬は彼女の両手で挟まれて。
キス、された。
それは、普段のラブからは想像できないような、真剣で、熱い、キス―――。
「――――――ちょ、ちょっとラブ!なな何するのよ!!」
危うくラブの唇に夢中になりそうになるのを、慌てて身体を突き放して回避する。
なな何この子……どれだけキスが上手いのよ……。
自分の胸がドキドキと高鳴ってるのが分かる。
ラブを見ると別に悪びれた様子も無く、いつも通り笑っていて。
あれ、でも―――?
「にはは~。ごめんね、美希たん。許してくれる~?」
「ゆ、許すって……別に怒ってるわけじゃないわよ……ビックリしただけで……」
「そ。良かった」
そう言ってラブは顔を逸らすと、立ち上がった。
「ね、これだけの事だよ?美希たんが怖がってるのは。……ブッキーも、今の美希たんと同じだと思うな」
「これだけって……」
「それとも、あなた達って、こんな事くらいでダメになっちゃう関係だった?……だとしたら、あたしがバカみたいだわ」
「え……?」
「―――行くね。今のキスはせつなには内緒にしといて。―――あのお姫様、ヤキモチ焼くと怖いんだ~」
ラブはあたしを見ようともせずに、ヒラヒラと手を振って立ち去ろうとする。
「ま、待ちなさいよラブ!」
まだ話は終ってない。
それに―――。
あたしは彼女を引き止めようと手を伸ばした。
ラブは後ろ向きのまま、器用にその手を避ける。
「……その手は、あたしに向ける為にあるんじゃない…でしょ?美希たん。そんな事まで忘れちゃったの?……心配しなくても、みんなには見つからなかったって言っておくから大丈夫だよ」
「ラブ……あなたさっき―――……」
ラブは顔を伏せたまま、クルッっと振り返ると、ピエロのような大げさな動きで一礼する
「ま、たまには想いを押し殺したままだった可哀想なお姫様の事も思い出してあげて。今は幸せゲットしてちょっとだけ意地悪になっちゃったりもしてるけどね。……でも、ハッピーエンドを願ってるんだよ?」
そう言って、彼女はあたしに再び背を向けて去って行った。
「……何言ってるんだか分かんないわよ、もう」
あたしは、空っぽの手を広げて、眺める。
それから立ち上がると、軽く伸びをした。
……悔しいけど、ラブの言う通りだわ。いつまでもココで怖がってもいられない。
彼女に、ブッキーに会わなくちゃ。
会って、謝って、全てはそこから、よ。
キスの後、ちょっとだけラブの目に光るものが見えた理由は、最後まで聞けなかった。
4
あたしはクローバータウンの大通りを、ブッキーを探して歩き回っていた。
リンクルンに連絡を入れてみたけど、彼女からの返信はない。
「わざと、とか考えるのは被害妄想かしら」
……それはあたしの方だったわね。
少し溜息。謝るって決めたのに……まだどこか弱気なんだわ、あたし。
……ブッキー、許してくれる……わよね?
『どうだ!!謝るなら許してやってもいいぞ!!』
……そうだといいんだけど。
『謝ったりなんて……するものですか!』
いや、まず謝るのが先決でしょ……って、この声は。
あたしの目に、町の中央にあるオーロラビジョンが飛び込んでくる。
そこに写ってるのは……ウエスターと、鳥みたいなナケワメーケに捕まって宙吊りにされたパインの……ブッキーの姿だった。
「チェインジ、プリキュア!ビートアップ!!」
人通りの多いことも意に介さず、あたしはキュアベリーへと姿を変える。
運のいい事に、みんなオーロラビジョンに夢中で気がついてないみたい。
それに、もしバレたとしたって構ってるヒマはないわ!
あたしは走った。走って、走って、走った。
あの影像からして、パインがピンチになってるのは、練習場のある公園だ。
きっと彼女は、あたしを探してる間に、敵に遭遇してあんな事になってしまったんだ。
あたしのせいで。
もしこれで彼女の身に何かあったら―――。
頭を振って嫌な想像を打ち消す。
「そんなことをさせない為に、あたしがいるんじゃない!!」
そうだ。
あたしは―――あたしのこの手は―――。
この手の中には―――。
やっとの思いで、公園へと辿り着いた。
そこにはさっき見た影像のまま、鳥型のナケワメーケの足にぶら下げられたパイン。
「おのれ~!!大人しくごめんなさいすればいいものを!元々許すつもりなどないけどな!!」
「何も悪い事なんかしてないのに、謝るワケないじゃない!テレビで中継されてるみたいだし、あなたの方こそ、今まで迷惑をかけた町の人達に謝れば?!」
「ふざけるな!こっちこそ謝ったりなぞするか!やれ!ナケワメーケ!!」
「フーコウノトリ―!」
ナケワメーケは、足に掴んでいたパインを、大きく振り上げ、凄い勢いで放り投げた!
「キャーッ!!」
空中のパインに向けて、あたしは跳んだ。
そして、パインへと必死に手を伸ばす。
「パイン!手を!!」
「美希ちゃ…ベリー!!」
あたしたちの手が、固く結ばれる。
そのまま引き寄せ、彼女を胸に抱くと、地上へと滑り込んだ。
「―――間一髪ってトコ、ね?」
腕の中のパインにそう言って微笑む。
彼女の目には見る見るうちに涙が溜まっていって―――。
「ベリー……!しん…ぱい……してたん……だから……」
「うん……でも、謝るのは後でまとめてでいい?パインに…ブッキーには、たくさん謝る事があるから……だから…泣かないで」
「わたしも……謝らなきゃいけない事、いっぱいあるわ……」
このままでいたいっていう思いを振り切り、あたしはパインを地面に座らせると、一人立ち上がる。
「貴様ら~!!俺には謝らないクセに、お互いに謝ったりするなんて差別だぞ!差別!!」
「……あのね、分かってないわよ、謝るってことの意味が。―――それに、パインの言った通り、謝るのはあなたの方だわ……あたしの大切な人を怖がらせたんだから……!!」
「ク~!!貴様が勝ったら謝りでも土下座でも何でもしてやる!!やれ!ナケワメーケ!!」
「ハーシビロフコ―ウ!!」
ナケワメーケは空から一直線にあたしに向かって急降下してくる。
あたしは―――避けない。
だって後ろにはパインがいるんですもの。
代わりに彼女をかばう様に大きく手を広げると、あたしを掴もうとするナケワメーケの足を受け止める。
「たああぁぁぁぁッ!!」
相手の勢いを利用して、あたしはナケワメーケをそのまま地面へと叩きつけた。
その反動で、今度はあたしが空中に跳ね上がり、ナケワメーケに向かって拳を放つ。
「ハッ!」
命中!直撃を胴に喰らったナケワメーケは、大きく一度震えると、そのままぐったりと地面に大きな体
を横たえる。
「フ……コーモリ―……!!」
「あの……蝙蝠は鳥じゃないんだけど……」
パインが何か言ってるけど、ここはスルー。
華麗に着地したあたしに向けて、ウエスターが焦った声を上げる。
「な、なんだ!?い、いつものお前らなら4人がかりでやっとじゃないのか!?」
「―――今のあたしは一味違うってことよ。あなたには分からないでしょうけどね……この手の中にはね、何よりも強いものが入ってるって思い出したんだから!」
手を、握る。
空っぽだと思ってた、あたしの手。
でも、それは間違ってた。
―――あたしはブッキーを傷付けて、泣かせてしまったけれど。
「行くわよ!キュアスティック!ベリーソード!!」
それでも―――この手はブッキーの為にあるんだから。
例え彼女が求めてるのがあたしの手じゃなくたって。
あたしの恋が決して報われるものじゃなくたって。
そんなのは―――関係無い。
「わるいのわるいのとんでいけ……プリキュア・エスポワールシャワー・フレーッシュ!!」
小さい頃から、ずっとこの手の中にある一番大切な思いは。
―――彼女を守る事。
「ハアアァァァァ!!」
―――彼女の笑顔を、守り続ける事。
「シュワシュワ~……」
ナケワメーケが消滅していく。
あとには子供の遊ぶような、小さなアヒルの玩具がひとつ転がっているだけ。
「くそ~!!ごめんなさい!!だが土下座はせんぞ!!覚えてろー!!」
ウエスターはありがち?な捨て台詞を吐いて走り去って行った。
そんな姿を呆れた顔で見送ると、あたしはパインへと向き直る。
「……立てる?パイン……」
「……」
パインは顔を伏せて、あたしの差し出した手を握ろうとしなかった。
……やっぱり、怒ってるわよ、ね。
「パイン……ブッキー、この間のこと……」
「……ズルイ、美希ちゃん」
ちょっとふてくされたような声。
「……今度はわたしが美希ちゃんに手を差し出して、立たせてあげる番だって思ってたのに」
ブツブツ言いながら、彼女はあたしに左手を差し出す。
その手を握り締めて、あたしは苦笑いした。
「……やめてよ。ブッキー」
そう言って、彼女に微笑みかける。
「―――そんなの、あたしらしくない、でしょ?」
それにね、ブッキー。
ラブも言ってたけど、あたしが真っ直ぐ立っていられるのは、あなたのおかげなのよ?
支えているようで、支えられてたのはいつもあたしの方。
今だって、あなたへの一番大切なものを思い出したから、こうしていられるの。
―――ありがとう、ブッキー。
心の中で呟くと、あたしはパインを引き起こした。
5
あたしたちは並んでベンチに腰掛けて、沈んでいく夕日を眺めていた。
お互いに、話し出す機会が掴めないままで。
ただ、あたしの右手とブッキーの左手は、さっきからずっとつながれたまま。
右肩には、ブッキーが頭を預けている。
その感触と、伝わる体温が、心地良い。
「……子供の頃、よくこうしてたよね」
話し始めたのはブッキーだった。
「そうね。―――二人で虹とか見たりしたっけ」
「うん。……いつからだろうね、こんな風にしなくなったの。別の中学校行くって決まってからかな?」
「そう―――だったかしら。あの時はラブがみんなバラバラになっちゃうって大騒ぎしてたから―――」
「フフ……同じ事、わたしも思い出してた」
ブッキーはクスクス笑うと、ふ、っとあたしの肩から頭を上げた。
「同じ思い出をね、ずっと持ってるって素敵な事だけど。―――でもみんな、変わっていっちゃうんだよね」
ブッキーは遠い目をして夕日を見つめる。
「変わらないって思ってた光景だって、気がつかないうちにどんどん変わって行っちゃう。……勿論、いい事だってあるけど……淋しい事だって、あるよね」
……ブッキーの言うその光景を、あたしは壊してしまった。
「あのね、ブッキー。あたし―――」
「待って、美希ちゃん。謝るのは……わたしからでいい?」
あたしの言葉を止めると、ブッキーは顔を少し伏せて、続ける。
「ごめんなさい。……わたしは―――せつなちゃんが好きなの」
分かっていた答えだけれど。
心が張り裂けそうになった。
そんなあたしの手を、ブッキーの手が握ってくる。
まるでいつもとは逆だ。
その手の温もりが、泣き出しそうなあたしを押さえてくれる。
「そして、そのことを美希ちゃんに隠してて、ごめんなさい。―――言い訳だけど、美希ちゃんに嫌われるのが―――怖かったから。何も言えなかったの」
ブッキーの手が少し震えてるのが分かる。
「何も失くしたくないって、いつも思ってた。ラブちゃんも、せつなちゃんも……美希ちゃんも。いつまでも同じ光景の中で、同じ思い出を紡いで行きたかった。……ズルイ……よね、わたし」
鈍感で、欲張りなお姫様。
ラブの言っていた言葉が頭に浮かんだ。
そしてあたしは―――。
「あたしはね、ブッキー。何よりもあなたが欲しかったわ。ずーっとあなたの一番でありたかった。例え何を失っても、どんなに苦しい思いをしても。……口に出す勇気だけは無かったけどね」
少し可笑しくなった。
勇敢で、臆病者のお姫様、か。
「……ズルイのは、一緒だわ」
「……でも美希ちゃんは、いつもわたしの傍にいてくれたわ」
ブッキーは悲しそうな声で言った。
「わたしは―――何もしてないし、出来なかった。せつなちゃんに対しても、美希ちゃんに対しても」
「ブッキー……」
「そんなわたしの弱さが、ずっとずっと美希ちゃんを苦しめてたんだよね。……その想いに気付くことも…出来なくて……本当に……ごめんなさい……」
ブッキーの声が涙混じりになってくる。
あたしは彼女の手を握り返した。
泣きそうになった彼女を守るのは―――この手の役目だもの。
「あたしのせいで、ブッキーだって苦しんだじゃない……それに今回だって一人で逃げて心配かけたし……何より、あなたを泣かせちゃったわ」
そうだ。
あたしにとって最も重い罪。
あの夜の事を、ブッキーに謝らなくちゃいけないんだ。
あたしはポケットから例の香水の入った、黄色い小ビンを取り出した。
「……ブッキー、次はあたしが謝る番でいいかしら?」
彼女はその小ビンを見て察したらしく、あたしの顔を見つめる。
あたしはそんな彼女の目を見る事が出来ずに、顔を背けたまま、小ビンをごみ箱へと放り投げようとした。
その手を、ブッキーが押さえる。
あれ?って彼女を振り返った時。
あたしの唇は彼女の唇でふさがれていた。
それはキスって呼ぶにはあまりにも幼稚で、拙いものだったけれど。
でも、あの夜のキスより、ラブと交わしたものより、何倍も、何百倍も気持ちが良くて。
あたしは疑問を感じるのも忘れて、その甘い感触に浸っていた。
唇が、離れた。
そのまま、ブッキーはあたしの胸に顔を埋めて、呟く。
「……いこ……」
「?え?何、ブッキー?」
「………これでおあいこ、って言ったの!」
ブッキーは顔も上げずに言った。
だけど、真っ赤になった耳は隠せてない。
「……それにまだ、わたしの謝る番が終ってないよ、美希ちゃん……」
「謝るって……これ以上ブッキーがあたしに謝ることなんか……?」
胸の中で、彼女はイヤイヤするように首を振る。
「ごめんね、美希ちゃん―――――」
「―――わたし、美希ちゃんの事……好き……なんだと……思う」
「ブ…ッキー…何て……?」
あたしは自分の耳を疑った。
そんな言葉が、彼女の口から出るなんて想像もしてなかったから。
「―――ずっと、あの日から美希ちゃんのこと考えてた。…子供の頃のことや、プリキュアになったこととか、クローバーでダンスを始めたことも、全部。―――わたしの隣にはいつも美希ちゃんがいてくれて、そして助けてくれてた。そしてね、気がついたの。本当に失くしたくなかったものに」
彼女の激しい鼓動が、あたしに伝わってくる。
「わたしは、美希ちゃんを失うのが怖かったのよ。あなたがいてくれる光景が壊れるのが、何よりも怖くてたまらなかった……」
「ブッキー……でもあなたは……」
「……うん、せつなちゃんを好きなことも、本当。だから……ごめんなさい……」
あたしの着てる服を、ブッキーはギュッと握り締める。
「やっぱり、ズルイ子だよね、わたし。でも、分からないし、決められないの……だからお願い、美希ちゃん」
胸から顔を上げると、ブッキーは涙を浮かべた目で縋るようにあたしを見た。
「あなたを大好きだって……あなたがわたしの一番なんだって……わたしに……信じさせ……」
あたしは彼女の言葉を最後まで待たずに、唇を重ねた。
そしてこの手で……抱きしめる。これ以上はないくらい、優しくて、強い力で。
この世界の全てから彼女を守るように。
最初はあたしの行動に驚いたかのように目を丸くしていたブッキーも、やがて目を閉じて、恐る恐るって感じで、あたしの背中に手を回してきて。
そのまま、あたし達は熱くて、甘い抱擁をし続けた。
「………ブッキー、知ってる?今ある光景は変わっていったり、時には壊れたりするけど。でもね、絶対に変わったりする事のないものもあるのよ」
唇を離し、ブッキーの目を見つめてあたしは言った。
彼女は顔を真っ赤にしたまま、少し息を荒くして、不思議そうな表情を浮かべる。
「変わらない……もの?」
「そう。―――あたしもそれが分かんなくなっちゃって、ちょっと迷走しちゃたけどね」
自分の手を見る。
空っぽなんかじゃなかった、あたしの手。
この手のすべき事は、子供の頃も今も、ずっとずっと未来まで、絶対に変わらない。
何があっても、もう見失ったりもしない。
「―――難しいよ…なぞなぞ?」
戸惑った顔のブッキーが可笑しくて、あたしは軽く吹き出してしまう。
「!もー!何よ、美希ちゃんの意地悪!」
「ゴメンゴメン。……あ、やっとあたしが謝れたわ」
顔を見合わせ、今度は二人で笑い出す。
「答えは……そうね……あたしが完璧だってことよ」
「ヒドイ…そんな答えナシだよ、美希ちゃん!」
少し頬を膨らませて可愛らしく抗議するブッキー。
彼女のその様子が愛おしくて、もう一度、今度は軽くキスをする。
「―――そんな完璧なあたしがね、大好きなあなたの一番になれないワケがないじゃない」
ブッキーはその言葉に一瞬沈黙して、あたしにキスを返してくる。
「うん!―――わたし信じてる!」
ブッキーが微笑む。
それは、あたしが子供の頃から守り続けてきた、宝物。
これから先も、この手で守り続けていく、かけがえの無いもの。
二度と、涙で曇らせたりなんかしないわ。
そしてもう、離したりなんかしないんだから。
あたし達は無言で顔を寄せ合い、口付けを交わしあった。
終章
ふと気がつくと、抱き合っているあたしたちの周りに、甘くて、いい香りが漂っていた。
「?何?この匂い……」
「美希ちゃん、あれ……」
ブッキーの指差した先には、捨てようとしたのを彼女に阻まれ、ベンチに置いたはずの黄色い小ビン。
いつの間に落ちたのか、フタが外れかけたまま地面に転がっていた。
「―――これが…あの香水、なの?」
信じられなかった。
あれはあたしの失敗作で、ほろ苦くて、切ないだけの悲しい匂いしかしなかったのに。
今あたし達を包んでるのは、似ても似つかない、柔らかで、居心地のいい匂い。
「……ここ何日かで、中の成分が変化したりしたのかしら?それとも最初から沈殿してた何かが―――」
「―――美希ちゃん、ロマンチックじゃないんだから……」
ブッキーはそう言ってあたしを軽く睨んだ。
「……ロマンチックじゃなくて悪かったわね……じゃあブッキー、あなたならこの匂いをどう説明するの?」
腕の中にいるブッキーに、ちょっと意地悪な質問をしてみる。
「―――わたしなら……変わったのは、香水じゃなくて、わたし達だって思いたいな」
「あたし達……鼻が効かなくなったって事?」
「……う……全然ロマンチックになってないよ、美希ちゃん……」
呆れたように言うと、ブッキーはあたしの首に手を回してきた。
「変わったのは、わたし達のいる光景だって事……」
微笑みながら彼女は言った。
そう考えたら、ブッキーが言ってたみたいに、変わっていく中にはいい事だってあるのね。
あの時は……二人とも悲しい光景にいたから、この香水も、片思いの、悲しい香りしか感じられなかった
ってことになるのかしら。
じゃあ、今のこれは―――。
「きっと、ね。美希ちゃん、これが―――幸せの匂い、なのよ」
ブッキーがあたしの瞳を見つめてくる。
幸せの匂い、ね。
随分とロマンチックですこと。
――――でも、悪くはないわね。
軽く頷いて微笑み返すと、あたしは彼女を引き寄せて―――……
夏の終わりの夕暮れ。
一つに重なり合ったあたし達を、その香りは、まるで祝福するかのように、いつまでも優しく包み込んでいた。
了
~◆51rtpjrRzY より、みんなへのお礼だよ!~
日が暮れようとしていた。
一人で家へと戻る途中、ブッキーから美希たんを見つけたって連絡を受けて、あたしは全てを察した。
彼女の、その弾んだ声で。
「ふ~ん、ハッピーエンド、ってワケか。……オメデト、お姫様たち」
リンクルンを切って、皮肉っぽい口調であたしは呟く。
性格、悪いな。
本当なら、もっと喜んであげるべきなのに。
おめでとう!良かったね!美希たん!って。
―――そんな事、絶対に言わないけど。
さっきの美希たんとのキスの感触を確かめるように、唇を撫でる。
子供の頃、ずっと夢見ていた、あの感触。
でもそれは―――今となっては悲しいものでしかなくて。
「たはー、感傷的過ぎだわ。らしくないの……」
あたしはね、美希たん。
ずっとあなたを見てたんだよ。
どんな時でも、美希たんは、強くて、真っ直ぐで、カッコよかった。
でも、その行動の全てが、たった一人の為だったって分かって。
あたしがどれだけ泣いたか、あなたは知らないでしょう?
神社の裏で一人で辛い事を堪えているあなたを、この手で抱きしめてあげたかった。
いつでもあなたの隣にいて、一緒に笑っていたかった。
でも、あなたが見ていたのはいつも――――。
「ただいま~」
家に着いて、玄関を開ける。
「おかえり!ラブ、遅かったじゃない!」
せつなの明るい声と、パタパタッていうスリッパの音。
それが、ちょっと暗い思い出に浸ってたあたしを救いあげてくれた。
やめよう、こんなこと考えるの。
あたしの、あたし達の幸せは、今ココにあるんじゃない。
「ブッキーから連絡あった?美希が見つかった……って……」
あたしの前に姿を見せると、言葉の途中でせつなは凍りついたように動きを止める。
「?なに~?連絡ならあったよ。……そんな事より、せつな、おかえりなさいのキスは――――」
そう言ってせがむように突き出したあたしの顔へ。
スパ―――ン!!!
せつなはスリッパを全力で投げつけた。
「―――つつ……な、何するの~、せつなー!?」
「ラァブゥ~~~~!!」
「その唇についてるのは、誰のリップなのッ!!!!!!」
慌てて唇を擦るあたし。
「は、はは、や、やだな~、町で配ってた試供品、まだ残ってたんだ~」
……我ながら、下手な言い訳だわ。
勿論、そんなウソを信じるようなせつなではなく。
「………ゆ~っくり聞かせてもらうわよ?こっち来て!!」
「イタイイタイ、せつな、耳取れちゃうよ!!ねぇ!!」
耳を引っ張られて、部屋へと連れて行かれるあたし。
………まあいいか。
これからせつなにキツイお説教されたとしても。
それだって、きっと幸せの1ページ……だよね?
「痛いよ~!!ゴメンってば!せつな!!許して!!」
……あたしはそう考えて誤魔化そうとしたけど、せつなの怒りがそんな優しいものであるわけもなく。
桃園家には、一晩中あたしの泣き声が響き渡ったのだった。
了
最終更新:2011年07月25日 19:43